春の季節。振りそそぐ暖かな日差しに照らされて、天を指すような一本の桜の大樹から舞い落ちる花びらが、街を覆う様に宙を舞っている。屋台が所狭しと立ち並ぶ、活気に満ちたその街で、中央から続く大きな道を、一人の少女が鼻歌交じりに歩いていた。
桜をモチーフとしたその巫女服は、清楚というよりは可愛らしい和風の衣装で、髪を結うリボンには大きな鈴が付いている。
そんな彼女の姿は、シンプルな着物に身を包む住人の中では、一層よく目立つ。
「おや、巫女様!丁度焼きたてだよ、一つ持って行きな!」
「みこちゃん、うちのも持ってって!」
彼女に気が付いた住人が口々に声を掛け、屋台の品をこぞって持ち寄る。四方八方から差し出されるそれらに、少女があたふたとしていると、見かねた住人の一人が袋を彼女に持たせた。
瞬く間に一杯になった袋を引っさげて、少女は舌っ足らずに感謝を伝えながら、大きく手を振った。
「みんなー、ありがとうにぇー!」
住人たちに見送られて今日も、さくら神社のエリート巫女は、花の様な笑顔を咲かせて、街を闊歩する。
木漏れ日が降り注ぐ森の中、くるると、空っぽの胃が力なく空腹を訴えてくる。
飢えていた。これ以上無い程に、飢えていた。
訳も分からないまま、この森の中に放り出されてから今日にいたるまで、かれこれ三日は何も口にしていない。喉もカラカラで、倒れそうになる体を身長ほどもある木の棒で支えながら、引きずるようにして、あてもなく進み続ける。
ここは何処だろう、なんて疑問に思う余裕なんか、一片たりとも無かった。ただ、助かりたいと、その一心で足を動す。
凸凹とした地面に足を取られながら、尚も進んで行くと、ようやく視界の先で森が開けているのが見えた。
「あ…っ!」
掠れた空気のような声を漏らして、突如として飛来した希望に目を見開く。
もう少しで、森を抜けられる。
あやふやだった希望が形となり、心なしか周囲が暖かくなった気がして、自然と足が早まった。段々と近づいて来る光、そうして遂に、ずっと頭上を覆っていたカーテンが無くなって、まぶしい日光の中に身を躍らせる。
ずっと薄暗い森に居たせいで、少し目がくらんだ。けれど、それも束の間で、徐々に取り戻す視界の中に、真っ先に映ったそれに疲労も忘れて、呆然とその場に立ちすくむ。
「大きな…、桜…」
まだ距離があるのに、見上げなければならない程に大きな桜の木は、今にも天の果てに届かんとばかりに聳え立っている。そして木の根元の辺りには、その木を中心として街が広がっていて、出入口らしき場所は行き交う人で賑わっていた。
街がある、人もいる。
それを認識した途端、身体から力が抜けて、思わずその場にへたり込んだ。これからあの街まで歩かないといけないのに、一度座り込んでしまうと、もうしばらくは動ける気がしなかった。
このまま倒れ込んでしまえば、どれだけ心地よいだろう。そんな誘惑に襲われつつ、全身にじんわりと広がる安堵に浸って、小さく息を付く。すると、不意に草を踏み分けるような足音が聞こえて、顔に当たっていた日光を遮るように影が落ちる。
「…あ、あのー、大丈夫ですか?」
頭上から振って来る、舌っ足らずな、砂糖のように甘い声。見上げてみると、和風のドレスにも見える服に身を包んだ女の子が、怪訝な顔でこちらを見つめていた。
第一印象は『可愛い女の子』だった。だってそうだ、ふわふわな桜色の髪に、キラキラと輝く宝石のような瞳。人懐っこそうな顔立ちで、ころころと表情が変わる。まるで、昔話に出てくるお姫様の様で、こんなの、誰だって可愛いと感じてしまうに決まってる。
余りに浮世離れした容姿に、ついぼうっとその子に見入ってしまう。
「あれ、みこの声聞こえてない?おーい、大丈夫ですかー」
返事が返ってこない事に動揺したみたいで、女の子はまた声を掛けながら、今度はゆさゆさと体を揺すってくる。
すると、それと同時に、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。勿論女の子のなんかではなく、脳を蕩けさせるような、食欲を刺激する甘い餡子の匂いが、彼女が持つ袋から漂ってきている。
それに気が付いた途端、くるる、とまたお腹が鳴った。それも、普通に周りにも聞こえてしまうくらいの大きさで。当然、すぐ傍にいる彼女にも聞かれた。
「これ、は…!」
違うと言ったところで、今更誤魔化しようなんてない。見れば、彼女はきょとんと目を丸くしている。あまりの恥ずかしさに、かっと頬が熱くなるのを感じて、思わず顔を俯けた。
「なーんだ、お腹空いてただけかー。…じゃあ、みこのこれあげるよ!」
そんな軽快な声と共に、目先に差し出されたのはたい焼き。まだ温かいのか、薄っすらと湯気を立てるそれに視線が釘付けになる。
一瞬迷って、たい焼きと女の子の間で視線を動かすものの、彼女の無邪気な笑みを見て、すぐにそれを受け取った。
「いただきます」
呟くように言ってから、夢中でもちもちとした生地と甘い餡子を口いっぱいに頬張る。温かさが全身に染み渡るようで、緩みそうになる涙腺を必死に抑えた。
そして、瞬く間に完食してしまうと、緊張の糸が切れてしまったせいか、一息つく間も無く耐え難い眠気が押し寄せて来た。降りて来る瞼は重たくて、抵抗も虚しく視界は暗くなり、座ってる事すらままならなくなって、とさりと音を立ててその場に横たわる。
「えぇ!?ちょ、ちょっと、みこは毒なんて盛ってないよ!?」
多分、いきなり倒れたせいで、さっきの女の子が、どうしようどうしようと、慌てふためく声が聞こえた。
流石にここで意識を手放したら、彼女に迷惑が掛かるだろうなぁ。なんて考えたら、このまま眠る訳にもいかなくて。ゆっくりと瞼を開けて笑顔を作る。
「あはは、大丈夫、ちょっと眠たいだけですから。あと、たい焼き、ご馳走様でした。凄く美味しかったです」
まだ出会ったばかりだけど、目の前の女の子が良い人なのは分かった。それを示すように、彼女は無事を確認すると、あからさまにほっとした顔をする。
「ほ、本当?良かったー、てっきりみこが一服盛ってしまったのかと…。初対面の人にそれは洒落にならないからにぇ…」
相当焦っていたみたいで、女の子の頬にはたらりと汗が一筋流れていた。ついさっき出会ったばかりなのに、ここまで心配してくれるだなんて、本当に良い人だ。初めて会う人が彼女だったのは、これ以上ない幸運だったのかもしれない。
「ボクはヒカリ、空乃光です。よければ、貴女の名前を教えてください」
ボクは体を起こして、改めて彼女の名前を聞いた。恩返しがしたい、なんて言うと少しかっこつけが過ぎるけど、もっと彼女の事を知りたいと思った。
「みこ?みこの名前は、さくらみこです!」
そう言って彼女は無邪気に花の様な笑みを浮かべる。
これがボク、空乃光と彼女、さくらみこの出会いだった。