【完結】桜の巫女は花と笑う   作:ワンダーS

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30話

 

 もし、あなたにもう一度会えたなら。そんな事を考えていたけれど、いざその時を目前にしてみると、言葉って不思議と出てこない。

 こんなお話があるのよ。

 こんな出来事があったのよ。

 夢にまで見た会話の糸口なんて、一つたりとも見えなくなって。代わりに溢れ出てくるのは、この胸を突き破ってしまいそうな感傷だけ。こんな感情を抱いたのは、貴女に想いを告げた時以来。

 随分と若返った心地に揺蕩いながら、チラリと後ろ背に見上げれば、今にも泣きだしてしまいそうに顔を歪ませた妹分がいる。彼女は、今まで本当に頑張ってくれていた。街長の仕事もあるだろうに、足繫く街の外れまで私の様子を見に通って、自分の家族もいるのにずっと気にかけてくれた。

 時を止めた私と違って、ツミキちゃんはひたむきに流れゆくそれと向き合い続けてきた。そんな彼女に、姉だなんて慕って貰う資格なんて私には無い。なのに、ツミキちゃんはいつだって私を姉と呼び続けた。呼ばれる度に申し訳ないようで、けれど、変わらず接してくれる彼女の心に、むず痒い感覚を覚えていた。

 あの人との記憶だけだと思っていたけれど、私を繋ぎとめていたのは、それだけでは無かった。

「ねぇ、ツミキちゃん」

「…はい、何ですか、姉さん?」

 気付かれぬよう視線を前に戻して声を掛ければ、一拍遅れて少し籠った声が返って来る。どれだけ歳を重ねても、相変わらず、彼女の感受性は豊かなまま。

「ありがとう」

 何が、とは言わない。ただ一言だけ、それだけを、伝えておきたかった。

 ふと、祭壇へと向かっていた身体が動きを止めた。後ろからは、鼻を啜る音が一つと微かな衣擦れの音が聞こえてくる。そして、また祭壇に近づき始めると共に、ツミキちゃんが呟くように言った。

「いいえ、姉さん。お礼を言うのは、私の方です」

「ふふっ、そう…」

 ほんと、泣き虫な子。それでいて、必死に虚勢を張って。一体、私とあの人のどちらに似たのだろう。もしかすると、その両方なのかもしれない。

 悪い所ばかり受け継がせてしまって、結局姉らしいことは出来ずじまいだった。にも拘らず、こんなにも立派になったのは、きっと彼女自身のおかげ。

 ねぇ、あなた。もう一度会えたら、まずは反省会からしないといけないみたいだわ。二人で何が悪かったのかを振り返って。行く末を見守るのは、それからにしましょう。

 

 

 祭壇の奥にある、古のカミを封ずる場所。

 お婆さんとツミキさんはそのすぐ目の前に辿り着くと立ち止まって、ツミキさんだけ、一歩下がった位置まで下がった。そんなツミキさんと入れ替わるように、ボクとみこさんがお婆さんの横に並んだ。

 顔を上げれば、台座の上に置かれた握り拳程の暗い宝石と短剣が目に入る。

「…そう、これが全ての大本だったの。思っていたよりも、小さかったのね」

 感嘆とも落胆とも取れない声音で、お婆さんがぽつりと呟く。ボクは、それに簡素に「はい」とだけ答えて、宝石を見つめた。

 この宝石が、古のカミの成れの果て。カミと呼ばれる強大な力を持つ存在と命を引き換えにして作られる、神命石と呼ばれる宝石。本来であれば透き通っているそれは、怨念に淀み黒く濁っている。けれど、濁るが故にその力は怨念によりその力を増し続けている。

 封じられていて大部分を閉じ込められているそれから、増した分だけが百年余りの期間毎に漏れ出て、黒薔薇として世に顕現する。

 これを封じた太陽のカミ。つまり、ボクの前身ではこれが限界だった。だからこそ、苦肉の策として生まれたのが、桜の巫女と管理者の存在。そして、全てを救うために、ボクが生まれた。

 本来であれば、ボクが命と引き換えに神命石となり、その力をもって対消滅させる予定だった。けれど、そこで重要なのはボクの持つ力で神命石を作るまでで、作成のきっかけとなる落命の対象は、一定以上のイワレを持つ人であればいい。

 だから、ボクにとってその条件は一見に値しない情報で、お婆さんにとっての天啓となった。

「それじゃあ、さっさと済ませてしまいましょうか。一応確認なのだけれど、これが終われば、もう桜の巫女も管理者も必要なくなるのよね?」

「…同時に、今ある加護も。現在の桜の巫女と管理者、みこさんとツミキさんは、その力を失う事になります」

 視線だけこちらに向けてのお婆さんの問いに、頷きながら返す。

 みこさんの無病息災の加護も、ツミキさんの予知の力も、共に黒薔薇を退けるために残されたもの。その原因が無くなれば、自ずと対抗するための力も失われる。

 それを聞いたお婆さんはわざとらしく口に手を当てて驚いて見せた。

「あら、それじゃあこの場に居る三人は普通のヒトになるの。それは大変ね、巫女様もツミキちゃんも、これからはあまり無理をするとすぐに体を壊しちゃうわ」

 お婆さんの余りにも芝居がかった口調に、ツミキさんも呆れ顔を浮かべている。

「姉さん、言い方が完全に他人事になってます」

「だって他人事だもの。それに、私は元々アヤカシだったのだし、やっぱり私には関係のないお話よ」

「姉さんからしたら関係ない話かもしれませんが、かなりの大問題ですよ。特に無病息災の加護が無くなるので、街の住人にも病気をする者も出て来るでしょうし、その対応も考えないと…。あぁ、今から頭が痛い」 

 顔をしかめたツミキさんが、遂には頭痛を堪える様にこめかみを抑え始めてしまった。 

 みこさんの、というよりは桜の巫女が持つ無病息災の加護はさくら神社の全域に効力を及ぼしていた。お陰で、住人の誰もが病しらずだったわけだけど、加護自体が無くなる以上これからはそうもいかない。

 街長であるツミキさんの心労が増すようだけど、寧ろ今までが異常と言えたのだから、通常に戻るだけだと、納得して貰う他ない。

 しかし、本人からしてみれば納得するにはまだ早すぎるみたいで、それを揶揄うようなお婆さんの物言いに、ツミキさんは不満げに口をへの字に曲げている。お婆さんもそれに気が付いたのか、くすりと笑みを浮かべてツミキさんへと振り返った。

「別に無責任に言ってるわけじゃないのよ?ツミキちゃんなら大丈夫だって、確信を持ってるからこう言ってるだけ。貴女なら、この先もきっと上手くやれる」

「…はぁ、それが無責任だと…。でも、そうですね。なんでしたら、今よりももっと良い街にして見せましょう。姉さんが惜しんでしまうくらいの、良い街に」

「そう、それは楽しみね」

 そうして、お婆さんとツミキさんが静かに笑い合う。その様子を横から見ながら、ふと、ボクは隣にいるみこさんが首を傾げているのに気が付いた。

「みこさん、何か分からない事がありましたか?」

 そっと声を掛けると、みこさんは『え、うん…』と曖昧に頷いて口を開いた。

「さっき、お婆ちゃんが三人はヒトになるって言ってたでしょ?みことツミキさんは分かるけど、光ちゃんもヒトになるの?」

 そうみこさんに問いかけられたボクは、つい呆気に取られて、目を瞬かせてしまう。それから、そう言えばみこさんにはまだ説明していなかったことに思い至った。

「浄化をするためには、ボクのカミとしての力が必要不可欠なんです。それも、カミである資格とか諸々を全て投げ出さないとなので、これが終われば、ボクは普通のヒトになります」 

 普通であれば、力は使っても回復する。けれど今回の場合、力の入れ物ごと使用するため、残るのは力を持たない光という存在だけ。そして、入れ物が無いボクは未来永劫、力を取り戻すことは無い。でも、それで良いと考えている。

 何も、命があるだけなんて理由じゃなくて。ボクはカミとしてではなく、同じヒトとして、みこさん達と同じ時間を刻みたい。カミに成った時から、ずっとそれだけが望みだった。

 すると、ボクの顔を見たお婆さんは、ほっと息を吐いて胸を撫で下ろす。

「未練が無さそうで安心したわ。力も、時間も、あるからと言って、それで幸福になれる訳じゃないのだから。後は、ついでに負い目や引け目なんかも無くなってくれると嬉しいのだけど?」

「それは…無理なご相談です」

 片眉を上げて言ってくるお婆さんに、ボクは首を横に振って伝える。

 幾らお婆さん自身が望んでいる、と言われても、こちらからしてみれば身代わりとなる事に他ならない。だから、負い目を感じるな、なんて土台無理な話だし、それが普通なのだとボクは知っている。

「お婆ちゃん、その…」

 ふと、何かを言葉にしようとして、けれど失敗したようにみこさんが言葉を途切れさせて、口を噤んで俯いた。それを目にしたお婆さんは考え込むそぶりを見せた後、そっとみこさんの方へと顏を寄せた。

「ねぇ、巫女様。さっきのに加えて、もう一つお願いがあるのだけど、良いかしら」

「お願い?…うん、分かった、何でも言って!」

 こそりと内緒話をするようで、こちらにもきちんと聞こえる声量でされた相談へ、間髪入れずに了承したみこさんに、お婆さんの目が丸く見開かれた。

「あら、即答。…じゃあ、そんな頼りになる巫女様に。ツミキちゃんね、貴女からはしっかりしている様に見えるかもしれないけれど、意外と抜けている部分もあるから、気にかけてあげて下さいね」

「…あー、確かに。ツミキさんが自分基準で考えてて、お婆ちゃんが来なかったら、みこもここまで来れなかったし」

「ちょっと姉さん、巫女様まで…」

 思い当たる節があったみたいで、うんうんと頷き合っている二人に、しっかりと聞こえていたツミキさんが呆れたように肩を落とすも、その顔には微笑が浮かんでいた。

「良いじゃない、湿っぽいよりこっちの方がずっといいわ。私ね、もうそういうのは懲り懲りなのよ」

 そうして、話し終えたお婆さんは正面を見据え、台座の前に置かれた短剣を手に取った。

 それは、歴代の桜の巫女が使用してきたもの。生贄となる彼女らが、せめて苦しまぬように、身体に傷が付かぬように、痛みは無く、心臓に突き立てればたちまちにその命を刈り取る短剣。

 お婆さんが短剣を手にしたのを目にして、心臓が嫌な鳴り方をした。みこさんとツミキさんも、表情を固くして、その場に立ち竦んでいる。

「懲り懲りなのだけど…、まぁ、上手く行かないものよね」

 ボク達の様子に気が付いたお婆さんは、後ろ目にこちらを見ながらため息をついた。

「…姉さんっ!」

 途端、弾かれたように駆け出したツミキさんがお婆さんを後ろから抱きしめる。途中、垣間見えたその目元には涙が浮かんでいて、肩を震わせるその姿は、まるで泣きじゃくる子供のようだった。

「うーん、同じくらい年月は重ねてる筈なのだけど、やっぱり見た目に引っ張られるものなのかしら。そんなに泣いて、後から恥ずかしくなっても知らないわよ?」

「歳なんて関係ありますか…!大好きな姉さんが居なくなろうという時くらい、好きに泣かせてください!」 

 あやすように、お婆さんの手がツミキさんの頭の上に置かれる。困ったように笑みを浮かべているお婆さんは、けれど何処か嬉しそうで、頭を撫でるその手は慈愛に満ちていた。

 一頻り泣き終えると、ツミキさんは名残惜しむ様にしながら、そっとお婆さんの身体に回していた腕をほどき、後ろに一歩下がった。目元を赤くして、顔を涙に濡らしたツミキさんは、見た目よりもずっと幼く見える。横では、そんなツミキさんにつられてか、みこさんまでボロボロと涙を零していた。

「光様、準備はよろしいかしら?」

「…はいっ」

 そうして、解放されたお婆さんは、確認するように視線をこちらに向けて来て、ボクは目元を拭ってから、強く頷いて見せる。

 お婆さんは、それに満足げに口元を和らげると、そっと腕を伸ばして短剣の切っ先を自らに向けた。 

「それじゃあ、後はお願いしますね」

 その言葉と共に、とんと、あまりにも呆気ない音を立てて、短剣がお婆さんの胸の中へと突き立てられた。

 

 

 

 爽やかな風が頬を撫でる感触に、閉じていた瞼を開く。

 辺り一面に咲き誇っている色とりどりの花、風に舞う花弁達、小高い丘の上に立つ満開の桃色を被った一本の木。

 見覚えのあるそれらは、思い出の中で何度も訪れた、あなたと過ごした花の秘境。

 ぐるりと、辺り一帯を見渡して、そして気が付いた。丘の上にある木の下に、夢にまで見て焦がれた、あの人が立っている。

「…あなた、そんなに我慢強くなかったでしょう。どうして、こんな所で待っているのよ」

 震える喉で強がりながら問いかける様に口にしてみるも、答えなんて、最初から分かり切っていた。 

 いつかと同じように、こちらに駆け寄って来るあの人の姿に、今すぐ抱きしめたい、またあなたの体温を感じたい、そんな感情が胸に溢れ出る。けれど、そちらへ向かおうにも、座りきりのこの体がそれを許さない。

 だから、私はせめて前へと手を伸ばした。

 伸ばした手に、あなたの手が触れる。記憶の中にある無邪気な笑みを浮かべて、私の手を引いて立ち上がらせる

 そう、あなたはいつも、こうして私の手を引いてくれた。あなたが居るから、私は前に進める。

 動かなかった足が嘘のように軽やかに感じた。今なら、何処までだって走っていける気がした。

 手を引くあなたを追って、私も一緒に駆けていく。

 

 もう二度と離れぬように、固く手と手を握って、何処までも。

 




次回、最終話です
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