令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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消える少年たち 下

 

 

「今のが誘拐犯か?」

 

昴は腕に抱えていたコナンを静かに地面へと下ろしながら、闇に消えていった車のテールランプを目で追った。赤い残光が夜の雑踏に揺れ、次第に見えなくなっていく。その光が完全に消えた瞬間、コナンは悔しさに奥歯を噛みしめた。あと一歩、ほんの一歩の差で、犯人に逃げられてしまったのだ。

 

しかし今は自分の感情を優先している場合ではない。何よりもまず確認すべきは、目の前にいる少女だった。彼女は確かに、犯人の顔を見ている。

 

コナンが振り返った時には、すでにジャックが一歩前に出て少女へと声をかけていた。

 

「さっきのは知り合い?」

「知り合いじゃあないけど、あの女の人生活課の人らしいし……交番まで連れて行くって言われたから」

「生活課、生活安全課?警察を名乗ったのかね?」

「そうだよ。交番でお母さんを待つようにって……」

 

その言葉に、コナンの瞳が大きく見開かれた。

連続誘拐事件の犯人が……警察?いや、本物とは限らない。単に名乗っているだけの可能性もある。だがもし本当に生活安全課を名乗って子供を車に乗せていたのなら、誰も怪しむはずがない。補導だと思われ、友人たちも交番に連れて行かれただけだと解釈するだろう。だから失踪が誘拐として認識されることなく見過ごされてきたのだ。

 

コナンは彼女に通報してその旨を伝え、交番へと向かうようにと告げて帰した。偶然とはいえ、ここで大きな進展を得られた。犯人が本物の警察官か、それとも偽者かはさておき、生活安全課を名乗る女であることが分かった。そして車は日産、シルバーのスカイライン。覆面車両としてもよく使われる車種だ。

 

コナンは懐から探偵道具を取り出すと、素早く犯人追跡メガネを起動させた。ほんの一瞬の隙に、彼は車体に発信機を取り付けることに成功していたのだ。モニターが明滅し、赤い点が画面に浮かび上がる。まだ半径二十キロ以内、追跡可能範囲に留まっている。

 

「ここから徒歩で10分くらいの位置で止まってる」

「随分近いな、普通もっと遠くまで逃げそうなものだが」

「獲物を仕留め損ねたから、そこで別の獲物を襲っているのかもしれない」

「成程、なんらかの理由があって誘拐しているのだとすると、コナン君に妨害された事でその“何か”を達成できなくなってしまった。犯人にとってはそれが許せない事だから、乱暴だがすぐに別の誰かに襲いかかったと言うわけですか……」

「可能性の話だがね。見つかりかけた誘拐犯がすぐ近くで停止している理由なんて、そのくらいしか思い浮かばない」

「だったら早くいかないと!」

 

言うが早いかコナンは駆け出した。小さな靴音が夜の路地に響き、昴とジャックもそれを追って足を速める。だが彼らの焦燥を嘲笑うかのように目的地へと向かう途中で光る点は再び動き出し、やがて速度を増していった。車が再び発進したのだ。

 

追いたい衝動に駆られたが、コナンは即座に思考を切り替えた。そこに証拠が残されている可能性がある。焦って尻尾を掴み損ねるより、まずは立ち寄って確認すべきだ。三人は無言のまま走り続け、やがて車が停止していた地点へとたどり着いた。

 

そして目に飛び込んできた光景に、全員の足が止まった。

 

「これは……」

「クソッ!」

 

そこには一人の少年が、見るも無惨な姿で地面に転がっていた。夜の街灯に照らされたその遺体は、生々しい傷跡に覆われていた。臓物が引き出され、血に濡れたアスファルトに鈍い光を放っている。瞬時に理解できた。生存の可能性はゼロだ。

 

「新しい被害者を手に入れられなかったとは言え焦りすぎだな」

「強迫観念に迫られているのでしょうか。今日殺さなければ、何かが起きると思っている?」

「そうでもないとここまで乱雑な犯行にはならないだろう。今までは足取りさえ掴ませなかったのに、ちょっとしくじった途端にこれとは」

「強迫性障害か……?」

「……ねえ。この死体、変じゃない?」

 

コナンは唇を引き結びながら、しゃがみ込んで遺体を検分した。追跡メガネのモニターにはまだ反応が残っている。追うことはできる。だが、今はまだ時ではない。おそらく犯人は目的を果たし、やがて家へと帰るだろう。その瞬間を逃さぬためにも、ここで証拠を押さえることが優先だ。

 

「致命傷は頭部の傷だ。思い切り殴られて陥没してる。恐らく即死。一撃で仕留められてるんだ。それなのにその後、腹を切った」

「確かに妙だな。怨恨なら殺した後も攻撃を続けることは分かるが、犯人とこの少年は初対面なはず」

「それに、この血の流れ方を見ると倒れた死体をわざわざ刺して、その後に内臓を引っ張り出した……みたいだ。一体なんのためにそんな酷いことをするんだ」

「……そうだな。まあ犯人にとってはこれが必要なことだったと言うことだ」

「内臓を引き摺り出すことが必要なこと?」

 

ジャックの口にした言葉に、コナンは眉を寄せて首を傾げた。その隣で昴の表情が硬くなる。何かに気づいたように、目の奥が険しく光を帯びていた。ジャック自身も顔を顰めている。

 

「誘拐して殺し、何かをすることが目的だった。だがそれが叶わなくなりそうになり、焦って本来なら攫った先でやる事をここで行ったんだ。犯人は女性だし、重くて運べなかったのかもな」

「つまり、今回の件は誘拐殺人……じゃあ……」

「この少年が最新の被害者なのだから、誰1人として生きていないと判断した方がよさそうだ」

「そんな……クソ……ッ」

「アメリカの児童誘拐事件における統計では、被害児童の殺害は約44%が最初の1時間以内、74%が3時間以内、91%が24時間以内に起きていると言われています。日本もそう大きな差は無いでしょう。もとより希望は薄かった。ボウヤが気に病む事ではない」

「随分とくわしいね。知り合いにアメリカの警察官でも?」

「ミステリーに興味があるだけですよ」

「そうかね。まあいいさ。話を戻そう」

 

ジャックはそう言うと、昴が手にしていたコンビニ袋をひょいと取り上げ、そのまま手に被せた。何をしようとしているのか。その意図を計りかねて、コナンは小さく首を傾げた。

だが次の瞬間、コナンは思わず目を見開いた。ジャックが突如として胸の前で十字を切り、小さく息を吐く。そして、昴から借りた袋で覆った手をためらいもなく死体の腹部へと突っ込んだのだ。

 

「おまっ、は!?何やってるんだ!!?」

 

常識では到底あり得ない光景に、コナンは反射的に叫び、思わず一歩踏み出して止めようとした。だが、その肩を昴の手が静かに押さえた。驚愕と困惑に揺れるコナンが彼を見上げると、昴は低く落ち着いた声で「すぐに分かる」とだけ告げた。その目は何かを確信しているかのように鋭く光っていた。

 

「やはり、ない」

「持ち去られていますか?」

「ああ」

 

ジャックは淡々と呟くと、腹部から手を引き抜いた。袋は鮮血でどす黒く染まり、裏表を手際よくひっくり返して縛ると、ポケットへ押し込んだ。

 

「心臓が持ち去られているな」

「……は?」

 

コナンの脳裏に、言葉の意味がなかなか繋がらなかった。一瞬、思考が固まる。

 

「心臓が、無くなってるのか……?」

「その死体は不自然だ。先ほど君が言ったように血液の流れ方から撲殺され倒れた後に腹が切り裂かれたのだと分かる。だが、ただ切り裂いただけならこのように内臓は溢れない。わざと引き摺り出すか、それとも、何かを取ろうとして一緒に引き摺り出されてしまったか……」

「ああ。心臓はまだ犯人が持っているはずだ。すぐに追うぞ名探偵。今なら現行犯だ」

 

ジャックは自然な動作でコナンの眼鏡を取り上げる。「あ!おい!」と慌てて手を伸ばすコナンの抗議を無視し、彼は冷静に追跡機能を確認すると、ためらうことなく歩き出した。

 

コナンは慌てて後を追おうとしたが、昴がついて来ていないことに気づき、足を止めて振り返った。

 

「昴さんは来ないの?」

「誰か1人は遺体の元に残っておくべきでしょう。警察に事情を説明しなければならないし」

 

昴の言葉は理屈としてもっともだった。だがコナンには気になることがある。

 

「……気になってるんじゃないの?アイツのこと」

「二兎を追う者は一兎をも得ず、と言うだろう。確かに彼のことは気になるが、俺の獲物じゃない」

 

昴はそう言い切ると、わずかに細めた瞳で歩き去っていく銀髪の背中を射抜くように見つめた。その視線は、獲物を見定める狙撃手のように鋭い。

 

「……今はまあ、日本警察のお手並み拝見と言ったところだな」

 

吐き出すように呟く昴……赤井の脳裏には、ある男の姿が浮かんでいた。誰よりも重く、そして消えない因縁を持つ男の姿が。

 

コナンはしばし考え込んだが、やがて「……分かった」と短く頷き、彼に背を向ける。急ぎ足でジャックの後を追うと、少し離れた場所で彼がバイクに跨っているのが見えた。ジャックは無言でヘルメットを差し出し、コナンはそれを受け取って頭に被る。顎紐を締め終えた瞬間、ジャックが低く沈んだ声を発した。

 

「名探偵、今回の件、覚悟しておいた方がいいかもしれないぞ」

「……どういう意味だ?」

「間違ってんならそれでいいんだけど、俺の勘が外れてなかった場合……今回の件は、結構最悪だと思う」

「何言ってんだよ、殺人事件なんていつだって最悪だ」

「それは、そうだな。……そう、なんだけど」

 

ジャックの表情は街灯の影に紛れて読めなかった。ただ、胸の奥にひやりと冷たい予感が残る。

 

妙な含みのある態度が気に掛かったが、コナンの意識はすぐに犯人の居場所へと戻った。追跡メガネの反応によれば、赤い点は完全に停止している。つまり、犯人はどこかに戻って腰を落ち着けているのだろう。

 

(被害者の心臓を持って家に……?一体何のためにだよ……)

 

脳裏に、最近見たミステリー作品の一場面がよぎった。被害者の眼球をコレクションするオキュロフィリアの犯人。もしそれと同じ類だとすれば、今回の異常性は想像を絶する。性的嗜好の対象が少年少女の“心臓”で、それを集め続けているとしたら確かに最悪だ。背筋に冷たいものが走り、思わず歯を食いしばった。

 

ジャックがバイクのアクセルをひねり、夜の街を駆け抜ける。都会の喧騒は遠ざかり、住宅地の静けさが広がっていく。昴と別れてからおよそ10分、そして犯人が現場を離れてからは15分ほどが経過していた。

 

たどり着いたのは、都心にありながらも落ち着いた空気を纏った一角だ。門構えのしっかりした住宅。都内としては珍しく庭がある。その奥に佇む家屋からはわずかな灯りが漏れ、平穏な生活の匂いを漂わせていた。だが今、その家に少年の心臓を持ち帰った女が潜んでいる。

 

そう考えるだけで、コナンの背筋をゾワリと冷たいものが這い上がった。

 

──ドンドンドンッ!

 

夜の静寂を乱すように、荒々しいノックの音が家に響き渡った。拳を叩きつけているのはジャックだ。木製の扉は重く揺れ、今にも割れそうなほどに振動するが、家の中からは何の応答もない。呼び鈴を押しても沈黙は変わらない。今頃、中では証拠となる心臓や、他の痕跡を必死に隠しているのかもしれない。

 

ジャックが蹴り破るかどうか迷い、肩を少し後ろに引いたそのとき、コナンの目にあるものが映った。

 

(井戸か、珍しいな)

 

庭の片隅に、古びた井戸があった。今では誰も使っていないだろう。丸い口は蓋でしっかり塞がれ、その上に重たい錘がいくつも乗せられていた。妙に不自然なその姿に、コナンは直感的にここに何か隠されていると感じ、すぐさま両手で錘を押し退けようと試みた。だが、小さな体ではどうにも力が足りない。蓋はびくともしなかった。

 

「ジャック!これどかしてくれるか?」

「……井戸か」

 

ジャックはためらわず歩み寄って錘を次々と退かした。金属が地面に落ちる重い音が響き、彼は軽々と蓋に手を掛ける。

 

「成人女性なら退かせそうな重さだな。乗せたのは犯人かな」

 

そう呟いて蓋を開け放った瞬間、強烈な腐敗臭が吹き上がってきた。鼻を突くどころか喉を切り裂くような刺激臭に、コナンもジャックも咄嗟に口を押さえて強く咳き込む。息を吸うたび胃が裏返りそうになる。ジャックは顔をしかめつつスマホを取り出し、光を井戸の底へと差し向けた。

 

「……何人殺しやがったんだ?」

 

低い呟き。その声で何があるかを察し、コナンも身を乗り出して井戸の底を覗き込む。

 

そこにあったのは、焼け焦げた人間の腕のようなものだった。黒く炭化した肉片、骨の残骸。それらがいくつも、いくつも重なり合い、底を埋め尽くしていた。数などもう分からない。だが間違いない。犯人は攫った少年少女を切り刻み、焼き、そしてこの井戸へと放り込んで隠してきたのだ。

 

胃の奥からこみ上げる吐き気と共に、怒りが胸を灼いた。だが、その感情をはるかに凌駕するのがジャックだった。彼の怒りはコナンの比じゃない。次の瞬間には大股で窓の前へと歩き出す。そして、

 

バンッ!!

 

怒りに任せた蹴りが窓を粉砕した。ガラス片が四方に飛び散り、甲高い音が響く。破れた窓に手を突っ込み、ガチャリと鍵を外すと、彼は靴のまま躊躇なく家へと踏み込んだ。その勢いに、コナンは慌てて後を追う。もしこのままでは、ジャックが怒りのままに犯人を殺してしまう。そんな危惧が頭をよぎったからだ。

 

だが、二人が目にしたのは想像を超える異常な光景だった。

 

「うわぁ、窓を破って入ってくるなんて酷いな。警察じゃないんだ?」

「それより良也。先にご飯食べないと」

「ああ、そうだった。たくさん食べて体を良くしないと……」

 

食卓に腰掛ける少年と、その母親。まるで平穏そのものの家族団欒。テーブルには皿が置かれ、椅子には並んで座る二人。普通の光景に見える。母親の両袖に、べったりとこびりついた返り血さえなければの話だが。

 

コナンは目の前の光景に言葉を失った。あまりに自然で、あまりに日常的な会話。だがその中にあるのは狂気。少年は、母親の異常を知っていて無視しているのではないか。でなければ、袖にこびりつく血を見て平然としていられるはずがない。

 

だが、ジャックはすぐに気づいた。食卓に置かれた一枚の皿。その上にあるものに。彼は無造作に手を伸ばし、皿を取り上げる。

 

「それを返せッ!!」

 

瞬間、母親が激昂し飛びかかってきた。狂乱の叫びと共に皿を奪い返そうとする。だが「触んなッ」と言うとジャックは容赦なく突き飛ばした。母親の体は床に叩きつけられ、尻餅をついて動けない。

 

「お前ら心臓食ってやがったのかッ」

 

声は低く、怒りと嫌悪で震えていた。殺意すら滲むほどの声音。その意味を理解した瞬間、コナンの頭が真っ白になった。

 

(食う……?心臓を、食べ……食べていた……?)

 

脳が理解を拒むように、思考が止まる。だが視線は自然とジャックの持つ皿に吸い寄せられた。そこに乗っていたのは、焼け焦げた肉の塊。半分ほどは既に食べられていたが、確かに見覚えのある形が残っている。心臓。その輪郭を悟った瞬間、胸が破裂したかのように激しく脈打ち、全身から冷や汗が吹き出した。

 

「か、カニバリズムって……訳かよ……」

「精神病患者、まあ所謂統合失調症なんかには稀にあるらしいが、ボクも初めて見た」

 

ジャックは淡々と答えながら、なおも「返して返して返してよ!あの子に食べさせなきゃいけないのよ!」と喚く母親を押さえつけた。彼は心臓の乗った皿をコナンへ押し渡し、近くにあった電気コードを手に取ると、女を床に縛り付ける。

 

「食べさせなきゃ……食べさせなきゃ……まだ足りない……毎日一つ、毎日一つよね。分かってるわ分かってるわ分かってるわちゃんとできるわよ……口出ししないでよ……」

 

母親は譫言のように繰り返し、目を血走らせて暴れ続ける。

 

「な、何でだよ……?何で自分の息子に人の心臓なんか食わせるんだ……?」

「食べさせなきゃダメなのよ、ダメなの。だって心臓は心臓で治るってみんなが教えてくれた!アキコもミケちゃんもずっと!今も!今も言ってるじゃない!」

「は……?」

「病院は嘘つきよ!あの白い人たち、良也の心臓を腐らせてから手遅れでしたって言うつもりなの!だから先に、ちゃんとした心臓をあげるの!そうすれば治るって、みんなが教えてくれたのよ!うるさい!みんなが教えてくれたから、同じ心臓を食べさせれば治るって、私は知ってるの!うるさいってば!分かってるわよ!貴女は口を挟まないでよ!」

「は、はぁ!?誰もいないだろ!?ていうか、心臓なんか食べさせなくても人は死なねぇよ!同物同治に科学的根拠は無い!」

「無意味だ名探偵」

 

コナンが必死に説得を試みるが、ジャックは静かに首を横に振った。その瞳は深い諦念を湛えていた。

 

「もはや彼女の中ではそれが真実。健康体の人間の心臓を食べさせなければ息子は死ぬと思っている。精神病患者に説得は通じない。アキコもミケも彼女の頭の中にしかいないのだろう」

「でもッ」

「この女が正常に見えるのかね?」

 

言葉を突きつけられ、コナンは縛られた女を見下ろした。心臓を息子に、と狂ったように叫び続ける姿。必死に体をよじり、コードに食い込むほど暴れるその様子はどう見ても正常ではなかった。

 

「これでは心神喪失で罪には問えないかもしれないな。やるせない」

 

ジャックは押さえつけた女の姿を見下ろし、吐き捨てるように言った。深い溜息が重く落ちる。だがその目に次の瞬間、再び濃い嫌悪の色が浮かぶ。鋭く視線を逸らし、ぎらりと刃のような眼差しを向けた先にいたのは、ダイニングに座り、こちらの一部始終を半笑いで眺めていた少年だった。年の頃は中学生ほど。

 

「問題は君だ」

 

低く押し殺した声が部屋に響く。少年は視線を逸らさない。ただ静かに椅子に腰掛けている。

 

「君、全部知ってて無視していたのだろう」

「何が?」

 

とぼけるように返す声。ジャックの目は鋭さを増し、吐き出すように言葉を投げた。

 

「人の心臓は美味かったのかね?」

「美味しくはないよ。硬くて繊維っぽくて、なんか独特で」

 

あまりに平然とした答えに、空気が凍りついた。少年はゆっくり立ち上がり、母親へと目を向ける。

 

「でもお母さんが俺のために持ってきたんだし、食べないとね。だってどうしようもないだろう?もう殺して持って来ちゃったんだから。バレないように処分しないと!」

「通報すればよかったんだ。それだけで、被害者の数は減ったのに」

 

コナンが堪らず言葉を投げかける。しかし少年は短く「え、やだよ」と吐き捨てた。声に一片の迷いもない。どうしてかと問えば、少年はどこか嬉々として答え始める。

 

「もう逃げ場ないっぽいから自白するけどさ、俺心臓病なのね」

「だろうな」

 

ジャックが短く応じる。

 

「ずっとこうだったんだよ。俺は病気だし、母親は不安定だし……でも何とかなってたところで俺倒れちゃってさ。長くて余命半年だって言われた。それでお母さん、なんかスイッチ入っちゃったっぽくて」

「同物同治に手を出したと。精神が不安定な人ほどそう言った科学的根拠のない療法にハマりやすいからな」

「君はそこまで不安定には見えないけど」

「当然さ。同じ部位を食べて病が治るんなら、世の中に病気は存在しない」

「じゃあ何で断らずに食べてたの?」

 

コナンがそう指摘すると、少年は小さく笑った。なぜ止めないのか。なぜ通報しないのか。なぜ母親が罪を重ねていくのを見て見ぬ振りをし、それどころか人の心臓を食べるという狂気の行為に加担できたのか。

 

答えは、あまりに単純だった。

 

「ムカつくから」

 

少年は笑顔で言った。冗談でも嘲りでもない。

 

「健康で、家族もいて、死ぬことなんてないのに、普通に生きていられるくせに、何かどいつもこいつも不幸ぶって被害者ぶってさ。気持ち悪い。タバコとか吸って酒とか飲んで、オーバードーズとかしちゃってさ。そういう、迷惑でしかないゴミクズが生きてて俺が死ぬって意味不明じゃん。だからどいつもこいつも死ねばいいのにって思ってた」

 

その言葉を吐きながら、少年の唇が歪む。渡りに船だったと笑みを浮かべた。

 

「そう言うやつを食ってやるって、なんか、えも言われない快感があったんだ」

「君は、裁かれるべきだよ。ちゃんと」

「何の罪で?何の手も出してない、母が勝手にやったことじゃないか」

 

少年は開き直り、余裕すら漂わせている。その態度にコナンは歯噛みした。母の犯行や遺体の在処を知っていたけど黙っていたと言うだけで罪に問うのは難しい、だが死体損壊罪なら可能かもしれない。有罪にできるかは分からないが、少なくとも心臓を食べた事実は残る。

 

「君は知らないかもしれないけど、人のDNAは胃の内容物や便からでも採取できるんだ」

「それホント?」

 

少年の目がわずかに揺れる。コナンは冷静に続けた。

 

「心筋は細胞密度が高く、核DNA、ミトコンドリアDNAが豊富。消化で断片化しても、マイクロサテライトやミトコンドリアDNAなら検出して型決定できる見込みがあるんだ。そのDNAが被害者のものと一致すれば、君が食べたと言う証拠になる」

「消化すればバレないもんかと思ってた。でもまぁいいや。捕まって、万が一有罪になったとしてもどうせ俺は少年院だし……て言うかもうすぐ死ぬからもっと特別なところかな?とにかく、仮に有罪になっても大したことにはならないでしょ!」

「お前……」

 

ふざけた態度だった。反省の色は一片もない。少年の様子を見て、コナンの胸を覆うのは嫌悪と怒りだった。精神病に苛まれた母親はまだ、百歩譲って理解できる。だが、この少年は違う。計算の上で、快感を得るために人肉を食べたのだ。法律では裁けない、その現実が余計に悔しい。少年の笑みはそれを理解しているかのように挑発的だった。

 

「はぁ、面白かった。あとちょっとで死ぬんだなぁってガッカリしてたけど、バカな奴らを食ってやれたと思うと」

 

その瞬間 ──

 

ゴッ!

 

鈍い音と共にジャックの拳が少年の顔面に突き刺さった。容赦のない一撃。少年は軽く弾き飛ばされ、床に叩きつけられる。折れた歯が血と共に飛び散り、口から鮮血が滴った。目を見開き、状況を理解できず呆然とする少年。コナンは目を見開いた。

 

「お前、傷害罪だぞ……」

「ふん、今更そんなものが増えたところでね」

 

ジャックは鼻を鳴らし、不快そうに顔を歪めた。

 

「まあ、そりゃ、確かにな」

「それに、スッキリしただろう。本当は殺してやりたいが、一応ボクにもルールはあるからこれで我慢してやる。君、どうせ近いうちに死ぬんだろう?」

 

静かに吐き捨てる。少年は殴られた頬を押さえながら、「訴えてやる!」と叫んだ。

 

「ははは、やって見ろ。ボクが捕まるまで長生きできるといいがね。君が一分一秒でも早く死ぬことを祈ってるよ」

 

嘲笑と共にジャックは少年の手足を縛り上げる。縄が食い込み、少年は悔しげに歯を食いしばった。

 

「さっさと地獄に堕ちちまえ」

 

そう告げると、ジャックは割れた窓へと向かい歩き出した。その背中にコナンは声をかけた。

 

「なぁ、こう言う事件って多いのか?」

「多くてたまるか。少ないよ。……殺人事件の動機の統計だと、怒りが42%くらい。恨みが15、痴情の縺れが12。あとは暴力団の抗争とか。こういう異常なのは少ないさ。君が普段解決してるような事件の方が普通だ」

「普通、ね……」

 

コナンは胸の奥に広がる重苦しさを吐き出せず、ただ思った。強烈すぎる光景に、感覚が麻痺しそうだと。

 

「まあ確かに、こう言う異常者に触れると精神が疲弊する。毛利蘭にハグとかして貰って心を休めるといい」

「ハっ、な、誰が!」

「恥じるな。ハグにはストレス解消効果がある。エンドルフィンやオキシトシンといったホルモンが分泌され」

「知ってるわバーロー!んなもん必要ねぇよ!」

 

言い争いを遮るように、遠くからサイレンの音が近づいてきた。赤い光が壁に反射する。どうやら、母とジャックが揉めていた時に少年が通報していたらしい。

 

「ではな名探偵。今回もお手柄だった。これで少年少女の被害者が増える事はないだろう」

 

そう言い残し、ジャックは足早に夜の闇へと姿を消す。追おうとする気力すら、コナンにはもう残っていなかった。

 

その後、駆けつけた警察に事情を説明し、井戸に詰め込まれた死体や焼かれた心臓を提示する。すぐに目暮警部や高木刑事ら、顔なじみの刑事たちも到着し、母親は連行された。

 

事件は当然、連日ワイドショーを賑わせた。母親は心神喪失で裁けないだろう、息子もまた罪には問えないかもしれない。そんな報道が流れるたびにSNSは過熱し、過激な言葉が書き込まれる。その喧騒を見て、コナンはどうしようもなくやるせない気持ちに押し潰され、大きなため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

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