___ようこそ、死せる魂よ。現世において人生を全う出来なかったと嘆く魂よ、私はそんな君の声に引き寄せられた者だ。
性別も抑揚も方向も分からない声が続ける。
___『 』が、君の名前だったようだが、現世から離れた時忘れてきたみたいだね、なら新しく名前が必要だろう。私が付けても良いかな? では『ミッグコーズ』、これが新しい名前だ、ちゃんと忘れ無いように魂に刻んでおこう。
なにかが触れている感触だ。とても人間に触れられている感覚ではない。なにか巨大な生物の舌の上で舐められていると表現するのが適切か。
___ふむ、では次は器だね。どんな器が良いかな? 蜘蛛、人、蛸、犬……そうだな、不定形、スライムはどうかな? 気分に合わせて体を変えられるよ、そういう私も不定形が好きでね、では不定形の体を与えよう
温かいナニカに包まれる。
___イイね、よく似合っているよ。……あぁ君はその姿が良いんだね、さっそく形を固定化するとはやるじゃないか。センスあるよ!
温かいナニカが頭と手と胴体と脚を創り出す。人の形を成していく。
___ミッグコーズ、私の正体を明かしておくよ、私は外から世界を見つめてきた者……名前かい? じゃあ気軽にニャーさんと呼ぶと良いよ。え? あっ、気が付いてしまったかな? でも平気なようだね、まだ漠然とした事しか思い当たらないだろうし、私もそう仕向けているから……心配しなくても君は自由だよ、ある程度はね。
困惑する。名前と体を与えた存在が恐ろしく丁寧だから。想定される正体からは想像もできない。
___では、ミッグコーズ。君に目標を与えよう。自力で私の所へ来る、私と同等になる、そして何よりも生き残ること。
不思議な目標に頭をかしげる、だが、この存在にとってはそれが普通なのだろう。
___ふふ、私は物語の演者にして舞台装置、解決の糸口であり幕を引く者。そんな私の活躍も舞台そのものの崩壊を持って終わってしまう……分かるかい? 世界が終焉に進んでいくんだ。察しがいい君ならたどり着く答えかもしれないし、想定から外したい事態かもしれない。
思い当たる想定の中で最も酷いものをあえて選ぶ、魂に刻まれた知識から答えを引き出した。
「“白痴なる父が目覚める”」
___その通り。我らの父が遂に目を覚ます、世界そのものたる父の夢が終われば、君も私も消えてしまう。夢から覚める理由は一つだ、そもそもこれしか思い当たらない。この夢がつまらなくなった。それに尽きる。だからこそ、結末のある物語にしないために最後の博打を打つのさ、私だけがその手段を持っている。他の神々はその事は気が付いてないようだから、私が動くのさ。
今の私の本体は少しも動けなくてね、だからそっちから出向いて欲しいんだ、合点がいったかな? ……してくれたようだね、では君を『 』へ送る、あぁノイズが始まっている……時間がない、急がねば……っ
ずっと暗かった視界に光が差し込む、そして光がおぼろげながらもその存在を照らし出した。
『“無貌の神”ナイアルラトホテップ……!』
___では、待っているよ。ミッグコーズ。君が希望なんだから。
★
闇の中から意識が戻った彼は病院のベッドで寝かされていた、普通と違ってホコリを被りヒビが入った病院だと言う所だろうか。平たく言えば廃病院だ。
彼は手元に置かれた携帯と僅かな金銭を握りそこを出た。自殺した時と同じ服装だった為に新しい服を買い着替え、身分証明書も行く宛もない為に、SNSで探した違法なバイトや闇業者を頼りに生活を乗り切った。その過程で仲間と言える人間も何人か出会えたが今は割愛する。
そして今日も闇バイトで稼いだ金で彼はネットカフェに居た、彼のマトモな娯楽はここにしか無いからだ。
いつもならネットサーフィンだが、今日は明確に目的を持っていた。
“クトゥルー神話体系”
コレを本格的に調べようとした、だが一件もヒットしない。
可笑しい、更に文言や単語を変えて探し出した結果、ヒットした検索結果は彼の予想外だった。
「“海底に神殿あり、太古の遺跡跡地か? ”……“衝撃! 米軍潜水艇がソナーで超巨大生物の反応を捉える”……“連続不審死事件、部屋で海水に溺れ水死する人々”……まさか……」
彼は一つの結論を導き出す為に更に検索した。
「“ハワード・フィリップス・ラヴクラフト”……ヒット0件……。ここはまさか
一人で個室でポツリとつぶやく、頭を掻きむしりうずくまる。だからといって現実が変わることはなかった。
「逃げたい……」
そもそも何処へ逃げれば良いのか、遠くない内に世界は終わるのだと知らされていて何処へ逃げようと言うのか、今ここで逃げることを思案するよりも与えられた目標をこなす事が余程建設的であることは明白だ。
「嘘、だと言い切れない現実的な遭遇だった……やるしか無いのか。あの神が真実を語ることは無いが嘘も言わないだろうから、進むしか方法がない……」
ナイアルラトホテップに多少なりとも恩を感じているのか、それとも他にやる事がないから消去法で仕方なくなのかは定かではない、両方あるのかも知れない。
どちらにせよ彼は動こうとした、動こうとしてしまった。深遠なる世界を知り自分もその一人となった彼は今や上位者やそれに連なる人ならざる者たちと極めて密接で濃密なコンタクトを運命レベルで決定付けられている。
踏み出さなければまだ良かった、一線を超えるまで見つけられなかった筈だ。だがその一線は自ら踏み出した、その行為にいくつの意味が付き纏うのか理解出来ない無貌の使徒は、無謀にも歩みだした。
__ミツケタ
決意を固めた瞬間、脳裏を声が駆け巡る。冷たく、張り詰めた弦を弾いたかのような高音の言霊。たったそれだけで何が起こるか察してしまう。だがそこに自意識が介入する余地はなく、まるで察する事を
しかしそれ自体を察する事は出来ず、今は声の主が来る前に逃げることが優先された。
「
ネットカフェから飛び出す、何が来るかは分からない。でもナニカは来る。ひたすら走る、繁華街は夜でも明るく一時の安心感を与えたが今から起こる事態の気休め程度にしかならない、これは試練なのだ、無貌の使徒足り得るか、その最初の試練。
彼は、ミッグコーズは人の多い場所を避けて路地裏を走り抜け、夜の砂浜へ出た。月の光が海面を照らし、波間に月が揺れている。街灯は僅かに道を示しているが古くボヤケた電球では真下に居ても本も読めないだろう。
そんな砂浜へ彼はやってきた。
「来る……なら、こ、来い……ハァ……ハァ……っ!」
息も絶え絶えにボクシングの構えを取る、これも自分を落ち着かせるための気休めだったが今は不思議と鉄棒よりも頼りになると思えてしまう。
構えて、息を飲む、静かに静かにじっと待つ。ここから先へは逃げられないと悟り、逃げるのではなく立ち向かうことを選んだ彼。その顔は酷く無表情であった。
待ち始めてから何日も経ったかのような、何度も昼夜を繰り返したような感覚が彼を襲う、極限の集中状態で時間の感覚を引き伸ばし、彼の敵になり得るナニカを待ち受けている。
___ミツケタ
「お出ましか……っ!」
同じ様に脳に響く弦のような声、今度は脳ではなく音として伝わってきた。彼の後ろからだった、急いで振り向くとそこにいたのは
「……黄色の外套……っ!」
___ハ。ス。タ。ー。
かの者。黄衣を纏う王。
___無貌ノ使徒、ミツケタ
何とおぞましき声か、何と忌々しき存在か、見る者を侮辱し、その精神を凌辱しつくす気配は何なのか。そこに“在る”と言うだけでミッグコーズの核たる精神は崩壊し、瞬く間に命を刈り取られた。
「うっ……ここは……廃病院だ……」
そして彼はまたあの廃病院で寝かされていた。