身動きの取れぬ私は、地底洞窟で孤独に耐えていた。
身体の自由を、背後からの刺突によって奪われたようだった。痙攣、あるいは麻酔作用のある毒を注射されたようで、疼痛が傷口から手足などの末端へと緩慢に広がっていく感覚は、どこか甘かったように思う。地面につっ伏したことに気付いたのは、足が麻痺する前だったか後だったか。助けを呼ぼうにも、上手く口が回らない。いや、元よりヒトの住む環境ではなく、かつ随分と前には同道していた女――メイ・リオ・エムノートと言ったか――と分かれてしまったのだから、余人の助けなど期待できようか。
ぐう――と私はくぐもった呻き声をもらした。
不幸な時には、決まって不幸が重なる。これは私の経験的な哲学である。ここ数日の経緯を振り返れば、それは明らかなことだ。拉致、監禁、拷問と暴行のフルコースを被ったかと思えば、傷も癒えぬ内に地の底にまで連れて来られ、挙句の果てに人知れず行き倒れているのだから、我が身の不幸については論じるまでもない。私の過去は、いつだって冬の雨のように陰鬱だ。
嫌な記憶から回帰したところに、とぼけた声が私の耳に触れた。
「いっけね。そういや虫は火に集まってくるよね。忘れてた」
徐々に大きくなる笑い声を聞くにつれ、怒りが沸き立つようだった。しびれて動かないはずの首を無理矢理にまわす。救いを喜ぶためではない。聞き覚えのある声の主を、うらみつらみを込めて一瞥するためである。
が――
「ずいぶんと傑作な格好したもんだね。お尻突き出して、ピクピクして。アハハハ」
地面に這いつくばって痙攣している私は、嗜虐的な瞳で睥睨するメイによって大爆笑された。まさに破顔一笑。心底、愉快なのだろう。腹を抱え、目に涙を浮かべ、地団駄のように地を踏みしめている。
腹に据えかね反論を試みたが、全身の痺れがたたって口がもつれてしまった。
「だ、黙れ。笑うにゃ」
「ちょ、聞いたフォンウ(鳳舞)。にゃって言ったよ。も一回言っておくれよ、もう一回さ」
メイが嘲笑しながら、友人のフォンウに話を向けた。見れば、フォンウが苦々しい顔をしている。哀れみか呆れか、あるいはその両方の表れだろうか。
「ブナハブラの毒は、すぐに消える。もう大丈夫だ。安心しろ。修次郎」
フォンウが、ハエを追い払うように納刀したままの太刀を振るった。ブナハブラなるマヒの原因が、私にたかっているのだろうか。
未だ感覚に乏しい手をフォンウの肩に回し、どうにかこうにか身体を起こした。覚束ない両足を踏ん張るものの、驚くほどに心もとない。まるで大地が揺れているようである。
なおも笑い続けているメイに対して、私は荒い咳を一つ、意図して吐いた。
「いやはや悪かったよ。修次郎や。誘蛾灯よろしく、虫が火に集まる習性を失念していた」
「白々しい」
「何のことだね」
なおもとぼけるメイの態度に、苛立ちが増した。数える程度の会話しか交わしていないが、医学薬学然り、モンスターの生態然り、深い知見を持っていることは疑いようがない。かつ、医薬品の不正流通を是正するために権謀をめぐらせるような、打算的な面も併せ持っている。そんな女が、はたしてブナハブラの習性を見落とすだろうか。トリックスターを気取っていると言うならばそれまでだが、眼鏡の奥の笑わない瞳に悪意を予感せざるを得ない。窮地を救われた借りがあるとはいえ、我慢するにも限界がある。
意を決し詰め寄ろうとした矢先、フォンウが私とメイの間に割って入った。
「落ち着け」
「ふざけるな。こっちが黙っていれば調子に乗って」
「俺の話を聞け」
「フォンウ。この女に何故かしずく。らしくないぞ」
「修次郎!」
フォンウの強い語気に、私は反射的に口をつぐんだ。そして、フォンウと、その奥でにやにやと嘲笑うメイを交互に見比べた。
「修次郎。お前の腕を折った馬鹿共だがな。とっ捕まえて塀の中にぶち込んでやった。殺したヤツもいる。しかし、一部の構成員は未だに現存している。組織自体は、消滅していないんだよ」
「だから、何だと言うんだ」
「20人前後の馬鹿共が、暫定的にコイツ――メイの管轄下に置かれてる。管轄下っつっても拘束してる訳じゃない。野放図って訳でもねえが、そこいらを勝手気ままに歩き回る程度の自由は与えている。暴力の行使が許可されるのは、メイが合目的的と判断した時のみ、だ」
「付け足すと、飲酒とか性交、薬は許可申請制でっす」
「口を挟まないでくれ。面倒だから」
フォンウが背後を振り返って、メイの発言を止めた。止めはしたが、どこか弱腰で頼りない。強靭な肉体を持つハンターよりも、矮躯のメイの方が立場が上なのだろうか。どうにも推し量りかねる関係だ。
困り顔のフォンウが、私に視線を戻した。
「つまり非人道的な暴力行為、まぁ、拷問だな。お前に対する拷問は、メイの一存で中断しているだけで――」
「アタシの気分次第で、修の字への加害活動が再開されます。テヘ」
たしなめられたばかりのメイが横合いから口を挟み、そして可愛げもない仕草でペロっと舌を出した。悪びれた様子など微塵もない。
「きょ、脅迫じゃないか」
「ややこしくなるから静かにしててくれって――」
「フォンウや。単刀直入に言った方が早いよ。いいかい修次郎。その通り脅迫だよ。お前さんの運命は、アタシが握っている。左の腕も折られたいかえ? 残った爪も剥いでやろうかえ? それとも実家に帰してやろうかしら」
実家という単語を聞くだに、世界がぐらりと傾いた――そんな気がした。実家とは、おそらく私の生家のことを言っているのだろう。それは分かる。しかし、何故、今、最前に会ったばかりのメイが、遠く離れた土地にある私の実家を引き合いに出すのか、その点が不可解でならない。私と実家の間にある確執を知っているのだろうか。ならば誰から聞き及んだのか。
疑念は同郷のフォンウへと向いた。
「お前が話したのか、この女に」
「ち、違ぇよ。言う訳ないだろ。嫌な思いしたのは、俺もお前も一緒じゃねえか」
フォンウが大仰に首を振った。故郷を離れた理由を、私はフォンウと共有している。どちらにとっても苦い過去であり、おいそれと第三者に明かすとは、確かに考え難い。
堅い表情で向き合う私とフォンウを見かねたか、簡単なこった――とメイが口を開いた。
「簡単なこった。アタシはお前さんの親父殿と顔馴染みでね。学会では、しょっちゅう顔を合わせるよ。いやしかし故郷を逐電して早5年だっけ? 親父殿は、たいそう心配なさっておられたぞ」
私の素性の出所について理解すると同時に、メイの多方面への通暁にも得心がいった。私の父は医科大学の教授職に就いている。専攻は神経医学だったか。国際学会の場で面識があると言うならば、メイもまた父と同じような研究職を生業としているのだろう。
疑問が解消した一方で、嫌な予感が肥大した。メイは、これが脅迫であることを認めている。拷問行為の対価を、私は未だに求められていない。要求があって初めて、脅迫は成立するものだ。
メイの双眸を、私はひたと覗き込んだ。大きく弧を描く睫線の内に収まる、妖しく濡れた瞳。真意を隠して、悪意だけを放っているかのようだ。
あえぐように私はメイの毒気に抗った。
「私を脅しても、何も出んぞ」
「そんなこた承知しとるよ。三十路のボンクラを相手に、過度の期待をかけるほど年若くもないんでね」
「実家を強請るつもりか」
「あいにくと金にゃ困ってない」
「じゃあ」
何が目的だ――と言おうとして口を開いた瞬間に、メイがずいと顔を寄せた。青い瞳と白い肌に、視界が埋めつくされる。
吐息も交わる距離で、メイが緩慢に言った。
「アタシの助手になりたまえ」
私は二度三度と目をしばたいた。突然のヘッドハンティングである。あまりにも脈絡がなさ過ぎて、どうにも理解が追いつかない。そのような話をしていただろうか。
面食らった私は、だから小さいため息だけを返した。
「はあ」
「眠たい返事だね」
「だいたいオッケーってとこだな。俺の経験上」
フォンウが私の反応について、帰納的な解釈を加えた。それを受けたメイが、ならいっか、などと言って首肯する。
私はと言えば、遠い国での出来事のように、二人の会話を聞いていた。私の意志などそっちのけで、今後の方針だの何だのと話が進められていく。おかしなもので私の頭の中では、既に闇医者家業をたたむ段取りについて思考が飛躍している。いや逃避しているだけかも知れない。もはや、その判別すらつかないほど、今の私は辟易してしまっている。
いいじゃん別に――とメイがフォンウに対して言った。まるで私のささくれた内面を、さとしているかのようだ。
「あらためて挨拶をしようか。RIAS(Royal Insttute of Advanced Science:ライアス)所長、兼ライアス特務部『MMトリオン』管掌のメイ・リオ・エムノートである。よろしくね」
「MMトリオン専属ハンターの緑鳳舞(リュウ・フォンウ)だ」
「か、加茂修次郎――です」
茶番染みた自己紹介を経て、私の再就職先が内定した。何を今さら――と思ったのは、名乗った直後である。名前よりも先に説明の欲しい事柄が多すぎる。
そうして私は、考えもまとまらないまま、歩き出した二人の女――メイとフォンウと連れ立って、地下洞窟を後にしたのだった。
<了>