「巫女様ー!」
「ツヅミちゃーん!」
駆け寄ったみこさんとツヅミさんが手を合わせて、ぱんとその場に乾いた音が鳴る。
場所は先日立ち寄ったツヅミさんとお婆ちゃんが営む本屋さん。昼下がりの陽光が煌めく時間に、ボクとみこさんは二人でこの場へと赴いていた。ボクは借りていた本を返しに来たのだけど、みこさんは暇を持て余していたみたいで一緒について来た。
到着するなりみこさんが勢いよく扉を開け、その音に気が付いたツヅミさんが出てきて、今に至っている。
「読んだよー新作!今回も最高の出来でしたよ、流石ツヅミちゃん、光たんの新しい可能性を描かせたら右に出る者はいないにぇ」
「いえいえ、私なんてまだまだですよ。実際に、本物の魅力を引き出すには至っていないのですから」
そこでツヅミさんはみこさんから視線を外して、横に居たボクをその視界に収める。少しの間、ジッと見つめていたかと思うと、途端にツヅミさんは表情を恍惚とさせてか細い声と共に大きく息を吐いた。
「はぁ…、光しゃま、本日もお麗しい…」
「えっと、こんにちはツヅミさん。相変わらずお元気そうで」
どう反応すれば良いものかと苦笑いを浮かべて挨拶すると、何故かツヅミさんは感極まったように眦に涙を溜めて、敬虔な信徒のように天に祈りを捧げ始めた。
みこさんで大概慣れたつもりだったけど、それは唯の思い上がりだったのだとツヅミさんを見ていると思う。世界はボクが思っているよりも広いらしい。
「おー、これは長くなるにぇ」
みこさんの言葉通り、ツヅミさんはそのまま祈り続けて、暫くしてからようやく手を解いて眦の涙を拭った。
「失礼しました。やはり光様は正に天の思し召し、世のカミが与えたもうた奇跡的な存在なのです。私如きが描ききるには過ぎた存在なのです」
「あ、あはは、大袈裟に言い過ぎですよ。一昨日はそうでも無かったのに、何で今日になってそんな反応なんですか」
「うっ、あれはお婆ちゃんが勝手に私の本を光様に見せたから…」
尻すぼみに小さくなる声で言いながら、ツヅミさんは不満そうに唇を尖らせた。
本を借りに訪れたのは一昨日の事。あの時もかなり畏まって見えたけど、今ほどでは無かったと思う。
「あ…」
ふと思い返して、ツヅミさんのボクに対する過剰な神格化を如何にかできないものかと考えていると、不意にツヅミさんが動きを止めて、そちらに意識が向く。どうしたのだろうと見つめていれば、ツヅミさんは音が出そうな程急速に頬を赤く染めて、もじもじと体を揺らし始めた。
「どうしたんですか?」
「ツヅミちゃん?」
その変化を疑問に思ったのはみこさんも同じみたいで、掛ける声が重なった。すると、ツヅミさんは何処か恥ずかしがるような居たたまれない様な仕草で、チラリとボクと、そしてみこさんを見比べる。
「そういえば、その、光様、前にあの本の内容を実践…するって」
「っ!?」
背後からナイフを突き刺されたような衝撃に、思わずがくりとその場に崩れ落ちそうになった。
そうだった、ツヅミちゃんに対して確かにそんな事を言っていた。てっきりみこさんだけが知るボクの恥だと考えていたけど、ここに一人伏兵が隠れているのを忘れていた。
「ツヅミちゃん、その話は今はやめてあげて?まだ結構引き摺ってるみたいだから、このまま続けると光たんがまた引き籠ってみこが退屈になっちゃう」
「あ、という事はやっぱり読んだのは冒頭だけだったんですね。恥ずかしがらせるとは、つまりキスの前までの辺り。それに気が付いた光様が羞恥の余り部屋に籠ったと。後々考えてみて何かおかしいと思ってたんですよ。いえ、全然最後まで走り切って下さっても良かったんですけど。寧ろそういう展開を望んでいたんですけども」
「良くないです、望まないで下さい!それよりも、まだ何も話して無いのにツヅミさんはどうしてそんなに察しが良いんですか!」
一部始終だって見ていない筈なのに、一から十まで完全に言い当てられてしまってつい声を荒げる。
「それはまぁ、これでも光様の事ばかり考えていますから。聞いた当初はあまりの事態に興奮して思い至らなかったのですが、そもそも光様がタチな時点で少しどうなんだろうと悩んではいたんですよ。新しいとは思いますけど、実際には違うかな?的な」
「みこも、どちらかというと光たんがネコだと思うなー。でも、ああいう強引な光たんもみこは好きだよ?普段からは想像しにくいギャップが良いにぇ」
「ですよね!因みに、既に光様がネコバージョンはネームまで出来上がっていまして」
きゃっきゃっとみこさんとツヅミさんが話し込んでしまい、会話に完全に置いて行かれたボクはポツンとその場に立ちつくす。タチ?ネコ?と、時折知らない単語が出て来てその意味が気になるけど、ひしひしと感じる不穏な気配に、これ以上踏み込んではならないと頭の中で警鐘が鳴らされていた。
ボクが会話の内容を理解できずにいると、ふとツヅミさんはそんなボクの様子に気が付いたのかぱしりと自らの口を手で閉じた。
「そうでした、巫女様、光様はあまりこの分野の知識が…」
「おっと、そうだった。危ない、一般人を巻き込むのは御法度だにぇ」
「あの、題材にされている時点で今更だと思うのはボクだけですか?」
小声でこそこそと話しても、この距離だと普通に聞こえてくる。あまりにも今更な配慮に、踏み入らまいとしていた事も忘れて思わずツッコんでしまった。
このままこの話を続けると恥を更に掘り起こされた挙句、上塗りにまで発展してしまう。そう考えたボクは早々に話を切り上げて、今日この場所に来た当初の目的へと移る事にした。
「それより、今日は本を返しに来たんです。ツヅミさん、こちらありがとうございました」
やや強引に言葉を挟んで、持ってきた二冊の本をツヅミさんに差し出す。
「はい、確かに受け取りました。…それにしても、光様はこちらの本も借りてたんですね」
本屋の顔に切り替わって受け取ったツヅミさんは、内一冊の古びた本を確認すると意外そうに眼を丸くした。一応借りていた場にもいたと思うけど、お婆さんが言っていた通り本当にトリップしていたみたいで、記憶にないらしい。
「何々、光たん他にも本借りてたの?」
「ちょっと気になった本がありまして。内容は、なんだか昔の人?が書いた日記みたいなんです」
興味を引かれている様子のみこさんに本の内容を説明しようとして、ふと聞いてみたい事があったのだと思い出す。
「あの、少しその本を読んで気になっていたんですけど、お二人はソウビ神社ってご存じですか?」
もしかしたら知っているかも、と神社の名前を伝えてみるも、それを耳にした二人は揃って首を傾げた。
「そーび?」
「ソウビ、薔薇ですか、私もそんな名前の神社は聞いたことないです。…というか、光様!」
ずいとツヅミさんが鼻息を荒くして距離を詰めて来る。
「この本の内容を知っているって事は、読めたんですか!?」
「え、はい…。文字は潰れて癖もあったので良く分からなかったんですけど、内容は不思議と」
爛々と瞳を輝かせるツヅミさんに気圧されて戸惑いつつ頷くと、ツヅミさんは放心したように吐息に声を混じらせて、古びた本へと視線を落とした。
「本屋の娘としてはお恥ずかしながら、私にはさっぱり読めなかったんですよ。だから、何が書かれているかも勿論知らなくて…」
話しながら、ツヅミさんはパラりと本を開いて内容に目を走らせる。けれどやっぱり読めなかったみたいで、「うん、無理」と呟いてぱたんと音を立てて本を閉じた。
「ね、光たん、そのそーび神社?でどんなことがあったの?」
「私も、是非お聞きしたいです!お願いします、光様!」
ずいと、キラキラと目を輝かせたみこさんが加わって、詰め寄って来る人数が二人になる。
「分かりましたから、少し離れて下さい!」
何処までも近づいてこようとする二人を手で押しとどめながら叫ぶように言えば、ようやく二人共落ち着いてくれたみたいで、一歩後ろに下がって話を聞く姿勢に入った。
「えっと、じゃあまず、先ほども話しましたけど、この本は昔にいた方が書いた日記でして」
そして、ボクは二人に本に書かれていたヤマトの歴史の一端について話した。
現在からは考えられない程の争いに満ちて、人々の生活が苦に満ちていた事。それを終わらせるべく立ちあがったカミ達が居た事。その末にヤマトから争いが消え、平和が訪れた事。細かい部分まで話しているとキリが無いから、大まかな流れだけ搔い摘んで伝える。
ツヅミさんは兎も角、みこさんはそこまで興味がないかなと思ったけど、それとは裏腹にみこさんは熱心に耳を傾けていた。
「…と言うのが、本に書かれていた話でした。ここから先も日記は続いていたみたいなんですけど、見ての通り切り取られているみたいなんです」
一通り話し終えて一息つく。
改めて内容を振り返ってみると、ここまでならすべて事が上手く運んで、ハッピーエンドで幕が下りているのが分かる。でも、そんな事があるのだろうか。
最初からあった問題が解決して、平和な日常が訪れる。一つの話としては理解できるけど、この本は途中から先が失われている。なのに、ハッピーエンドに至るまではしっかりと残されている。
偶然にしては、少し出来過ぎている。なら、故意的に誰かがこの先を抜き取ったと考えるのが自然だと思う。けれど、何のために。同じく平和な日常が続いているから、蛇足と判断して?それとも読まれたくない、伝えたく無い何かがこの先で起こったから?
もし、後者だとしたら。一体、何が起こったのだろう。何にせよ、一つだけ言えるのは、この本に書かれた時代の延長線上に、今ボク達の立っているヤマトがあるという事。
少なくとも、全部が台無しになった訳じゃない。それだけは確かに言える事実だった。
「ほへー、昔のヤマトでそんな事があったんですね。一応歴史的な記録はここにも残ってますけど、争いなんて一文だって出てこなかったのに」
「みこも全然知らなかった。今と違い過ぎて、ちょっと話についていけなかったにぇ」
考え込んでいたボクの傍ら、話を聞き終わったみこさんとツヅミさんは、口々にそれぞれの感想を口にしていた。
「そんな訳で、もしかして切り取られた部分が残っていないかと思っていたんですけど…」
チラリとツヅミさんに視線を向けるも、返って来たのは首を横に振るツヅミさんの申し訳なさそうな表情だった。
「いえ、私も、元々切り取られた部分については気になっていたので探してみたんですけど、何処にも見当たりませんでした」
「そうですか…。なら、仕方ないですよね」
気にし過ぎても仕方ないとは思っていた所だし、聞いてみたのも駄目元だったからそこまで驚きはしなかった。そうしてボクが諦めようとした所で、「あ、でも…!」と、ツヅミさんが声を上げた。
「私が切り取られていることに気付いたのは長くて数年前なので、もしかするともっと長くここに居るお婆ちゃんなら何か知っているかもしれません!」
そう言って、ツヅミさんは「お婆ちゃーん!」と声を掛けながら本屋の奥の方へと向かっていったかと思うと、間も無く後ろにお婆さんを連れ立って戻って来た。
「おやまぁ、光様。本日は巫女様もご一緒なのですね。何かお聞きしたいことがあるとか」
のんびりとした口調で話すお婆さんに、ボクは古びた本を見せて何か知らないかと、聞いてみる。流石のお婆さんでも、と考えていたけど、予想とは裏腹にお婆さんは「あぁ、その本ですか」と訳知り顔で頷いた。
「お婆さん、何か知ってるんですか?」
「えぇ、知っておりますよ。失われた内容までは知りませんが、何故失われたのかは存じております。何を話そう、その本を切り取ったのは、私の祖母ですから」
これにはボクもみこさんも、そしてツヅミさんですら驚いて、思わずぽかんと口を開けた。
「お婆ちゃんのお婆ちゃんって事は…、ツヅミちゃんのひいひいひいお婆ちゃん?」
「みこさん、一つ多いですよ。…お婆さん、そんなに前、というよりは書かれていた時代よりはかなり後になりますよね。その方はどうしてわざわざ…」
てっきり失われたとしたら書かれてすぐか、それに近しい時代だとばかり思っていただけに、その意図が読み切れず困惑が深まった。
「詳しい理由については、ねだっても教えてはもらえませんでしたので何とも。ただ、先ほど話しておられたソウビ神社のその後については、少し話してもらえましたよ」
「お婆ちゃんも聞いてたなら来てくれればよかったのに」
「楽しそうに話していたものだから、お邪魔したら悪いかと思ってね」
少し不満そうにするツヅミさんを頭を撫でてあやしながら、お婆さんは話を続ける。
「それで…そう、ソウビ神社でしたね。昔あったとされるその神社は、現在ヤマトには存在しておりません」
「えぇ、無くなっちゃったの!?」
横でみこさんが驚愕に声を上げる。ボクも声にこそ出していなかったけど、同様に叫びたい気分だった。
そんな可能性もあるのは分かっていた。でも、やはり日記を読んだだけに感情移入もしてしまって、平和な日常が続いていて欲しいとも願っていた。その分だけ、ショックを受けたと言うと大げさかもしれないけど、少なくとも残っていた欲しかった。
「えぇ、更に詳しく言うなら、当時の出来事によって滅びてしまったようです。だからもう、ソウビ神社はヤマトに存在せず、今頃は別の街になっているか、何もない跡地になっているかでしょうね」
話し終えたお婆さんは、当時の人々を悼む様に瞼を下ろした。きっと、それはまだ切り取られる前、続きの部分を読んだ人が語った真実で、否定のしようがない事実なのだ。
「そうですか、もう無いんですか…」
「光ちゃん、大丈夫?落ち込んで見えるよ」
みこさんに言われてパッと顔を上げて見れば、心配そうにボクを見つめているみこさんの瞳を捉えた。
そんなに表情が暗くなっていたとは思いもしなかった。自分が思っていた以上に、感情移入をし過ぎていたのかもしれない。
「はい、大丈夫です。ただ、もし今も実在していたならみこさんと行ってみたいなって思ってたので、ちょっと残念に思っちゃって」
言葉に出して見て、自分が落ち込んでいる原因の一端が理解できた気がした。勿論ソウビ神社が無くなって悲しかったのも嘘じゃない。けれど、それと同じくらい、みこさんと何処かに出掛けたいと思っていた願望が潰えてしまったのもまた、悲しく思えた。
「おぉ、そうだったの?なら、そーび神社は無理だったけど、他の場所に一緒に行こうよ!他にも街も珍しい景色もいっぱいあるから、だから元気出して、光たん」
ぽんぽんと慰めるような手つきでみこさんに頭を撫でられる。
いつもは寧ろボクが頼まれて撫でる側なのだけど、いざ実際に撫でられる側に回ってみると、くすぐったいようで暖かくて、そしてとても嬉しかった。
「はぁ…尊い。実物は想像に勝るとは、まさにこの事…。形にせねば、この美しいものを、後世に残さねば」
「ツヅミ、あんたはもう少し情緒を学んだ方が良いと思うよ」
そんなボク達の横で、顔を赤らめながら瞬き一つしなくなったツヅミさんの頭へと、お婆さんの拳がこつんと下ろされた。