仄かな明かりに照らされる地下の空間に辿り着いて、まずみこの目についたのは、固く閉ざされた重厚な扉だった。その扉の向こうに求める人物がいるのだと思うと、不思議な高揚感がみこの全身を包み込んだ。
「この扉だけは、私でも開けることは叶いません。さ、巫女様、ここからはあなたのお仕事ですよ。閉じ籠るカミ様を、連れ出して差し上げないと」
老女から催促されて、みこは浮足立っていた心を引き締め直すよう、頭を振って改めて扉へと目をやった。
扉の向こう側には、みこが先日も目にした、古のカミを封じている祭壇がある。老女が言うとおり、その場では共に中に居るツミキが、儀式を進めようとする光を引き留め、時間稼ぎを行っていた。
ツミキの目的は、みこがこの場にやって来て光と最後の会話を交わすこと。悔いが残らぬように、突然の離別にはならぬように。しかし、そこには合理性も何もあったものでは無かった。
光がやはりみこと離れたくなくなろうと、尚も光が犠牲になる事を選ぼうと、どう転んだとして、光が犠牲になるか、諸共が滅びゆくかの二択にしかならない。仮に前者を選び、過去の清算が済み、世界が救われたとして、果たしてみこはそれで満足だったとなるだろうか。
否だ。どちらを選ぼうとも、二人の間には悲しみが生まれる。会話を交わした分、多少マシになりはするだろうが、抱え込むには余りある暗い淀みは心を蝕み、歩む足に杭を打つ。
そのくらい、ツミキとて自覚している。それでも尚みこがこの場に来ることを望んだのは、抱き続けた悔恨故か、それとも目の前に立つ儚き少女を過去に重ねたが故か、彼女自身定かではなかった。
そも、理由なんて必要が無かった。ただひたすら、言葉を重ね、虚偽を重ね、命を花と散らさんとする少女を繋ぎとめる楔となり続ける。それが、今のツミキにとっての全てだった。
最中で、ツミキはふと思う。もしあの時、こうして同じことをしていれば、姉達はあのような結末を迎えずに済んだのだろうかと。二人の下を付かず離れず居て、離れようとする二人を繋ぎとめていれば良かったのかと。答えは必然、分からない。けれど、一つだけ。答えを決めるのは彼女ではない、答えを持ってくるのは彼女ではない、それだけは確かだった。
そこまで考えたツミキの口元が、僅かに自嘲の形に歪む。結局、彼女は自身の為に行動していた。ただ街を救う為であれば、わざわざ巫女のお目付け役にする必要も無く、適当に街で暮らさせ、関わったヒトを救いたいと思わせるだけで良かった。それを為すだけの冷酷さを、彼女は持ち合わせているつもりでいた。
だが、ツミキは姉達と同じ立場を有する二人が共に居る事を許した。絆を深めてしまう事を容認して、過去を踏襲する未来の形をその瞳で捉えた、これが結果だ。
残された姉を案じ続けたツミキであったが、歩みを止め、過去に囚われてしまっていたのは彼女とて同じであった。それに気が付いたが故に、ツミキは自嘲の笑みを浮かべた。
怪訝な視線を向ける光に、何でもございませんと応えて、ツミキは扉の向こうから声が聞こえてくるのを心待ちにする。答えをもってやって来る、桜の巫女の声を。そして
「光たーん!迎えに来たよー!」
扉の外から響く、厳かな祭壇を有する空間にはあまりにも似つかわしくない、快活な声を鼓膜に捉えて、ツミキはその場違いさと確かに胸に浮かんだ安堵に、思わずその表情を緩めて脱力した。
「光たーん!迎えに来たよー!」
目一杯に息を吸ったみこは、扉に向かって思い切り叫んでそう呼びかけた。対象はその扉の先に居るであろう、今朝がたに書き置き一つを残して自らの下を去って行った執事の少女。
当初こそ唐突の事態に気を動転させていたみこだが、シキガミと老女の助けもあり、こうして扉一枚を隔てる距離までたどり着いた今、彼女が抱いていたのは明確な怒りであった。
無論、相手を嫌うだとかそういった類の怒りではなく、自分を置いて黙って出て行った、ずっと一緒に居るという約束を破ろうとした光への、いわば癇癪染みた相手の事情を鑑みぬ代物である。とはいえ、みこからしてみれば二度として相まみえぬ一歩手前であったのだから、そう感じるのも無理なからぬと言えよう。
「大丈夫、みこ怒ってないからにぇー!だから、早く出て来てよ!」
などと、みこは心にも無い言葉で光を安心させようとするのだが、傍から聞けば寧ろ逆効果であることに本人は気が付いていない。隣にいる老女が苦々しく笑みを浮かべているのが、良い証拠であった。
そして、案の定と言うべきか重厚な扉はピクリとも動く気配を見せず、ずっしりと閉じたまま威圧感を放っている。
それを見たみこの胸に焦りがちらつく。声を掛ければすぐに出て来てくれると、何処か楽観的に考えていた節がみこにはあった。それでも、こんなもので折れてしまうほど、彼女の決心は軽くは無い。
「ねぇ、光たん、聞こえてるんだよね!みこ、もっと光たんとお喋りしたいし、もっと一緒に居たい!まだ、お別れなんてしたくないよ!」
扉越しに本音をぶつけたみこが息を弾ませる。彼女は軽度の酸欠で僅かにくらむ視界の中、扉が開くのを今か今かと待ち望んでいた。しかし、尚も扉は固く閉ざされたまま、まるでみこの言葉を跳ね返すように、その場で二人の間を阻み続けた。
扉の向こう側から、声は一切飛んでこず、光はだんまりを決め込んで、出て来る気はおろか、言葉を交わす気すら彼女に無い事を示している。みこもここまで来れば、光のその意図に気が付いた。
「…仕方ないにぇ」
扉は開けず、会話も出来ない。これではもう尻尾を巻いて諦める他ないと思われた場面で、しかし、みこにはもう一つだけ打つ手があった。出し渋っていたのは、あくまでこれは最終手段であり、みこ自身あまり打ちたくない手であったためだ。
だが、光が出てこないのでは元も子もない。故に、みこは最後の手段を取る決意を固めた。
目を閉じて、深呼吸をしてから、みこは正面の扉を真っ直ぐに見据えると、再び大きく息を吸う。
「第一回、光たんの恥ずかしいお話大会ー!」
高らかに宣言するみこの声が地下の空間に反響する。それに合わせる様に、大勢のシキガミが各々何処からともなく楽器を取り出して思い思いに音を乗せ、瞬く間にその場の厳かだった空気が霧散した。そうして場の空気などなんのその、とばかりに自分の世界を展開したみこを、老女は何処か懐かしむ様に見つめる。
「ひとーつ!あれは、みこが光たんにメイド服をプレゼントしたときだったにぇ。その場だと絶対に着ませんなんて言ってたのに、なんと部屋で一人、メイド服を着てご満悦に姿見の前でポーズまで取ってたのでした!しかも、みこに見つかった後も、何回か隠れて着て嬉しそうにしていたらしく、報告では、猫耳をつけて猫のポーズまで取っていた事もあったらしいにぇ!なんでご褒美に提案してきたのかと思ったら、光たん、練習してたんだね」
話し終えてから、みこはチラリと扉を見やる。この程度ではまだ光には届かないらしく、開く気配を見せないそれを確認すると、みこは再度息を吸う。
「ふたーつ!光たんがメイド服だけじゃなく、偶にみこの服を体に当てて見てたよね!ひらひらの服を着た光たんをみこも見てみたいけど、でも光たんが着ると多分一部がぶかぶかになっちゃうと思うから、今度他の服を買いに行こうにぇ!あと、その辺りをちょっと気にしてる光たんも可愛いと思うよ!」
「みーっつ!よくみこのことちょっと抜けてるって言うけど、光たんだってお風呂に入ってから忘れ物をしたり、ぼーっとして間違えてみんなを箒で掃いたりしてたよね!特にお風呂のとき、バスタオルだけ巻いて誰にも見られないように警戒しながら頑張って部屋に行ってたの、みこ見てたよ!」
次々にみこが、恥ずかしい話と銘打った光の暴露話を披露していく。時折、興味深そうに老女が頷くモノだから、みこも口が乗って、あれこれと止めどなく話は続いて行く。
しかし、光も我慢強いのか、もしくはカミと成り精神性に変化でもあったのか、みこがそろそろ限界だろうという段階に至るも、閉ざされた扉に変化の兆しは現れない。
絶え間なく話し続けているみこだが、彼女の引き出しも無制限という訳ではない。現状が続けば、やがて話が尽きることは目に見えていた。
刻一刻と近づく話の限界に、業を煮やしたみこはとっておきの話を引き出すことに決める。
「じゃあ…、ちょっと前に、光たんは秘密でとある物を入手していたにぇ。それは…そう、所謂勝負下着と呼ばれるもので、今日以上に勝負の日は無いだろうから、今の光たんはそれはもうすんごいのを…!」
意気揚々としてボルテージの上がったみこのその話が、最後まで続けられることは無く。言葉を遮るようにして、凄まじい音を立てて勢いよく開いた扉の奥から、完全に涙目になった光が飛び出して来た。
みこさんが地下にやって来たのは、足を踏み入れた時点で気が付いていた。だけど、ツミキさんに話した通り、会話をしたらきっと戻りたくなってしまうから、何を言われても答えない事にした。
投げかけられるみこさんの言葉に、つい反応してしまいそうになるのを堪えていると、少し間が空いてから、何故だか、恥ずかしい話という名の暴露大会が始まってしまった。
最初の辺りは、まだ耐えることが出来た。
改めて言われて恥ずかしく感じる事はあっても、みこさんに見られたのは記憶に新しいし、その後の猫耳の部分は予想外だったけど、まだ許容範囲内だった。まだ。
でも、続いたみこさんの話は、大方全て隠し通せていると思っていたものばかりで、驚きと恥ずかしいに同時に襲い掛かられた。しかも、同じ場所にいるツミキさんにも、それらは当然聞こえている訳で、段々と生温かくなっていくツミキさんの視線に、ごりごりと精神を削られる思いだった。
それでも、なんとか耐えてた。耐えていたのに、トドメになったのが、最後のみこさんの話。それを聞いた途端、ツミキさんがまん丸に開いた目に、顔から火が出るかと錯覚するほどの羞恥に、もう耐えきれなくなって。
気が付いたらボクは、扉を開いてみこさんに詰め寄っていた。
「ねぇなんで知ってるんですか!ボクちゃんと見られないようにしてたのに、なんでみこさんはあれもこれもそれもどれも知ってるんですか!というか、知ってても普通言いませんよね、言わないで下さいよなんで言うんですか…!」
がっくがっくとみこさんの肩を掴んで前後に揺らしながら、ボクは先ほどのみこさんの蛮行について抗議する。
蛮行。そう、あれは蛮行だ。ボクの精神をこれでもかと叩きつける蛮行に他ならない。一つだけでも十分すぎる程のダメージを負うのに、それを何個も何個も続けざまに絶え間なく浴びせかかるだなんて酷すぎるにも程がある。
「ひ、光たん、落ち着いて!これ、酔うから…!」
「知りません!酷いみこさんなんてフラフラになっちゃえばいいんです!」
目を回しかけているみこさんから制止の声が掛かるけど、知った事ではない。ボクはされた行いに相応の行いを返しているだけなのだから。
視界の端の方では、以前に依頼の中で出会ったお婆さんの元に遅れて出てきたツミキさんが向かっていくのが見えた。どうしてみこさんと一緒に居たんだろうと疑問に思うけど、兎に角今は目の前のみこさんが最優先だと、思考の端の方に追いやる。
それでも、研ぎ澄まされた五感は勝手に会話を耳に拾ってしまうようで、みこさんを揺さぶりつつ、二人の会話に耳を立てる。
「姉さん、ここまで来ていたのですか。どうしてまた、あまり気分のいい場所ではないでしょう」
「あら、だって巫女様が根元で泣き崩れていたんですもの。時間を稼ぐのは良いけれど、肝心の巫女様が来られなかったら意味が無いでしょう?」
「え…?ですが、私はちゃんと巫女様の前で入り口を開けて見せましたし…」
「…相変わらずね」
あちらはあちらで積もる話があるみたいで、邪魔をしないようにこちらはこちらで完結させようと目の前の制裁に意識を戻す。
そうだ、今は何よりもみこさんだった。ツミキさんとお婆さんの二人にまで赤裸々に語ったその口をどうしてくれようか。そんな恨みを込めて、揺さぶりながらじっとみこさんを見つめる。
「ジ、ジト目な光たんもかわわだにぇ…!」
「…まだ足りないんですね。安心してください、カミは思ったより力も持久力もあるので、執事としてきちんとご期待に添いますから」
「待って許して、ごめんなさい!」
揺さぶる速度を上げようとした所で、流石のみこさんも音を上げた。
まだ溜飲は下がり切らないものの、このくらいにしておこうと手を離すと、みこさんは「おぉ…世界が回ってるにぇ…」と言いながらたたら踏んでいた。
そうして勢い任せだった展開を終え、改めてみこさんと向き合う事になると、否が応でも変わらぬ現実へ目を向けなければならない。
当初の予定通り、ボクが生贄になる事に変わりは無い。揺らがない為に、未練を残さない為に黙って出てきたのに、みこさんがやって来て、こうして再会してしまった。
「…どうして、会いに来たんですか。これはボクがやらないといけない事なんです。ボクの使命です。だけどみこさんと話したら、全部捨ててしまいたくなるから、だからボクは…」
固めていた筈の覚悟が、言葉を交わす毎に崩れていくのが自覚できる。今も尚、自らの中にある使命感は削られていき、代わりにみこさんと共に居たいと言う欲求が肥大している。
みこさんだってそれは分かっている筈なのに、会ってもただ辛いだけだって分かっているのに。
「でも、あのままお別れなんて、みこは嫌だった。きっと後悔してたから、みこも光ちゃんも。少なくとも、みこはお別れしないといけないにしても、できる限り一緒に居たいよ」
『光ちゃんは違った?』と言外にみこさんの瞳に問いかけられる。ボクの答えなんて、みこさんは見透かしているだろうに。
「それは…ボクだってそうです。けれど、それでボクが逃げだしたらどうするんですか。昨日話したみたいに、みこさんを連れて、何処か遠くまで逃げたら。街がいくつも滅んで、何人も犠牲になって。だから、ボクが犠牲になるしかなくて、だから、ボクはみこさんに会いたくなかったのに…。なのに、こうしてみこさんに会ってしまった。ボクは、どうすればいいんですか…」
留め続けていた感情が漏れ出て、制御しきれぬままに言葉となって口から出て行く。答えがない事は分かっている筈なのに、抑えきることが出来なかった。案の定みこさんも眉をひそめて逡巡している。それでも、何か答えようとみこさんは顔を上げた。
けれど、みこさんが口を開くよりも先に、横合いからその問いに対する答えが返って来た。
「あぁ、それでしたら私が代わりに犠牲になりますから、お二人共安心なさって良いですよ」
声の主は、今の今までツミキさんと話していた筈のお婆さんで。お婆さんは朗らかな表情のまま、まるで雑談にでも混ざるように、あっけらかんとそう言ってのけた。