まるでルナから逃げるように早足で石畳を抜けると、レオンは出口に続く洞穴の手前で漸く足を止め、片手で赤く羞恥に染まる顔を覆って嘆息した。
さっき自分の頬に触れたルナの手の
あの日から誰にも心許さず、頼る事もせずに生きてきた自分が、こんなにも脆かったのかと思うと情けなかった。
——あいつが俺に手を貸してくれるのは、俺が誰よりも強いと思っているからだ。
こんなにも無様すぎる姿、もうルナに見せる訳にはいかない。
思いっ切り両頬を叩いて気を引き締め直し、レオンは洞穴を抜けて聖なる森を後にした。
用を済ませ、ポケモンセンターからここに戻るまでに、さっきの事から意識を切り変えてきたレオンは、祠に着くと同時に早速ボールからダークポケモンを出す。
モンスターボールから
それが消えた後には、白い石畳の上に背中に四枚、尻尾に二枚の黒い縁取りのある菱形の薄羽根を持ち、黄土色の胴体に四本の足と頭に二本の触角がある体長一メートル強のポケモンが姿を現わした。
土色のずんぐりとした体に頑強な顎を持つ、地面タイプのナックラーの進化形のビブラーバだ。進化した事で素早さが格段に上がり、ドラゴンタイプが追加されて地面タイプの弱点技に耐性が付いた反面、氷タイプ技に極端に弱くなっている。
このダークポケモンは例の研究所でバトルしたシャドーの戦闘員からスナッチしたポケモンの一匹だ。
ビブラーバを祠の脇に立たせ、ルナから石板を貰うとレオンは祠に手を触れる。
じんわりと滲み出る淡い緑色の光がビブラーバを包み込み、パッと眩い光を放って弾け飛んだ。
途端にビブラーバの周囲に猛烈な風が湧き起こり、その体を包み込んで行く。
「な、なに!?」
風圧が凄く、とても目を開けていられない。
慌ててルナは抱えているブラッキー達を庇い、体ごと顔を背ける。
「多分進化するんだ」
このビブラーバはハイパー状態に殆どならず、リライブ完了直前まで持って行くのにかなりバトルをやり込んでいた。その間に色々と鍛えられ、リライブが完了した今止まっていた成長が急激に進んだのだ。
激しく逆巻く風の中に閉じ込められ、姿が全く見えなくなったビブラーバはその中で更なる進化を遂げていく。
それにつれて大きく膨らんでいく逆巻く風の球は、極限まで膨らむとパンっと弾けるように四散した。
その風に
ビブラーバが進化して最終進化形になったフライゴンである。
体長は二メートルにも達し、背中と尾の先にある菱形の薄羽根の縁どりは黒から赤に変わり、体色が薄緑色に変化していた。長くしなやかな尾は緑と薄緑の縞模様になっていて、頭の後ろに反りかえるように触角が長くなり、小さな瞳は赤い透明な膜で覆われている。
しかし、この懐きようはなんなのだろうか。確かにリライブしたダークポケモン達は皆レオンによく懐いていたが、まるで二度と離れたくないと言わんばかりに尻尾までレオンの体に巻き付け、背後霊のようにピッタリと張り付いて、すりすりと顔をすり寄せているのだ。
それを見たエーフィとブラッキーがルナの腕から強引に飛び降り、新参者のフライゴンに対抗意識を燃やし、負けじとレオンの気を引く様に甘えた声を出して体をすり寄せる。
「なんなの、これ」
レオンにあんなにぴったりくっついて、ちょっと懐き過ぎでしょ。
「こいつは一度、助けた事があったからな」
バトル山での修行ついでのリハビリバトルで、ビブラーバが受けた相手の技が思いのほか威力があり、吹っ飛ばされて浮遊ブースから落ちそうになった事があったのだ。
勿論そういうバトル中の事故を考慮して、バトル山では各ブースにケーシィを待機させ、そのような場合速やかにブースの上にテレポートさせるようになっていた。
ダキム達が襲って来た時、傷付いて動けないトレーナー達をテレポートで宿泊施設まで運んだのもこのケーシィ達だった。それであの時浮遊ブースにケーシィ達は居なかったのだ。
セネティの場合は、ダキムが逃げられないように先にケーシィを倒していたからだ。
バトル山に平穏が戻り再びケーシィ達が待機するようになって、心配なく修行できるようになっていたが、ビブラーバが浮遊ブースの外に投げ出された時、レオンは考えるより先に体が動いてしまっていた。ブースから飛び出たビブラーバの体を抱き止め、危うく一緒に落ちるところだったのである。
どうやらフライゴンはその時の事を憶えていたようだ。身の危険を顧みずに自分を救おうとしたと
それ以外にもダークポケモンにされ、自ら不調を訴える事のできない自分を気遣い、色々と事細やかに世話をしてくれた。
それでリライブした今、心のままにその感謝の念をこうして示しているわけだ。
「もう判ったから。おまえは進化したてなんだ、ボールの中で休んでいろ。——おまえ達もだ」
しっかりと自分にしがみついて離れないフライゴンをボールに戻し、レオンは足許で何時も以上に甘える二匹にふっと笑みを零した。
——ルナの言う通りだ。こいつらが何時も一緒に居てくれたから、俺は今まで絶望せずに生きてこられたんだ。
二匹の頭を優しく撫でながらそれを噛み締めてボールに戻すと、レオンは残りのダークポケモン達を出しては祠から湧き出る淡い緑の光を浴びせ、完全にリライブさせていった。
そして、最後に残った三つのボールからポケモンを一度に祠の前に呼び出した。
エンテイ、スイクン、ライコウの三匹である。
共に二メートル前後もある威風堂々としたその姿は、流石に伝説のポケモンと
ルナはゴクリと唾を呑み込んで、伝説のポケモン達を眺めやった。
「なんだか、三匹揃うと凄い迫力ね」
「そうだな」
本来ならばそれぞれ自由に大自然の中を駆け回り、こんな風に揃うことは殆どないだろう。
中々心を開いてくれなくてリライブが進まず、苦労したバトル山での日々を思い起こし、レオンは感慨深げにエンテイ達を見上げた。
だが、リライブ完了寸前まで心が開いているにも関わらず、三匹の瞳には感情らしきものは何も窺えず、冷ややかに目の前に立つ人間達を見下ろしているだけだった。
レオンはまずエンテイを呼んで祠の脇に立たせ、そこから湧き出て来る淡い緑色の光を浴びせさせた。
緑色の光がじわりと黒いオーラごとエンテイの全身を包み込んだ次の瞬間、光と共にエンテイの体から黒々と噴き出していた黒いオーラが弾け飛ぶ。
心の
「エンテイ、少し向こうで待っててくれ」
そう言うと、レオンは次にスイクンを呼んだ。
同じようにスイクンをリライブし、残るライコウにも同じようにする。
リライブが完了した三匹はお互いをチラリと見やり、それから現在自分達のトレーナーになっている少年を黙然と見やる。
その表情は、心を解放されて尚束縛を受けている今現在の境遇に不満を持つ者のそれで、喩え自分達のトレーナーであっても従うつもりはないという、誇り高い強い意志のようなものが感じられた。
「エンテイ、スイクン、ライコウ」
レオンは威圧的なまでの存在感のある三匹に臆することなく、静かに呼び掛けた。
「俺は今、おまえ達を捕まえて無理矢理心を閉ざし、戦闘マシンのようにおまえ達を使役していたやつらと戦っている。二度とポケモン達をそんな目に合わせない為に。
それで、できればおまえ達にも力を貸して欲しいと思っている。
だが、おまえ達はシャドーのやつらに、
そんなおまえ達に、俺は無理強いしたくはない。だから、俺に力を貸すかどうかは、おまえ達が決めてくれ。
もしおまえ達が望むなら、今ここでボールから解放してもいい」
「ちょ、ちょっとレオン」
その言葉にルナは慌てた。
伝説のポケモンならば、シャドーと戦う戦力としてこれ以上のものはないのに、折角苦労してスナッチした彼等を逃がしてしまうなんて。
「まだスナッチしなくっちゃいけないダークポケモンは一杯いるのよ。それに、最強のダークポケモンだって——」
「いいんだ」
「伝説のポケモンは本来ゲットしていいもんじゃない。セレビィのようにな。それにこいつら自身、このまま
レオンにそう言われ、改めて三匹を見返したルナは、余りにも静か過ぎる伝説のポケモン達に言い知れぬ恐怖を感じ、思わずレオンに身を寄せる。
祠の光を浴びてリライブを完了したポケモン達は、さっきのフライゴンのように皆嬉しそうにレオンにすり寄るのに、エンテイ達は冷ややかに目の前の少年を見据えたまま、リライブして貰っても喜ぶそぶりさえないのだ。
彼等にとって、自分達のトレーナーになっているレオンも、卑怯な手段によって自分達を捕えた
だが、同時に彼等は、この少年があの卑劣な人間達から自分達を救い出し、心に掛けられた黒い呪縛から解放してくれた事も解っていた。
だからエンテイ達はずっと窺っていたのだ。この少年が自分達をどうするつもりなのか。それを見定めた上で自分達の態度を決めようと考えていたのである。
「ここにおまえ達のボールがある。自由を望むなら、これを壊せばいい。それでおまえ達を縛るものはなくなる」
レオンは石畳の上に、それぞれをスナッチした三つのボールを置いて、全てを彼等に委ねた。
のそりと、一歩ライコウが前に出た。
暫しレオンを見据え、そして足許にある自分を捕えたタイマーボールを見やると、
視線で目の前の少年に手を出すよう促す。
促されるままレオンが手を差し出すと、ライコウはその上に咥えていたボールを落とした。
そして、おまえ達はどうするという風に他の二匹に振り返る。
それに応え、エンテイが前に出た。
自分のボールであるハイパーボールを口に咥え、ポトリとレオンの手の中に落とす。
最後にスイクンがすっと二匹の脇に並び、残ったネットボールを咥えると、同じく少年の手に乗せた。
それは、レオンを自分達のトレーナーとして認め、それに従うという意思表示に他ならなかった。
「本当にいいのか、おまえ達……」
バトル山でリライブさせる為のバトルで、この三匹は心を開くにつれ、段々指示に従わなくなり、最後にはハイパー状態でなくとも言う事を聞かない事がしばしば起こったのである。
元々野生ポケモンの上に伝説のポケモンだけあって誇り高く、人間を見下し、そんな奴に従えないという態度を、エンテイ達は一貫して取り続けていたのだ。
いくら強いとはいえ、そんな彼等をバトルに使った処で、かえって他のポケモン達との連携を乱し、足を引っ張る事になりかねない。
だからこそ、レオンは彼等自身に身の振りを決めさせたのだ。多分逃げるだろうと思って殆ど期待してなかっただけに、エンテイ達のこの決断は本当に意外だった。
エンテイ達は驚いて自分達を見上げる少年に、ふっと表情を和らげて応えると、自らの意志で各ボールの中に戻っていった。
「良かったね、レオン。また頼もしい仲間ができて」
「ああ……」
まだ信じられないが、手の中のボールはそれぞれ確かにエンテイ達の気配と温もりが感じられた。
新たに強力な仲間を得、二人は聖なる森を後にした。