勇者ヒンメルの誕生から24年
帝国領北端 城塞都市ギガント
「我等の勝利に乾杯!」
「「「乾杯!」」」
街中央の広場に、人々の歓喜の声が響き渡る。辺りには肉と香辛料の香りが漂い、その傍らで吟遊詩人の奏でるリラやリュートが、人々の耳を楽しませている。
「ふむ……お主らも楽しんで居るようだな」
「プラティナもな」
ゲベール達も、大いに宴を楽しんでいるようで、手のカップにはなみなみと酒が注がれ、テーブルにはところ狭しと料理が並べられている。
「しかし……ゲベール、お主本当に良かったのか……?」
「ああ、流石にそこまでアンタの世話にはなれないし、少し不便だが、何とでもなるさ。俺はアンタとは対等な友人でいたい、これ以上世話になりっぱなしじゃあな」
からからと笑いながら、明るく話すゲベールの左手は、根本から失われていた。リヴァーレの一撃を受け止めた時、その衝撃で骨から砕けてしまった。比較的幸いだったのは利き手で無いことぐらいだろう。
余の魔法では治癒は叶わぬが、機能を補う事は出来る。しかし、当のゲベール自身に断られたのでは、それ以上食い下がる訳にもいくまい。対等な友人、皮肉な言葉だ。どうしようもなく弱い余は、お主を信じ切る事が出来ておらぬと言うのに。
「ん?なんだ、全然飲んで無いじゃないか」
ゲベールが自身のカップを、余に手渡してくる。中の液体は、良く熟れたカシスの様に濃い黒で、輪郭がほんのり赤みを帯びている。
「ふむ……」
余はゆっくりと顔に近づけ、水面を回すように揺らす。まず、若い野苺のさわやかな香りが広がり、余韻を引くような腐葉土の香りがそれに混じる。
「随分と良い酒だな、あの辺境伯殿も随分と奮発なさる。だが余は今、酒は……今しばらくは素面で居たい、それに……」
そう言いながら余は、人々の活気が特に盛んな方へ視線を滑らせる。
「おお! 今夜の主役のお出ましだな!」
酔いの回った荒くれ者の、歓喜と興奮の声が響く。人垣がさっと割れ、正しく英雄に歓声が向けられる中、4人が人々の輪の中へ入ってくる。プラチナブロンドの髪の細身な美剣士、眼鏡を掛けた長身の神官、風格あるドワーフの戦士、長いツインテールの小柄なエルフの魔法使い。此度の戦いにおいて、もっとも重要で最も困難な役目を確かに成した、類い稀なる強者達だ。
「ふふ、ずいぶん盛り上がってるな」
「はぁ……みんな浮かれ切ってしまって、呑気なものだね。私たちは魔王を撃退しただけで、殺すことはできていない。依然その脅威は残っているのに……」
柔らかく微笑み、上機嫌なヒンメルに対して、フリーレンは冷ややかだ。
「だからこそさ、まだまだ先は暗いからこそ、今見えてきた光を享受しているんだ」
「そうですよ、今は勝利を祝い、存分に飲みましょう」
ヒンメルの言葉に同調し、ハイターがジョッキを大きく傾けた。
「……その通りだな。皆、明日も知れぬ身、故にこそ、今は飲み、食い、歌うべきだ」
「君は」
「お初にお目に掛かる、葬送の魔法使い殿」
余は左脚を引き、右手を胸に当て頭を下げる。
「誰……?」
「そういえばフリーレン、君は居なかったな。彼女こそが魔王の侵攻を知らせてくれた張本人だよ」
「ふーん……で?その、伝令さんが何の用?」
目を細め、訝し気な視線をフリーレンは向けてくる。当然、疑われているか。上手くごまかせてはいるはずだが。
「何、本日の主役に挨拶を、な……」
「主役か……確かに僕は、この世界の主役にふさわしい美形だけど、今日の主役に本当にふさわしいのは君じゃないかな、プラティナ?」
「まさか、余が?生憎、偶然知った事を伝えることぐらい農村の小僧でもできるし、余が戦場でやったのは、有象無象の魔族相手に、時間稼ぎをしたぐらいだ」
柔らかく微笑み称賛するヒンメルの言葉を、余は笑い飛ばす。余には宴の主役など、ふさわしくない。
「分かった。そういうことにしておく」
何かを察したように、意味深にヒンメルは微笑む。
「まあ、なんだ……此度の勝利と、お主等の行く道に乾杯」
余は杯を掲げると、その中身を一息に飲み干す。その中身は酒ではなくフレーバーウォーター、清廉な水には薄くスライスされたブドウとオレンジが浮かべられ、ザクロの実がピックで刺され添えられている。さらりと口当たりは爽やかで軽く、優しい甘さがある。多くの者は酒の方がありがたがるだろうが、余には此方の方が合っている。
「なぁっ、武勇伝を聞かせてくれよっ!」
勢いよくゲベールが輪の中に入ってくると、食い気味に話しかける。
「「俺たちも聞きたい!」」
それに続いて、周囲の者達も次々と声を上げていく。ヒンメルは称賛の言葉に誇らしげに微笑むと、心良く自身の物語を語り始める。魔族の軍勢をたった四人で足止めした事、断頭台のアウラ、皇極竜、不死なるベーゼとの戦い、そして最新の英雄譚たる魔王との決戦。
女子供や、若者だけでなく、年老いただ消えゆくばかりの老兵たちですら、純粋な少年のように目を輝かせ、ヒンメルの言葉にただ聞き入っていた。
余は少し輪から離れ、料理を皿に取り食べ始める。獣の肉を細かく刻みスパイスを加えた物を、鉄板で焼き上げた料理。戦士達が祝いの席には欠かせぬというそれだが、これは胡椒、ナツメグ、クミン、オレガノ、そしてマスタードシードまで加えられた極めて豪勢な物だ。
甘い肉汁と豊かな香りのスパイスに舌鼓を打ち、ヒンメル達の姿を横目に見る。穏やかに語るヒンメルの言葉に、皆が一喜一憂する様子は楽し気で、間もなく訪れるであろう、平和な時代の先触れのようだ。
「しかし……」
「プラティナさん……」
「ん……ああ、ワイスお主か、あの輪に混ざらなくてもよいのか?」
目を細め、人の輪を流し見る余に、声を掛けてきたのはワイスだった。
「はい、それにその言葉は貴女にこそ、掛けられるべきではないですか? どこか寂しそうですよ。別に自分が人間ではないからと言って、人と深くかかわってはいけないなんてことはないと思います」
ワイスは柔らかい諭すような声色で言った。
「いや、此処が余には良いんだ」
遠すぎず近すぎず、人の営みを傍らで見守るこの距離が、余にとっては心地よい。
「しかし、寂しそうか……それはあながち間違っておらぬかもしれんな」
「どうしたんですか? 言ってください、私にもお話を聞くくらいはできます」
余は一呼吸間を置くと、言葉を続ける。
「ヒンメルは確かに英雄だ、この地の闇をその光でもって取り払い、光をもたらすだろう。唯、ヒンメルだけが英雄だった訳では無い」
「それは……南の勇者様の事ですか?」
「うむ、あ奴も確かにそうであっただろう。だが、それだけでは無い。お主だってそうだ」
「私……?」
ワイスは目をしぱたかせた。
「その通り、お主を含め魔王率いる魔族達と戦った者……いや、この時代に生きた全ての人々が、魔王に抗った英雄だ。例え、闇を照らす事など叶わぬ小さな星々とて、確かに光を放っている」
「星……私達がですか? それこそ南の勇者様や、魔族の戦士達を率いる将軍を倒したような方々ならともかく私達なんて……」
「やめよ、その言葉が蔑み貶めるのは、お主達だけではない」
余の言葉に、それでもワイスは納得できないといった様子で俯く。
「そうだな、例えばこの料理……」
余はナイフで切り取った肉を、目の高さまで持ち上げる。
「これには料理人に農民、輸送に携わる者たち、多くの者が関わっているだろう。いかな英雄とて、食わねば生きてはいけぬ。人々の心が折れ、今を生きることすら諦めれば、それこそヒンメルや南の勇者であったとしても、飢えて死ぬだろう。結局、超越者とて、一人では成し遂げられぬ」
「確かにそうかもしれません。それで、つまり貴女はそんな人々が、忘れ去られていくのが寂しいと」
「まあ、そういう所だな」
余はワイスの言葉に頷き、肉を口に運ぶ。
「えっと、それなら貴女が語り部として、語り継いでいけばいいのでは?」
「……!?」
あっけらかんと言うワイスに、余は固まった。あまりに単純な解、確かに余はこれから先、500年以上生きる事になるはず。余が語り継げば良い。
余は吟遊詩人の1人、大通りから少し逸れた路地の入口でフィドルを奏でる者に近づくと、言葉を掛ける。
「お主、不躾だがそのフィドルを貸してもらいたい」
「おいおい、何言ってんだ。商売道具を引けもしない素人に、おいそれと貸せるわけないだろう」
当然の如く、吟遊詩人には断られてしまう。予想通りの事であるし、余は簡単には引かない。
「なるほど、引ければ良いのだな」
余は吟遊詩人からフィドルを引っ手繰ると、曲を奏で始める。弓を持つ手は軽やかに、弓自体の重さで弦を振動させ、決して押し付けない。澄み切った高い音は、路地で反響し柔らかく響く。
「あんた……」
「これで文句は無いな? それにお主の演奏を聴いている者など、おらぬではないか。余が観衆を集めてやる。それがこれを借りる代金だ」
そう言って余は踵を返し、ヒンメル達を中心に集まる人々の方へ移動し、フィドルを奏でると共に歌い始める。
子供達を逃がすため魔族に立ちふさがる母親、味方が撤退する時間を稼ぐため少数で魔族と戦う兵士、農具で名も知られず語られぬ魔族を討った農夫、余自身名を聞く機会など無かった人々の物語を余は紡ぐ。一音一音、はっきりと祈るように、哀愁を帯びた歌声はしかし力強く。ただ一人死地へ赴かんとする英雄、一人で行かせはしないと、共に死地へと向かう戦士達。か細く、しかし確かな響きでもって歌い上げる。
先ほどまで酒を飲み、騒いでいた人々が今は静まり返り、余に注目している。
迫るのは未だ如何な英雄とて対峙したことなど無い魔族の波、それでも居合わせた戦士達は、皆大波へと臨む。目一杯力強く、しかしどこか優しい響きを以って歌声を紡ぐ。
音楽が奏で終わると、辺りを静寂が支配する。しかし、それも一瞬だけの事、次の瞬間、割れんばかりの歓声と拍手の音が響き渡る。
「その歌、もしかして俺たちを歌っているのか!?」
「うむ……正確には、魔王のもたらした闇の時代を生きるすべての人々の歌だ。皆この時代を藻掻き生きぬいたのに、ただ時代の移ろう中、忘れ去らて行くのではあまりにも寂しいだろう?」
「なあ、俺のエピソードも盛り込んでくれ!」「その、あたしのも!
余の周りに自分の物語もと、人々が詰めかける。これは随分と長く壮大な
「完成だな……」
余は満足げに呟く。
「待ってくれ、悪いけどその曲、僕の名前も使ってはくれないかい?」
「ヒンメル……随分と強欲だな、お主の物語は余が語らずとも、多くの者が語り継がれていくだろうに」
余は皮肉気にヒンメルに言う。
「だからこそさ。僕の名前を歌の中で出せば、勇者ヒンメルの歌として、彼らの物語も語り継がれる。僕が君たちの物語を未来へと連れていく」
「ふむ……なるほど」
確かに広く大衆に好まれる事になるであろうヒンメルの名を用いた方が、多くの人々が好み、故に広く歌い継がれるやも知れぬ。
「ならば……こう歌いだそう」
”この地に闇をもたらした悪に勇者は挑み、皆それに続いた”
勇者ヒンメルが魔王を討ったのはその一年後の事だった。
どうも作者の通勤です。本作はこれで一旦完結です。続きの構想はありますが、主人公の世代を変えようと思っておりますので、続編は別作品としての投稿になると思います。今までお付き合い頂いた方、ありがとうございました。