漆黒の闇と
それは周囲の景色が闇に覆われてはっきりと見えない分、昼間よりもより濃厚に感じられる。
そんな中、静寂を破る足音と共に、闇を
あの後、レオンは休憩も取らず、無論フェナスやパイラにも寄らずに一路アゲトビレッジを目指し、サイドカーで砂混じりの荒れ地を爆走した。
もう一度ラウンドやスレッド達に会って話がしたかったルナは、フェナスの横を減速せずに通り過ぎたレオンに抗議しようとしたが、思い詰めたような表情をしてひたすらサイドカーを駆る彼の横顔を見た途端、何も言えなくなってしまった。
そしてそのまま二人は、本来ならばあの時間あそこを出発したら明日にしか着けない筈の村に、日付が変わる前に辿り着いたのだ。
レオンはアゲトビレッジに着くと、野宿の時に使っているランタン型のライトを持ち出し、暗闇の中をローガンの家ではなく聖なる森に向かった。
足音が深夜の森の
町外れのスタンドでスナッチしたサンダース、ブースター、シャワーズの三匹である。
途端に腰のベルトに付けてある二つのボールから
三匹の気配を感じ、ブラッキーとエーフィがまた勝手に出て来てしまったのだ。
二匹はただ黙然と石畳の上に立つ三匹に、声を掛けたり体をすり寄せたりと色々試してみるが、心を閉ざされたサンダース達は何の反応も示す事はなかった。
それでも二匹は諦めずに必死になって声を掛け続ける。
その一生懸命なブラッキー達の姿に、ルナは胸を締め付けられ、そんな二匹を見ているのが辛かった。
——と、その時である。
「…——ルナ……」
押し殺した声で改まって名前を呼ばれ、ハッとしてレオンを見たルナは、思わず息を呑んだ。
彼は今まで見た事も無い悲痛な
「なに?」
ゴクリと唾を呑み、自分を呼んだまま何も言わないレオンに訊き返す。
ルナの方を見ず、拳を握り締めてレオンは声を絞り出した。
「頼む。こいつらに『時の笛』を使わせてくれ」
「え?」
「これ以上、こいつらのこんな姿は見ていたくないんだ」
「レオン……」
その頼みに驚いたものの、ルナはすぐに頷いた。
「いいわ。でも、その前に一つだけ聞かせて。貴方達とあのコ達、どういう関係なの?」
あのレオンに化けたフェイクとかいう男がサンダースを出した時、勝手に出てきてしまったブラッキーとエーフィに、彼は「やっぱりそうなのか……」と言っていた。
あの二匹の態度からも、この三匹が彼等と深い関わりがあるのは間違いなかった。
でも、訊いてもレオンの事だ。何時ものように「おまえには関係ない」と言うに違いない。だけど、それでもルナは訊かずにはいられなかったのだ。
何時か
だが彼女の予想に反し、レオンは「おまえには関係ない」とは言わなかった。
「あいつらは——」
そう言い掛けて言い淀むと、暫しの逡巡の後にレオンは
「あいつらは、ブラッキー達の兄弟なんだ」
厳密に言えば違うが、元々親同士が兄弟で、その間に出来た子供達なのだ。血の繋がりは兄弟と言ってもいい間柄だった。
「きょ、兄弟ィっ!?」
姿形やタイプは全部バラバラだが、元はイーブイだった五匹である。何か関係があるとは思っていたが、まさか兄弟だとは思っていなかったルナは、驚きのあまり頓狂な声を上げて思わず五匹の方を見やり、そしてまたレオンに視線を向ける。
そんな驚き
「ああ、俺の両親はイーブイのブリーダーだったんだ。それもその筋じゃ腕がいいって評判の、かなり名の売れたな。こいつ等の親達はコンテストの各部門でチャンピオンを取った、親父達自慢のイーブイ達の子供なんだ」
「それが、どうしてダークポケモンなんかに?」
「借金のカタに取られたんだっ」
懐かしむように両親やイーブイの事を話していたレオンは、一転して語気を荒げて吐き捨てた。
「信じていた友人に裏切られ、そいつの借金を肩代わりさせられてなっ」
「一体、何があったの?」
「——同じブリーダー仲間で親父の親友だったやつが、ポケモン達の為に新しく事業を立ち上げるのに資金が足りないとかで、金を借りる為に親父に連帯保証人になってくれるよう頼んだんだ」
ルナの問いに、レオンは怒気を押さえて淡々と当時何があったかを口にした。
「親父は二つ返事で引き受けた。そいつを信じてたからな。だけど、返済の期日が迫ったある日、そいつは姿を
親父は逃げたそいつの代わりに借金の返済を迫られ、あちこち奔走したけど結局金が足りなくて、家もイーブイ達も全部取り上げられてしまったんだ。ブラッキー達より先に生まれたこの三匹も一緒にな」
あの時の事を思い出し、遣る瀬無さそうにぐっと握った拳に力を入れたレオンは、自嘲気味に言葉を継いだ。
「もっとも、この事を知ったのは、スナッチ団に手を貸すようになってからの事だがな」
当時、まだ幼かった彼は、何が起こったのかさっぱり理解できなかった。
突然家に黒い帽子とサングラスをし、マスクで顔を隠した黒ずくめの男達が押しかけ、
そして、男達に追い出されるように家を出た彼は、旅先で「ちょっと散歩に行って来るからイーブイの卵を頼むよ」と言って、ホテルを出て行ったきり戻らなかった両親を、翌日の朝待ちくたびれて捜しにいったホテルの近くにあった海岸の波打ち際で見つけたのだ。冷たくなって倒れていた二人を。
それから生まれたばかりのイーブイを取り上げようとした
そうしてその事をすっかり記憶の底に埋もれさせた頃、彼の腕に惚れ込んでしつこく勧誘するスナッチ団員のデジタスに根負けし、あまり気は進まないながらも生きる為の金欲しさにスナッチに手を貸すようになったのだ。
そんな日々の暮らしの中、ある日レオンは頼まれたポケモンをスナッチする為に遠出した街にあった金持ちの屋敷で、そこで飼われていたイーブイを見たのだ。あの時借金のカタに取られた両親のイーブイの一匹を。
懐かしいポケモンとの思いがけない再会に、レオンは今更ながらに他のイーブイ達はあの後どうなったのかが酷く気になったのである。
「あの頃、家に居たイーブイはグランドチャンピオンの二匹とその兄弟の三家族。それと、卵から生まれたばかりのこいつ等三匹の合計十一匹だったんだ」
レオンは請け負ったスナッチのついでに、イーブイ達の行方を調べた。珍しい上にレオンの両親が育てたイーブイ達は、皆一度はコンテストに優勝した事があった為、すぐに居場所は判った。
だがこの三匹だけは、どうしても行方が掴めないでいたのだ。
それが、やっと見つけたと思ったら、ダークポケモンにされていたとは。
あの研究所では、何故か遺伝子の研究を盛んに行っていた。条件により様々なタイプに進化してしまうイーブイは、まさに打って付けの研究材料だったに違いない。
それも実験に使うなら育ってしまった奴より、生まれたばかりの方が色々と都合が良かったことだろう。
そこに送られた三匹があの研究所で愛情のカケラもない研究員によって、単なる研究材料として物の様に扱われ続けてきたかと思うと、レオンは遣り切れなかった。
「あの研究所で実験材料にされ、散々体をいじくり回された挙げ句、ダークポケモンにされてしまったこいつらを、その苦しみから今すぐ解放してやりたいんだ」
「そうね、あのままじゃ、ブラッキー達も可哀想だもの」
ルナは上着のポケットから取り出した包みを開き、その中にあった「時の笛」をレオンに差し出す。
「すまない……」
レオンはそれを手に取り、口に当てて静かに吹いた。
——と、
それに応えるように樹々の梢がさやさやと揺れ、祠の上辺りに唐突にくるくると回転する淡く緑色に輝く光の球が出現する。
その中には、全身が淡い若草色をした体長六十センチ程のポケモンが浮かんでいた。
背中に小さな羽根を持ち、大きな頭に黒く隈取りされた瞳は青く澄んで、額には二本の触角があった。頭の割に体は小さく、少し長めの手と小さな足がある。
「これが……セレビィ………」
時を渡る能力を持つと
どんな姿をしているのだろうと思っていたが、これほど愛らしい姿だとは。
セレビィは、自分の姿を見て感動しながらも、
自分を見ても何の反応も示さない三匹を不思議そうに見やる。
「セレビィ、そいつらは心を閉ざされているんだ。人間の手によって無理矢理に」
その声に振り返ったセレビィは声の主の前に飛んで行き、小首を傾げてアッシュブロンドの少年の琥珀色の瞳を覗き込むように見た。
「おまえには、閉じた心に一番楽しかった頃の想い出を蘇らせる力があると聞いた。お願いだ、その力を使ってあいつらの心に光を
そうレオンは、じっと自分を見詰めるセレビィに訴える。
その切なる願いが通じたのか、セレビィはニコッと微笑むと、すいっとレオンから離れて三匹の許に飛んで行った。
自分の体から発する緑色の淡い光を、三匹の体に満遍なく降り掛けるように飛び回る。
そして、その緑色の光が三匹の体から噴き出す黒いオーラを包み込んだ次の瞬間、それは弾けて四散した。
「すごい……、一発で黒いオーラが消えてしまったわっ」
祠の力じゃ、リライブ寸前までバトルしてからじゃないと出来ないのに。
ルナの驚嘆する声を聞くまでもなく、レオンにもそれがはっきりと判った。今まで身じろぎ一つしなかったサンダース達が、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し始めたからだ。
エーフィとブラッキーが嬉しそうに声を掛け、体をすり寄せる。
その馴れ馴れしさに驚いて思わず身を引いた三匹だったが、何処となく懐かしい気配と匂いを持つ二匹に興味を持った。
それは昔「もうすぐ生まれるよ」と言われ、早くそこから出て来るのを、今か今かと待ち望んでいた兄弟の、卵の殻越しに感じていたそれに似ていた。
そしてエーフィとブラッキーもそれは同じだった。
二匹はずっと会いたいとレオンと共に捜し続けて来た兄弟のそれを、この三匹からずっと感じていたのだ。
だからあの時バトルでサンダースが姿を現わした時、思わずボールから出てきてしまったのである。
五匹の進化したイーブイ達は、それぞれ互いに匂いを嗅ぎ合いってそれを確信すると、再び出会えた自分達と同じ血を分けた兄弟に、サンダース達の方からもブラッキーとエーフィに体をすり寄せ、顔を舐めたりして親愛の情を示した。
「よかったわね、レオン」
「ああ……」
愛おしむように五匹を見ていたレオンは、ルナの言葉に頷くと、じゃれ合う五匹に近づいた。
「よかったな、サンダース、ブースター、シャワーズ」
一匹一匹名を呼び、石畳の上に片膝を付いて手を差し伸べる。
その途端、ビクリと体を震わせて、三匹はそれから逃れるように跳び退いた。
身を寄せ合って震え、完全に怯え切っている。
それも無理もない。この三匹はずっと今まで無慈悲な研究員達の手によって、実験と称する苦痛だけを与えられ続けていたのだから。人に対して恐怖心を抱くのも仕方なかった。
けれど、三匹は生まれてすぐ研究所にやられた訳ではない。生まれた後暫くはレオンの両親に育てられ、そこでレオンと一緒にまだ生まれて来ない兄弟の卵の世話をして、広い庭で一杯遊んで過ごしていたのだ。
研究所での辛い日々の他に、そういった楽しかった頃の想い出があったからこそ、三匹はセレビィの力でそれを想い出してリライブできた筈なのに。
「俺が分からないのか?」
立ち上がり、レオンは一歩前に出た。
それに合わせるように三匹は
ブラッキー達が大丈夫だと説得するがその効果はなく、これ以上近づくと恐怖に駆られたサンダース達は石畳を飛び降りて、このまま森の闇の中に消えて行ってしまいそうだった。
折角リライブできたのに、これほど激しく拒絶されるとは。
だが、それも仕方ないのかもしれない。イーブイだった三匹が進化してしまったように、レオン自身もすっかり変わってしまっていた。生きる為に変わらざるを得なかったのだ。それも三匹をずっと物のように扱っていた奴等と同じ裏社会に身を置く者に。
その者達が身に纏っていたのと同じ臭いを、三匹はレオンから感じ取って
「もういい、ブラッキー、エーフィ」
レオンは尚も説得を続ける相棒達を止めた。
「あいつらにとって、俺も恐怖の対象でしかないんだ」
「そんなっ……」
リライブして全て想い出した筈なのに、レオンが怖いだなんて。
「仕方ないさ、それだけあいつらは酷い目に合わされて来たんだろう」
自分の事の様にショックを受けるルナを宥めながら、レオンは自分にそう言い聞かせた。
サンダース達を説得できなくて、すまなそうに自分の前で
その姿を見た瞬間、三匹はハッとなった。
遠い昔、自分達もあんな風に頭を撫でて貰った事があった。あの二匹の兄弟達が生まれるのを心待ちにし、生まれてきたらどんなことをして遊ぼうかと、何時も一緒に遊んでいた優しい琥珀色の瞳をしたアッシュブロンドの少年に。
なのに、何故だろう。自分達に苦痛しか与えなかった人間達と同じ臭いのするあの少年が、一番幸せだった頃の記憶の中にいる少年の姿とダブって見える。
自分達の兄弟であるブラッキーとエーフィが、あの少年に何の
——もしかして、この少年はあの恐ろしい人間達とは違うのだろうか……
そろりと、ブースターが勇気を出して一歩前に足を出した。
それにつられ、シャワーズとサンダースも立ち上がり、許しを乞う兄弟達の体を優しく撫でる少年に、恐る恐る近づいていく。
「おまえ達……」
どういう心境の変化なのか、自分をあれ程怖がっていた三匹が自ら寄って来たのにレオンは驚いた。
少年に気付かれ、ビクっとサンダース達が立ち止まる。
それを見て、すかさずブラッキーとエーフィは三匹に駆け寄って後ろに回り込み、ぐいぐいと三匹の体を前に押しやった。
二匹に押されるままレオンの手の届く所まで来ると、サンダース達はちょっと腰が引けながらもその場に座り込む。
そして、恐々と窺うように目の前の少年の顔を仰ぎ見る。
ふっと笑みを浮かべ、レオンは三匹の頭をそっと優しく撫でてやった。
その温かな手の感触は、記憶にあったあの少年のものと全く同じだった。自分達に向けたあの柔らかな微笑みも。
目の前の少年が、突然自分達の前からいなくなり、辛い日々の中ずっと会いたいと思っていたあの優しかった少年だと判った途端、三匹は目を潤ませ、喜び勇んでレオンに飛びついた。
「うわっ」
一斉にサンダース達に飛びつかれ、レオンは受け止め切れずに尻もちをついてひっくり返る。
それに構わず三匹はレオンの体の上に乗ったまま顔を舐めまくる。その上エーフィとブラッキーまでもがそれに加わった。
「こらっ、馬鹿、やめろっ。くすぐったいだろ」
言葉とは裏腹に、そう言うレオンの声は実に嬉しそうだった。
——良かった。サンダース達に想い出して貰えて……
あんなに心から嬉しそうな
見ているルナも胸が熱くなって、思わず涙ぐんでしまう。
そんな彼女の目の前を、すいっと淡い緑色の光の球が横切った。
セレビィである。そのまま森の暗闇の中へと遠ざかって行く。
「待って、セレビィっ」
その声に、一瞬緑に淡く輝く球が止まったように見えた。
ゆっくりとセレビィが、ルナと立ち上がったレオンの方に振り返る。
そして、にこっと微笑んだ瞬間、体を包んでいた淡い緑の光と共にパッと暗闇の中に消えた。
「セレビィ!?」
「また時を渡ったんだろ」
そうやってあのポケモンは様々な時代を旅し、色んなポケモンが忘れてしまった記憶を呼び戻しているのだろう。
「——また、会えるかしら。まだちゃんとお礼言ってなかったのに……」
「そうだな。全て終わったら『時の笛』でも探してみるか」
セレビィを呼び出す役目を終えたそれは、既にレオンの手元から消えていた。けれど、貴重なアイテムといっても世界で一つしかないという訳ではないだろう。探せば何処かにきっとある筈だ。
「そうね」
セレビィの消えた聖なる森の奥を見詰めながら、ルナは小さく頷いた。