話が一段落すると、それを待っていたかのように、居間のドアがノックされる。
ルナがドアを開けると、飲み物とカップに入った木の実のゼリーを乗せたワゴンを押し、セツマが中に入って来た。
「さっきお茶を出し忘れていましたからね。木の実ゼリーと一緒にどうかと思って」
「おお、すまんのう。丁度喉が渇いておったんじゃ」
気の利く妻の申し出に、ローガンは相好を崩して応じる。
セツマがテーブルにそれらを置いて出て行くと、早速ローガンは妻が持って来てくれた紅茶を飲み、木の実のゼリーを頬張って堪能すると、もう一つ話があったと口を開く。
「おお、そうじゃ。パイラの署長とも話をしたんじゃ」
ピクリとレオンは一瞬コーヒーを飲もうとした手を止めた。
ローガンは一口紅茶を飲んで、また話を続ける。
「シャドーとかいう連中にとって、聖なる森の祠は脅威らしいからのう。署長はそれを護る為に警官をこの村に派遣したいと言っておったのだが、そんな者に村の中をうろつかれては気が休まらんからのう。断っておいた」
レオンは大きく目を見開いた。
——聖なる森の祠を護るというのは口実で、それは多分俺を捕まえに来るつもりなのだろう。それを断るとは。本気で俺をこの村の一員として護る気なのか?
「とは言え、またあの連中に来られたら、レオン君の負担が増すばかりじゃからの。署長と話し合って、
検問を設け、不審人物が村に行かない様に。
「………」
成程、俺がここから逃げ出さないように、麓を押さえておくわけか……
それなら村に入れなくとも、何かあれば何時でも捕まえに来られる。
当分自分の身は、村ぐるみでこの爺さんが預かるという事なのだろう。本当に厄介事を抱え込むのが好きな連中だ。
呆れながらも、自然と口許が綻んでいく。
そんなレオンを静かに見据え、ローガンは改まって話を切り出した。
「それで、ここからが本題なんじゃが……」
その言葉に、綻びかけたレオンの口許がきつく引き結ばれる。
やはりさっきの話は無条件でとはいかないらしい。それもそうだ。それなりのメリットが無ければ、誰も好き好んで厄介者を抱え込みはしないだろう。
分かり切っていた事だと、レオンは緩みかけた気を引き締め直し、一体どんな要求をされるのかと身構えた。
だが、ローガンが口にしたのは、レオンの思いも掛けないものだった。
「レオン君、君は八年前に亡くなったイーブイのブリーダーである、クレイブ夫妻の息子じゃな?」
「お祖父ちゃん。どーしてそれをっ!?」
自分でさえ、昨夜やっと教えて貰ったばかりだというのに。
驚くルナの横で、レオンは何故それをローガンが知っているのか思い当たり、内心で舌打ちした。
「そうか、俺のⅠD番号で……」
「そうじゃ、悪いが調べさせてもらった。協会にはちょっとした
ローガンは協会の正式なⅠD番号を持つトレーナーが何故ゴロツキなどになり、スナッチ団に手を貸すようになったのか、それがどうしても気になったのだ。
それでレオンのⅠD番号を手に入れた後、すぐさま全国ポケモントレーナー協会の本部に連絡を入れ、昔の伝手を使って彼の身元を調べたのである。
「君には捜索願いが出されておった」
「捜索願い……?」
亡くなった両親以外に親戚縁者はいない。天涯孤独の身の自分を、一体誰が捜しているというのか。
「そうじゃ。君はゴトー弁護士を知っておるかね?」
「いや」
レオンは
「捜索願いを出していたのは、そのゴトー弁護士なんじゃ」
見事な長い顎鬚を撫でながら、ローガンは怪訝そうに自分を見返す少年に、ゆっくりと言葉を継いだ。
「君のお母さんの父親、つまり君のお祖父さんの依頼でな」
「俺の、祖父さん……!?」
レオンは唖然とした。
祖父母はどちらも自分が産まれる前に亡くなったと聞いていたのに、生きていたとは。
「そうじゃ、君のお母さんはちょっとした資産家の娘でな。妻を早くに亡くされ、子供は君のお母さんだけだったようで、かなり溺愛されていたようじゃな。
それで当時身寄りがない上に、駆け出しのポケモンブリーダーだった君のお父さんとの結婚を反対されたんじゃ。
まあ、親としては愛する一人娘の将来を託すには不適当じゃと思ったのじゃろう。
そこで結婚に反対された君のお母さんは、駆け落ち同然に家を飛び出したのじゃ。
娘に捨てられたと思った君のお祖父さんは深く悲しみ、君のお母さんを恨んで勘当してしまったらしいんじゃな。
じゃが、病気になって余命幾許もなくなった時、最期に一目だけでも会いたいと思い、友人でもある弁護士のゴトー氏に娘を捜してくれるように頼んだのじゃ」
「………」
「じゃが、捜してみると君のお母さんは既に事故で亡くなっておって——」
「事故…!?」
あれは自殺じゃなかったのか?
「うむ、氏が調べたところによるとな」
自分の言葉に疑念の声を上げた少年に、ローガンはその根拠を口にする。
「自殺との説もあったんじゃが、詳しく現場検証をした結果、どうもそう断言できなかったそうじゃ」
二人が飛び降りたと思われる海岸際の崖上の遊歩道の一部が、前日まで続いた雨で地盤が緩み、広範囲に渡って崩れていたのである。
それで二人は足許が崩れて海に堕ちた可能性も出て来て、一概に自殺とは言えなくなったのだ。
「普通飛び降り自殺する者は、靴を脱いでするじゃろう? 君のご両親はちゃんと靴を履いていたようじゃしな」
確かにレオンの記憶の中でも、海岸に打ち上げられていた両親は靴を履いていた。
だが、それだけではレオンは納得できなかった。
「じゃあ、なんで親父達はまだ規定の年齢になっていなかった俺を、無理してまでトレーナー登録したんだ!?」
そんな事をしなくとも後数か月もすれば誕生日を迎え、規定年齢になったというのにだ。
両親がわざわざ遠方にあった協会本部にまで行って協会の人達を説得し、まだ規定年齢に達してなかった息子をトレーナー登録したのは、自分達がその時まで生きていないから。自分達が死んだ後トレーナー登録されていれば、ポケモンセンターなどの公共施設を無料で利用でき、生活に困らないからではないのか。
もっとも、
「それは、多分君のポケモン達の事を考えてのことじゃよ」
「ブラッキー達の……?」
ピカチュウ達とじゃれ始めた黒と白の相棒達に一瞬視線を向け、レオンは怪訝そうに目の前のルナの祖父を見返した。
「協会の規定では、トレーナーの手持ちポケモンは最低一匹ないし二匹を必要とし、どのような事情があろうとも、それらのポケモンはトレーナーから取り上げる事は出来ない——とされておるんじゃ。手持ちのポケモンが一匹もおらんでは、トレーナーとはいえんからのう」
ローガンは協会の規定を
バツが悪そうに思わずルナは首を竦め、視線を逸らす。
「当時、君のご両親は借金の返済の為に、家屋敷にポケモン達まで全て手放さなくてはならなくなっておった。当然君のポケモン達も例外ではない」
つまり、レオンが登録して正式なトレーナーになっていなかったら、まだ生まれていなかったブラッキー達も、あの黒づくめの男達に取り上げられていたのである。
「おそらく君のご両親は、君の為にせめてその二匹だけは、手元に残してやりたかったんじゃろうな。
——まあ、結局のところ、君のご両親の死は目撃者が誰もおらんかったので、本当の処はどうなのか判らんが、一応事故として落ち着いたようなのじゃ」
話を聞いて茫然とする少年にそう結論を言うと、ローガンは話をさっきの続きに戻した。
「とにかく、ゴトー氏がそれを知り、娘夫婦の遺骨を受け取りに行った時には、残された君は既に行方が知れず、生死さえ判らなくなっておったんじゃ」
「それで、そのゴトーさんは捜索願いを出したのね」
「そうじゃ」
子供の行方を捜し、あちこち手を尽くして漸くゴトーは、亡くなる前に両親がその子を協会のトレーナーとして登録していたのを突き止めた。
そこで事情を説明して問い合わせたところ、ポケモンセンターの利用者リストの中にレオンの記録があったのを見つけたのだ。
だが、その記録からは生存は確認できたものの、居場所を特定する事ができなかったのである。
「なにしろレオン君は神出鬼没での。一度利用したポケモンセンターは二度と使わんし、幾つもの地方に渡ってかなり広範囲のポケモンセンターを使っておったんじゃよ」
レオンは
ただ、彼等に見つかるのを恐れて二度とそこへは立ち寄らなかったのだ。その上デジタスに裏技回復法を教えて貰ってからは、ますます行かなくなっていた。
これではこの地方にいるらしいと判っても、何処に居るか判らないわけである。
「ところがじゃ、最近になって君がこのオーレ地方のポケモンセンターを頻繁に利用するようになったので、ゴトー氏は今度こそ君の居場所が判るに違いないと、人を使って調べようとしていたらしいのじゃ。
そこへ、君の捜索願いの事を知ったわしが協会経由で連絡を入れてな、氏から詳しい話を聞いたという訳なんじゃ」
さっきも彼と連絡を取る為にポケモンセンターに行って来たのである。家の電話を使わなかったのは、きちんと話す前にその話をレオンに聞かれたくなかったからだ。
勿論村人にもこの事は言っていない。言うとしてもレオンに全て話してからだと。
そこまで話すとローガンは口を閉ざした。黙って話を聞いていた少年を窺い見る。
レオンはただ黙したまま、何の反応も示さなかった。
隣でルナが気遣わしげな視線を向ける。
そんな二人を見やり、ローガンは最後にゴトー弁護士の意向を伝えた。
「ゴトー氏はとても多忙な人でな、どうしても時間が取れず君に会いにここまで来られんのじゃそうじゃ。
それで、すまないが君に自分の所まで会いに来て欲しいとの事なんじゃが。勿論今回の件が全て終わってからでいいんじゃ」
そう言ってローガンはテーブルの上に、ゴトー弁護士の連絡先の住所と電話番号を控えたメモを置いた。
そのメモを暫くじっと見詰めていたレオンは、それを掴むといきなり握り潰した。
「レオン!?」
「…——俺は、行かない」
「どうして、レオン? 折角お祖父さんが生きているのが判ったのに」
「俺には関係ない」
「そんなっ、お祖父さんはもう余り長くはないんでしょっ。今会わなければ二度と会えないかもしれないのよ。本当にそれでもいいの?」
「いや——」
レオンを説得する孫に静かに首を横に振り、ローガンはチラリと押し黙る少年を見やって言いにくそうに言葉を継いだ。
「レオン君のお祖父さんは、もう亡くなっておるんじゃよ。四年も前にな」
「うそっ……」
祖父の言葉にルナは思わず絶句し、慌てて問い質した。
「じゃあ、なんでその人はレオンを捜していたの!?」
「それが遺言だからじゃよ。レオン君を捜し出して、娘の代わりにせめて孫に自分の遺産を渡したいという。
ゴトー氏は独りで淋しく死んでいった友人の、その最期の願いだけでも叶えて上げたいと思ったんじゃ」
「そんなもの、俺には関係ない事だっ」
もうたくさんだと、レオンはテーブルに握り潰した紙を叩き付けて立ち上がり、そのまま居間を飛び出した。
その後を追ってブラッキーとエーフィも走り去っていく。
「レオン、待ってっ」
「待つんじゃ」
慌てて後を追おうとしたルナを、ローガンが止める。
「今は一人にさせてやった方がいいじゃろう」
「でも——」
祖父の言いたい事は分かる。レオンも急に色んな事を聞かされて混乱しているだろうし、心の整理を付ける為にも独りになりたいだろう。
けれど、それでもルナは——
「あたし、やっぱり行ってくるわ」
ピカチュウ達をボールに戻し、ルナは身を翻して外に出て行った。
仕方なさそうにローガンは嘆息し、テーブルの上に残る握り潰されたメモに目をやった。