窓から差し込んでくる朝日、あまりの眩しさに片目を閉じつつ窓を開けると、たちまち吹き込んでくる温かな風と、それに乗って漂ってくる桜の花びら。眼下に広がる街並みには、既にちらほらと人が出て来ていて、こちらの姿に気が付いた人が大きく手を振っている。
「えっと…」
どうしようかと一瞬迷ってから、ひらひらと手を振り返して、ボクは今日最初の仕事に向かう。
少し長い廊下を進んで、到着した目的の部屋の前で立ち止まると、一度深呼吸をした。頑張ろうと息巻いてはいたけど、やっぱりちょっと緊張してしまう。
「んっ」
意を決して、こんこんこんと襖を叩く。けれどやはりと言うべきか、中から返事は返ってこない。ここまでは、ツミキさんから聞いていた通りだ。
ボクの仕事はこの先。取っ手に手を掛けそっと襖を開けると、部屋の中には、すやすやと寝息を立てているみこさんの姿。その寝顔があまりにも穏やかで、気持ちよさそうなものだから、つい小さく笑ってしまう。
でも、幾ら快眠の最中といっても、ここは心を鬼にしないといけない。
「みこさーん、起きてくださーい」
そう声を掛けながら、ボクはみこさんの肩をゆさゆさと揺する。
みこさんが暮らしているのは、街の中央にある桜の大樹の根元に鎮座しているさくら神社。街の皆さんにとって一種の信仰の対象であるこの神社が、ボクにとっての仕事先兼帰る場所になったのは、つい昨日の出来事だった。
「光ちゃん、みこの執事になってよ!」
それは、つい昨日の出来事。花開くような満面の笑みでみこさんに言われて、キョトンと一瞬呆けたボクは
「はい、良いですよ」
すぐに笑顔を返しながら、そう答えた。
「光様!?」
即答したボクに、ツミキさんが驚愕からか素っ頓狂な声を上げる。
自分でも迷わな過ぎだと思うけど、でも仕方ない。だって、みこさんには助けて貰ったし、初めて会うのにも関わらず良くしてくれた。そんな彼女がそうして欲しいと言うのだから、ボクはそれに出来る限り応えてあげたい。
けれど、ツミキさんからするとあまり喜ばしくないみたいで、葛藤するように彼女は唸り声をあげている。
「…えっと、駄目、でしたか?」
恐る恐ると問いかけると、ツミキさんは何とも複雑そうな顔で「そんな事は…」と言い難そうに首を横に振る。
「元々巫女様のお世話係を探してはいたのです。以前までは私が勤めていたのですが、街の長になった事で、手が回らなくなりまして。ただ、代わりともなると、中々適任が見つからず…とはいえ、お世話係が居ないのも、それはそれで…」
チラリとツミキさんが視線を向ける先では、みこさんが朗らかな表情のまま瞳を輝かせている。
「なら良いじゃん!それに、光ちゃんの生業も決まって一鳥二石ってやつでしょ?」
「…御覧の通り、お世話役の選定には難儀しております」
げっそりとしたツミキさんの顔からは、これまでの彼女の苦労が伺えた。でも、ちょっと心配になるのは、短い時間一緒に居るだけでも何となく分かる気がする。目を離しておくよりは、自分でなくとも誰かが付いておいた方が、ツミキさんも安心できるみたいだ。
それよりも、話の最中で一つ気になったことがあった。
「生業って、お仕事とかの事ですよね?基本的に、皆さんが何かしらの生業を持ってるって事ですか?」
知識にある限りではその筈だけど、生憎と細かな仕組みについては疎いため、確認は取っておかないといけない。
そんなボクの問いに答えてくれたのは、苦々しい表情を隠したツミキさんだった。
「はい、仰る通り。この国、ヤマトでは誰もが何かしらの生業を持っています。まぁ、多くは家での手伝いから入るので、そのまま家業を継ぐことが主ですね。とはいえ、光様が無理に職に就く必要はないのですが…」
話しながら気遣わし気にツミキさんはボクを見るけど、それを聞いて尚更決意が固まってしまった。
「なら、ボクだけ何もしない訳にはいきませんよ。ただでさえ、お世話になっているんですから。少しだけでも、恩返しさせてください。…それとも、ボクだと役不足でしょうか」
お世話係とは、自分に加えてそれ以上に他人の面倒を見るものだった。なら、相応に能力が求められるわけで、そこが不足していると言われたら返す言葉が無い。
ふと不安に思うけれど、それも続くツミキさんの言葉で、すぐに杞憂に終わった。
「そんな事はございません。しかし…、そうですね。巫女様も光様をいたく気に入ってしまったようですし、光様が良いと仰られるのでしたら是非もなく。…私からも、お願い申し上げます」
最後の最後まで悩んでいたものの、遂には折れてくれて、そう言ったツミキさんは真っ直ぐに綺麗なお辞儀をした。つい反射的に頭を上げてくださいと、謙遜しそうになったけど、けれど何だかこれはツミキさんにとっても大切な事な気がして、ボクは口を突いて出かけた言葉を飲み込んだ。
「はい、分かりました。執事として、ボクがみこさんの傍にいます」
「ありがとうございます。…ただ、あまり無理はなさらないよう、重ねてお願い申し上げます。何分、巫女様は予想がつかない方ですので」
横目にみこさんを捉えながら話すツミキさんの声には実感が籠っている。そして、当のみこさんはと言うと、完全に話に置いて行かれてしまったせいか、退屈そうに足をぷらぷらと揺らしていた。
ツミキさんとボクの視線に気が付いたみこさんは、話が終わったことを察したみたいで、ぱっと顔を輝かせて立ち上がった。
「じゃあ、光ちゃんは今日からみこの執事ってことで良い!?」
「聞いてはいたんですね。はい、不束者ですが、よろしくお願いしますね、みこさん」
しっかりと要所は抑えているみこさんに苦笑いを浮かべつつ、改めて挨拶すると、みこさんは「やったー!」と歓声を上げながら抱き着いてくる。
急で驚いたけど何とか受け止めて、くすぐったい感触に耐えていると、不意にツミキさんが不思議そうに首を傾げた。
「ところでなのですが、巫女様、何故執事なのですか?性別的には、メイドが順当に思われますが…」
そんなツミキさんの素朴な疑問だけど、そこはボクも引っかかっていた。勿論、メイド服が着たいとかでは、断じてない。思えば最初から、みこさんは執事に固執していたように思える。
すると、ぴたりと動きを止めたみこさんは、あからさまにため息をつくと、ちっちっちと指を振った。
「分かってないにぇ。白くてさらさらなショートヘア…ボクっ娘…、光たんには絶対執事が似合うんだよ!」
何を言っているのかは良く分からないけど、鬼気迫るみこさんの迫力に、ボクとツミキさんは完全に気圧されてしまっていた。
「…ご健闘をお祈りします」
「あ、あはは…」
本当に自分に務まるのか、最後の最後に不安を覚えたけれど、こうして、その日ボクはみこさんの執事になった。
執事としての初仕事は、まずみこさんを起こすところから始まる。
「みこさん、起きて下さいよー」
その筈だけれど、ボクがみこさんを起こしにかかってから、かれこれ数分程が経過していた。にも拘らず、ボクの目の前で、みこさんは未だぐっすりと夢の中に居る。幾ら揺さぶってみても、頬を突いてみても、閉じられたその瞼が上がる気配は微塵も感じない。
はて、人とはこうまで起きないモノだっただろうか。とうとうそんな哲学的な疑問が胸の内に浮かび上がってきて、途方に暮れていると、不意にもふりと、床についていて手に柔らかな感触を覚えた。
「みこさん?」
一瞬みこさんかと思ったけど、彼女は今も布団に包まったままで、触れられるはずが無いし、そもそもこれは動物の毛並みみたいな感触だった。
なら、一体何に触れたのだろう。疑問に思いながらふと視線を向けた先では、白いまんまるとした猫らしき生き物が一匹、小さな手で存在を示すようにボクの手を叩いていた。
「えっと…、どちら様ですか?」
言葉が通じるかは分からないものの、一応声だけかけてみる。
すると、案の定返事は返ってこなかった、その代わりに謎の白い生き物は背負っていた、中くらい程の大きさの木槌をこちらに差し出してくる。
「木槌…?これを、ボクに?」
問いかけるとこくこくと頷くので、取り合えずそれを受け取ってみると、見た目に反するそのあまりの軽さに驚いた。こんなに軽くては、木槌としての役割は果たせそうにない。
「それで、ボクは何をすれば良いんですか?」
今一意図がくみ取れずに、再度白い生き物に問いかける。
言葉は交わせないけれど、こちらの意志自体は伝わっているみたいで、白い生き物は大仰に頷いてから、まずボクの持つ木槌を小さな手を向けた。次いでその手はみこさんに、具体的にはみこさんの頭に向けられて、最後に、手に持った何かを勢いよく振り下ろす仕草を…。
「…って、駄目ですよ!みこさんが怪我したらどうするんですか!」
いくら軽いと言っても、木でできている以上それなりに固さはあるし、それで殴りつけるなんて以ての外だ。
少し叱り口調で言いつけるものの、想定内だったのか、白い生き物は分かっていると言わんばかりに手をかざしてから、その小さな手でぺしぺしと二回柏手を打った。
途端、軽快な音を立てて襖が開いて、すぐ傍にいる白い生き物と瓜二つの生き物たちが、更に四匹現れた。一体この子たちは何匹居るのだろう。と、それよりもボクの目を引いたのは、現れた四匹がお神輿の様に担いで持ってきた中くらいの鐘だった。
四匹はそれをボクの傍らに置くと、そそくさと距離を取って一列に並んだ。かと思うと、最初の一匹がさっきと同じようにボクの持つ木槌を手で指して、次いで今度はその鐘を手で指し示す。
「この木槌で…この鐘を、叩く?」
読み取った意図を口に出して言うと、その通りと白い生き物は何回も頷いた。
良く分からないけれど、一旦やってみようと思って、ボクは木槌を肩程の高さまで上げて、鐘に向かって振り下ろす。
(…耳栓?)
鐘と木槌が接触する直前、ふと視界の端で白い生き物たちが揃って耳栓らしきものをつけているのが見えた。嫌の予感がしたけど、もう既に後の祭りで。
振り下ろした木槌が鐘を打った瞬間、カーン!と耳を通り抜けるような甲高い音が部屋中に響き渡って、あまりの音の大きさに、ボクは思わず反射的に目を閉じて耳を抑えた。
「わっ!?なに、なに!?」
同時に聞こえてきたのは、みこさんの慌てふためくような声。さしもの彼女も、この音を前にしては夢の世界を維持できなかったみたいで、 目を開けてみると、そこには目を真ん丸にして飛び起きたみこさんが居た。
「えっと…みこさん、おはようございます」
「お、おはようございます…?」
自分がやった手前気まずさを感じながら、何とか笑みを浮かべてあいさつすると、みこさんはボクの持つ木槌と鐘を見て、鳩が豆鉄砲を食らったような、正にそんな顔をして困惑を深めていた。
「そ、その…ご、ごめんなさい、まさかこんなに大きな音が鳴るとは思わなくって」
罪悪感に打ち勝てずに、勢いよくみこさんに頭を下げて謝る。けれど、みこさんは未だに目の前の現実が信じられないとばかりに、首を傾げていた。
「え、今の光ちゃん?みこの予想だと、光たんはもっと優しく起こしてくれると…はっ、まさか!」
何かに気付いた様子のみこさんが振り返ったのは、丁度先ほどの白い生き物たちが居る方向で、計五匹は全員けろりとした表情をして、詰め寄るみこさんの事を不思議そうに見上げていた。
「ちょっと、光たんに変な事吹き込まないでよ!折角執事な光たんとの甘々な朝になると思ってたのに、台無しだよ!ねぇ、みんな、ちゃんと聞いてるの!?」
烈火のごとく荒れ狂うみこさんを前にしても、白い生き物たちは全く動じないで変わらずみこさんを見上げている。それが更に神経を逆なでしたみたいで、ヒートアップしていくみこさんと、変わらず不思議そうにしている白い生き物たち。
全員耳栓をしているから本当に何も聞こえてない、とみこさんが気づいたのは、彼女があらかた文句を言い終わった後の事でした。
「えー、この度は誠にお恥ずかしい所をお見せしまして…」
諸々の攻防がひと段落した後、みこさんは謎の白い生物たちと一緒に正座をしたまま、かしこまった物言いで身を縮こまらせていた。
「なんでみこさんが謝る側に回ってるんですか、立場が逆になってますよ、悪い意味で。実際ボクが…」
「ううん、光ちゃんは何も悪くないの。悪いのは純粋な光ちゃんをそそのかしたこいつらだから」
そう言ってみこさんが視線を向けるのは、現在責任を一挙に押し付けられた白い生き物たち。かなり不服そうに見えるけど、これ以上争うのは不毛だと言わんばかりに、悔しそうにしながらも互いに慰め合っているみたいだった。
やっぱり普通に意思疎通は出来るみたいで、実際にこの生き物たちがどういう存在なのかは棚上げしたままな事を思い出す。
「それで…、昨日は見かけませんでしたけど、この方たちは一体?」
一応、ボクは昨日からさくら神社に寝泊まりしている。けれど、今朝になるまで影も形も見えなかったのは、ただの偶然とは思えない。
するとみこさんは一瞬キョトンとした顔をした後、すぐに慌てて表情を取り繕った。
「その、昨日は光たんが混乱しない様に、あえて紹介しなかっただけだからにぇ。いやー、エリートなみこが忘れてたなんて有り得ないから…」
「みこさん、ボクはそこまで聞いてないですよ」
語るに落ちる、とはあえて言わないけど、意図せず事情を大体察せてしまった。
微妙な空気が流れるけれど、横に顔を逸らしていたみこさんは、そんな空気を切り替える様に一つ咳ばらいを入れて話し始める。
「こほん、じゃあ、遅くなったけどみこの使役してるシキガミ達を紹介するね。金時ー!」
みこさんが何処にともなく声を掛けると、それに応えるように虚空に穴が開き、そこからピンク色の影が飛び出てくる。
飛び出して来たそれはまんまるとした桜色の猫っぽい動物で、先ほどの子たちに比べると何処か貫録があるように思えた。
「この子が狛猫の金時!みこのシキガミの中だと最古参で、みこの大切な相棒!」
「えっと、よろしくお願いします、金時さん」
みこさんに抱えられた金時さんは、挨拶をするように片手を挙げた。そんな金時さんに会釈を返している中、ふと横を見てみると、白の子たちもまた、ボク以上に頭を下げているのが見えた。金時さんが狛猫と言う動物なのなら、見た目的にこの白の子たちも狛猫に分類されるのだと思う。
軽く挨拶も終えると、金時さんはみこさんの手から降りて、今度は件の白の狛猫たちの番になる。
「で、こっちの沢山いる白い子たちは…」
みこさんが紹介する最中、白の狛猫たちはそれぞれ誇らしげに胸を張ったり、腕を組んでいたりして、自分達こそ、みこさんのシキガミだぞ、みたいな固い意志に満ち溢れて見える。
「みこの舎弟!」
けれど、続いたみこさんの言葉に、白の狛猫たちは一拍置いて、全員がそろって愕然とした表情でみこさんに振り返った。その顔には、ありありと『嘘でしょ?』と書かれているけど、みこさんの自信満々の笑みを見て、その表情は絶望に変わった。
とはいえ、それで収まるような狛猫たちでもないみたいで、なにやら彼ら同士で打ち合わせをしたように思うと、おもむろに取り出した琥珀を中心におしくらまんじゅうを始めた。
「あの…、皆さん?」
はた目から見ると微笑ましい光景に頬が緩みかけるけど、次第にパチパチと小さな炸裂音がし始めて、何やら不穏な空気が漂いだす。やがて、一匹一匹に離れた狛猫たちは、その毛並みが広がっていて、あからさまに静電気が溜まっていた。
そんな彼らは、それぞれが配置についたのを確認すると、まるで放たれた一本の矢のように、みこさん目掛けて駆け出した。
「ちょっと、みんな!?」
予想外の急襲を受けたみこさんは、なすすべもなくそのまま突撃を受けるかと思ったけど、けれど狛猫たちは直接みこさんに触れるような事はしなかった。その代わりに、まるで静電気を擦り付けるように髪の傍を通り抜けてを繰り返す。すると、次第にみこさんの髪にも静電気が溜まり始めて、ぶわりと彼女の桜色の髪が広がりだした。
「ちょ、待って、髪の毛ぼさぼさになるじゃん!謝る、謝るからやめて、やめてください!!」
静電気を嫌がって部屋の中をみこさんが逃げ回って、それを追って狛猫たちが部屋を駆けまわる。ボクのさくら神社で迎えた最初の朝は、どたばたと穏やかとは程遠い喧騒に包まれていた。