【完結】桜の巫女は花と笑う   作:ワンダーS

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12話

 春の香りを乗せて、ひゅるりと吹き抜ける風になびいた髪を抑える。頭上一帯を覆う青から降り注ぐ輝きは辺りを明るく照らして、きらりと一面に咲き誇る花に滴る朝露に反射した。冷えた朝の空気を暖める日差しに目を細めながら、彼女は隣を歩くその人に視線を送る。

 こうして一緒に歩くのは何度目になるのだろう。最早数えきれないほど過ごしてきたこの時間が、彼女にとって何にも代えがたく得難い宝物だった。

 何かを伝える様に握った手に力を込めれば、答える様に握り返される。言葉の無いやり取りは、二人にとっての様式美みたいなもので、傍から見てみればどこか冷めているように見えるそれは、しかし二人の纏う雰囲気がそう感じさせることを許さない。

 また、風が吹く。色とりどりの花弁を攫って、何処へなりとも飛んでいく。

 人里離れた花の秘境で、二人は時の流れに身を任せる。辺りに立ち込めるのは風と共に揺れる木々の騒めき、草花の揺れる微かな音。そして、隣に感じる、あなたの温もり。

 あぁ、なんて幸せなのだろう。そんな彼女の心情を物語るように細められた瞳は穏やかで、今にも深い眠りに落ちてしまいそうだった。

 彼女は満ち足りていた。目の前に広がる自然豊かな景色、平和を象ったように緩やかに流れる時間、そしてなにより、隣にはいつでも想い人がいる。まるで幸福を体現したかのような日常。実感するたびに、彼女は目元を手で覆って、溢れ出しそうになる涙を抑える。何度かその人にも指摘される、彼女の悪癖だ。

 そんな時、その人は決まって肩を抱いて彼女を慰める。優しく包み込んで、安心させる言葉を吐く。だからもっと涙が溢れ出て来るのだ。 

 酷い人、その人に対する彼女の言だった。けれど、笑って肯定されるものだから、少しバツの悪そうな顔で彼女は俯く。こういう態度に、彼女はいつも翻弄される。それでも許してしまうのは、きっとその人が彼女に対する感情を隠そうともしないからだろう。

 肩を寄せ合って互いを感じ合う二人と同じくして、その胸に下げられた二対のペンダントもまた、互いに寄り添い合っていた。

 

 

 

 これは思い出だ。遠く、遠くに確かにあった、いつまでも浸って溺れてしまいたくなる、紛れも無い遥かな記憶。これはいけない、最近はどうもつい居眠りをしてしまう。

 夢と現が交差するおぼろげな視界、揺り椅子の上で目を開けた彼女は、チリンチリンと来客を告げる鈴の音を耳に捉えた。

 「…あら、珍しいお客様だわ」

 

 

 

 さくら神社を中心とするこの街の隅の隅にある小さな家。

 ツミキさんから渡された三つの要望書、その最後の一枚には、今までみたいな大まかな概要は無く、この家までの案内だけが示されていた。

 「ねぇ、光たん。本当にここで合ってるの?」

 「その筈…ですけど」

 そうしてたどり着いた家を見上げながら、ボクとみこさんは扉の前で呆然と立ちすくんでいた。

 外壁にはびっしりと植物の蔦が一面に張り付いていて、庭らしき場所は雑草が生え放題になっている。丁度蔦が避けている位置にある窓は割れていないけれど、お世辞にも人が住んでいる家には見えるとは言えなかった。

 扉の横の呼び鈴を鳴らして見るけど、人が出てくる気配も無い。

 場所を間違えてしまったのかと、みこさんと顏を見合わせて、一度引き返そうと踵を返す。すると、不意に後ろから扉が開く音がして、奥から誰かがこちらに向かってくるのが見えた。

 「ここで合ってたみたいですね、みこさん、少し止まって…」

 「ひ、光たん、あれ」 

 何やら驚いている様子のみこさんに首を傾げてその視線を追うと、すぐにその理由が理解できた。

 外壁を覆っていた蔦。それが、まるで壁紙を剥がすかのように、ひとりでに剥がれていって、くるくると丸まって行く。あまりに突然の変化にボク達が呆気に取られている内に、やがて一纏まりになった緑の巨大な蔦ロールは、ふよふよと宙を舞って庭らしき場所へと着地した。

 「驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね、普段は誰も来ないモノだから、気づいたらすっかり蔦塗れになってしまって」

 楽しんでいるようで何処か静かな落ち着きを含んだ声。

 開いた扉の前にはいつの間に現れたのか、胸に一つのペンダントを下げて、揺り椅子に座ったお婆さんがいた。ボクのものとはまた異なる、色がすっかりと抜け落ちてしまった髪を後ろに纏めて、深くしわの刻まれた顔をにこやかにしてこちらを見ている。

 「あの、こんにちは。ここにお住まいの方ですよね。ボクはさくら神社で執事をしている光と言います」

 「さくら神社のエリート巫女、さくらみこです。みこたちは貴女の願いを叶えに来ました」

 先ほどの出来事もあって、やや緊張気味な自己紹介。すると、それを聞いたお婆さんはボクを見て、次にみこさんをジッと見やって、その瞳を細めた。 

 「…そう、あなたが今の巫女様なのね」

 何事か呟いて、お婆さんは滑るようにくるりと椅子ごと体を回転させると、家の中へと入っていく。よくよく見てみると、お婆さんの座る揺り椅子は微かに地面から離れていて、宙を泳ぐように移動していた。

 「さ、いらっしゃって?久しぶりのお客様だもの、歓迎するわ」

 そうしてお婆さんに連れられて入った家の中は、外見とは裏腹に小奇麗に片づけられていた。

 部屋の中央にはソファとテーブルが置かれ、少し離れた暖炉の中には薪がくべられて小さな炎が揺らめき、家の中を暖色の光で照らしている。窓辺に置かれた花瓶に生けられた花が、好いコントラストを形成していた。

 「すぐにお茶を用意しますから、少し待ってくださいね」

 ボク達をソファに座らせて、お婆さんは向かい側に位置取ってそう言うと、徐に手を宙に彷徨わせた。すると、それに連動して、何処からともなく人数分のティーカップと中身の入ったガラスのポットが宙を浮いて飛んでくる。

 飛んできたそれらがひとりでに桜の花びらを浮かべたお茶を注いでいくのを横目に、ボクは思わずお婆さんを見つめる。

 「これは、お婆さんが動かしてるんですか?」

 「えぇ、そう。すっかり萎れた老人だけど、これでもアヤカシなのよ?」

 お茶目に片目を閉じて、自らをアヤカシだと明かすお婆さん。この前みこさんから聞いた、カミとアヤカシ。なんでも普通の人に出来ないことが出来るらしいけど、なるほどこういう事なんだと、実物を目の前にして納得する。

 「おー、凄いにぇ…。みこも出来るようにならないかな。そしたら、遠くのものを部屋から動かずに持って来れるし、光たんの寝巻きをめくっておへそを見たり出来るのに」

 「みこさんにだけはこの能力が宿らないことを願います」

 「えぇ、なんで!?」

 「当たり前じゃないですか、自分の発言を振り返ってみて下さい!」

 心底意外そうに仰天の表情をするみこさんに言い返していると、そんなボクたちのやり取りを見ていたお婆さんは、おかしそうにくすくすと笑い声を上げる。

 「ふふっ、ごめんなさいね。執事と巫女様と聞いたけれど、あなた達も随分と仲が良いのね」

 お婆さんに言われて、キョトンと顔を見合わせるボク達。すると、みこさんは得意げに胸を張って大仰に頷いた。

 「勿論、みこと光たんは一心同体ってやつですよ。朝から晩まで一緒にいて、昨日なんて一緒に寝たりして」

 「あらまぁ」

 「み、みこさん、恥ずかしいですから、あんまり変な事話さないで下さいよ…。それに、今日の本題は別じゃないですか」

 初対面の人相手に何の話をしてるのかと、慌てて赤裸々に語り出すみこさんを止めに入る。お婆さんも目を丸くして反応を見せるものだから、このままだとある事ない事話しかねない。話を止められたみこさんはちょっと不満そうにしていたけど、目的を思い出させれば、そうだったとすぐに平常に戻った。

 するとそれを聞いていたお婆さんも、聞き忘れていたとばかりに手を合わせて、ボク達に目を向けながら首を傾げた。

 「そう言えばまだ聞いてなかったわね。巫女様に光様に、今日はどうしてここまでいらしたの?わざわざ何の用も無しに、こんな街の隅っこまで来たりしないでしょう」

 その言葉に、一瞬何を問われたのか理解できずに、ぽかんと意識を手放してしまった。

 今日ボク達がここに来たのは、紛れもなく目の前のお婆さんからの依頼書に寄るもので、と考えかけた所で、ふと違和感に気付いた。

 「えっと、ボク達はツミキさん、この街の街長からこの依頼書を渡されたからなんです。見覚えは無いですか?」

 確認の為、持ってきた依頼書をテーブルの上に置くけれど、それを見るまでも無くお婆さんの変化は劇的だった。

 「ツミキちゃんが…そう、そう言う事だったのね」

 すべて理解して、合点がいったとばかりにお婆さんはしきりに頷く。

 「お婆ちゃん、ツミキさんの事知ってるの?」

 「それはもう、あの子がこんなに小さい時から。もう長い付き合いになるわ」

 懐古を滲ませる表情でみこさんの問いに答えながら、お婆さんは手に取ったカップを傾けた。両手で持ったカップに浮かんだ桜の花弁。揺れるそれを眺めながら、何を思ってか、お婆さんは小さく息を吐いた。

 「気を遣わなくても良いって、きちんと伝えたのだけど。相変わらず融通が利かないと言うより、頑固と言うべきかしら」 

 言いながら、嬉しそうに微笑むお婆さんの様子に、ボクはようやく違和感の正体に勘付く。お婆さんとツミキさんは知り合いで、多分この依頼書はお婆さんの願いを知ったツミキさんが書いたものだ。だから、詳細は書かずにこうして場所だけ伝えて、本人と直接話すように仕向けた。ツミキさんは街の長だけあって、結構策士なのかもしれない。

 「それで、何があったんですか?お婆さんには今、悩みがあるんですよね」

 「大丈夫、みこたちにドーンと任せてよ!」

 ボク達の言葉に、お婆さんはそっとカップに目を落として黙り込む。悩んでいるのだ、話そうか話すまいか。付き合いが長いと言うツミキさんにも、話はすれど頼らなかったのだから、ボク達においては尚の事だろう。

 けれど、ツミキさんの意図に後押しされてか、暫くの沈黙の後、お婆さんは固かった表情をふと緩めた。

 「そうね、正直諦めていたのだけれど、折角だしあなた達に頼ってみようかしら」

 するとお婆さんは、少し待っていてと言い残して、揺り椅子を浮かせて部屋を出て行った。みこさんと二人で待っていると、程なく再びお婆さんが戻って来た。その手には、元々お婆さんが首から下げていたモノとは少し異なる形のロケットペンダントが握られていた。

 「あれ、お婆ちゃんペンダント二つ持ってるの?」

 みこさんの問いかけに同意するように、ボクもお婆さんへと視線を向けると、お婆さんはペンダントに目を落として、ぽつりぽつりと語り始めた。

 「えぇ、私が小さい頃、大好きで憧れてた人がいたのね。よく一緒に遊んだりして…まぁ、最終的にその人と結婚して結ばれたのだけれど。それで、両親との写真が入った通常のペンダントを送られた時、その人とのお揃いの特別なペンダントも欲しいって我儘を言って、その人と一緒に作って貰ったモノなの」

 お婆さんは話しながら、元々下げていたペンダントと持ってきたペンダントを開けて見せる。前者にはお婆さんの面影を感じる少女と二人の夫婦が並んでいる写真があって、持ってきたペンダントにはお婆さんともう一人の二人で撮られた写真が入っていた。

 「その人はアヤカシでもカミでも無い、普通のヒトでね。その上更に短命だったものだから、一緒に居られた時間はそこまで多くはなかったの。でも、確かに多くは無かったけれど、私にとってはその時間の全てが、長年の孤独を支えてくれた何にも代えがたい宝物だわ」

 そっと、お婆さんの指が優しく写真の上をなぞる。昔を思い返しているようで、時折揺れる瞳が、彼女の抱いている感情の大きさを伺わせた。けれど、すぐにお婆さんの表情に影が差す。

 「宝物、なのだけど。時が経てば、記憶は劣化するものね。段々と思い出せなくなってきているの。自然の摂理なのだから、そこは仕方ないと分かっている。それでも、せめて私とあの人が結ばれた証を形として残したい。このペンダントは、その最たるものなのね」

 二人お揃いの特別なペンダント。つながりを証明できる唯一の代物は、お婆さんにとって何より大切なのだと分かる。けれど、そう話す彼女の顔は曇ったままで。

 「このペンダント、二つ合わせたら、一つの形になるのよ。でも、ここにあるのはあの人の形見の方だけで、私が持っていた方は、何処かに落としてなくなったまま。ずっと探していたのだけど、結局見つからなかった」

 色濃い後悔を滲ませて、お婆さんは震える手の上に乗せたペンダントを見つめている。

 探すとは言うけれど、彼女はここに来てからずっと座った揺り椅子を浮かせて移動をしている。足は見るからにやせ細っていて、もう彼女は満足に動き回ることすらも難しいのだろう。

 「もし叶うなら、私のペンダントを、見つけて出して欲しいの」

 どうか…と、お婆さんは深々と頭を下げて、願いを口に出し懇願した。

 ふと横を見てみれば、みこさんはもう答えを決めたみたいで、真っ直ぐな瞳をお婆さんへと向けている。そして、ボクのその願いに対する答えもまた、言うまでも無く決まり切っていた。

 了承の意を伝えると、お婆さんは目元を手で覆ってしまって、落ち着くまでまたしばらくの時間が掛かった。

 「お婆ちゃんは何処で落としたとか、覚えてないの?この街の中なら、前のペット探した時みたいに、みんなで一斉に探し回れるけど…」

 みこさんの言葉に反応して、ぴょこりとシキガミさんがみこさんの足の間から顔を出した。確かに、人海戦術で何とかなればそれに越したことは無い。しかし、お婆さんは力なく首を横に振った。

 「いいえ、街の中はもう探しつくしたわ。考えられる場所は無いでもないけれど、確信は無いから、もしかすると見当違いかもしれないの」

 お婆さんの瞳が、暗にそれでも良いかと問いかけて来るけど、元々当てもなく探す他ないのなら、少しでも場所の候補があった方が良いのは明白で、ボクとみこさんは揃って頷く。

 「でも、街の方はもう探したって事は、もしかしてここから離れた場所なんですか?」

 「そうね、隣町よりは近いけれど、それでも歩いたらそれなりに掛かるはずよ。自然が豊かな花の秘境で、ここから北西にずっと進んで行った先にあるの」

 そう言って、お婆さんは窓の向こうに見える森を指さす。あの森を抜けた先に秘境が有るらしいけれど、街を繋ぐ道からは外れているみたいだから、抜けるには苦労しそうに見える。

 ふとこの街に来る前の森の中を彷徨った極限の三日間を思い出して、思わず身震いをした。

 「あの人との思い出の場所で、足が動かなくなる前はよくあの場所に行っていたから、最後に行ったときに置いてきてしまったのかもとは考えていたのだけれど、少し遠いから頼むに頼めなくてね」

 確かに、有るかもわからないモノの為に森を抜けろ、なんて頼むに頼めない。チラリと、横の巫女さんの様子を伺ってみると、変わらずみこさんはあっけらかんと笑っている。

 「それなら大丈夫、何せみこはエリート巫女ですから」

 とんと自信あり気に胸を叩くみこさんだけれど、ボクはそんなみこさんにどうしても不安を拭いきれなかった。

 

 

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