二人が出た所はアンダーの町の外れ辺りで、岩壁に沿って建物一階分程の高さに組まれた広い通路のような足場の上だった。
そこから見えるアンダーの町は、
それだけ見ればとても地下とは思えない。狭い通りにはそれなりの人の姿も見え、まるで都会の夜の繁華街の様である。
「腕、放してくれ」
ここから先は何があるか分からない。腕にしがみつかれたままでは、いざという時すぐに対応できない。
「え? あ、ゴメン」
レオンに言われ、呆然と町を眺めていたルナは慌てて手を放した。
——さて、どこから探るか……
そう思案しながら、足場の縁に立ってレオンが町並を見渡していた時だった。
いきなり頭上からリズミカルな音楽に合わせ、やけにハイテンションな女の声が降って来た。
『皆様こんにちはっ。今日もアンダータイムの時間がやってまいりましたっ!』
何事かと二人が頭上を振り仰ぐと、エレベーター脇にある街頭スクリーンにマイクを持った黒髪のショートヘアの女の姿が映し出されていた。
『それでは皆様、お待ちかねのあの方をお呼び致しましょう。ヴィーナス様どうぞ~っ!』
テンション高めのままノリノリでそう言うと、さっと画面脇に引っ込む。
すると、その後ろから別の女性が現れ、すかさずその姿がアップになって映し出される。
顔の下半分は淡いピンク色の紗のベールで隠し、肩に掛かる栗色の髪は先を縦ロール風にカールしている。背中には金ぴかの三日月を横にしたような装飾品を背負い、ピンクと白を基調にして一見清楚に見えるが、何処かズレた少女趣味丸出しのドレスを身に纏うド派手な感じの美女である。
「なに、あれ?」
ちょっとついていけない女の恰好に、ルナは眉を
そんな少女の呟きなど聞こえないド派手美女は、スクリーンの中で愛想と色気をたっぷりと振り撒いている。
『は~い、皆様~っ。皆様のヴィーナス、そして貴方のヴィーナスよォ! 今日は皆様に重大なお知らせがあるの』
ド派手美女は甘ったるい声を出して何時もの挨拶をした後、形の良い眉を寄せて言葉を続けた。
『な~んて事かしら、このアンダーにスパイが入り込んだらしいのよ。詳しい事はまだ判っていないけど、
甘えるような
『はーい。ヴィーナス様でしたっ! それでは皆様、またお会いしましょうっ!』
最後まで元気よく番組を締め括り、そのままスクリーンがブラックアウトする。
「ウソ~、もうあたし達の事が、もがっ——…」
「気を付けろ、誰が聞いてるか分からないんだ」
小声で注意しながら周囲を見回し、付近に人が居ない事を確認してレオンはルナの口から手を離した。
「そ、そっか……」
ここはもうシャドーとの関係が疑われる町の中なのである。スパイの情報提供を呼び掛けていたさっきのド派手美女も、多分組織の人間なのだろう。
それなのに自分達が侵入した事が、もうバレてしまっているのだ。
「行くぞ」
「あっ、待って」
レオンはすぐ近くにあった階段を降り、その脇にあるフレンドリィショップの中に入った。
店内は意外と広いものの、色々な物が雑然と置かれて薄汚れていた。
レオンは端から順番にゆっくりと棚を見て回り、幾つか品物を取ってレジに持って行くと、それらを購入する。
そして、そのまま外に出て、さっき降りて来た階段の下に潜り込んだ。
「こいつを頭に被って、これを掛けろ」
レオンは買ってきた物を、何をするのか分からないまま後を付いて来たルナに手渡す。それは、赤いバンダナと丸い色付きレンズのメガネだった。
一応自分達はシャドーのお尋ね者だ。とはいえ、出回っていたファイルに添付されていた写真はピンボケで、パイラの時も殆どの連中がダークポケモンを見分けたり、スナッチしなければ、自分達がそうだとは誰も分からなかった。
今回は敵情視察をするだけだ。こちらがそれらの能力を見せなければ、バレる事はないだろう。そう思って特に何もしないで来たのだが、まさかルナが自分から素性をバラすような事をポロリと口走る考え無しだとは思わなかった。
こうなると何時ボロが出て、アンダーの住人じゃないとバレるか分かったものではない。だからそうなった場合、せめてお尋ね者だと知られないように、多少顔が判らないようにしておいた方がいいと思っての事だ。
髪を結んでいたゴムを取って赤いバンダナを被り、メガネを掛けただけでもルナの印象は大分変わった。
レオンも頭に乗せておいた幅広のゴーグルをして顔を隠す。とても変装とは言い難いが、ただそれだけでも素顔を
準備が整った処で、二人は階段下から出た。
その途端、丁度フレンドリィショップから出て来た女に、いきなり指を突き付けられた。
「アンダーに侵入したスパイって、ズバリ、あんた達だろっ!」
「え、ええ~っ」
「俺達の何処がスパイだと言うんだ?」
変装したのにもうバレたのかと驚きの声を上げるルナの前に出て、レオンは反対に問い返す。
凄むように訊き返され、女は思わずたじろいでパタパタと手を振った。
「い、いやまぁ、ちょっと言ってみただけで、あんた達がスパイだなんて思ってないよ。うん」
「ならいい」
慌てて誤魔化す女に冷然と言い捨て、レオンはルナの腕を掴んでさっさとその場を立ち去る。
「何を言われても
「う、うん……」
「それと、プラスルを出して離れていろ」
そう言うとレオンは足を止め、狭い通り一杯に並んでこっちに近づいて来るゴロツキ風の若者達に目を向けた。
レオンより二つ三つ年上の二十代前半の若者達は、二人の通り道を塞ぐように立ち止まると、ニヤニヤと笑みを浮かべながら声を掛けてくる。
「おい、おまえトレーナーだろ?」
「ああ」
「じゃあ、ちょいとオレ達と遊んでくれよ。今強いヤツは皆エクロ峡谷に出払っちまって弱いヤツしか残ってねぇから、つまらなくてよぉ」
と、ゴロツキの一人がモンスターボールを手に取ってニヤリと笑った。
それに、レオンは無言で応えた。
「ヴィーナスよ、そちらの様子はどうだ」
レオン達二人が町中でゴロツキ達に絡まれている丁度その頃、アンダーの建物のある一室では、壁のスクリーンに映った長い銀髪に赤い瞳を持つ男が、その前に立つ先程街頭スクリーンに顔を出したド派手な美女ともう一人、青いラインの入った裾の長い白のコートを着た黒髪の長身の男を、腕を組んで冷ややかに睥睨していた。
「ネズミがチョロチョロ舞い込んだみたいだけど、大丈夫よジャキラ様。すぐに捕まえて、ギッタギタのプッチプチよ、うふふっ……」
それを妄想してヴィーナスは恍惚とした表情で嬉しそうに応える。
「……ま、いいだろう」
一瞬何とも言えない顔をしたジャキラは、気を取り直して言葉を継ぐ。
「ダークポケモンを配る方もしっかりとな。そしてボルグよ。おまえは例のダークポケモンの完成を急ぐのだ」
「ははっ! お任せください、ジャキラ様」
尊大な口調で言うジャキラに、ヴィーナスの隣に控えていた黒髪の男が、姿勢を正して自信満々に請け合う。
「ゴロツキどもから集めたダークポケモンのバトルデータも既に充分。我が傑作……、史上最強のダークポケモンを間もなくお届け致しましょうっ!」
「うむ、わたしも楽しみにしている。ではな」
そう言うと、ジャキラはスクリーンから姿を消した。
「さてと、私は研究所に戻って最後の仕上げにかかるが、おまえはどうする?」
「わたくしはスパイの情報待ちよ。さっきアンダータイムで町の皆にお願いしたから、捕まるのも時間の問題よ、うふふっ……」
ボルグの問いに、ヴィーナスは網にかかった哀れなスパイの姿を想像し、うっとりとした表情を浮かべて嬉々とした声で応える。
さっきジャキラに言ったように、本当にギッタギタのプッチプチにするつもりなのだろうか。女らしさを強調したドレス姿の外見に似合わず、敵をズタボロに叩きのめす事に喜びを感じる、ちょっと危ない趣味の持ち主なのかもしれない。
「まあ程々にな。口が聞ける程度の体力は残しておけよ。何処のスパイか判らないのでは、捕まえた意味がないからな」
何処か疲れたような息をついてそう忠告すると、ボルグは部屋の奥にある階段を降りて行った。
壁に古ぼけたポケモンの絵が飾ってある薄暗い通路を通り抜け、行き止まりの脇にある扉を開けてその向こうに控えていた白衣を着た眼鏡の男に声を掛ける。
「研究所に戻るぞ」
「はっ」
白衣の男は短く返事を返し、自分の前を通り過ぎてホールを横切り、別の通路に向かうボルグの後に付き従った。
「もう終わりか?」
がっくりとその場に膝をついて
「くっそぉっ、弱そうなガキだと思って声掛けたのによ。まさかコロシアムの優勝者だったとはな」
「え? それって——」
「強さに外見や歳は関係ない」
男の言葉に思わず声を上げたルナの言葉を遮るようにレオンが言う。
「ああ、今のバトルで骨身に沁みたぜ」
よっこらしょと立ち上がって、男は肩を竦めた。
「今回のコロシアムは、強い奴は殆どいねぇから楽勝だと思ってたのによ。景気づけにやったバトルがこれじゃ、縁起が悪すぎるぜ」
そうぼやいて男は仲間と共に去って行った。
それを見送るとレオンはルナの腕を掴み、近くの店の間にある狭い路地に彼女を引っ張り込んだ。
「ここではもう、おまえは何も喋るな」
「どうして?」
唐突に喋るなと言われ、ルナは目を丸めた。
「おまえ、さっきあの男に俺が何故コロシアムの優勝者だと思ったのか、訊こうとしただろう」
「ええ」
レオンは一度パイラのコロシアムで優勝した事があるが、それが初対面のあの男に判るわけがない。それなのにバトルをしただけで何故判ったのか、不思議に思ったのだ。
「ここで当たり前に通っている事を知らないのは、
それを訊くという事は、わざわざ相手に自分は余所者だと教えてやるようなものである。迂闊にも程がある。
「ご、ごめんなさい」
レオンに指摘され、ルナは自分が不用心だった事に気付いてしゅんとなった。
「じゃあ、行くぞ。俺から離れるなよ」
路地を出ると、レオンはしょんぼりしているルナを連れて町の中を探索し始めた。
あのアンダータイムの所為で、町の中は今や疑心暗鬼に満ちていた。自分以外の誰もが怪しく見え、皆胡散臭そうに互いを見やっては、あれがそうじゃないかと目星を付けた奴をこそこそと見張り合っているのだ。
そんな中をレオンは堂々と歩き回った。パイラの時もそうだが、ルナと違って元々スラムで暮らしていた彼は、こういう所では違和感なく溶け込める。それにスパイが我がもの顔で通りを歩いているなど、誰も思いもしないだろう。
「おい、おまえが連れてる
前方から通りを歩いて来た黒のタンクトップの男が、じろじろと無遠慮に少女を見ながら連れのゴーグルを掛ける少年に胡散臭げに問い質す。
レオンが違和感なくここに溶け込める反面、ルナはどう繕ってもここの連中と同じ雰囲気は出せない。男は少女の体から滲み出る育ちの良さ——自分達とは違う異質なモノを感じ取ったのだ。
「ああ、エクロ峡谷に行った帰りに寄ったフェナスから連れて来たんだ」
男に凄まれてビクっと体を震わせたルナを背に庇い、レオンは顔色一つ変えずに
「何? エクロ峡谷に行って来ただと。おまえのような小僧が?」
「疑うなら試してみるか?」
「よし、試してやろうじゃないかっ」
男はモンスターボールを取り出し、自分のポケモンを呼び出した。
化石から再生した古代のポケモンである岩と草タイプを併せ持つリリーラと、深い森の湿った地面に生息している草タイプのキノココの進化形のキノガッサである。
前者は体長一メートル程で、引っ込んで黒く
一方後者は進化した事で格闘タイプが加わり、頭にモスグリーンの笠を付け、しっぽの先端には毒の胞子が詰まった種が付いている。そして、赤い鋭い爪と共に強靭なバネを持つ両手両足の繰り出す軽快なフットワークとパンチは、いかにも格闘タイプらしかった。
それに対し、レオンは大きな羽根を広げたような胸ヒレを持つ、水の他に飛行タイプでもあるマンタインと、水色の体にふわふわな柔らかい白い翼を持ったノーマルと飛行タイプを併せ持つチルットの進化形であるチルタリスを出した。
チルタリスは進化した事で体長が一メートル強にまで大きく成長し、ノーマルがドラゴンタイプに変わって、能力が一段とアップしている。
どちらもアゲトビレッジを出る直前にリライブを終えた二匹だ。
女医によって強制入院させられたレオンだったが、別にずっとベッドで安静にしていた訳ではない。普通に動けるように怪我に影響ない範囲での体力造りをするついでに、まだリライブ途中だったダークポケモン達のバトルもやっていたのだ。
マンタインはボールから出られて気持ちよさそうに大きな羽根の様な胸ヒレを思いっ切り広げ、チルタリスは一度大きく広げた翼を畳むと、長い首で後ろに立つレオンに顔を向け、嬉しそうに頭を下げた。
そして、二匹とも自らの意志で自分のトレーナーと共にバトルする為に、相手を見据えて身構える。
レオンはリリーラにマンタインの『翼で打つ』を、キノガッサにはチルタリスの『空を飛ぶ』を指示した。
一回で体力を削り切れなかったリリーラに、根を張られて体力の回復を許してしまうが、もう一度マンタインが同じ技を喰らわせて叩きのめし、キノガッサはカウンター狙いでチルタリスの攻撃を受けたものの、予想以上の威力にそのまま力尽きてしまった。
次に男が繰り出して来た格闘タイプのゴーリキーも、それぞれが持つ効果抜群である飛行タイプ技を浴びせて倒す。
「く~っ、試さなきゃよかったっ」
コテンパンにやられ、黒のタンクトップの男はすごすごとその場を立ち去った。