レオンが茶色の前髪に青いメッシュの入った少年——マーカスと出会ってから半年程が過ぎていた。
面倒見のいいマーカスは、幼いレオンに仲間と共にストリートで生きる為の様々な
最初は何が何だか訳が分からず、マーカス達に引っ張り回されて右往左往していたレオンだったが、その仲間との騒がしくも
「何時もすまねぇな、レオン」
「ううん、ボクにはこれしか出来ないから」
今日ストリートで稼いできた金を全部マーカスに渡し、レオンははにかんで微笑んだ。
街が大きくなれば、どうしても一定数社会からはみ出し、ストリートなどで暮らす者達が出て来る。理由は様々で、その者達全てを取り締まり、保護又は排除する事は出来なかった。それで犯罪に走られるよりは仕事を与えた方がいいとの考えで、この街ではストリートで暮らしている者達にも、日々の日銭を稼げる程度の仕事は結構あった。
もっともストリートの子供達が働くとなると、大人でも嫌がる汚くて辛い仕事が多く、体力もない上に
とはいえ、何もしないで暮らしていける程ストリートは甘くはない。そこで唯一自分に出来るストリートバトルでレオンは金を稼ぐようになったのだ。
はみだし者の自称トレーナー達の中でも特に幼い少年が、二匹のイーブイを使ってストリートでポケモンバトルする姿は、瞬く間にこの界隈で有名になり、しかも負けず知らずとあって挑戦して来る者が後を絶たなかった。
腕に自信のある挑戦者とのバトルは実入りがよく、レオン達の暮らしも次第によくなって、何時の間にかマーカス達はこの一帯を縄張りにし、仲間も増えた。
マーカスは金を受け取ると、その一部をレオンに返して言う。
「これで、イーブイ達に何か美味しいもんでも食わしてやれ。ただし、他の連中には内緒な。あいつらうるせぇから」
一応他の連中も色々仕事をして細々と稼いでいた。それらの稼ぎを共同生活する仲間全員の為に、リーダーのマーカスがとりまとめて使うようにしていた。そうする事でその時稼ぎが少なかった者も、なんとか飢えずに安心して暮らしていけるのだ。いくら自分が稼いだ金だからと言って、そこに個人が勝手に使っていい金はなかった。
もっとも一番の稼ぎ頭であるレオンの相棒達が、バトルで怪我をした場合などの治療費は別だ。イーブイ達が戦えなくなると、困るのは自分達だからだ。
だが、それ以外に関しては仲間の目は厳しかった。日々の楽しみの自分達の食い扶持が少しでも減るのは誰だって嫌なのだ。
「うん、ありがとう」
それを受け取り、レオンがズボンのポケットにしまった時、根城にしている廃工場の扉が軋んだ音を立てて開いた。
「おい、レオン。おまえに客だ」
「ボクに客?」
「どうした?」
渋面を作って言う黒帽子を被った少年にレオンは怪訝な顔をし、マーカスは眉間に
「ああ、マーカス。この間バトルしにここまで押しかけて来たゼイビルってヤツ覚えているか?」
「……ああ」
その日のバトルを終わらせてここに戻って来たレオンを待ち構え、バトルを吹っかけてきた奴だ。散々バトルをやって疲れたレオンとイーブイ達相手なら勝てると思ったのだろう。
だが、結果はボロ負け。奴は手も足も出なかった。それなのに、卑怯だ。インチキだ。こんな事有り得ないと訳の分からない事ほざいた挙げ句、詫びて金を寄越せと要求してきたのだ。
当然そんな狂人の
最後に奴は「覚えてろっ」と負け犬の常套句を吠えて何処かへ行ってしまったのだが。
アレがまた来たのかと思うと、確かに渋面を作りたくもなる。
「しゃあねぇな。レオン、疲れてるところ悪いが、また相手してやってくれ」
ハーっと溜息をついてマーカスが言うと、知らせに来た黒帽子の少年は慌てて言葉を継いだ。
「いや、それが、やつだけじゃないんだ。もう一人いるんだよ」
「もう一人?」
「ああ、とにかく来てくれ」
黒帽子の少年に促され、レオンとマーカスは廃工場の外に出た。
そこに二人の若者がいた。どちらもマーカス達より年上の二十歳過ぎた男達だ。その内の若い方、神経質そうな
「イートンの兄貴。あいつだ。あいつが卑怯なテを使ってオレの勝ちを奪ったんだ」
レオンを指差し、ゼイビルは唾を飛ばして兄貴と呼んだ、赤紫の髪の大柄な若者に訴える。
「何言ってやがる。レオンは正々堂々おまえとバトルして負かしただろうが」
ゼイビルの甲高い声に怯え、思わず自分の後ろに隠れたレオンを庇ってマーカスが言い返す。
その言葉に、周りにいた仲間からも、そうだそうだと声が上がる。
「うう
金切り声の一喝でそれらを黙らせ、ゼイビルは兄貴分に
「イートンの兄貴、さっさとあいつやっちゃってくれよ」
「ったく」
イートンは不機嫌そうな
「おまえがやられたと言うから来てみれば、あんなガキにだったとはな」
拍子抜けしてやる気が起きない。
「レオンを見た目で判断すると、痛い目みるのはおまえの方だぜ」
「はっ、面白い」
マーカスの忠告をイートンは笑い飛ばした。
「ジム巡りして鍛えたこのオレ様に、勝てるとでも思ってるのか」
「ジム?」
「ああ、そうよ。イートンの兄貴はな、ポケモンリーグに挑戦する為に、この地方の各地にあるポケモンジムを巡った事があるんだ」
得意げにゼイビルが自慢する。
トレーナーなら一度は夢見るポケモンリーグに挑戦するには、その地方の各地にあるポケモンジムを巡り、ジムリーダーを倒してその地方のジムバッチを八個全て手に入れなければならない。
それにイートンは挑戦した事があるというのだ。もっとも、それが今やストリートのゴロツキの兄貴分である。挑戦するにはしたが、途中で諦めたという事だろう。腕の程度は知れるというものだ。
「やれるか、レオン?」
「う、うん。頑張ってみる」
マーカスにコクリと頷き、レオンは恐る恐る前に出た。
「ふんっ、ガキだからって手加減しねぇぜ。軽く捻り潰してやる」
「レオンっ。そんなやつ、何時もの様に叩き潰せよっ」
鼻を鳴らして睨み付ける赤紫の髪の若者に身を引き気味なレオンに、マーカス達が声援を送る。
それに応えるように、レオンはイーブイ達をモンスターボールから出す。
同じくイートンも自分のポケモンをボールから出した。
イートンが出してきたのは、一匹は三メートル近い太く長い黒光りする胴の随所に黄色い六角形の模様がついたハブネークだ。鋭く長い牙と尻尾の先端が赤く輝く刃のように尖っている。
そして、もう一匹は一メートル近くある体の頭に斑の赤い花のつぼみを付け、くすんだ青い体に眠っているような顔が付いた手足の短いクサイハナだった。ナゾノクサの進化形で、半開きのタラコ唇からは常にヨダレが垂れている。
どちらも毒タイプのポケモンで、後者は草タイプも併せ持っていた。
でもレオンは、クサイハナは見た事があるが、もう一方は知らなかった。
「目の前のやつにハブネークは『ヘビ睨み』 クサイハナは『吸い取る』だ」
「ハブネークに『電光石火』 クサイハナに『体当たり』」
オスのイーブイが目にも止まらぬ速さでジグザグに動き、もう一方はその間を縫って直進し、相手が狙いを付けられないままに突撃する。
生まれた時に比べ、その動きは格段に速くなり切れがあった。
瞬く間に接近され、ハブネークとクサイハナは技を決められずにそれを喰らった。
「なるほどねぇ」
イートンは感心して口笛を吹いた。
二匹のイーブイに別々の技を覚えさせておくとは、なかなか
ポケモンと技名だけでは、どちらのイーブイが仕掛けて来るか相手には分からない。
分かるのはそれを喰らう直前だ。そうやって攪乱されて先手を取られた相手は、その対処に右往左往している内に負けてしまうというワケだ。
今も互いに目の前のイーブイが来るかと思ったら、途中で入れ替わった所為で、不意を
だが、それならそれでやりようがある。
ニヤリと笑い、イートンは余裕を持って指示を出す。
「ハブネーク、来たヤツに『ヘビ睨み』 クサイハナ、『甘い香り』だ」
「ハブネークに『秘密の力』 クサイハナに『恩返し』」
ニンマリとハブネークが笑みを浮かべた双眸に、強い光が宿る。
秘密の力を蓄え、目と鼻の先にいるハブネークに突進しようとしていたオスのイーブイはその目に見据えられ、ぞぞっと全身を総毛立たせた。
そのまま体が麻痺して動けなくなる。
一方、メスのイーブイはクサイハナに技を決めたものの、効果抜群でもない技の一撃程度では倒せなかった。
甘い香りがイーブイ達を優しく包み込む。
その匂いに当てられ、イーブイ達はクラっとなった。
そこへ——
「ハブネーク、もう一匹に『ヘビ睨み』 クサイハナは『溶解液』だ」
「躱してっ、イーブイっ!」
慌ててレオンが叫ぶが、片方は麻痺をし、もう片方は甘い香りで意識がぼうっとしている。
ハブネークがメスのイーブイを捉え、鋭く睨み付けて圧を掛ける。
途端にメスのイーブイの体に電気が走り、麻痺して動けなくなったところに、相棒共々クサイハナの溶解液を浴びてしまう。
「イーブイっ!」
「ハブネーク、近いヤツに『ポイズンテール』 クサイハナは『吸い取る』で体力を回復しな」
悲痛な声を上げるレオンを嘲笑し、イートンは悠然と指示を出す。
ハブネークの赤く鋭い尻尾が伸び上がり、真上から勢いよくオスのイーブイの体を刺し貫く。
悲鳴を上げ、オスのイーブイは倒れ込んだ。
その顔は熱に浮かされたように火照っている。今の一撃で毒に冒されたのだ。
メスのイーブイはクサイハナの放った緑の光に体力を奪われ、ガクリと膝をつく。
だが、イートンは駄目押しとばかりに再度指示を出す。
「ハブネーク、もう一方にも『ポイズンテール』をおみまいしてやれ。クサイハナもだ」
「イーブイっ!!」
一方的に痛め付けられる相棒達を前に、レオンはなす
マーカス達も何時ものように、レオンが勝つと信じて疑わなかっただけに、目の前の光景に呆然となった。
「ほら、もう一度——」
「止めてっ。もう止めてっ!!」
このままではイーブイ達が死んでしまう。
バッとバトルの只中に飛び出し、レオンは攻撃を受けるイーブイ達を抱きかかえてうずくまった。
「まだ、バトルは終わってねぇぜ」
一方的に
それにレオンは力なく何度も首を振り、ぎゅっと傷付いたイーブイ達を抱き締め、懇願するように声を振り絞る。
「止めて。お願い、もう止めてっ」
「だったら、二度とオレ様達に楯突くんじゃねぇぞ」
鼻を鳴らしてジロリとマーカス達を見やり、イートンは自分のポケモンをモンスターボールに戻した。
バトルが終わり、ずいっと、ゼイビルが前に出る。
「そうだぜ、これからはここいら一帯はオレ達のもんだからな。逆らったらただしゃおかねぇぜ」
兄貴分の尻馬に乗って調子付いて凄んでみせる。
「そんな、逆らうなんてコト、俺達がするわけないですよ」
いきなり態度をころりと変え、媚びるようにマーカスがそれに応える。
「大体、ゼイビルさんに恥をかかせたのはレオンで、俺達はただあいつに従ってただけなんですよ」
と、全ての責任をレオンに押し付けた。
それを耳にし、レオンは茫然とマーカスを見る。
あの時、バトルに応じて思い知らせてやれと自分に言ったのも、その後ゼイビルをボコって有り金全部巻き上げたのもマーカス達なのに。
「ほら、この通り、あいつが稼いだ金全部差し上げますんで」
マーカスは懐に手を入れ、さっきレオンが渡した今日の稼ぎの入った財布をゼイビルに渡す。
「ま、待って。それはイーブイ達の治療代——」
「なに言ってんだよ。おまえ負けたんだろ」
慌てて言い掛けたレオンに、マーカスが冷淡に告げる。
向けられた瞳には、蔑みの色がありありと浮かんでいた。
「あ……」
いつも「イーブイ達が怪我したら、治療費くらい幾らでも出すからな。遠慮なく言えよ」と言ってたのに……
信じられない思いで周りを見ても、仲間だった皆も同じような冷たい目を向け、誰一人レオンに手を差し伸べる者はいなかった。
「ほら、さっさとポケモンセンターに連れてったらどうだ? でないとそのイーブイ、死んじまうかもなぁ」
「っ!!」
イートンの
確かにあそこなら無料でポケモンを治療してくれる。
レオンも最初はポケモンセンターを利用していたのだが、それが原因で
でも今は迷っている暇はない。
よろけるように立ち上がると、レオンは毒に冒されボロボロに傷付いたイーブイ達を抱きかかえて走り出した。
その背にイートン達だけでなく、マーカス達の嘲笑の声が追い打ちをかける。
レオンはそれらを振り切って裏通りの複雑な路地を抜け、表通りにあるポケモンセンターに駆け込んだ。
「お願いっ、助けてっ! イーブイ達を助けてっ!!」
カウンターに抱えていた二匹を横たえ、必死の形相で訴える。
「これは——」
余りにも酷い状態の二匹に、女医は顔色を変えて絶句した。
「すぐに集中治療室の準備をっ」
慌てて助手のポケモンに指示を飛ばし、イーブイ達を預かると急いで集中治療室へと連れて行く。
レオンもその後に付いて行き、廊下からガラス越しに治療の様子を見守った。
手厚く女医が治療を続けるが、イーブイ達が負った怪我や毒の影響も酷く、思うように回復してくれない。
女医が
——イーブイ、パパ達みたいにボクを置いて
ずるずるとその場にうずくまり、レオンは誰にともなく祈った。
家が無くても家族三人いつも一緒だよと言った両親も、俺達は仲間なんだから何時だって一緒だと言った、あの優しかったマーカス達も、もう誰一人傍にいない。
再び全て失ってしまったレオンにとって、イーブイ達だけが手元に残された唯一のものなのだ。それなのにイーブイ達が死んでしまったら、また独りになってしまう。
それからどのくらい時間が過ぎたのか、感覚の麻痺したレオンには分からなかった。
すっと集中治療室のドアが開く。
ハッと顔を上げると、女医が優しく微笑んで立っていた。
「もう大丈夫ですよ。後は安静にしてゆっくりと休ませれば、イーブイ達は元通り元気になりますよ」
「あ……ありがとう…ございます」
涙で濡れた頬を微かに緩め、喉を詰まらせながらも女医にお礼を言うと、レオンは集中治療室から出され、別のベッドに眠っているイーブイ達の許に急いだ。
苦しそうにしていた顔が穏やかなものとなり、スヤスヤと二匹は眠っている。
それを見てホッとレオンは安堵の息をついた。
「先生、お客様がお見えです」
ポケモンセンターのスタッフの一人が、廊下に居た女医に声を掛ける。
「例の
「判りました。すぐに行きます」
チラリと治療室の少年に視線を向け、女医はスタッフと共にセンターのロビーへと向かう。
レオンはそれを見ると、傍にあったイーブイ達のモンスターボールを取って、眠っている二匹をボールに戻し、そっと廊下の様子を窺った。
さっき「ホーム」という言葉が聞こえたのだ。
やっぱり見つかってしまった。早く逃げないと捕まってホームに入れられ、イーブイ達と離れ離れにされてしまう。
折角二匹が助かったのに、そんなのは嫌だ。
レオンは近くに誰も居ないのを確認すると、裏口に向かった。
鍵を開けて外に逃げ出し、ただひたすらポケモンセンターから遠ざかる。
でも、もうあの廃工場には戻れない。イートンに負けた自分を、マーカス達は見限ったのだ。あそこには既に自分の居場所はなかった。
「どうして……」
どうして、何時もボクだけこんな目に遭うの……
あの時、あの男達が来て、たった一週間で家も両親も、イーブイ達以外の全てを失った。そしてまた、イートンに負け、手にいれたと思っていたものを全部失った。
信じていた人達に裏切られ、何もかも奪われた。
『なに言ってんだ。おまえ負けたんだろ』
頭の中に、マーカスの言葉が木霊する。
だから、お前は奪われても文句を言う権利はない。そんな当たり前の事も分からないのか——と。
マーカスが、仲間だった皆が自分に向けた蔑みの目はそう物語っていた。
全部負けたお前が悪いのだと。
——もう嫌だ。こんな思いをするのは。
負けたのが悪いというのなら、強くなる。大切なものを二度と奪われないように、誰よりも強くなってやる。
琥珀色の瞳に滲む涙を拭い、レオンは手に持つモンスターボールを強く握りしめた。
その日を境に、レオンはこの街から姿を消した。