車は森の道をゆっくりと進んでいった。
窓から差し込む陽光が、桜の花びらにキラキラと輝いている。風がそよぐたびに、桜の花びらが舞い落ちる。遠くから小鳥のさえずりが聞こえる穏やかな春の午後だった。
その車内で2人の女子高生が楽しそうに会話をしていた。
「ねえ聞いて蘭、私の蘊蓄を」
「園子どうしたの?急に」
「盆栽の体験に参加するにあたって私はしっかり勉強してきたのよ。私ってばすっごく真面目だからね」
園子が己の事を真面目と言い放ったのを見て蘭はその顔に苦笑いを浮かべた。コナンは白けた目を彼女に向ける。
「盆栽はね、まあ見てわかると思うけど自然の風景?景色?を鉢の中に作り出す事が目的なんだって。でね、全然知らなかったんだけど盆栽にも種類があるんだって。
松柏盆栽、雑木盆栽、草物盆栽の3種類。で、さらに細かく分類されてるんだけど、それは細かすぎて忘れちゃったや」
園子はテヘヘと笑いながら本を広げる。
「今回は盆栽作りの体験をさせてくれるらしいわよ。しかも作った作品はくれるんだって!」
「へぇ、盆栽は初めてだなぁ。私どうしよう?部屋に飾ろうかしら」
と、女子高生2人は盆栽の本を見ながら楽しそうに話している。盆栽なんて老人の趣味じゃないかとコナンは大きなあくびをした。隠すつもりのないその姿を見て車を運転する小五郎は、そんなに退屈そうなら着いてこなければ良かったじゃないかと不思議な気持ちになっていた。
「それで、今回はどんな人と出会ったのよ?素敵な人を見つけたんでしょ?」
「聞いてくれるのね蘭!この間ね、ネットサーフィンをしていた時に巡り会ったの!素敵な人と!」
「へぇ、どんな人?」
「ウェーブのかかった茶色い髪に垂れた瞳、顎に生えたお髭も渋めの良い男よ。中々のイケメンだったわ」
「それで、飛び入り参加を打診したって訳……」
コナンは相変わらずな調子の園子を呆れた目で見るとため息をついて窓の外へと目を向ける。と、ちょうどそのタイミングで車は停止した。
桜並木を抜け、森の小道を進む事暫く。小さな日本家屋の元へと辿り着いた。
日差しを遮る薄暗い森の奥にひっそりと佇む小さな旅館だ。その建物は控えめながらも、日本の伝統的な風情を感じさせた。
「なんというか……」
「侘び寂び、ね」
小五郎は3人をその場で下ろすと「じゃ、また明日迎えに来るから」と言って帰っていく。それを見送って再び旅館に目を向ける。なるほど、“侘び寂び”である。慎ましく、質素な旅館だ。園子は咳払いをして気持ちを切り替えてベルを押した。
「はぁい」というやや間延びした返事が直ぐに返ってきて入り口の扉が開かれる。現れたのは優しそうな初老の男性だった。
こんな若い女の子たちに興味を持ってもらえて嬉しいと笑う彼は3人を室内に招待する。
中には既に数人集まっていて、どうやら3人が最後だったようだ。テーブルの上には幾つかの盆栽が並んでいる。残念だが素人にはその作品の良し悪しの判別はつかなかった。
「紹介しますね。手前にいる女性は佐藤ゆかり。この旅館の管理をしていている方でね、盆栽クラブでは結構初期からいる方だよ。隣の女性はスタッフの金谷美樹さん」
品のある着物姿の女性が軽くこちらに手を振る。その後ろで茶髪の女性がこちらにチラリと目を向ける。そのまま続けて紹介が続いた。
「あちらにいるメガネの男性が田中浩さん。その隣の一つ結びの女性が渡辺純子さん。ひょろりと背が高い方が梅村俊介さん。椅子に座ってる着物の男性は越智勝也さんだ。あちらのふくよかな方は久保武彦さんです。ちなみに私は河村康二と言います」
それぞれが軽く挨拶をしたところで園子は「あれ?」と首を傾げる。ネットで見た男の人の姿がないのだ。園子は案内をしてくれている河村に何気なくその事を尋ねてみた。
「ああ、彼ですか?彼はあのクラブで受付として雇っている方でね、ここには来ていないよ」
河村からそれを聞いた園子は露骨にガッカリしていた。「私の運命の人……」と項垂れている。蘭とコナンはその様子を見て相変わらず苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「なるほど、道理で……。出会いを求めてきた訳ですか」
「ごめんなさい」
「いえいえ、入り口はなんでもいいんですよ」
河村は穏やかに笑うと皆を席に呼ぶ。園子は参加者を見渡した。おじさん、ガリ勉風、背が高いだけの地味男、お爺さん、肥満、と。碌な男がいない事に心底ガッカリしていた。
とはいえやっぱ辞めますは失礼すぎる為仕方なく園子たちは盆栽の講義に参加していた。何やかんや、勉強してきた甲斐があって楽しく過ごす事が出来た。あっという間に時間が過ぎて行く。
日が沈む頃には3人とも作品が完成していた。作品とはいえ、そんな大仰な物を作れる筈もなく、3人が作ったのは苔の小さな盆栽だ。そこまで優れた物ではないが、やはり自分が作ったものには愛着が湧くもので、蘭と園子はこれを部屋のどこに飾るかを考えている。
「さて、今日はもう遅いですし、自分の作品を持ってそれぞれ部屋にお帰りください。夕飯の時間になったら佐藤さんが皆さんをお呼びしますので」
との河村の言葉に従って部屋へと戻って行く。
この旅館は漢字の“口”のような構造をしている。2階建てで、真ん中には和風の中庭が存在していた。そんな旅館で、蘭たちに用意された部屋は2階の大部屋だ。同室には同じ女性参加者である渡辺純子がいる。そばかすのある純朴そうな女性で、歳は25歳だ。
「へぇ、園子ちゃんあの人に会いたくてこれにわざわざ参加しにきたの?」
「行動派なのね」と彼女は笑った。
「でもいなかったのよね、ガッカリだわ」
「あらごめんね、いても無理よ。だってあの人は私の彼氏だもの」
「えぇ!?そうだったんですか、ますますガッカリ」
ふふふと笑う渡辺の様子を見て園子は大きく肩を落とす。蘭はまあそのうち良い出会いがあるんじゃないかと曖昧な言葉で彼女を慰める。
「ソレにしても園子ちゃん、随分年上が好きなのね」
「年上というか、イケメンが好きというか」
「イケメンは誰だって好きよ。そうだ、折角だし女子が集まったんだし恋バナでもする?女子高生の恋バナが聞けたら私も若返る気がするわ」
渡辺の言葉を聞きながらコナンは内心(おいおい、オレの事忘れんなよ)と反論したくなったが、蘭の恋バナには大変興味があるため黙っておく事にする。
「園子ちゃんは彼氏募集中だとして、蘭ちゃんは彼氏いるの?」
「いや、私は彼氏とかは」
「いるいる、いますよ。彼氏というか旦那様」
「ちょっとやめてよッ!」
蘭は照れたように園子を小突く。
「もう見てるこっちが胃もたれするくらいラブラブのイチャイチャバカップル」
「だから違うって!新一とは別に付き合ってないって言ってるじゃない!」
「あら?あらら?私は新一君なんて言ってませんことよ?」
「もう!また私を揶揄って!」
若いなぁと渡辺は笑っている。ご飯の前にお腹がいっぱいになりそうだった。
「まあでもネットのあの人が無理ならやっぱ私の運命の人はあの人かなぁ」
「あの人って?」
「怪盗キッド様よ!蘭はこの間の奇術愛好家連盟の時にあったんでしょ?羨ましい!……後は、ジャックザリッパーにもビビッと来るものはあるんだけど、流石に人を殺しちゃった人はちょっとね。とりあえずはキッド様かなぁ」
「怪盗キッドもジャックザリッパーも、顔も性別も何も分からない犯罪者なんだけどなぁ」
蘭は「やめときなよ」と言うと布団に座って伸びをする。そろそろご飯かな、そう思ってドアに目を向けたタイミングで丁度部屋の呼び鈴が鳴らされた。
「お食事の用意ができましたよ」
佐藤が4人に微笑みかける。
と、その時だった。
「ギャァァアアアーーッ!!!」
ハッ、と。
その場にいる全員の顔色が変わった。
それは絶叫だった。身を裂くような悲鳴だ。
コナンはすぐ様駆け出した。佐藤がそれに続く。
部屋を出て、角を曲がる。奥の部屋から駆け出してきた梅村と久保が前を進む。ダダダダと前を行く男2人は似たような足音を立てながら階段を駆け下り、悲鳴が聞こえた一階の部屋へと向かう。
その途中、コナンはふと足を止めた。佐藤がスタスタと隣を走り抜けて行く。その時だ。
(あれ?)
前を行き、部屋を開ける3人の様子を見る。
(今何か、何かが、引っかかった)
分からない。今は分からないが、何かおかしなことが今起きた。それが何なのか、前で部屋を見て考える。驚いた顔をした3人を見て、ふと、気がついた。
気がついた瞬間、鳥肌がたった。
(ヤベェ、もし思い違いじゃなかったら)
コナンはグッと眉間に皺を寄せた。
(いや、今はいい。今は一旦置いておこう)
もしもの話より今は現実の話だ。佐藤が部屋へと入って悲鳴を上げる。コナンも続いてその部屋を覗く。
(クソッ)
そこには死体があった。
部屋の中に一人の男が倒れていた。佐藤は座り込んで倒れている男の肩を揺らすが、反応は一切ない。
彼の身体は血の海に浸かり、赤く汚れている。男の顔は苦しみに歪み、彼の眼は生命の光を失っていた。その光景を見て梅村と久保は立ち尽くしている。
コナンは駆け寄って久保のズボンの裾を掴み、彼を退けて覗き込む。倒れているのは田中浩だった。
鉄臭い血の匂いが部屋を包み込んでいて、調べなくても一目で死んでいると分かった。それでも一応近づいて見てみる。
「あ、救急車、呼ばないと」
「それと警察も必要だ。久保さん、携帯でも何でもいいからすぐに警察を呼んでくれる?これは殺人事件だ」
「え、ああ、分かった!」
佐藤と久保は部屋から離れていった。
コナンはそれをチラリと見てから今一度死体に目を向ける。死因は腹部を刺された事による出血性ショック死だろう。間違いなくこれが致命傷で、他の傷は見当たらない。死体はまだ暖かく、恐らく本当に殺された直後だ。そして傷の幅から考えて凶器は多分包丁の類。旅館のものを使ったのだろうか。調べにいかなければ、そう考えて時間のあった部屋から出ると丁度コナンと同室にいた3人がやってきていた。その後に越智、最後に河村がやや息を乱してやってくる。参加者の全員が悲鳴を聞きつけるほどの断末魔だったようだ。
皆が死体を見て動揺している。おそらく、この中の誰かが犯人だ。蘭と園子は白。そして田中の悲鳴が聞こえた時に彼らの目の前にいた佐藤と渡辺も白。
「蘭ねぇちゃん、園子ねぇちゃん、渡辺さん。誰も部屋に入れないように見張ってて!」
「え、えぇ、分かったけど、ちょっとコナン君!?」
「それと、佐藤さんはどこに行ったの?ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
「佐藤さんなら久保さんと一緒に食堂の方に行ったよ」
「分かった!ありがとう!」
言うや否やコナンは走り出した。
廊下を進み扉を開ける。壁に寄りかかって電話をする久保と不安そうな様子の使用人の金谷がいた。佐藤はどうやら奥にいるようだ。キッチンの扉を開けると肩と耳でスマホを挟んで何処かと通話しながら慌てた様子でこちらに背を向ける佐藤の姿があった。
「佐藤さん、電話終わった?」
「あ、コナン君!?え、えぇ、終わったわよ」
佐藤はコナンに目線を合わせて笑いかける。コナンは目線を下に向けてある事に気がついた。
(あれ、この人の着物の袖。どうして濡れてるんだ?)
しゃがんで死体を揺すった為に膝の辺りが血に汚れている事は分かる。だが何故着物の袖が水に濡れるのか。今は一旦置いておこう。
「あのね、田中さんを刺したのは多分包丁だと思うんだ。だからこのキッチンの仕組みとか教えて欲しいんだけど」
「え?君に?」
「うん!僕警察のおじさんに知り合いがいて、さっき聞いておくように頼まれたんだ!」
「そうなの?分かったわ」
佐藤はキッチンの奥に取り付けられた小さな棚の銀色の扉を開ける。
「包丁は全部ここにしまってあるのよ。消毒した後にね」
「へぇ、そうなんだぁ」
コナンは背伸びをして中を覗き込む。
(やっぱりだ。一本だけ僅かに湿っている)
目を細め、チラリと後ろを振り返る。
(でも妙だ。佐藤さんには間違いなくアリバイがある。悲鳴が聞こえた時に目の前にいた。完璧なアリバイだ。死体は暖かかったし、死亡時間の偽装工作が行われた痕跡もない)
では一体、どうやって殺したと言うのか。
キッチンには見る限り、おかしなところはない。右側、扉から一番離れたところにコンロがあり、その後ろにオーブンや電子レンジ。食堂の真ん中にシンクがあって、出口寄りのところに洗った後の食器を置いておくスペースが作られている。それらの下は全部棚だ。
(とりあえずあの人に話を聞いてみるか)
コナンは佐藤に礼を言うと部屋を出る。キッチンを出ればすぐに食堂だ。食堂には落ち着かなく歩き回る金谷がいた。久保は席について冷め切った食事を見ながら何か本を読んでいた。久保の後ろを通り過ぎて金谷の元へと向かう。
「こんにちは!」
「え、こ、こんにちは……?」
「警察のおじさん達から頼まれてて、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「え、警察から?いいけど」
「佐藤さんの事なんだけど、今日はなんかいつもと違う事なかった?」
「いつもとは違う事……?いや、特に変わった様子はなかったと思うけど」
「そっか!じゃあ佐藤さんの事以外で、いつもとは何か違う事なかった?本当に何でもいいんだ、些細なことでも大丈夫!」
些細なこと、そう言われて金谷は暫し考え込む。そしてやがて、何かに気がついたのか僅かに目を見開いた。その様子を見てコナンは前のめりになる。
「何か思いついた!?」
「本当に些細なことでもいいの?」
「うん!」
「今日食事を作った後なんだけどね。食器をしまっておく場所がいつもと違ったんだ」
「そうなの?どうして?」
「何でも並び替えをしてみるとかで。いつもは洗った後の食器はシンクの右側にしまっておくんだけど、今日は全部左側にしまったの。左側っていうのはキッチンの出入り口に近い方ね」
「それッ!洗い物が終わったのっていつ!?」
「洗い物が終わったのは貴方達の盆栽体験が終わった後くらいよ」
「え!?そんな早いの?」
「他のお客さんもいるからね。仕込みは早めに終わらせちゃってるの」
「そうなんだね。食器をどうしたか詳しく教えてもらえる?特に包丁について」
「どうしたか?えっと、仕込みが終わって私はちょっとトイレに行ったのね。それで戻ってきたらもうちゃんと片付けてあったよ」
「それ、ちゃんと確かめた?あの銀の小さな棚の中まで」
「そんなことわざわざしなかったけど」
「なるほど、ありがとうお姉さん!」
コナンは彼女に背を向けると考えだす。
盆栽体験をしたのは食堂のすぐそばの講堂だ。講堂の扉は開かれていて食堂と繋がる廊下が見えていた。コナンははっきり覚えている。紹介された使用人の2人はほとんど食堂に籠りきりだったことを。盆栽体験の間、先程金谷がトイレに行ったというその一回しか見ていない。
そうなると佐藤には包丁は持ち出せない。というか第一に佐藤は断末魔の悲鳴が聞こえた時にコナンの目の前にいたのだ。彼女に犯行は不可能だ。
一体どうやって殺したのか。
コナンは深く思考の海に沈んでいく。
全員のアリバイを考え直そう。
まず佐藤と渡辺は悲鳴が聞こえた時にコナンの目の前にいた。特に渡辺はその暫く前から一緒にいたから蘭と園子と同じく確定で白。
次に梅村、越智、久保、河村だ。梅村と久保はコナン達の部屋より奥の部屋にいて、悲鳴と同時に飛び出してきた。刺して一瞬であの部屋に戻るのは不可能だ。つまり彼らにも殺せない。
となると怪しいのは越智と河村となる。
だが彼らは包丁を用意できない。包丁がなくなったのは金谷がトイレに行ったほんの数分の間だ。開催者の河村と長年盆栽をやっている越智は一度も講堂から出ていなかったはずである。
成程──
(これは、不可能犯罪って訳か)
一体、誰が、どうやって包丁を用意し、田中を刺して、凶器を隠したのか。
(オレがこの謎を解いてやる。今一番怪しいのはあの人だ。だが一体どうやって殺したと言うのか。どう考えても不可能だ)
だが不可能なんてものはない。
あるのは、たった一つの真実だけだ。
絶対この謎を解いてやる。
コナンは覚悟を新たに顔を上げた。