苦虫を噛み潰したかのように、フォンウ(鳳舞)は顔をしかめた。つい今しがた一仕事――鬼蛙の捕獲――を終えたばかりである。頭の中では、辛気臭い地底洞窟などさっさと抜け出し、夜の色町に繰り出そうかと算段をしていたところに、高みの見物を決め込んでいた仕事の依頼主――メイが現れて、次のようにのたまったからである。
「さて次なんだが、天空山に向かっておくれ」
「――次って、いつの話だよ」
「今すぐに決まってんじゃん」
さも当然と言わんばかりの口調が、ことさらに腹立たしかった。他ならぬメイの依頼で鬼蛙を狩ったのも束の間、ねぎらいの一つもなしに、次の仕事を寄越すとは一体全体どういった了見だろうか。
フォンウの心情を知ってか知らずか、メイがにこやかに続けた。
「つい最近、廻龍亜目マガラ科っていう古龍種が確認されてね。ソイツのサンプルがほしいんだ。渡航の手配は整えてある。すぐ行っておくれ。何か質問は?」
「今、蛙を狩ったばっかだ。オメエのわがままには、付き合ってらんねえよ」
「修次郎が無事で良かったねえ」
反射的に、言葉が詰まった。
違法な医薬品の流通組織を査察すると、メイから聞かされたのは一週間ほど前のことだった。査察とは表向きの言葉である。相手が相手だけに実力行使も辞さない――比較的乱暴な手段が計画に組み込まれているという意味合いである。
渡された実査対象リストには反社会的組織のフロント企業から、数人の未成年からなる集団まで十把一絡げに二十前後が名を連ねていた。その中に知った名があった。他に比べ新興ながらも、度重なる『無茶』によって中堅どころにまで急成長した組織であり、かつ友人の無免許医――加茂修次郎が医療用品の手配を頼んでいた連中だ。
「けっこう長いんでしょ? 修次郎とは」
返事の代わりに、フォンウは舌を打った。修次郎とは、二十数年来の付き合いになろうか。幼馴染という間柄だ。普通より少し明晰な頭脳と家柄を持った少年が、闇医者などというやくざ者になるなどと果たして誰が想像できただろうか。傍で見て育ったフォンウですら、今思い起こすたびに疑問を覚えるくらいである。
隙だらけの修次郎と関わりのある組織に対して、近々の内に査察が入る――メイの情報が、どうにも嫌な予感を惹起した。面倒なことに巻き込まれてやしないかと危惧してみれば、案の定、修次郎と連絡が取れない。修次郎のねぐらを訪ねてみれば、玄関口の鍵が壊されていたり、廊下に靴跡があったりと、穏やかではない痕跡が散見される。
「修次郎の件については――感謝してるよ」
メイに頭を下げ、行方の知れぬ修次郎を探す手がかりを請うたのが、一昨日の朝。押収した資料から、成人男性の監禁に適した施設を抽出し、しらみつぶしに強襲した。早い段階で修次郎の救出に成功したのは、メイのプロファイルが正確だったからか。修次郎の無事を確認したと同時に、ハゲタカのように口の端を歪めたメイの表情を、フォンウは鮮明に思い出すことができる。
フォンウは観念せざるを得なかった。メイには借りが多すぎる。
「分かったよ。行きゃ良いんだろ。行きゃよ」
「助かるよ」
「で、その修次郎は?」
「コイツの搬送手配を頼んだよ」
捕獲したばかりの鬼蛙を指して、メイがコイツと言った。捕獲したからには、この場から移送させなければならない。巨大な怪物を狩ることができるハンターとて、生息域から収容施設まで独力で運ぶなど願い下げだ。そのため一般的には、専門の業者に搬送を任せることになる。今回も事前にギルドが運営するネコタク協会に手配を済ませているため、ベースキャンプあたりで待機しているスタッフに――
そこまで考えて、フォンウはあることに気づいた。
「ちょっと待て。メイ・リオ。修次郎は今、一人なのか?」
「うん」
ほがらかな返事に、フォンウはわずかにめまいを覚えた。捕獲した鬼蛙の他、地底洞窟の域内には、肉食の小型モンスターが数多く生息している。当然、草食獣のみならず人も捕食の対象だ。最大脅威である鬼蛙を排除してなお、周辺区域が危険であることには依然として変わりないのである。
「は!? おま、え、なんで修次郎を一人にしてんの」
「なんで?」
「ゲネポスに囲まれでもしたら、ぼんくらの修次郎じゃ、あっちゅー間にミンチじゃねえか」
「ああ、平気平気。松明持たせたから大丈夫だって。火ぃ持ってりゃゲネポス寄って来ないでしょ? だだから大丈夫だって。心配しなさんな」
確かにメイの言う通り、小型モンスターは概して火を嫌う。ドスゲネポスのような群れで生息している鳥竜種を狩猟する際に、小型モンスターを寄り付かせないために松明を所持するなど対策をするハンターもいると聞く。
「そんな心配すんなら、ベースキャンプまで迎えに行こうや」
道々マガラ科について説明する――そう言ったメイが、返事も待たずに先立って移動を始めた。
*
「マガラ科っつったけか。最近、見つかったばっかなんだろ。運良く遭遇できりゃ良いがな」
「見つかんなかった場合はさ、狂竜化したモンスターを狩ってきておくれ」
狂竜化とは――メイが説明を始めた。曰く、マガラ科の発見と同時に、狂竜症なる感染症が確認されたらしい。マガラ科のモンスターが狂竜症の病原体を媒介しており、ギルドはこれを狂竜化ウイルスと断定している。狂竜化ウイルスは、人およびモンスターに感染する人竜共通感染症であり、その感染経路として、接触感染と飛沫核感染――空気感染が確認されている。潜伏期間は極端に短く、感染から数十秒の内に初期症状が表れると言う。
「で、症状は?」
「体力と自然治癒力の低下。免疫系の機能も低下してるかもね」
「風邪みてえだな」
違いない――と言って、メイが盛大に笑った。
「でも、克服手段が、他生物を傷つけること、つまり攻撃しかないってんだから難儀だよ」
「なんだそりゃ。パラノイアの類じゃねえのか? そういうもんは普通、薬飲んでどうにかするもんだろ」
「おかしな話だよね。ギルドの資料も、『必死に戦ってたら克服してましたー』ってハンターの報告を、そのまんま記載しているだけだし。それなのに、もうウイルス性の症例だって言ってるんだから――」
語尾をにごすメイの言い方が、少しだけ鼻についた。確証がない考えを隠している表れであることを、フォンウは知っている。短い付き合いながらも、仕草の一つや二つ見分けがつくものだ。
「いつになく歯切れが悪ぃじゃねえか。らしくない。学者様を相手に話すなら科学的根拠とやらも必要だろうが、あいにくと俺は無教養なハンターだ。ほれ。腹ん中の推測ってヤツを言ってみろよ」
少しだけ嫌そうな顔をしながらも、寸余の逡巡の後にメイが語り始めた。
「タンパク質の可能性があるかもな、って思ってんだ」
「筋トレの時に飲むプロテインのことか」
「プロテインてのはタンパク質のことだよ。例えばコラーゲンだとか、ヘモグロビンだとか。お前さんの身体を構成しているアミノ酸の塊の総称がタンパク質だ。誰だって持ってるし、ほとんど毎日、食事で摂取しているタンパク質さ。マガラ科が媒介する鱗粉イコールウイルスって説が一般的だけど、感染性のあるタンパク質じゃないかなって、アタシは考えてる。考えてるっつーか、その可能性もあるかなーぐらいの話だけど」
意味が分からなかった。ウイルスだの感染するタンパク質だのと言われても、学のないフォンウには何がどう異なるのか、想像すらつかない。
だから生返事だけした。
「普通は感染するものって言ったら、ウイルスとか細菌を考えるもんだ。ギルドの報告書みたいにさ。でも、感染性を持ったタンパク質ってのがあってね。感染性タンパク粒子(Proteinaceous Infectious Particle)とか、略語表記でPrPとか呼ばれてる」
「その、なんだ、PrPってのが風邪みたいにうつるってのか」
「風邪のような感染とは、ちょっと違う」
ウイルスは他生物の細胞内に、自らの核酸を注入し増殖を図る。細菌の場合は、適した環境において自らが分裂して増殖する。それに対しPrPは、既に生体内にある正常なタンパク質に接触することによって増殖する。
「異常型PrPに触れると、正常型PrPは構造が変形して、病原性を持つ異常型になっちまうのさ。そうやってPrP、正確に言や異常型PrPは増殖する」
「腐ったミカンか」
「朱に交わればって言ってね」
「で、結局なんてタンパク質なんだよ」
「そればっかりはマガラ科が媒介してる病原体を調べてみないことには分かんねーね。それまでは感染性のある異常型タンパク質を、PrPXとでも呼ぶかね」
ただ――と言って、メイが白衣の裾をひるがえした。この女は、いつだってどこにだって何故か白衣姿で表れる。
「攻撃を繰り返すことによって克服されるってんなら、そうだな、例えばカテコールアミンとかある種のホルモンによって分解されるタンパク質かもしれないね」
「カテコール――?」
「興奮時に分泌されるアドレナリンとか聞いたことあるでしょ。そういうのの総称だよ。まっ、推論ちゅーか妄想みたいなもんだよ」
「俺は妄想を確認するためだけに、狩りに行かされるのか」
身体中から力が抜けるようだった。なんとやる気を削ぐ話だったろうか。他人の好奇心を満たす、たったそれだけの理由で身体を張らなければならないのだ。
フォンウは肩を落としながら、意気揚々と歩くメイの後を追った。
*
そしてベースキャンプも目前に迫った頃、フォンウとメイは揃って足を止めた。
路傍に奇妙な光景が広がっていた。アイルーとメラルーが口々に鳴き声を上げながら、輪になって踊っている。輪の中にはブナハブラが多数飛び回っている。それら全ての中心に、たいまつを手にしたまま倒れている修次郎が一人。
「いっけね。そういや虫は火に集まってくるよね。忘れてた」
にゃあにゃあと煩いネコ、ぶんぶんと鬱陶しい虫、いけしゃあしゃあとうそぶくメイ、そして麻痺毒によって昏倒している友人――修次郎。
フォンウは地に手と膝をつき、全力で落ち込んだ。
<続>