【完結】桜の巫女は花と笑う   作:ワンダーS

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29話

「代わりに犠牲にって…。姉さん、いきなり何を仰ってるんですか」

 重苦しい沈黙に包まれた空間に、そんなツミキさんのか細い声が震えて伝播し、止まっていた時間が動き始める。

 お婆さんに問い詰めるような眼差しを送るツミキさんは見るからに動揺していて、そして、言葉には出さないものの、それはボクもまた同様だった。だってそうだ、これはボクの、ヒカリの問題だ。さくら神社に残された、太古から続くしがらみを解くための使命だ。だから、お婆さんが巻き込まれる筋合いなんて、何処にも無い筈なのに。

 けれど、お婆さんはそんなボク達の戸惑いなんて意に介した様子も無く、ただ朗らかな笑みを浮かべていた。

「いきなり、だなんてつもりはないわ。だって、私は最初からそのつもりで、動かない足に鞭を打ってここまで来たのだもの。善意なんて崇高なものでなく、私自身のために。…巫女様には、こちらに来る前に話しましたよね」

 話の矛先を向けられて、みこさんが軽く身を震わせる。その顔にはありありと困惑が浮かんでいて、状況について行けていないのが明白だった。

 それでも、みこさんは問いに対してこくりと頷いて答える。

「たしかに自分のためって言ってたけど…。でも、それじゃあお婆ちゃんは犠牲になるために、みこをここに連れてきたの?」

「えぇ、そうよ。利用する形になってしまって、ごめんなさいね」

 事も無げに笑みを浮かべているお婆さんと悲嘆に歪ませるみこさん。対照的なその様相の違いは、ボクにどうしてこんなにも明るく振舞えるのかと、そんな疑問ばかりを抱かせる。それ程までに、お婆さんからは負の感情が欠片も感じ取れなかった。

「けれど、良い取引だと思わないかしら。生い先短い孤独な老婆の命と、未だ若く生まれたばかりの女の子の命。ツミキちゃんは、大事な街が守られて。光様と巫女様は、望んでいた通りに一緒に居られる。これ以上なんて考えられないわよ」

 『ねぇ?』と、賛同を求める様に、ちらりとお婆さんの視線がボクの方へと向けられる。それが、まるでボクが喜ぶ姿を想像してのものに見えて、ふつふつと怒りがこみ上げた。

「寿命の長さなんて、関係ないです。お婆さんは、どうして、ボクの代わりに犠牲になろうだなんて思うんですか。それは、憐憫からですか。それとも、慈悲のつもりですか。理由が何であったとしても…、誰かの犠牲の上で生き残っても、ボクは、嬉しくなんかないです…」

 例えそれでみこさんと一緒に居られるとしても、代わりに犠牲になった人がいると分かった上で幸せを感じられるほど、ボクは能天気でも考え無しでもない。代わりに犠牲になった人を忘れられるほど、薄情になんてなれやしない。きっと、自分の為に身代わりにしてしまったと、足を引かれ、後ろ髪を引かれ続ける。後悔こそすれ、喜ぶだなんて、あり得るはずが無い。

 ボクは睨みつける様に、鋭い視線を送る。すると、お婆さんはそんなボクの憤りが伝わったのか、今一つ確信に欠ける曖昧な笑みを浮かべてから諭すような口調で続けた。

「そうね、正しいと思うわ。けれど、それは犠牲になろうとする光様も同じこと。光様が私に対して感じるそれらを、光様は今正に他の人に感じさせているの」

 チラリとお婆さんがみこさんを見やって、そしてこちらへと視線を戻す。変わらぬ穏やかさを湛えるその視線に、ボクは肝が冷える思いがした。

「命の重さに優劣なんて存在しないもの。それでも、犠牲が必要な以上どちらかを選ばないといけない。なら、その基準は必然的に他の部分になるわよね」

「…基準だなんて、優劣が無い以上、何を比べろって言うんですか」

 やっぱり、出て来るべきでは無かった。答えながらボクは、一時の感情に身を任せた自分を呪った。あのまま閉じ籠って全てを終わらせていれば、こんな会話をしなくても良かった。みこさんと再び出会わずにも済んだのに。

 なのにボクはこうして出て来て、誰が犠牲になるかなんて、振り出しに戻った問答を続けている。

 決めていた覚悟なんて既に瓦解して跡形もない。それでも、他の誰かが犠牲になるのは受け入れられなくて。そんな相反する二つの願いに押しつぶされて、心は絶え間なく悲鳴を上げていた。

「比べる必要なんて、無いです。ボクに取れる選択肢は、最初から一つしかないんですから」

 ボクは、お婆さんの提案を拒絶した。これ以上話し続けたとしても、ただ辛いだけだから。少しでも義務感が残っている内に、終わらせてしまいたかった。

「…先ほどから話していたのは、光様が私を犠牲にしたくないように、巫女様が光様を犠牲にしたくないように、あくまで他者から見た命の優劣は同じというお話。なら、次に比べるべきは当人の意志になるでしょう?」

 それでも、拒絶を受けても尚、お婆さんは話を続ける。

「だから、比べる必要なんて…!」

「当人の意志、つまり、私と光様の意志。…ねぇ、光様は、自ら進んで犠牲になりたいのかしら?もうこの世に未練なんて一つもないと、そう言えるのかしら」

 畳みかけるようなお婆さんの言葉に核心を突かれて、今度こそ、ボクは言葉を失った。同時に留めていた感情が濁流のように胸中に溢れ出てくる。ツンと鼻を刺す痛みに目元が熱くなる、揺れ動く感情に膝が崩れ落ちそうになる。

「…そんなの、決まってるじゃないですか」

 つっかえそうになりながら、ボクは本心を吐露した。

 死にたくなんてない。だって、まだみこさんと遠くに遊びに出掛ける約束が果たせてない。みこさんがちゃんと朝起きれるか心配で仕方ない。もっと、みこさんと一緒に居たい。死にたくない、もっと生きていたい。

「光ちゃん…」

 みこさんが呟くのが聞こえてくる。こんなこと、伝えるつもりは無かったのに。せめて、みこさんにだけは、ボクが望んでここに居るのだと思っていて欲しかった。

「そう」

 ボクの答えを聞いたお婆さんは、それだけ言って瞳を伏せる。そうして、一瞬の間を空けてお婆さんは再び口を開いた。

「私は…その逆。もう生きていたくない、早く死んでしまいたいわ」

「っ…、姉さん…!」

 お婆さんの言葉に真っ先に反応したのは、今まで静観を保っていたツミキさんだった。咄嗟に駆け出した彼女は、いつもの澄まし顔を崩し去って、お婆さんのその骨ばった肩を掴む。

「駄目だったんですか!巫女姉さんが居なくなったこの世界は、街は!姉さんにとって、拠り所にはなれなかったんですか…!私、頑張りましたよ!姉さんが少しでもこの街を良く思えるように、精一杯過ごしやすい、あの頃よりももっと居心地の良い街になるように!なのに、どうして…!」

 駄々をこねる子供の様に、その目元から雫を振りまいて、けれど激情の焔を宿したその瞳は、変わり果てた姉を捉えて離さない。

 街の為、それも有ったんだろうけど、多分ツミキさんの心の奥底にあったのはそれだけじゃない。きっとツミキさんは、誰でもないお婆さんの為に、街長として、この街を、世界を守ろうとしてきた。だからこそ、届かなかったと悟ったツミキさんは取り乱している。しかし、お婆さんはツミキさんの頭に手を置いて、小さくその首を横に振った。 

「いいえ、この街の事は好きよ。桜の降りしきる街も、住民の奏でる活気の歌も。あの頃よりも更に過ごしやすい、良い街になったと思うし、それを導いてきたツミキちゃんを、誇りにも思う。この街で、あの人との記憶と一緒に余生を過ごすのも、悪くないと思ってたわ」

 なら、それで良いじゃないですか。そんなツミキさんの想いがその瞳にはありありと浮かんでいた。けれど、『でもね』と、そう続けるお婆さんに、恐らくその理由に勘付いたツミキさんの肩が震える。

「歳を経るにつれて、あの人との思い出が消えて行くの。そして、消えたら何も無くなるわけじゃなくて、そこに暗い穴だけが残される。その穴には、他の思い出を思い返していく内に、此処の部分が欠けていると気づくのよ。一つ、また一つと消えて行って、気付く度に、怖くなる。ここに居た筈の人が居ないって。それでも、他の思い出が残っている内は、あの人が居なくなるわけじゃないから、耐えられた。でもね、思い出が全部無くなってしまったら、どうかしら。私には大切な人が居た。けれど、その人が誰だったのか、私とどんな関係だったのか、何も分からなくなってしまう。そんなの、離別そのものでしかない。私は、それがどうしようもないくらいに怖い、もう、耐えられないのよ」

 感情と連動するようにお婆さんの身が揺れて、二つのペンダントがかちゃりと音を立てる。

 お婆さんの記憶が無くなっている、それは以前にも聞いていた。でも、その時はこんなに悲壮的な雰囲気は見受けられなかった。今にして思えば、あの時はまだ希望があったからなのかもしれない。ペンダントを無くして、でも、無くしたペンダントが戻ってきたら、また思い出せるから。

 それでも、老いを止める事なんて出来はしない。幾ら思い入れのある品でも、限度がある。

 お婆さんは、きっとそれに気が付いてしまった。いや、もっと前から気付いていたのかもしれない。だから、そう願う様になって。そして、その機会がやって来てしまった。

「光様」

 お婆さんからの呼びかけに、ボクはハッと顔を上げる。そうして、目に入ったお婆さんの姿は、今にも消えてしまいそうな程に、安定性を欠いて見えた。

「慈悲のつもりかと、言っていたけど。寧ろ、慈悲を求めているのは私の方。これは、生い先短い老女の最後の願いなの。

 だから、お願いよ、光様。まだ私たちが一緒に居られる内に、私をこの苦しみから、解放してはくれないかしら。私を、救ってはくれないかしら」

 お婆さんの手がこちらに伸ばされる。その様は、まるで救いを求める敬虔な信徒のようで、ボクを通して別の何かを見ているようにすら見える。

「私はもう、二度と、あの人と離れ離れになんてなりたくないの」

 そう言って、お婆さんが浮かべた笑みはからりと乾いていた。乾き切った感情から絞り出すように、精一杯を形どる様な、生気の抜けた表情が張り付けられている。

「分かってくれるかしら、光様。いえ、厳密には分からないでしょうね。だって、あなたはまだ失っていないもの。まだ、あなたの大切な人は、手を伸ばせば届く距離にいるのだもの」

 ボクとみこさんを交互に見やると、お婆さんは僅かな嫉妬を覗かせる。

「光様、私達は真逆の存在ともいえるわ。歩んできた時間、立場、その願いでさえも、全てが鏡合わせ。それでも、その想いの強さだけは同じはず。なら、私がどれだけ強く望んでいるかは、伝わっているでしょう?」

「それは…、…はい」

 お婆さんの言う通り、彼女の想いは痛い程に伝わってくる。もし、仮にボクが同じ立場だったとして、みこさんにおいて行かれたまま、カミとしての長い寿命だけが残されたとしたら。とても、耐えられるとは思えない。想像に過ぎないにも関わらず、これなのだ。それを、お婆さんは現実として、この時分まで続けてきた。

 どれ程の苦悩があった事だろう。辛うじて残された、記憶という名の糸に縋って、その糸が見る間にほつれていくのは、どれ程の恐怖だろう。

 分らない、いや、分かってはいけない。だって、ボクにとってのそれは、あくまで想像の域を出ないのだから。

「…私からも、お願いいたします、光様」

 唇を噛んで目元を拭ったツミキさんが、絞り出すように言いながら、こちらに向けて頭を下げる。その表情は、黒の長髪が覆い隠して伺えない。でも、その声が、身振りが、彼女の心情を映し出していた。

「貴女を利用しようとしていた手前、勝手な事とは思います。後程、罰はなんなりとお受けいたします。ですので、どうか。どうか姉さんを、救ってあげて下さい」

 ツミキさんと、お婆さん。二人に乞われ、胸中に迷いと戸惑いが生じる。

「ツミキさん…、ツミキさんは…良いんですか。だって、その為に頑張って来たのに」

「えぇ…、私には、姉さんを救うことが出来ません。何処まで行っても、私は、傍観者の立ち位置でしかいられない」

 ぐっと強く握られたその拳には彼女の悔恨がにじみ出ている。ツミキさんも、悔しいのだ。この結末を、彼女とて望んでいた訳では無い。それでも、自身の願いを振り払って、お婆さんの望みを優先しようとしている。

 ここで、全てを無視して終わらせることは出来る。あの扉の向こうに戻って、ナイフを胸に突き立てれば良い。でも、それでは二人の気持ちを、願いを踏みにじる事になる。

「…分かり、ました」

 こんなの、選択肢にもなっていない。ずるい、こんなやり方をされたら、頷く他ない。そして、ボクが首を縦に振ったのを見て、お婆さんはほっと安堵したように息を吐いた。

「ありがとう、光様。意地悪をしてしまって、ごめんなさいね」

「…本当です、ずるいですよ。誰かを犠牲にするつもりなんて無かったのに…こんな、断れない理由を作るだなんて」

「ふふっ、歳の功という奴ね。是が非でも、その立場だけは譲れなかったの」

 悪戯に成功した子供のようにお婆さんが笑う。ボクは、とても笑い返す気分にはなれなくて、曖昧に答えることしか出来なかった。

「お婆ちゃん…、居なくなっちゃうの?」

 横合いからそう問うたのは、会話から外れていたみこさんだった。お婆さんは、みこさんに向けて微笑んで、ふと意外そうに首を傾げて見せる。

「えぇ、そうですよ。巫女様の事だから、てっきり誰も犠牲にならないでって、泣いてしまうのかと思っていたわ。正直、光様よりあなたの説得をどうしようか迷っていたの」

「うん…みこも、本当はお婆ちゃんも、光ちゃんも居なくなって欲しくない。でも、みこは何もできないから…、困らせるだけになるから、駄目だと思って」

 みこさんの答えに、お婆さんはその目を真ん丸とさせる。けれど、その様子はみこさんの言葉に驚いていると言うよりも、もっと別の要因に見えた。

「そう…。…ねぇ、巫女様、私実はね、偶にあなたの事を見ていたのよ?気まぐれに出た街の中で見かける程度だったけど、いつもあなたは周囲に笑顔を咲かせていた。その様子が、まるであの人が帰って来たのかと錯覚するくらい瓜二つで、勝手に重ねていたの。あぁ、そうだった、あの人はこんな風にして、みんなを笑顔にしていた、って。このペンダント以外で、思い出に浸ったのは初めてだったわ。自覚していないかもしれないけど、こうして私が願いを叶えられるのは、あなたが居てくれたからなの。あなたが居なかったら、私はきっと既にあの人と離れ離れになっていた」

 私だけじゃない。そう言ったお婆さんは、ボクとツミキさんへと順々に視線を送る。

「この場にいる全員、巫女様が居たからこの場にいられるの。だから、何もできないなんてことは無いわ。あなたには不思議な力がある。きっと、それはカミもイワレも関係ない、あなた自身が持つ、周囲を幸せにできる力。この先もその力で、沢山の人を救ってあげてね」

 みこさんはお婆さんの話を聞いて、上手く理解できないように目を瞬かせていた。それでも、お婆さんの言葉に、力強く頷いて見せる。

「うん、分かった…。よく分かんないけど…分かった。みこ、頑張るから」

「ふふっ、ほんとそっくり。…さ、お話も纏まった所で、行きましょうか」

 可笑しそうに笑いながら、お婆さんはすっと揺り椅子を動かして扉の方へと向かおうとする。すると、そんなお婆さんの後ろへとツミキさんが動いて、揺り椅子の背へとその手を掛けた。

「姉さん、最後くらい私に押させてください」

「あら…、じゃあ、お願いしようかしら」

 そうして、一足先に二人が扉の先へと進んで行く。

「みこさん、行きましょう」

「うん、行こ、光ちゃん」

 ボクとみこさんはどちらからともなく手を繋いで、遠ざかろうとする二人の背を追って、足を一歩先へと踏み出した。




次かその次、最終話です。
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