令和のジャックザリッパー   作:佐倉シキ

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盆栽愛好会殺人事件 下

 

 

覚悟を新たにしたところで分からないものは分からない。警察はまだ来ない、一旦情報を整理しよう。そう考えた時だった。

 

「そういえば、この料理って金谷さんお1人で作られたんですか?」

 

などと、久保が妙な事を言い出した。

急に何を言い出すんだとコナンと金谷は思わず久保の方へと目を向ける。

 

「いえ、私1人ではないですよ。私と佐藤さんと、他の使用人の子の3人で作ったんですよ」

「そうなんですね。複数人で協力したというのに、こうも冷めてしまうと勿体無いですね」

「……はあ?まあ、そうですね」

 

コナンは思わず目を見開いた。

久保の言葉を聞いて閃いた。

 

(そうか!そういう事だったのか!)

 

思いついてしまえばものすごく単純な事だった。コナンは弾かれた様に走り出した。そこまで広くない旅館の為、問題の部屋にはすぐに辿り着いた。相変わらず濃い血の匂いが蔓延している。やってきた救急隊員は死亡を確認すると後は警察の仕事だと言って帰ったらしい。

 

コナンは廊下の前にしゃがみ込むと辺りを捜索する。するとすぐに発見できた。大きめな花瓶の中にその痕跡を見つけた。後は誰が、どうやったか、だ。

 

コナンはゆったりとした足取りで講堂に戻る。そこで金谷に頼んで容疑者を全員講堂に集めてもらった。少しして、講堂には全員が集まった。それを確認するとコナンは話を始める。

 

「ねえ、警察のおじさん達に頼まれたんだけど、今日のみんなの行動を改めて教えてもらえる?」

「今日の?」

「うん!じゃあ右の河村さんから教えて!僕が警察にまとめて伝えるから!」

「そうかい?分かったよ。今日はまず講堂でみんなを待っていたかな。越智さんはいつも来るのが早くてね。私より前にいたよ。それからずっと講堂でみんなが集まるまで待って、全員が集まったら盆栽体験を開始したよね。その間はずっとこの講堂にいて、みんなを見送って最後に部屋に向かったよ」

「なるほど、ありがとう!じゃあ次は越智さん!」

「儂は今河村君が言った通りここには真っ先に来た。若い子に盆栽の良さを教えるのが好きでねぇ、ついついはしゃいでしまうんだ。それにジジイは早起きで暇なもんでね。儂は足腰があまり良くないしなるべく動き回りたくないから此処を出たのは部屋に行く時だけだ。部屋も一階に用意してもらって、疲れて寝てしまっていたから悲鳴には気が付かなかったよ。ぐっすりだったからねぇ」

「次は梅村さんお願い!」

「とは言われても、俺もあんま言える事ないなぁ。えっと、此処に来たのは二、三番目かな」

「梅村さんは一回部屋を出て戻った後、またすぐに出て行っていたよね?それはなんで?」

「恥ずかしい話膀胱炎でね。結構トイレが近くなっちゃって。それで何回か講堂を出たけどどれもすぐに戻っているし、何も怪しいことはしてないよ」

「数分じゃ何もできないもんね」

「うん。体験が終わってからはまっすぐ部屋に戻って、パソコンで仕事をしていたよ。調べれば俺が仕事をしてたってわかると思う。悲鳴が聞こえた後に君たちより奥の部屋から出てきた俺に犯行は無理だよ」

「それはそうだ。じゃあ次、久保さん」

「僕も話せることはありませんよ?普通に盆栽体験をして、まっすぐ部屋に戻ったから。本を読んでただけだしアリバイを証明することは出来ないかな。ただ、梅村さんと同じで君より奥の部屋だったから、僕にも犯行は無理だよ。田中さんを刺して一瞬で部屋に戻るなんて芸当、とても出来ないからね」

「なるほど、梅村さんと久保さんには田中さんを殺すことはやっぱり出来なそうだね。よし、次は金谷さんお願い!」

「え?私も?私は盆栽体験の間はキッチンで仕込み作業をしてたわ。佐藤さんともう1人の使用人の子が証人よ。その後は一回トイレに行ったけど、別に包丁を持ち出したとかはないわ。包丁が揃っていたことは佐藤さん達が証言してくれるはず。その後もう1人の子は別のお客さんの対応に行ってたから、そっちはそのお客さんに確認してもらって。トイレの後は私も別のお客さんの対応に行ってたわ」

「分かった。じゃあ佐藤さん」

「私はほとんど金谷さんと変わらないわ。キッチンで仕込みをして、貴方達の盆栽体験が終わった後に講堂の掃除をしてたの。越智さんが掃除を手伝ってくれたから、最後まで一緒だったわ。彼を部屋に送ってから料理を作って並べて、完成したから呼びに行ったの。丁度蘭ちゃん達の部屋で悲鳴が聞こえたわね」

「ええ、確かにその通りです。私と園子と渡辺さんとコナン君と佐藤さんは一緒に聞いているから、私達に犯行は無理よ」

「うん!佐藤さんには田中さんを刺すことは出来ないみたいだね」

「ええ、私には無理」

「という事は、え?誰が殺したんだ?」

 

梅村が首を傾げるのを見ながらコナンはひっそりと笑った。

 

(これでようやく分かったぜ。不可能に見えたこのトリックと、犯人の正体がな!)

 

コナンは小走りで園子の元へと寄る。その袖をちょんちょんと突っつくと園子は「何よ?」とコナンの方へと目を向ける。

 

「これで分かったんだよね!園子ねぇちゃん!」

「え?何が?」

 

不思議そうに首を傾げる園子の首元に麻酔銃を撃ち込む。急激に脱力する園子の様子を見てコナンはすぐさま椅子を引くと園子を座らせる。

 

「園子?どうしたの?」

「疲れちゃったんじゃないか?とりあえず俺らにできる事はないし、警察を待とう」

「その必要はないわ」

 

梅村の弱気な言葉を園子の声が遮る。

 

「私、全部分かっちゃったの。この犯行の真実が」

「え!?園子それ本当!?」

「ええ。今回の犯行、トリックは実にシンプルよ。それこそ笑っちゃうくらいにね」

「そんなに?一体どうやったと言うんだ?」

「そうね、まず誰が田中さんを殺したのか。みんなはこれが一番知りたいと思うけれどこれは後に回すわね」

「え?なんで!?」

「だって今回はそれをするとややこしくなっちゃうんだもの。だから今回は今日何があったのかを順番に説明していく事にするわ」

 

よく分からない状況に容疑者達はそれぞれ顔を見合わせた。

 

「そうね、まずは凶器を用意した人から話しましょう」

「凶器を用意した人?」

「そうよ。何をとぼけているのかしら?凶器を用意したのは貴方でしょう。梅村さん!」

 

視線が、梅村に集中する。

 

「な、何を馬鹿な。さっき言ったじゃないか!俺に犯行は無理だって!」

「ええ、確かに貴方が田中さんを殺す事は不可能よ。でも食堂から包丁を持ち出せたのは貴方しかいないのよ」

 

園子の声が説明を続ける。

先程の皆のアリバイと金谷から聞いた話を総合して考えると、包丁をキッチンから持ち出せたのは何度もトイレに行っていた梅村だけだ。一度も講堂を出ていない他の参加者には不可能なのだ。何せお互いの目がある。無関係な人間の目を誤魔化すことが出来ない。

包丁が持ち出されたのは金谷がトイレに行き、もう1人の使用人が他の客の対応に行ったほんの少しの間だけなのだ。恐らくすぐに戻ってくる羽目になったのは、誰もいないタイミングを狙った筈が運悪く他の客がやって来たからだろう。

 

「でも園子ちゃん、それはおかしい。だってキッチンには佐藤さんがいるじゃないか!どうやって佐藤さんの目を誤魔化して包丁を持ち出すって言うんだよ!」

「丁度良いからそこも説明しましょう。順番は入れ替わるけどまあいいわ」

 

園子の声に動揺した様子は一切ない。その様子を見た梅村は下唇を噛む。

 

「これも至ってシンプルな話よ。佐藤さんは共犯者だったの」

 

講堂には更なる動揺が広がった。

 

「ちょ、ちょっと園子ちゃん何を言うのよ!?私が共犯って!私はそんなんじゃないわ!」

「包丁を持ち出す事が出来たのは梅村さんだけ。でもその時キッチンには貴方がいた。そうなると、梅村さんが包丁を持ち出すには貴方の協力が必須なのよ」

「そんな無茶苦茶な推理おかしいじゃない!?」

「無茶苦茶なんかじゃないわよ」

 

淡々と、説明は続く。

 

「佐藤さん、貴方の仕事は梅村さんを見逃すことともう一つ、凶器の包丁を片付けることですよね?」

「ッ、はあっ!?」

「貴方は一番最初に部屋に入った。駆けつけた3人の中で一番最後に辿り着いたはずなのに。それはどうしてか。梅村さんが久保さんの足止めでもしたんでしょう?どうですか、久保さん」

「ええ。まあ、確かに」

「梅村さんが足止めをしている間に包丁を回収して、着物の中に隠して、救急車を呼ぶと言ってすぐにキッチンへと戻って包丁をしまった。責任者だった貴方は他の使用人に仕事を与えてキッチンに戻ると証拠の隠滅を行おうとした。誤算だったのはコナン君がすぐにやってきたこと。誰かが来ることに気がついた貴方は慌てて包丁を片付けた。

仕込みが終わってから時間が経っているはずなのに、何故か一本だけ乾いていない包丁があったってコナン君言ってたわよ。それに直ぐにでも救急車を呼ぶべき場面で何故水仕事をしていたのか。貴方の着物の袖が濡れていたって一見してわかるくらいだもの。まだ湿っているんじゃなくて?」

 

園子の声を聞いて隣にいた渡辺が彼女の着物の袖を触る。袖は確かにまだ湿っていた。まさか、と言った空気が講堂に満ちる。

 

「で、でも、その推理には穴があるわよ。悲鳴が聞こえた時に私は貴方達の前にいたし私には何も出来ない!」

「俺だって無理だ!包丁を持っていったとして何処に隠したって言うんだよ!あんな一瞬で隠せる場所なんて何処にもない!」

「ええ、佐藤さんにも田中さんを殺す事はできないわ。貴方はあくまで包丁を隠しただけ。そして梅村さんの主張だけど、凶器を隠した場所はあの花瓶よ」

 

コナンは園子の腕を持ち上げて講堂の外を指差させる。

 

「田中さんの部屋の少し奥に花瓶が飾ってあったでしょう?アレの中の吸水スポンジに妙な傷跡があったわよ。花の茎とは似ても似つかない鋭い傷跡。アレ、田中さんの傷跡とはそっくりだったわ」

「っ!?」

「花瓶なんてみんなそんなにじっくりとは見ないし、しかもアレはたくさんの花が生けられているものだった。あそこに包丁を刺して隠せば誰も気が付かないでしょうね」

「だとしても、やっぱり俺らは関係ない!一番肝心な殺人が不可能なんだからな!」

「そう、貴方達には殺せない。じゃあつまりどう言う事なのか。真実はとてもシンプルよ。この犯行には3人目の共犯者が存在するって事なのよッ!」

 

講堂に動揺が走った。

 

「3人で犯行を分ける事で全員がアリバイを確保していたってわけ。シンプルだからこそよくできたトリックだわ。犯人は1人なはずだと先入観に囚われていたら一生解けなかったかもしれない」

「3人の、共犯」

「そう、そしてその3人目の共犯者。田中さんを殺した人物は貴方よッ!河村さんッ!!」

「な、にを……馬鹿なことを……」

 

河村は動揺して後ずさる。

 

「梅村さんが包丁を隠し、河村さんが刺して、その包丁を佐藤さんが隠した。これが今回の事件の真相なのよ」

「馬鹿げてる。証拠も何もないじゃないか」

「しらばっくれても良いけど直ぐに全部バレちゃうわよ。そうね、河村さん。貴方は田中さんを刺した後、奥に逃げたわよね。花瓶より奥の方。

要するに佐藤さんや梅村さんが降りてきた階段とは反対側に逃げたって事。上の階の誰がやってくるか分からないし、悠長にしていたら降りてきた人たちに見つけられてしまう。だから貴方は刺して直ぐに逃げたの。

この旅館、漢字の“口”みたいな形をしているでしょう。だから階段より奥に逃げた場合、貴方は旅館を一回転して戻ってくるしかなくなるの。悲鳴が聞こえたって割に貴方来たのが随分遅かったわよね。貴方の部屋は一階の、被害者の部屋の二つ手前にあるはずなのに、合流したのは一番最後だった。おかしな話だわ」

「それは、全部状況証拠じゃないか。ちゃんとした証拠はあるのか?」

「佐藤さんが洗ってた包丁。コナン君が来た影響でそこまでしっかり洗えてないんじゃないの?着物の袖に水が跳ねるくらい慌てたわけだし。警察がちゃんと調べたら貴方達の指紋が出ると思うわよ。それに着物の中にそのまま入れたんじゃ体を傷つけてしまう。きっとタオルかなんかで包んだんじゃない?それを隠滅する隙はなかったし。きっと貴方はまだ、それを持っている。それが証拠になるわ」

 

それを聞いて3人は何かを考えた後諦めたようにため息をついた。蘭は「失礼します」と言って佐藤の着物の袖に手を入れる。するとすぐに血に汚れたタオルを発見した。それを皆に見せる。負けを確信した3人はそれぞれ項垂れる。

「上手くいくと思ったんだけど、流石に甘い考えだったか」そう言って河村は壁に寄りかかった。

 

「何故、こんな事を」

「ジャックザリッパーがアイツの元には来なかったから、それなら自分らでやるしかないと思ったんだ」

 

どうしても許せなかった。

そう続ける河村の目には確かな憎しみが浮かんでいた。

 

「娘が、殺された」

「え?」

「私と、ゆかりさんの娘だ。俊介の妹でもある」

 

衝撃的な発言だった。驚きが広がる。

 

「皆は知らなかっただろうけど、私とゆかりさんは事実婚というやつでね。俊介の苗字が違うのは婿入りしたからだよ。だから殺された私の娘というのは、私とゆかりさんと俊介の家族ということになる」

 

河村は語り出す。

曰く、彼らの娘で梅村の妹にあたる女性の名は香。香は大学のいじめを苦に自殺をしたらしい。だがそれは世間や警察の判断であって、実際は違った。

 

「香は殺されたんだッ!!大学の同級生達に追い詰められてッ!!田中はそのイジメグループの主犯格だったッ!!だから私が殺したッ!!そしてもう1人、本当に殺したかった奴がいる!!」

 

大声で怒りを露わにした河村は乱れた息を整えるとある人物のことを強く睨みつけた。

 

「お前だよ!!金谷ッ!!お前も今回の計画で殺す為に態々この旅館で雇ってやったんだッ!!」

 

金谷は顔を青褪めさせてびくりと肩を震わせる。

 

「よくもまあのうようと、何でもないような顔をして生きていられるよな。お前が香を突き落として殺したんだって、こっちはもう知ってるんだぞ」

「あ、アレは、冗談のつもりで……」

「冗談なら人を殺しても許されるのかよッ!」

 

梅村が金谷の胸倉を掴み上げる。

 

「お前のサークル仲間から動画を見せてもらったよ。サークルの旅行だって言って、香を無理矢理スキー旅行に連れていって、滑れない姿を見て笑って!しかも、閉鎖区域に連れ込んで笑いながら崖から落としたッ!」

「直ぐに助けは呼んだわよッ!勝手に動いていなくなったのがいけないんじゃない!」

 

ふざけるな、怒りで顔を真っ赤にした梅村が金谷に殴りかかろうとする。だが蘭が間に割って入ってその拳を軽く止めた。どんなに許せなくても、殺人だけは、決してやってはいけない事だから。

証拠の動画もあるのだから後は司法に任せるべきだろう。話はそうやって纏まった。嫌な空気が場を支配している。

だが、事件は解決したんだ。そう思わせる一種の安心感のようなものも感じられる。

 

(いや、まだだ。まだ終わっていない)

 

そんな中、コナンだけは警戒を緩めないでいた。

 

(間違いなくヤツはここに居る。今なお、虎視眈々と、猟犬のように目を光らせているはずだ)

 

コナンは眼鏡を軽く触った。阿笠博士に頼んで改良はすでに済ませてある。あの男の様子を伺う。

 

いつ動く。

 

いつだ。

 

 

 

ブブ、ガチャン──

 

 

機械的な音がして照明が落ちた。

「やだ、停電?」と蘭が言う。それは月が雲に隠れた時のことだった。この時を待っていたのか、真っ暗闇が部屋を包み込む。そして金谷の襟は前と同じようにいつの間にやら蛍光塗料が塗られていた。

コナンは即座に眼鏡の暗視機能を発動させた。暗闇のなか、全員の動きがよく見える。

 

(やっぱりアイツか!!)

 

黒い大きな人影が金谷に襲い掛からんとする。

サッカーボールを飛ばしたいところだが人が多くて危険だ。コナンは駆け出す。

 

(2度も同じ手でやられてたまるかよッ!!)

 

スライディングの要領で金谷の足を引っ掛けて、転ばせた。標的を捉えきれなかった人影の手は空振る。人影の後ろにはおろおろとする蘭がいた。

 

「蘭ねぇちゃん!!後ろに殺人鬼がいるッ!!」

 

万が一にも金谷と間違えられては堪らない。今金谷の蛍光塗料は完全に殺人鬼の視界から消えている。逃げろと言う意味で言ったつもりだが蘭は別の意味で捉えたらしい。

 

「ハァッ──」

 

気合一閃。

鋭い回し蹴りが殺人鬼の側頭部を狙う。が、殺人鬼も即座に状況を理解したらしい。片手を上げると蘭の蹴りを正面から受け止める。呻き声の一つもあげない。

 

(マジかよッ)

 

コナンは殺人鬼がかなりの実力者である事を理解した。殺人鬼は蘭の足を掴むとコナンの声が聞こえた方にそのまま投げつける。

 

(なんちゅう馬鹿力だよッ)

 

コナンは転がるように回避する。一方投げられた蘭は空中でバランスを整えると軽やかに着地をした。

 

「コナン君気をつけてッ!!この人かなり強い!」

 

と、その時だった。

ぐしゃりと嫌な音が響いた。コナンが慌ててそちらを見ると講堂にあった椅子を使って殺人鬼は金谷を撲殺していた。頭から大量の血を流した金谷は地面に倒れている。死体の上には赤い手紙が無造作に置かれていた。

 

殺人鬼はひしゃげた椅子を投げ捨てると即座に身を翻して逃走を図る。

 

2度だ、2度もみすみすと殺人を起こさせてしまった。

あまりの悔しさにコナンは血が出るほど歯を強く噛み締めた。

 

「逃がすかよッ!!」

 

雲の陰から月が姿を現した。

月光が廊下を照らし出し、逃げるコートの人間の姿が見える。いつのまにやら変装を解いていたらしい。そいつがスイッチを押すと、奥の窓の一つが割れた。あらかじめ逃走ルートを確保していたようだ。殺人鬼は窓の縁に足をかける。

その一瞬が唯一の隙だ、コナンはそう判断してボール射出ベルトからサッカーボールを出すと、キック力増強シューズを使ってボールを思いっきり蹴り飛ばした。

 

サッカーボールは矢のようにまっすぐと殺人鬼の顔を狙う。振り向いた殺人鬼は流石に驚いたのか僅かに目を見開いたように見える。彼は顔を逸らしてそれを避けるが、顔に掠ったのか仮面の左上が割れて落ちた。破片が床に落ちる前に殺人鬼はそれを掴んで懐にしまう。

 

「流石に驚いた。これは初めてのパターンです」

 

仮面の下にあった、牡丹のような色の鋭い目が真っ直ぐにコナンを見据える。

アレが殺人鬼の顔だろうかと考えるも、よく見れば破片で切ったのだろう跡がある。だが其処から血は出ていなくて、薄いビニールを破ったような状態になっていた。恐らくこれも偽物の顔。

 

「一つ聞いてもいいですか?」

「なんだよ?」

「君はずっと私の事を見張っていましたよね。いつ、私が殺人鬼であると気がついたのでしょうか?」

 

おかしな行動はしなかったはずだと殺人鬼は言う。

 

「気がついてなかったのかアルシエル。いや、お前に神の名前は大仰すぎるな。名無しの切り裂き魔(ジャックザリッパー)くらいの方が丁度いいか」

「確かに、その意見には賛同できますね。私にはその程度の名前の方が丁度いい」

「切り裂きジャック。今回は撲殺だったようだけどな」

「貴方に邪魔をされたから、今回は切り裂けなかったのですよ。それで?」

「体格だよ、ジャック。お前は今回ふくよかな人間に化けていた。でも悲鳴が聞こえて梅村さんと一緒に向かっている久保さんを見て、妙だなと思った。違和感があった。それは足音だ。梅村さんは背が高いとはいえかなり痩せ形で、多分体重は70キロもない。大して久保さんは175、6の身長であの体型なら、どう考えても100キロは超えている。それなのに走っている2人の足音はほとんど同じだったんだ。

体重が違えば足音も変わるはず、それに気がついたから、自然な形でお前のズボンの裾に触ってみた。不自然には見えないようにしていたようだが、人間の感触じゃなかった。それで分かったんだ。

久保さんは何らかの理由で変装をしている不審者だってな」

「成程、足音ですか。ご指導、感謝しますよ名探偵。次からはもう少し細部に気を遣って変装をする事にします」

「抜かせ!テメェに次はねぇ!!」

「いいえ、貴方は私を見逃します。見逃さなければならない」

「探偵が犯罪者をみすみす見逃す理由なんかねぇ!」

「いいえ、あります。ありますよ名探偵。それは愛です」

「……はァッ!?」

 

予想外の素っ頓狂な答えにコナンは目を剥いた。

 

「Greater love has no one than this, that someone lay down his life for his friends.」

「……ヨハネの福音書か?」

「驚いた。貴方はキリスト教徒ではないでしょうに、本当に詳しいですね。ますます興味深い」

「“人が友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない”。テメェがキリストを信仰してるって知った時に一通り勉強したんだよ。詳しいに越した事はない」

「素晴らしい心構えです」

 

褒めるジャックを睨みながらコナンは麻酔銃を構える。狙いは仮面が割れた顔の左上。アレだけ薄い変装のマスクなら、恐らく貫ける。

 

「どんな理由があろうとオレは」

「すぐに理解しますよ」

 

その時だった。軽やかな足音が迫ってくる。「コナン君!」と、蘭が声を上げながらこちらに向かっているようだった。

 

 

「God, the source of grace, We conclude this gathering in gratitude and praise. The fruits of our labor are May it be useful for the kingdom of God. By our Lord Jesus Christ. Amen.」

 

ジャックは前に出会った時のように十字を切ると拳銃を取り出した。

コナンはハッとした。「来るな!!」と大声を上げるも、もう遅い。蘭が曲がり角から姿を現す。

 

ジャックは拳銃を真っ直ぐ蘭に向ける。理解するより先に体が動いていた。

 

バンッと、銃撃の音が静かな旅館に響き渡る。

コナンは咄嗟に蘭に飛びかかって庇った。そのまま覆い被さり伏せて痛みに備えるが、いつまで経ってもその痛みはやって来なかった。

 

あれ?と思い顔を上げる。

ジャックの姿はすでにどこにもなく、ゆっくりと顔をあげて辺りを見渡す。銃弾の痕などもどこにもない。

 

(空砲か……)

 

コナンは大きくため息をついて廊下に座り込む。

 

(ジャックザリッパーは殺人者を殺す殺人鬼、元より蘭を撃つ筈がなかった)

 

またジャックに逃げられた怒りも悔しさもある。だが今は蘭が無事だったと言う安堵の方が大きかった。

 

(なるほど、愛。愛、ねぇ……)

 

(いや、愛……?)

 

コナンはふと、蘭の方を見る。蘭は1人で危ない事をしたらダメだとコナンに説教をしている。

 

蘭は、幼馴染だ。

 

黒く艶やかな長い髪に、形のいいくりくりとした丸い瞳。はっきり言ってとても美人だと思う。

 

 

 

愛、愛──

 

 

辞書で愛と引けばこう出る。

 

価値を認め、強く惹かれる心。

可愛がり、慈しむ事。

大事な者として慕う、心。

特に男女間の慕い寄る心のことを云う。

 

つまりは、恋。

 

「バッ!!?」

 

意識した途端ボッと顔が真っ赤になった。

蘭はあくまで、“幼馴染”だ。

 

 

「そんなんじゃねーよッ!!!」

 

と、コナンの叫びが静かな旅館に響き渡る。

そんな彼の様子を蘭は不思議そうに眺めていたのだった。

 

 

 

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