三つの内の二つを達成して、ツミキさんから渡された依頼は残り一つとなった。
日没まではまだ時間があるけど、もう一つの依頼を受けれるかと言われると微妙で、残りの依頼は明日に回し、ボク達はさくら神社へと戻ることにした。
それからいつもの様に過ごしていれば、あっという間に日は沈んで夜になる。
夕飯を終えて片づけを終えると、ボクの執事としての一日のお仕事も終了する。これでお風呂に入って寝巻に着替えてしまえば、さくら神社の巫女様の執事から、ただの空乃光へと戻る。とは大仰に言うけど、そこまで違いがある訳ではなく、お仕事が終わると言っても、ボクがみこさんのお世話係であることに変わりは無い。
あくまで、執事服を着ているかどうか。けど、執事服を着ていないと、どこか気が抜けてしまうから、今や執事服はボクの一種の勝負服のようになっていた。
「最初はそんなことなかったんだけど、慣れって怖いなぁ」
いつの間にか執事服が当たり前になっている事に感慨深く思いつつ、脱衣所の中、手早く服を脱いで体にタオルを巻いて、カラリと音を立ててお風呂の扉を開ける。
幾つかのシャワーと広い浴槽はまるで温泉のそれで、開放感のある高い天井へと絶え間なく湯気が立ち昇っている。街の象徴なだけあって、さくら神社のお風呂はかなり広い。広すぎて、正直一人で使うには気が引けてしまうくらいだった。
髪の手入れなど諸々を済ませて体を流してから、湯の中へと足先から肩先まで浸かって、ゆったりと体を伸ばせば、心なしか身体に溜まっていた疲れが溶け出て行くように感じる。
「暖かい…、ボク、これでも疲れてたんだ…」
今日はペットを探して街を回ったり、恋愛相談から告白までを見守ったりと、いつもと比べて激動の一日だった。思っていたより疲労が溜まっていた事に驚くけど、つい昨日まで熱に倒れていたのを思い出して、体力が落ちているのも当然だったと思いなおす。
「それにしても、結局ずっとみこさんにはくっつかれたままだったけど、本当にどうしたんだろう」
本人は怖い夢を見たから、と言っていたけど、様子を見る限りそれが嘘なのは明白で。
ただの気まぐれか、それとも何かあったのか。とはいえ、仮に理由があったとしても、みこさんが言いたくないと言うのならボクも深く聞く気は無いし、気にしても仕方ないのかもしれない。
それでも、ついさっき、お風呂に入る直前まで密着されていたのだから、どうしても気にはなってしまう。
「はぁ…、気にしても仕方ないって、分かってるのに。ボクってこんなに面倒くさい性格だったのかな」
隣人のちょっとした変化、誰にだって隠し事の一つや二つくらいあるもの。それは分かっているのに、何も言ってくれないみこさんの姿を思い浮かべると、胸の奥がムカムカした。
そんな自分が嫌で、思考を振り払おうと頭の先まで湯の中に潜って、暫くしてから勢いよく浮上する。
と、同時にガラッ!と音を響かせて浴室の扉が開くと共に、聞き慣れた明るい声が鼓膜を打つ。
「光たん、一緒にお風呂入ろー!」
「わひゃっ!…み、みこさん!?」
思い切り息を吸ったところで驚かされて軽く咳き込みながら、つい先ほどまでボクの思考の中心にいたその声の主の姿を視界にとらえて思わず素っ頓狂な声が出る。
「な、何でいきなり入って来るんですか!やけに先に入って良いよーって勧めて来ると思ったら…!」
かっと顔が熱くなるのを感じつつ、反射的に腕で体を隠して抗議の声を上げる。
通常であれば、基本的にはみこさんが入ってからボクがお風呂に入る。偶にみこさんの背中を流したりするくらいで、一緒にお風呂に入ると言うのはあまりない。みこさんからは良く誘われるのだけれど、ボクが恥ずかしいから断っていたのだ。
そして今日、「光たんも疲れたでしょ?」とやけに穏やかな顔のみこさんに勧められるがままにお風呂に入った訳だけど、もしかしなくてもこれが目的だったみたいで、それを示すように、みこさんは腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっふっふっ、そんなこと言いつつ、しっかりみんなを使って門番を用意してたみたいだけど、このエリート巫女には通用しませんよ。光たんもまだまだ甘いねー」
「シキガミさん…?何の話ですか?」
それは知らないとばかりにボクがこてりと首を傾げると、みこさんもまた同じように怪訝な顔で首を傾げる。
そもそもみこさんが乱入してくると気付いていたら、お風呂に入る前に本人に釘を刺している。だからこそボクは驚いているのだけど、シキガミさん達がどうしたのだろう。
「え、だって、みこが脱衣所に入ったらいっぱいいて、襲い掛かって来たんだよ?光たんがみこが来たら追い払うように言ってたんじゃないの?」
「そんなことしないですよ、ボクとみこさんの入浴中はシキガミさんの立ち入り厳禁にしてるじゃないですか」
「あ…」
そう言えばそうだった、そんな顔をして固まるみこさんとの間に沈黙が流れて、水が落ちて弾ける音がやけに響いて聞こえた。
取り合えず、シキガミさん達に後で詳しい話を聞くのは決定で良さそうだ。
「…もう、開けっぱなしだと冷えるんですから、早く中に入って下さいよ」
ため息をつきつつ、床を這うように流れ込んでくる微かな冷気に肩まで湯に浸かってそう催促すると、何故かみこさんは複雑そうな表情を浮かべる。
「光たんって押しに弱いよね…、危ない人とかに付いて行ったら駄目だよ?」
「余計なお世話ですよ!あと、みこさんが言わないで下さい!」
自分でも若干そう思うけど、みこさんにだけは言われたくなかった。
「はぇぁー、生き返るぅー」
隣に腰を下ろしたみこさんが、吐息交じりに力の抜けたふにゃふにゃ声を洩らす。あまりに脱力し過ぎていて、このままお湯の中に沈んでしまうのではないかとはらはらしながら視線を流す。
「みこさん、偶に言動がおじさん臭いですよ?」
「いやいや、お風呂に浸かる人は誰だってこうするもんだよ。ほら、光たんも一緒に」
「やりませんー」
手を水鉄砲にして顔に湯を飛ばしてみれば、みこさんは「ぶっ」と声を上げた後、子犬のように頭を振る。その様子があまりにもそれらしくて、ついくすくすと笑い声が洩れてしまった。
そんなボクを見て何を思ったのか、顔を上げたみこさんは感慨深げに頷いていた。
「光たんもやるようになったにぇー。ここに来てすぐの時は、何て言うか、浮世離れ?みたいな雰囲気だったのに、最近は人間味に溢れてて。あの時の光ちゃんも捨てがたいけど、みこは今の光ちゃんも好きだなー」
「なんですか?それ。ボクなら、最初からずっとこうじゃないですか」
「…えぇ?」
本気で困惑したようなみこさんに、ボクは思わずキョトンと目を丸くする。
確かに、最初は色々と初めての事だらけで少し態度も固かったかもしれないけど、そんなに困惑される程固くはなかった筈。でも、みこさんの様子を見るに、ボクの記憶違いだったのかと次第に自信が無くなってきた。
「けど、もし変わったなら、それはみこさんの所為ですね。ボクがさくら神社に来て一番身近で長く接してるのは、みこさんですから」
「おぉ…、光たんってば、殺し文句まで上手になっちゃって。みこおじさんはきゅんきゅんしちゃうよ」
「あ、やっぱりおじさんじゃないですか」
先ほどの指摘を持ち返すと、しまったとばかりにみこさんが唸り声をあげる。
話しながら、ふとここに来た当初はこんな風に話せなかった事を思い出した。そういう意味なら、みこさんのいう通り、ボクは変わったのかもしれない。そんな実感が湧いてくる。
ボクが自分の変化を実感している合間に、立ち直りの早いみこさんは通常運行に戻っていて、何やら考え込んでいたかと思えば徐に手を打った。
「よく考えたら、みこの影響でってことはみこが育てたみたいなもんだよね。つまり…光たんはみこが育てた!」
ちょっと立ち直り方がズレてる気がするけど、実際にそうなのだから否定しづらい。
どう返そうかと悩んだ果てに苦笑いを浮かべていると、みこさんはすっと自然な動作でこちらに寄って来て、ぴたりと軽く肩が触れ合った。
「こうやって一緒にお風呂に入れるようにもなったし、どんどん光たんがみこ色に染まっていくのも、乙というものだにぇ」
「…そういうところはちょっと嫌です」
すっと横にずれて距離を開けようとするけど、同じようにみこさんもこっちに寄ってきてすぐに密着されてしまう。
何度かそれを繰り返して、ボクが根負けする形ですぐに謎の攻防は終わりを迎えた。
「むぅ、結局今日一日ずっとみこさんにくっつかれてる気がするんですけど」
「えー、そう?きっと気のせいだよ」
じとりと、穴を開ける勢いで視線を向けるも、みこさんはそっぽを向いてひゅーひゅーと吹けもしない口笛を吹いている。白々しい彼女の様子を見て、一応ずっとくっついていた自覚はあったのだと察した。
「みこさんの嘘つき」
胸の奥のムカムカが再燃して、一言そう呟いてぷくりと頬を膨らませる。
直ぐに、慌てたみこさんが弁明してくるかと思ったけど、予想とは裏腹にみこさんは何も答えないで、ただボクの肩に頭を乗せた。
チラリと横のみこさんに視線を向けて見ても、その顔は前髪に隠れて見えない。
束の間、静かな時間がその場を通り抜けた。
「…ねぇ、光ちゃん」
徐に口を開いたみこさんの声は、妙にその場に響いた。
「光ちゃん、あのね…みこ…」
みこさんは途切れ途切れに言葉を紡いでは、言葉に迷う様にまた沈黙を繰り返す。やがてみこさんは意を決したように口を真っ直ぐに引き結んで、大きく息を吸った。
「みこ、明日の朝ごはんは焼き魚が良い」
「…」
まさかこんな雰囲気で朝ごはんのリクエストをされるとは思わず、ボクは思考を硬直させて、何を言われたのか理解するまでに数秒を要した。
つまり、みこさんは明日焼き魚が食べたいと。
「…明日の朝ごはんはトーストとスクランブルエッグにします」
「えぇ!?みこ焼き魚が良いって言ったのに!」
「却下します、明日は絶対に焼き魚にはしません」
「そんなこと言って、実は焼き魚にしましたオチですよね?」
「しないです」
今のボクは確固たる決意を持っている。一体どれだけみこさんに泣きつかれても、どれだけ可哀想に思っても、明日の朝ごはんに焼き魚だけは絶対に出さないという、固い決意。
何だか真面目な雰囲気だったから、ボクも真面目に聞こうとしたのに。それをあっさりと覆らされたのだから、このくらいしても良い筈だ。
つんとそっぽを向いてみこさんからの抗議、および弁明の一切を聞き流す。みこさんには、一度ボクの押しに弱くないという所を、たっぷりと見せてあげないといけない。
「光たん、光さん、そろそろ機嫌直してくださいよー」
「みこさんなんて知りません」
お風呂から上がって髪を乾かしてる最中も、部屋に戻ってお布団に入ってからも、みこさんの弁明は絶え間なく続いていた。まさかみこさんもボクがここまで強情だとは思わなかったみたいで、お風呂を上がった辺りからあからさまに機嫌を取りに来ている。
「うーん…」
後ろからみこさんの悩むような唸り声が聞こえて来て、どうしたんだろうと気になって振り返りかけるけど、ぐっと我慢してつんと背中を向け続ける。
「光たんの髪、今日もサラサラだにぇー。触り心地も良くって、いい匂いがして…」
「匂っ…!?わ、分かりました、機嫌直しますから!直しましたから、変な事しないで下さい!」
流石に直接髪の匂いを嗅がれるのには耐えきれなかった。思わず負けを認めて慌てて振り返ると、布団の中でみこさんがガッツポーズをしている。
「甘いにぇ、光たん。このエリート巫女に勝とうなんて七日早いよ」
「何ですかその微妙な日数。もう、ずるいですよみこさん。直接攻撃は反則です」
「直接じゃないもーん。みこは光たんの髪を愛でただけだもーん」
むぅと、また再燃しそうになるけど、楽しそうに笑みを浮かべるみこさんを見ているとなんだか毒気を抜かれてしまって。ちょっと悔しいけど、それでも良いかなって思ってしまう。
それよりも、と、ボクはふと目の前に見えるみこさんの顔に、自分の状況を振り返る。
流れで、いつの間にかみこさんと一緒に寝る事になっていた。といっても、ボクが部屋に戻るのに、みこさんも一緒に付いて来て、そのまま布団の中に入っただけなのだけれど。何だかんだで、さくら神社に来てからひと月、みこさんと一緒に寝るのはこれが初めてだったりする。
丁度同じことを思っていたのか、みこさんは寝る前にも関わらず爛々とその目を輝かせていた。
「今思ったんだけど、執事服以外の光たんって結構レアだよね。みこが起きるころにはもう執事服だし、お風呂入った後は寝巻だけど、少しお話したらもう寝るだけだからにぇ」
そう言ってみこさんは掛け布団を持ち上げて、ボクの着ている寝巻へと目を這わせる。
「光たんって妙に白猫が似合うよにぇ…。おんなじ白だからかな?」
「そうですか?確かに髪色は白ですけど…」
関係あるのかなと首を傾げつつ、みこさんの視線を追って自分の恰好を見下ろす。
黒に水玉模様のように白猫の絵が刺繍された寝巻は、いつか纏めてみこさん経由でツミキさんから渡されたもので、自分で選んだものはほとんどない。
「んー、色々着せ替えしてみたいけど、光たんって執事服以外服持ってないんだよね…」
言われてみれば、とボクは自分の部屋の衣装棚の方へと目を向けて見る。
掛かっているのは全部執事服、それと寝巻とか諸々が入ってるくらいで、他の服は持っていない。
「そう言うみこさんだって、基本巫女服じゃないですか。まぁ、偶に普通の着物着てますけど」
「うん、みこは何着か持ってるけど、光たんは持ってないでしょ?うーん、せめてバリエーションが…」
と、みこさんは言いかけた所で何か思いついたようにポンと手を打った。
「そうだ!良いこと思いついちゃった」
「良いこと?」
意図が読めず、気になって問いかけるけど、みこさんは意味深にニヤニヤとほくそ笑むのみで、答えようとはしない。
こういう顔をするみこさんは大体何か企んでいるのだけど、同じく大体ボクがそれを止める事は出来ないものだ。
「…あんまり変な事はしないで下さいね?」
多分意味は無いんだろうけど、念のために釘を刺しておく。
「勿論分かってるって!大丈夫、悪いようにはしないからさ。このエリート巫女に全てを任せてよ」
「うぅ…その言葉が寧ろ怖いですよ」
本当に分かっているのかと問いかけたくなるくらいの即答で、良い笑顔を浮かべるみこさん。
その後も、とりとめのない話をずっと続ける。
いつもだったら、布団に入ったらあとは目を閉じて眠るだけだけど、こうして一緒に横になっての会話は不思議と続いて行くもので、結局ボクとみこさんが意識を落として、部屋の中から聞こえてくる音が寝息だけになったのは、それから数刻程経って、草木も眠る丑三つ時を超えてからの事だった。