視界を眩しく照らす日差しが、もうすっかりと日が昇ってしまったことを告げている。いつもなら朝ご飯の準備を終えていないといけない時間なのに、ボクが居るのは自室の布団の中。
病気が流行っている隣街まで薬を届けに行った翌日、見事にその病気を貰ったボクは、半ば強制的に布団に寝かしつけられていた。
「うぅ…、ボク、動けますから…」
「駄目だよ、光ちゃん。熱も出てるのに無理したら、治るものも治らないから、今日は大人しく寝てないと」
起き上がろうとするボクを押しとどめてそう窘めるのは、いつもの巫女服ではなく、白いナース服に身を包んだみこさんだった。執事服もそうだけど、どうしてこんなに変わった服をたくさん持っているのだろうと、よく疑問に思う。
「いつも色々やってくれてる分、今日はみこが光ちゃんの面倒を見てあげるから、光ちゃんはゆっくりして良いからね!」
「…はい」
無邪気な笑顔を浮かべたみこさんに頭を撫でられて、くすぐったいような恥ずかしさを隠すように、口元まで布団を上げる。
実を言うと今日の朝に起きた時は、普段通りに執事の仕事をしようとしていた。けれど、遅れてシキガミさんたちと合流した途端、シキガミさんたちが凄まじい勢いでみこさんを起こしてきて、そのみこさんがボクの顔を見た途端体調が悪いと見抜いてきて、ボクは強制的に寝間着に着替えさせられた上で布団に放り込まれた。
ちなみに、ボクを布団に居れたすぐ後には、みこさんはナース服に着替えていて、看病する気満々と言った風体だった。
「みこさん、すみません。朝ごはんですけど、まだ用意出来ていなくて」
掃除をする段階で布団に放り込まれたから、その先は手付かずになってしまっている。起きてすぐで、みこさんもお腹が空いているだろうし、今日は街の方の食堂にでも行ってもらおう。そう考えて伝えるけど、けれど、みこさんはそれを聞いてきっぱりと首を横に振った。
「苦しんでる光ちゃんを置いていけないでしょ。それに、朝ごはんが無いならみこが用意すればいいんだよ!」
「…みこさん、料理できたんですね」
「勿論、なにせみこはエリート巫女だからにぇ!」
ふふんと鼻を鳴らして得意げに胸を張るみこさん。いつもながらの光景で、普段は苦笑いを浮かべるくらいだけど、今回ばかりは不安が勝ってしまって。
「本当に、大丈夫ですか…?朝ごはんを作るなら、やっぱりボクが…」
「お、おぉー、光ちゃんのみこへの信頼の低さが分かるにぇ。心配しなくても、光ちゃんが来てからはずっと任せきりだったけど、それまでは自分で料理してたんだよ?」
「信頼はしてますけど、その…。…でも、そういう事なら」
普段の立ち振る舞いで誤解しそうになるけれど、元々はボクが来る前からみこさんはここで生活していたのだし、余計な心配をしてしまったみたい。
「ところでなんですけど…、みこさん」
「ん?」
諸々の話も終わったあたりで、ボクはようやく先ほどから気になっていた、頭に伸ばされたままのみこさんの手について言及する。
「あの、いつまで、頭を撫でて…」
そう、話をしている最中もずっと、みこさんはボクの頭を撫で続けていた。決して嫌ではない、けどこうも撫でられ続けると戸惑ってしまうというもので。
すると、みこさんは少し思案するように「んー」と喉を鳴らしてから、すぐに表情をだらしなく緩ませた。
「光たんの髪って、サラサラで触り心地良いよにぇー」
「も、もうやめてくださいよぉ…」
撫でられることへのむずがゆさからのささやかな抵抗も、楽しそうなみこさんの顔の顔にすぐに鳴りを潜めてしまって。気づけばボクは、心地よいの眠りの中へと意識を沈めていた。
「あれ、寝ちゃった?」
すやすやと寝息を立てる自らの執事を務める少女に、みこは手を止めて光の額に浮かぶ汗をタオルで拭う。彼女が光の寝顔を見るのは初対面の時以来で、それを見つめるみこの表情は柔らかく穏やかだった。
「いっつも、頑張ってくれてるもんね」
そう言って、みこはもう一度さらりと光の頭を軽くなでて立ち上がる。すると、それに反応してか周囲からは数匹のシキガミが顔を出して、彼女はそれをちらりと見ると注意するように口元で人差し指を立てた。
「みんな、光ちゃんが寝てるから、今日はおふざけ禁止だよ」
声を抑えながらぱちりとウインクをしたみこに、シキガミ達は片手でぴしりと敬礼を取って何処へともなく去っていく。それを確認したみこは、ちらりと再度光に視線を向けて小さく微笑んで、鼻歌交じりに部屋を後にした。
ボクが目を覚ましたのは、すっかりと太陽が真上に昇ってしまった後の事だった。
熱が上がりきったのか寒気は無くなったけど、代わりに少し体がだるい気がする。体を起こしてみると、ぼんやりとした意識のせいかくらりと体が揺れた。
幸いと言うべきか、流行っている病気は殆ど風邪と同様で、そこに加えて風邪よりも更に抵抗力を落としてしまって熱が長引くくらいだから、症状も対処の仕方も分かっている。
「薬…材料が残ってたら、分けてもらえるかな」
薬を飲めば治りも早くなるみたいだから、早く復帰するためにももし貰えるなら少しでも良いから貰いたい。それに他にも心配なのは、ボクが病気を持ち帰ったから、それが街の皆さんに移らないか。一緒に行ったみこさんも心配だし、どうしよう。
落ち着いたせいか、朝は思い至らなかった不安がぐるぐると頭の中を巡る。そんな時、不意に部屋の襖がゆっくりと開いた。
「光ちゃん、大丈夫?みんなから起きたって聞いたから、お水持ってきたよ。あとお粥もあるから、食欲が有ったら持って来るからにぇ」
「みこさん…」
朝と同じくナース服を着たみこさんが、水差しとコップの乗った盆を持って部屋に入って来る。枕元に盆を置いたみこさんは、特に体調が悪そうには見えない。
「みこさんは、大丈夫なんですか?昨日からずっと、ボクと一緒に居て。それに、街の皆さんに病気が移ったら…」
渦巻いていた不安が堰を切ったみたいに口を突いて出てくる。
薬で治るとはいえ、隣街の人達も苦しめられていたみたいだった。感染力も高いみたいだし、これでさくら神社の街も隣街の二の舞になってしまったら、とは思わずにはいられない。
けれど、みこさんはボクの不安とは裏腹にキョトンとして首を傾げる。
「んえ、みこ?うん、みこはエリート巫女だし、他のみんなも加護があるから…」
そこまで話して、みこさんはあからさまに『しまった』という顔で固まってしまった。こういう時のみこさんには覚えがある。みこさんがこんな顔をする時は、大抵何か失敗をしてしまった時だ。
そして、話の途中にも聞いたことの無い、気になる言葉が出て来ていて。
「加護って、何の話ですか?」
「えと…それは、その…」
しどろもどろになるみこさんだったけど、すぐに観念したように姿勢を正してぽつりぽつりと話し始めた。
「あのー、とある加護が、昔からさくら神社の巫女には代々伝わってまして…。その加護と言うのがですね、病気にならないというものなんですよ。そのおかげで街の人もみこも、全員病気になることは無い、んですよにぇ…」
「…つまり、みこさん達にこの病気が移る心配は無いって事ですよね」
改めて問いかけると、みこさんは無言のままこくこくと頷く。さくら神社の加護、よく分からないけれど、みこさん達に危害は及ばないのは確かみたいで。
それを認識した途端、すとんと胸の奥のつっかえが落ちたように感じた。全身から力が抜けて、大きく息を吐く。
「もー、良かったー。ボクの所為で皆さんに迷惑が掛かったらどうしようかと、不安だったですよ。そう言う事なら、もっと早く言ってくれれば良いじゃないですか」
問題ないなら良かったけど、安心した分文句の一つも言いたくなる。みこさんもみこさんで悪かったと思っているのか、罰が悪そうに笑みを浮かべている。
「いやー、みこもあんまり実感ないから、普通に忘れてたんだよね。だって病気にならないだけなんだよ?ただ生活してるだけだと、実感も何もなくない?」
「それはそうかもですけど、一応みこさん、そのさくら神社の巫女じゃないですか。巫女が加護の事を忘れるというのは…」
「あー、聞こえない、聞こえなーい!」
完全に耳を抑えて防御の姿勢を取るみこさんに、くすくすとボクが笑っていると、不意にくらりと一瞬視界が揺れる。安心して気が抜けたみたいで、意識した途端めまいに襲われた。
倒れるほどでもないけど、やっぱり体調は優れない。
「光ちゃん、大丈夫?お水、飲めたら飲んでね」
「ありがとうございます」
巫女さんが差し出してくれるコップを受け取って、一口ほんの少しだけ飲み下して、ようやく喉がからからに乾いていたことを知った。
風邪をひくとこんな感じになるんだ、と場違いなことを考えつつ、ゆっくりとコップを傾けて水を飲んで、一息つく。
「でも、そうなるとちょっとズルいです。みこさんだけ病気にならないなんて。いえ、別に病気になって欲しかったとかじゃないですけど、そもそも絶対にならないなんて、条件が違いすぎるじゃないですか。そんなのズルですよ、ズールーいー」
「お、おぉ…光たんって、熱があると、ちょっと子供っぽくなるんだね」
戸惑うような声でみこさんに問いかけられるけど、「そんな事ないです」と否定して、ボクは頬をぷくりと膨らませたまま、ぷいとそっぽを向く。
なんだかさっきから頭がふわふわとしている。思考を通さずに言葉を口にしている気がするけれど、それもぼんやりとした思考の前ではすべて気のせいに留まってしまう。だからだろうか、今のボクは、ちょっと直情的になっている。けどその上で、みこさんに子供っぽいと言われたくないと思うのは、ボクの我儘では無い筈だ。
などと思案していると、不意に部屋の中にくるると、微かなお腹の鳴る音が流れた。その発生元はもしかしなくてもボクのお腹で、こみ上げてくる羞恥に、かっと顔が赤くなるのを感じる。
「あ、お腹空いてる?お粥持ってくるから、ちょっと待っててにぇー」
「…はい」
消え入りそうな声で返事をして、パタパタと部屋を出て行くみこさんの背を見送ってから、ボクは一人、熱のこもった顔を両手で覆う。
なんでこんなに恥ずかしいと思うのか、自分でも分からなかった。
それから暫くとせずに、みこさんは土鍋の乗った盆を持って、部屋に戻ってきた。料理ができるというのは本当だったみたいで、漂ってくる湯気からは、食欲をそそる良い匂いがする。
「美味しそう…」
気が付けば、無意識で呟いていた。それを聞いたみこさんは、自慢げな顔で、ふふんと鼻を鳴らす。
「そうでしょ、なにせ、エリート巫女の特性お粥ですから。他に何か欲しいものある?いつもはお世話されてるけど、今日はみこが、光ちゃんをいっぱい甘やかしてあげるよ!」
甘やかす、なんて言われても、こうしてご飯も作って貰って、十分すぎる程にして貰っている。でも、熱の所為か、もっと甘えたいと思ってしまって。
「じゃあ…その、食べさせて貰っても、良い、ですか?」
たどたどしく、そんな要望を口にすると、みこさんはぱっと顔を輝かせた。
「勿論!あ、熱いからみこがふーふーもしてあげるね」
嬉々として頷いたみこさんは、土鍋から小皿へとお粥をよそって、スプーンですくったそれを冷ましてから、こちらへ差し出す。
口を開けて頬張れば、優しい塩味と暖かさが口いっぱいに広がって、ふと、初対面で貰ったたい焼きを思い出した。
「どう、美味しい?」
「…」
問いに対して、ボクは無言のまま頷いて、口の中が無くなったら、次を催促するようにまた口を開ける。正に、餌を待つ雛鳥の気分だった。
「…やばい、なんか、新しい扉を開いてしまいそうだにぇ」
小声でみこさんが何か呟くけど、ボクはもう目の前の食事にしか意識を向けていなくて、よく聞き取れなかった。
「みこさん、早く次、下さい」
ちょっと顎が疲れてきてしまって、今度は言葉で催促すると、動きを止めていたみこさんは、はっとしたように次を用意する。
みこさんのお粥は、常に感じる気怠さを忘れさせてくれるみたいで、頬張るとつい顔が綻んだ。
「今日の光ちゃんは新鮮だにぇ…、これからは、もっとみこに甘えても良いんだよ?」
「…なんのこと、でふか?」
咀嚼している合間に、みこさんが頭を撫でて来るけど、心地よいから、特に抵抗もせずに受け入れる。
そんな事を続けている内に、土鍋も空になって、お水を飲んで満腹感に浸っていると、次に紙に乗った粉を渡された。
「食べ終わったらこれ飲んでね。さっき、ツミキさんが持ってきてくれたお薬。…でも、気を付けてね、聞いた話によるとすっごい苦いらしいから」
水を用意しつつ、ツミキさんが来ていた事に驚いて、目を瞬かせる。
「ツミキさん、いらっしゃってたんですか」
「うん、光ちゃんが起きるちょっと前だけど。一応光ちゃんが病気になったって伝えたら、血相を変えて押しかけて来たんだよ。正直、滅茶苦茶怖かった」
思い出してか、若干顔を青くするみこさんに、くすくすと身を震わせつつ、ボクは手に持った薬に目を落とす。
「凄い色ですね、これ」
「勧めておいてだけど、みこは絶対に飲みたくない」
抹茶の粉の緑を、更に濃くした色をしていて、少し毒々しさを感じる。ボクも、飲む前から既に抵抗感は感じるけど、治すためなら仕方ないと、覚悟を決めた。
目を瞑って、一気にあおったそれは、最初こそ特に之といった味はしなかった。けれど、それはあまりの衝撃に、舌が驚いていただけだったみたいで、遅れてやってきた苦みは、ボクの想像をはるかに超えていた。
「み、水、光ちゃん、水飲んで!」
余りの苦さに悶絶するボクに、みこさんがコップを差し出して、ボクがそれを一気に飲み干す。それを三度程繰り返して、ようやく平静を取り戻した。といっても、口の中にはまだ苦みが残っていて、目元には大粒の涙が浮かんでいた。
「なんだか、寧ろ体調が悪くなった気がします」
「た、多分、すぐに眠くなって、寝て起きたら良くなってる筈だから、多分…」
ボクの苦しみ具合を見て、みこさんも確信が持てなくなるくらいだったけど、少しすると確かに強い眠気を感じて来た。
次第にふらふらとしだしたボクを、みこさんが横にさせてくれて、布団を掛けてくれる。今日は、みこさんにお世話になりっぱなしだった。治ったら、暫くはみこさんの好きな料理を作ろうと、心に決める。
「みこさん、今日はありがとうございます」
気持ちを伝えれば、キョトンとした後で、みこさんは無邪気に笑う。
「どういたしまして。それで、他に何かして欲しいことはある?まだ、今日は終わってないよ」
お世話をするのが楽しくなってきたみたいで、みこさんはそう言って、キラキラと瞳を輝かせる。でも、後は寝るだけだから、特にして欲しい事は…。
そう考えた所で、一つ思いついた。
「手、握ってて欲しいです。ボクが寝るまで、ずっと」
「おぉ、定番だにぇ。良いよ。光たんも、心細いんだよね」
うつらうつらとして、今にも落ちてしまいそうな意識の中で、みこさんの暖かな手の感触を感じる。その事に、どうしようもない程、安心感を覚えた。
「はい。やっぱり、一人は、寂しいです」