からからと車輪の鳴る音を響かせながら、ボクとみこさんを乗せた馬車は草原に一本の線を引いたような道を進んでいた。
一面見渡す限りの草花は太陽の光受けて淡く煌めいて、風が吹けば波打つその様はまるで地上にある緑の海みたいに見える。朝には無かったぽかぽかとした陽気に、容易に眠気を誘われて、つい欠伸が出てしまう。
「良い景色ですねー。ちょっと離れた所にこんな場所があったなんて、案外出てみないと分からないものですね」
さくら神社に来てから一ヶ月くらい経つけど、こうして街の外に出掛けるというのは初めてだった。そのためか見る景色はどれも新鮮で、これだけでもうこのお仕事を受けれて良かったと思える。
「光ちゃん、あっち!兎がジャンプしてる!」
道中だけで既に楽しんでいるボクだけれど、それ以上にみこさんはあからさまにテンションが上がっていた。
今だって、ボクの腕を抱いて座ったまま子供のように跳ねていて、それに合わせて少し馬車が揺れる。
「わっ、みこさん、あんまり跳ねると危ないですよ。お馬さんたちもビックリしちゃいますよ」
「だいじょーぶ、相変わらず光たんは心配性だにぇー。この子たちもこのくらい平気だって」
「にぇー」とみこさんが声を掛けると、それに応える様に馬車を引くお馬さんたちはぶるると鼻を鳴らした。ツミキさんが用意してくれたこの子たちは一応手綱は繋がっているけれど、本当にボクたちが手綱を引かなくても勝手に歩いて行ってくれている。
因みに、間違ってもみこさんに手綱を握らせないようにとツミキさんからは強めに言われている。一体過去に何があったのだろう。
だから道中のボクたちに出来る事と言ったら、ゆっくりと流れて行く景色を眺めるくらいだった。
「ところで、みこさんは今向かってる隣街に行ったことはあるんですか?」
ふと気になって聞いてみる。さくら神社と街についてはみこさんからよく聞いていたけど、思えばあまりそれ以外の場所については、とんと話に上がったりしていなかった。
「うん、行ったことあるよ。えっと、昔に行ったのと…丁度光ちゃんと会うちょっと前と…、あれ、これだけだったけ…?みこ、ずっと街にいて、あんまり外に出ないから」
みこさんは指を折って数えると、その数字の少なさに首を傾げる。
意外だった。僕から見ても、みこさんはかなり活発な部類で、よく街に繰り出しては街の皆さんと触れ合っていて、てっきり同じみたいに他の街にも行ったりしているのかと思っていた。
「みこさんって、街の外に関しては意外と出不精だったんですね」
「デ、デブ…?光たん、まだみこがチョコを食べたことを怒って…?」
「違います、出不精です。外に出るのをめんどくさがるとか、そういう意味の言葉ですよ。それはそれとして、チョコの件はまだ少し不満ではありますから」
むっとした顔をして見せると、白々しい仕草でみこさんは目を逸らす。
今向かっている隣街は職人さんが拠点にしていたと聞いて、一瞬まだ手に入る可能性があるかと期待したけど、既に職人さんもいないみたいだし希は薄い。
「まぁ、マシュマロは美味しかったので、これ以上とやかく言うつもりも無いですけど」
食べてしまった代わりにとみこさんがくれたマシュマロ。ココアに入れたのとは別に一つ食べたけれど、優しい甘さで頬っぺたが落ちるかと思うくらいだった。
今も口の中に残るあの幸せ味に、つい顔がほころんだ。
「…チョロいなぁ、みこさんは光ちゃんが将来悪い人に騙されないか心配だよ」
「みこさんに言われたくないです」
お菓子をあげると言われただけで、みこさんは簡単について行ってしまいそう。ボクからの印象はこうだけど、けれどみこさんもみこさんで、ボクに対して同じような印象を持っているらしい。
傍から見たらどっちもどっちなのかもしれないけれど、みこさんよりも、となるとそれは無いと否定したくなる自分がいる。
「ていうか、みこが街を出ないのにも理由はあるんだよ。だって、隣街に行くだけで歩いて二時間もかかるんだよ?アヤカシとかカミとかならともかく、みこは普通のヒトなんだから気軽に行けないの!」
「あはは、それもそうですよね。そんなに歩いたら、行き帰りだけで足が棒になっちゃいそう」
二時間ともなると、用事でも無い限り滅多に行こうとは思えない。今は馬車で移動しているけどこれは借り物だし、そもそも馬車を持っていると言う人も少ないから、街と街の移動は本来かなり敷居が高いみたい。
でも、みこさんの口ぶりではそれはあくまでヒトに限った話みたいで。
「みこさん、アヤカシとカミについて聞いても良いですか?」
この世界で、人間は三つに分類されている。一つはヒトで、他二つがアヤカシとカミ。ボクが知っている範囲だと大雑把にこのくらいで、詳しい知識は持ち合わせていない。
みこさんに問いかけてみると、みこさんは『何で今更?』といった風に首を傾げるけど、すぐに合点がいったように頷いた。
「光たん、みこはエリート巫女だよ?そのくらい知ってるに決まってるでしょ。えっとね、アヤカシはヒトより凄くて、カミはアヤカシよりもっと凄い!」
得意げな顔でみこさんがそう答える。その余りにもざっくりとした回答に一瞬固まりかけて、すぐにはっと持ち直す。
「…えっと、凄いと言うと?」
「んっとー、両方馬車よりもずっと早く移動できて…、あ、特別な力が使えるんだって、ツミキさんが言ってた気がする?」
話していく内に、あからさまにみこさんの顔からは自信が無くなって行って、遂にはみこさんまで首を傾げてしまった。
みこさんもあまり詳しくは知らないみたいで、なら帰ってから二人でツミキさんに聞いてみようと、提案するけど、それは頑なにみこさんに拒否された。なんでも、ツミキさんはその辺りかなりスパルタらしい。
「でも、そうですか。特別な力と言われると、少し憧れますね。分身とか出来れば、家事ももっと早く…」
と言いかけて、そこはシキガミさん達のおかげで、今と大して変わらないのではと気付く。掃除も分担して隅々までやってれるし、料理をしている時もお皿を出してくれたりするし。
「なんだか、特にこれが出来るようになりたいって出そうとすると、それはそれで難しいですね」
「えー、そうかな。みこは色々あるよ!炎を操ったり、巫女っぽく念力とか使ってみたいし、おやつを離れた所から持ってきて、髪も自動で梳いたりして」
「前半は兎も角、後半は今でもボクとシキガミさんがやってるじゃないですか」
自分と、そしていつの間にか『呼んだ?』とばかりに現れたシキガミさんとを交互に指さして言うと、みこさんも今気づいたみたいにはっとした顔で驚いていた。
「ほんとだ…!つまり、みこの特別な力は光たんとみんなだった…!?」
「ボクが特別かは分かりませんけど、今に加えてあんまり必要な物はないですよね」
多分、みこさんもボクも今の生活に不満がある訳でも無いから、これといったモノが思い浮かばないのだと思う。普通に生活を送る分には、きっと特別というものは過ぎた代物なんだ。
そんな事を考えていると、不意に肩に重みが加わって、頬にくすぐったい感覚が走る。見てみると、みこさんがこちらに傾いて来たみたいで、すぐ近くから機嫌良さそうなみこさんの鼻歌が聞こえてきた。
「いきなりどうしたんですか、もしかして眠たくなったんですか?」
「んーん、光たんがみこの執事になってくれて良かったなーって思って。これからも、みこと一緒に居てね?」
「…はい、精一杯お仕えしますね」
ゆらゆらと馬車の荷台で揺られて、それから暫くとせずに、隣からは微かな寝息が聞こえだす。ぽかぽかとした陽気は容易にみこさんの眠気を誘ってしまったみたいだった。
一応まだお仕事中だから起こそうとも考えたけど、その寝顔を見るとそんな気も失せてしまって。結局甘やかしてしまう自分に呆れつつ、それも悪くないと思って、ボクはみこさんの隣でゆっくりと流れて行く景色を眺めていた。
「いやはや、誠に助かり申した。もう備蓄も無くなりかけていた所でしてな、これで街の者に薬を行き渡らせることが出来る」
そう言って恭しく何度も頭を下げるのはホクヒトと名乗る隣街の長だった。
ボクとみこさんがさくら神社を出発してから二時間ほど経って、ようやく到着した隣街でボクたちは、門の前で待機していたと思われるホクヒトさんに迎えられた。みこさんと面識があったみたいで、こちらの姿を目に収めるなり、ホクヒトさんが遠くから凄まじい勢いで駆け寄って来た時はつい二人して慌ててしまった。
そうして、開けられた門から入った隣街。病気が流行っているという事で、閑散としていると思っていたけれど、しかし想像とは裏腹にさくら神社の周辺とまではいかずとも街には活気が満ちていた。
対策の一環で口元を布で覆っているけれど、それ以外は至って普通にみんなが生活を営んでいる。
「意外でしたかな?」
ぽかんと街の様子を見て立ち尽くしていると、不意にホクヒトさんに声を掛けられる。
「はい、正直街に人が出ていないと思っていましたので」
「ははは、病の流行を抑えるという観点では、そうしたいのは山々ですが。しかし、皆が閉じこもっては街の、ひいては住人の生活が立ち行かなくなりますのでな。薬で対処できる以上、多少の無理を押してでもこうして普段通りに振舞っておるのです。まぁ、その結果薬の材料が無くなり、こうして隣街に頼る始末ですがな。いやはやかたじけない。この度の礼は、いつか別の形で必ず返させて頂く」
豪快に笑って荷台から下ろされている材料を横目に、ホクヒトさんは改めて頭を下げる。妙に饒舌なのは、安堵によるものだと思う。唯一の対抗策である薬、その材料が目減りしていく様は彼の心に多大な負荷を掛けていた筈だから。
「大丈夫だよ、ホクヒトさん。またお薬が足りなくなったら、みこたちが絶対届けに来るからにぇ。なにせ、みこはエリート巫女ですから、このくらいちょちょいのちょいって奴ですよ」
「あぁ、巫女様。誠、ありがたい限りだもんで」
にっと笑っているホクヒトさんだけど、会話の合間にさりげない仕草で目元を拭っていた。こういう時、みこさんは凄いなとつくづく思う。さくら神社の街でもそうだった。みこさんは人の心に寄りそう事がとても上手い。それが意識的なのか無意識的なのか分からないけれど、彼女が彼女で居る事に救われている人は少なからずいる。
そんなみこさんは、仕事の手伝いに来たのか数人固まっている子供たちの姿を見つけると、そちらに向かって駆けて行ってしまった。
「にしてもお嬢さんは見慣れない恰好をしておりますが、巫女様のお付きの人ですかな?」
子供たちと楽しそうに話し込んでいるみこさんを見守る形で残されたボクに、ホクヒトさんがそう声を掛けてくる。
「あはは、やっぱり浮いてますよね…。はい、みこさんの執事をしています、光です」
もしかして、隣街だったらボクの他にも、同じ服を着ている人が居るかもと思ったけど、見る限り住人の皆さんが身に纏っているのは、さくら神社の街の皆さんと同じ様な着物で、執事服を身に纏っている様な人は一人たりとも見当たらない。
寧ろ、ここまで少数派の執事服をどうしてみこさんが持っていたのか、そんな疑問すら沸き上がって来る。
「光さんですな。近いようで中々隣街の情報と言うのは入って来ないモノでして、一つお聞きしたのが、巫女様は街でもずっとあのような?」
「そうですね、誰に対してもあんな感じで、みこさんが居る場所には必ず笑顔が有ります」
このひと月を思い返しながら答えると、それを聞いたホクヒトさんは『ほぅ』と感嘆の声を漏らす。
「それはまた、羨ましい限りで。いえ、妬みとかではないのですがな?あっしにはとても出来ない芸当だもので、巫女様が傍におられる皆さんは、それだけで幸せ者ですな。それとも、周囲の環境が良いから、巫女様もああなられたのか。はてさて、言っても詮の無き話ですが」
明るく話しているけれど、ホクヒトさんの言葉の節々には後悔の様なものが滲んでいた。自分がこうしていれば、自分がこうだったら、そんな彼の感情が読み取れる。
街の長、ツミキさんもそうだけれど、その責任は多分ボクが想像するよりもずっと大きいのだと思う。
「…ホクヒトさん。ボクはこの街に入った時、こう思ったんです。さくら神社の街と同じくらい、活気に満ちた街だって」
「それは…真ですかな。そう思っていただけるのは嬉しい限りですが…」
「本当ですよ?確かに、みこさんが居るさくら神社は笑顔で溢れていますけど、それに負けないくらい、ホクヒトさんが率いているこの街にも、笑顔があるんです。それは紛れも無く、この街の住人の皆さんと、ホクヒトさんの積み重ねて来たものがあってこそなんですよ。立場とやり方が違うだけで、貴方は立派に街の長としての務めを果たしていると思います。…なんて、ボクが言うのも少し生意気ですけどね」
柄にもなく変な事を言ってしまったと、後になって羞恥に襲われるけれど、でもどうしても彼を襲う後悔を少しでも取り払ってあげたかった。
「そんな事は…しかし、そうですかな。実際に隣街に住む光さんから見てそう見えるのでしたら、きっとそうなのでしょうな」
噛み締める様に言いながら、ホクヒトさんはざっと街を見渡した。
口元を覆う布越しでも分かるくらい、住人の皆さんの顔には笑顔が浮かんでいて、その喧噪は憂鬱な雰囲気なんて微塵も感じさせない。ボクが何を言おうと、ホクヒトさんが何を思おうと、それだけは紛れもない事実で。
「そう、でしたか…。中々どうして、若人の言葉というものは、胸に突き刺さる」
今度は堪え切れなかった雫が一粒、ホクヒトさんの頬を伝い地面に落ちる。けれど、それ以上は許さないとばかりにホクヒトさんは目元を乱暴に拭うと、大きく息を吸ってにっと、また笑みを浮かべる。
「えぇ、なればこそ、尚更に病などに負けてはおられませぬ!この程度の障害、あっしらが前では小石程度にもならぬこと、しかと証明して見せましょうぞ!
皆、聞こえるか!!我らが街の底力は、この程度では断じて無い!!病すらも意に介さぬ我らが本領、今こそ発揮しようぞ!!」
びりびりと響き渡る様なその号令から一拍遅れて、『うおぉー!!』と街のいたる個所からの歓声が、雄たけびが、絨毯爆撃のように一挙に街を揺らした。
周りの空気が質量を持ったようなその感覚を味わいながら、ボクは一つ自分が勘違いをしていた事に気がいた。
この街は病でかなり弱った状態で、さくら神社の街と同等以上の活気を見せていたのだと。
「ま、まだ耳がクワンクワンしてます…」
帰りの馬車に揺られながら、ボクは未だに調子を取り戻さない耳を抑えて、平衡感覚のずれに苦しんでいた。
「光たん、大丈夫?みこの膝枕つかう?」
「いえ、そこまででは無いですけど…、まさかあんなに活気づくとは思わなかったです。もしかして、みこさんは知ってたんですか?」
確かボクと会う前に訪れたと言っていた。すると、みこさんは案の定こくりと一つ頷く。
「うん、みこも最初光ちゃんと同じみたいになったからにぇ。街に入った時は静かだと思ったけど、いきなり元に戻ったからみこも少し危なかったよ…」
「うぅ、出来れば道中で教えて欲しかったですよ…」
みこさんの言う通り、あれから街は音量が倍にでもなったのかと思うくらいの喧騒に包まれた。まだ病の流行中という事も有って、ボクたちは荷物を下ろした後はそのまま帰路についてけれど、あのまま居続けたら間違いなく耳がおかしくなっていた自信がある。
元気になるのは良いのだけれど、少し想像の範疇を超えて来ていた。
「…まぁ、でも、結果的には良かったですね」
「にぇー、やっぱり元気が一番だよにぇ」
そう言って笑い合いながら、ボクたちはさくら神社へと向かい元来た道を戻る。
途中、ボクは『くしゅんっ』と暖かい筈の陽気の中、微かな寒気と共に一つくしゃみをした。