【完結】桜の巫女は花と笑う   作:ワンダーS

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26話

 山の向こう側からゆっくりと、けれど着実に、真っ赤な太陽がその顔を覗かせる。照射される日光は、空を照らし、雲を照らし、地上を照らし、桜の大樹を中心に据えるさくら神社を照らし出す。

 朝日を浴びた街中には、ちらほらと住人が姿を見せ始めて、一日の始まりを世界に告げている。出くわした人々は朝の挨拶を交わし、街は緩やかに活気づいて行く。

 街の中心に位置するさくら神社の中でもまた、一人の少女が目を覚まし、のそりとその身をもたげた。少女は、未だ上がりきらぬ瞼を手の甲でごしごしと拭い、ようやく薄っすらと開いて来たその瞳で窓際へと目をやる。

 閉じたカーテンの隙間から覗く外からの朝日は、心ばかりか漏れ出る程度。薄明りとも呼べるそれを見た少女は、先ほどまでのぼんやりとした意識を叩き起こし、素早く身を起こして窓際に駆け寄って、勢いよくカーテンを開いた。

 窓の向こうに見える空はまだ白んでいる。山の向こうに半分だけ顔を覗かせる太陽は、自身もまた起きがけであることを告げていた。

「…っ!」

 言葉にならぬ歓声を上げ、少女はぐっと力を込めてから、ガッツポーズをして全身で歓喜を表現する。拍子に桜色の髪がふわりと舞って肩や顔に掛かるも意にも介さず、少女は意気揚々と窓に背を向けて部屋を出た。

 しんと静まり返った廊下に、リズムに乗った足音が鳴る。ご機嫌な鼻歌が混じって、一人でセッションを奏でながら、少女の足は迷うことなくキッチンへと向かっている。キッチンで待っているであろう、猫耳にメイド服を携えた白い執事、彼女の白い柔肌に朱が差し込んで羞恥に悶えるその様を想像して、少女は自然と頬が緩むのを感じていた。

 ふと、そこまで考えた少女は、自身がとんだお代官様へと姿を転じた心地がした。時折執事の彼女から、『おじさんみたいですよ』と言われる事があったが、こうして実感してみると、これはいけないと、頭の冷静な部分がブレーキを掛けようとしているのが分かった。けれど、よくよく考えてみれば、これは彼女の方から提案してきた事だ。ならば、少女に非は無いであろう、疑似餌に誘われて、ふらふらと着いて行く被食者こそ自身である。問題ない、問題ない、これは自分へのご褒美だ、朝を一人で起きれたことへのご褒美だ。頭の中で唱えながら、幾らか後ろめたいものを覚えつつ、能天気な少女はそれを気のせいと断じる。

 あれこれと妄想を巡らせている内に、いつの間にやら少女は目当ての場所へとたどり着いていた。

 期待に膨らんだ胸を少しでも萎ませようと、少女は息を吐いて、ぐっと来たる衝撃に覚悟を定めて暖簾を潜る。

「おはよー、光たん!ちゃんと起きたよ!なんたって、みこはエリート巫女ですから、このくらい朝飯前って奴ですよ!というわけで、今度は光たんが約束を守る番ね。さ、みこにそのかわわな猫耳メイドを…?」

 しかし、潜った暖簾の先に少女が望んでいた光景は無かった。あったのは、がらんと誰も居ない、静まり返ったキッチンの中。それを目にした少女は、ぴたりと動きを止めて、呆然とその場に立ちすくむ。

 常であればここに居るはずの執事兼友人の姿は何処にもない。その事実に、はてと首を傾げる少女であったが、直ぐに合点がいったように手を打った。

 さては、近づく自らの気配を感じ取った彼女は、羞恥に耐え兼ね姿を隠したのだ。褒美として提案してきたのは彼女だが、元より少女が幾ら頼み込んでも、断固として拒否してきた格好である。それが故に褒美足り得たものの、実際に袖を通して見れば決意も揺らごうと言うもの。

 一人でに納得した少女は二度三度と頷いてから、しかし、どうしたものかと、新たに浮上した問題に頭を悩ませる。

 直前で逃げたにせよ、執事の彼女がいた痕跡は無に等しい。少なくともキッチンの中に居ないのは確かだが、彼女の部屋、風呂場、居間、屋根裏、と考えられる隠れ場所の候補は次から次に浮き上がる。これらを一人で探すには、少々骨が折れるだろう。けれど、少女は怯んだ様子も無く、寧ろその顔に勝ち誇った表情すら浮かべて、徐に二度柏手を打った。

 柏手と言うにはぺちぺちと、幼げな印象を持たせる音が鳴り響くと、それに釣られるようにして、天井から、ものの隙間から、果ては床の中から、ぞろぞろと白い毛並みに覆われた狛猫とでもいうべきシキガミが姿を現した。ぞろりと並んだ彼らは、何の用だと言わんばかりに少女を見上げており、そんな彼らの手前、少女は胸を逸らしふんぞり返った様で矢面に立つ。

「よーし、みんな、みこの言いたいことは分かってるにぇ?」

 肩目を瞑って、確かめるような口調で問う少女であったが、突然呼び出されたシキガミ達にとっては何の事やらである。いいえ、分かりません、と揃って首を左右に振る白い生物たちに、調子を崩された少女はがくしと肩を落とした。

「みんな、察しが悪いにぇ…。まぁいいや、じゃあみんなに一つの重要な任務を任せるから、ちゃんと聞くように。現在、かわわな猫耳メイド服を着ている筈の光たんが行方不明になっています。みこは、見たい。光たんの猫耳メイド服は勿論、それを着て恥ずかしがっている姿が見たい。そこで、みんなには、神社の中とか隅から隅まで光たんの探索をお願いするにぇ。では、作戦開始だにぇ!」

 最早劣情とも呼べる欲望を、さも大層な野望のようにして高説を垂れた少女が、合図代わりに腕を勢いよく横薙ぎに振るう。しかし、シキガミ達はその場から動かない。別段、少女の命令が聞こえていなかったわけでも、ましてや不服がある訳でもない。ただ、睡眠をとる必要のない彼らは、少女の命令に意味がない事を知っているだけであった。

 動かぬシキガミ達に少女が再び首を傾げている中、一匹のシキガミが集団から外れて、身軽に跳躍してキッチン台の上に飛び乗る。それを目で追っていた少女は、ここに来てようやく、台の上に置かれた一枚の紙を目にした。それは、起きた少女が真っ先に来るであろう場所に残された、執事の彼女からの書き置き。

 シキガミに寄って差し出されるそれを手にした少女は、気持ち悪く鳴る心臓の鼓動を耳に、恐る恐る文面へと目を走らせた。

『みこさんへ

 約束を守ることが出来なくて、ごめんなさい。それと、今まで、ありがとうございました』 

 記されていたのは、宛名と簡易な一文。それに込められた光の意図を察して、みこは必死にただの早合点だと、勘違いであったと思い込もうとするも、光の姿の無い現状が容易く彼女を現実へと引き戻す。

「…ね、光たんは、何処に行ったの…?」

 尚もみこが問うたのは、一種の現実逃避であった。分かっていて尚、彼女は受け止めきれないで、縋る様に希望の糸を手繰るのだ。けれど、蜘蛛の糸よりも更に細く、か弱いその糸は、シキガミの一匹が指し示した方角、桜の大樹を前にして呆気なく寸断される。

 はらりと、みこの手から離れた書き置きは、まるで落ち行く花弁の様にひらひらと宙を舞って、音も無く地面へと横たわった。

 

 

 

「本当に、よろしかったのですか?」

 蝋燭の淡い明かりに照らされた暗闇、硬質な足音を響かせながらそう問いかけたのは、正に妙齢といった風貌の女性だった。肌に皴も無く、すらりと伸びた背筋を基にした美しい所作。しかし、彼女が外見通りの年齢では無い事を、改めて目前にした光は悟っていた。

「はい…いえ、よくは無いですけど、仕方ないかなって。きっと直接話したら、みこさんは悲しんじゃいますし、ボクも冷静に話せる自信が無かったので」

 答えながら足元に目を落として、光は昨晩の出来事へと思いを馳せる。光がこの地に降り立ってから、最も同じ時間を過ごしたのは、間違いなくみこであった。だからこそ、彼女にはしっかりと話をして、お別れを言わなければと、そう思った光だったが、実際に話をしようとして、みこの悲しみ様を前にした途端、言葉を続けられなくなってしまったのだ。

 故に、光は冷静で居られる内にみこの意識を奪って、書き置きだけを残して行こうと考えた。けれど、いざ筆を執ってみれば書きたいこと、伝えたいことが感情と共に渦巻いて、結局簡易な文章を残すに留まった。

 未練が無いかと問われれば、光は否と答える。ならば全てを放り出して戻りたいかと問われれば、これも否と答える。仮に放り出せば従来の通り、街を、ひいては世界を守るため、桜の巫女であるみこへと代わりに白羽の矢が立つだろう。そして、みこが世界を見捨てられない事は、光も知るところである。

 どうにせよ、光はこうする他なかった。だから、仕方がないのだ。

「…左様でございますか」

 足を止め掛けたツミキは、振り返らずに再び規則的な足音を鳴らし始めた。

 階段を下るにつれて、満ちる空気は段々と冷たくなっていく。肌を刺す冷気は、まるで現世から冥界へと下っているようだと、光に感じさせた。実際に死地へと向かっているのだから、あながち光のその感覚も間違っているとは言い難かった。

「再三の確認になりますが…、ヒカリ様」

 前から聞こえてきたツミキの声に、光が顔を上げる。その声は、淡々とした事務的な口調で、無機質なものですらあった。けれど、押し殺しきれぬ感情が節々から漏れ出ているのを察知した光は、思わずと言った形で、固くなっていた表情を和らげた。

「貴女はこれから、命を含めた全てを代償にして、世界をお救いになられます。つまり、先に進まれるという事は、貴女が二度と巫女様の元へと戻らない事と同義です。それを踏まえた上で、本当に巫女様との最後がこのような形で、よろしいのですか…?」

 段々と震えの混じる問いかけを耳にして、光は場違いにもくすりとした笑い声を漏らした。光から見たツミキという人物は、もっと冷酷で、さくら神社を守るためであるならば、何を犠牲にするも厭わぬ人物であった。しかし、それは光の思い違いであったと、目の前のツミキの姿を見た光は認識を改めた。

「それだと、まるでボクにみこさんの元に戻って欲しい、みたいに聞こえますよ?」

「えぇ…事実、私はそう思っているのでしょう」

 からかい半分だった光の言葉を、ツミキは殊の外容易に首肯して見せる。これは予想外であったようで、驚愕を隠せない光が目を瞬かせた。寧ろ、光の思惑としては否定されるところにあったのだ。チラリと、そんな光の様子を後ろ目に見ると、再び前へと向けられたツミキの視線が、遥か遠くへと向けられる。

「私は…先代の巫女を知っております。どのような人柄であったのかを知っております、どのような結末を迎えたのかを知っております。そして、残された者が、どのような思いで生きてきたかを、知っております」

 ツミキの脳裏に浮かぶのは、とある森を超えた先にある人里離れた花の秘境。一面を埋め尽くす花畑の中、一段と小高い丘の上に鎮座する綺麗な花を咲かせる樹。その根元で寄り添い合うようにして、穏やかな時間を過ごす、二人の女性。

「私は、彼女らを姉のように慕っておりました。当時は、随分と可愛がってもらっていた記憶があります。仲の睦まじい二人で、丁度、ヒカリ様と巫女様に雰囲気が似ておりました。まぁ、あの二人は婚姻を結んでおりましたので、厳密に言えば異なるのですが」

 当時の記憶が蘇ってか、ツミキの顔に柔らかな笑みが咲く。けれど、それも束の間で、彼女の表情にはすぐに影が落ちた。

「姉たちの時間は、そう長くは続きませんでした。先日と同様にして、黒薔薇の発生が予見されたのです。そして街を守るために、先代の巫女が人柱となる事が決定した。私は勿論として、もう一人の姉は、それはもう猛反対をしました。何度も言い合いをしているのを目にしました、あんなに仲が良かった二人が、泣きながら何度も。遂には、先代の巫女が姉の制止を振り切って、生贄になる事を選んでしまったのです」

 ふと、光は話に聞く二人に自身らを重ねた。言い合いこそしていないものの、光はみこの制止を振り切って、今この場にいる。正しく、それは現在の自分とみことの状況と似ていた。けれど、だからこそ、光は痛い程に先代の巫女の心境が理解できた。

「残された姉は、最早抜け殻と言って差し支えない状態になっていました。今でこそ、立ち直ったように見えるものの、その心は過去に置いていかれたままになっているのです。そんな姉とは、ヒカリ様も面識があるはずです」

「街の郊外に住んでいたお婆さん、ですよね」

 ぽつりと零すように答える光に対して、ツミキは頷いて続ける。

「姉は、長い間ずっと、悲しみの淵におります。恐らく生涯が尽きるまで、その傷が癒えることは無いでしょう。このままでは、きっと巫女様も同じように…」

「…それでも、ボクは戻れません」

 ツミキにとって、それが心からの懇願である事は光にも伝わっていた。恐らく、この結末をみこが悲しんでしまう事もまた、光は承知の上だった。承知の上で、光は足を止めることを拒絶する、振り返ることを拒絶するのだ。

 立ち止まったツミキが振り返り、その瞳で何故と光に問いかける。

 確かに、ツミキは正しい。この結末は、みこと光、双方にとって求むる所ではない。それは確かである。話し合ったところで、意味がないかもしれないが、せめて最後の別れくらいは告げても良いであろう。それが最善とは言えぬまでも最良と呼べる結果だ。しかし、それでも光には、戻れぬ理由があった。

「もし戻ったら、ボクはきっとここに戻って来れなくなってしまいます。これが義務だって、自分に言い聞かせられなくなります。そうしたら、後に残るものが何もなくなってしまう。先代の巫女さんも、きっと同じだったんですよ。これ以上は耐えきれないから、何も言わずに一人で行ってしまったんです」

 光とて望んでこの場にいるわけでは無い。ただそうして生まれたから、こうしている。そうでも思っていないと、世界を恨んでしまいそうになるが故に、光はみこを置いてこの場に来たのだ。

「えぇ…そうだったのでしょう。巫女の姉さんも、そういう人でした。ですが、これ以上姉さんと同じように…」

「だから、尚更ボクは行かないといけないんです。これ以上同じような人を生み出さないように、ボク達で、最後にするんです」

 微笑みを携えた光を目にして、ツミキは何か言葉にしようとして、失敗して、何度か言葉を発さぬ口を開閉する。しかし、光の想いを感じ取った彼女に、これ以上光を止めることはできはしなかった。

「…左様で、ございますね」

 ぽつりと、努めて無機質になるように呟くと、ツミキは階段を降りる足を再開した。その後に続きながら、光はこれまでのさくら神社での日々を思い返す。

 街に来た当初であれば、光がこのように思う事は無かっただろう。ただ機械的に、何の感傷も無く役割を受け入れるだけであった。それが今や、面影すら見えぬ程に人間味に満ちた感傷を抱くようになった。自身の意志で、守りたいものを定め、行動が出来るようになった。

(それもこれも、みこさんのおかげ。みこさんが居たから、今のボクになれた)

 ジワリと熱いものが眦にこみ上げてくるのを感じながら、光は暗闇の中へとその身を沈めていった。

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