勇者ヒンメルの誕生まで107年
北部平原 ネーベル森林
「
気が付くと余はどこかで倒れ込んでいたようだ。ひんやりとした柔らかい土の感触が伝わってくる。身体が意識と大きくズレ思うように動かぬが、どうにか身をひねって起き上がろうとする。しかし、脚に力が入らない。
そこでふと気が付く。戦いの果てに余は確かに死んだはず、つまりここが死後の世界という奴なのであろうか?とにかく状況を把握せねばなるまい。
「ぐ……くくくくき!」
にっちもさっちもいかぬ身体と格闘していると、酷くぼやけすぐ目の前さえ見えなかった視界が晴れてくる。
「
周囲に広がるのは鬱蒼とした森林。幸いにして余達ドレイクは夜目が効く、多少薄暗い程度なんてことはない。首を動かして辺りを見回して見ると、余の半身たる魔剣がすぐ横にあった。
「む……
剣を支えに立ち上がると視界が低い、その状態で周りを見回すと驚くべきものが、つややかな白金の剣に映っていた。腰まである灰色の長い髪、額から伸びる湾曲した角、それは確かに慣れ親しんだ夜の姿だ、しかし……
「小さい……」
そこに映る自身は、齢にして3つか、4つの幼子の姿をしていた。未だ状況は飲み込めておらぬ、しかし、生きるのであれば動かねばなるまい。よろよろと産まれたての仔鹿のように震える脚を、余は引きずって歩き始めた。
どれほどの時間歩いたであろうか、木々に遮られ空の様子は窺えぬものの、辺りは刻一刻と暗くなってゆく。
「いや……対して距離は進んでおらぬな」
今のまともに歩けぬ脚では、時間をただ空費しただけ、全く進んではいなかった。ただ、大分舌は回るようになってきた。
「む……!」
木々の間に反響する音が聞こえた。息を止め耳を済ますとそれは足音だと分かった。それは人族或いはバルバロスのどちらか、少なくとも2足歩行する生物のものだ。だが、どうする?この姿では妖魔共にすら舐められ、人族であればバルバロスである余は殺されてもおかしくない。
「とは言え、動かねばどうしようもないか……」
余は息を殺しゆっくりと音の方へと歩いて行く。一応ではあるが、斥候としての心得もある。少なくとも余の視界に入るまでは近付けるはずだ。
「子供か……」
足音の正体は人間の子供だった。年の頃は10かそこらだろうか、何はともあれ見つかった瞬間敵対といった事にはならなさそうだ。しかし次の瞬間、その状況は一変した。別の足音が聞こえる。音からすると距離はさほど離れてはおらず、そしてこちらに近付いてきている。
「しくじったな……」
先程まで聞こえていたのは、目の前の子供の物ではない。いやそもそも、聞こえた足音と子供足並みは一致しておらぬ。余はもう一度耳を澄まし、近付いてきているのが何なのか推測を始める。まず、歩幅は随分と大きそうだ、それと真っ直ぐに近付いてきている。目の前の子供の親とするには背が高い、一体何の足音なのだ?
「何だ……奴は……?」
足音の主が姿を見せた時、余は思わず呟いた。そいつは背丈2m程で、奇妙な仮面で顔を隠していた。側頭部から生える角は、仮面の飾りというわけではないだろう。
「っひ……!」
奴の姿を見た子供は、消え入るような悲鳴を漏らし、その場で尻もちを付く。
「っ……!小僧っ逃げろ!」
奴が動くのが先か、余はその場に飛び出して叫ぶ。そして次の瞬間、奴の手に持った杖に火球が灯る。
「【エネルギー・ボルト】!」
余が咄嗟に選んだのは攻撃、そもそも魔法が使えるかも分からぬ状況で、酷く分の悪い賭けと言わざるを得なかった。
「何っ……!」
それがそいつの最後の言葉だった。余の魔法はその悪趣味な仮面を撃ち抜き、頭部を失ったそいつは膝から崩れ落ち倒れた。
「大丈夫か?小僧」
「ひっ……魔族」
余が振り返ると、少年は更に顔を青くしてパクパクと口を動かした。どうやら余にも怯えているようだ。
「はぁ、命の恩人に随分な態度だな。立てるか?」
暫く呆けていた少年だったが、やがて先程まで青かった顔を、今度は赤くしながら立ち上がった。
「手を借りぬか、強い子だな」
「君……僕を食べたりしないの?」
少し怯えから立ち直ったらしい少年は、おずおずと口を開いた。
「食べる?小僧、お主何故そう思った?」
「だって、その角魔族でしょ」
余の問に対して、至極真っ当な答えが帰ってきた。少し聞き慣れぬ言葉も聞こえたが、確かに蛮族は人も食う。
「何だ、食って欲しいのか?」
「ひっ……!や……やめ……」
これは相当な怯えているようだ、余は努めて優しく声を掛ける。
「安心せよ、冗談だ」
「じょっ…冗談?」
「そう、冗談。余は人は食わんよ」
そう余は人を食わぬ。周りからは偏食家と呼ばれておった。
「そっか、良かったぁ」
余の言葉に安心したのか、少年はまたその場に座り込んでしまった。少なくとも余に対して警戒するのはやめたようだ。
「それで……なのだが、何処か雨風が凌げる場所を知らぬか?」
「えっと……君、もしかしてお家がないの?」
「まあ、そんな所だな」
余の言葉に少年は悩むように黙り込む。しかし、やがて意を決したように口を開いた。
「その……なら家に来なよ。父さんも母さんもきっと説得して見せるから」
それは思いも依らぬ僥倖だった。魔法が使える事は先程確認できたとは言え、この状態で狩りをして生活するのは正直厳しいと思っていた。
「良いのか?」
「うん」
少年は小さく、しかし力強く頷いた。
少年に付いて歩き始めてから数分、森を抜けるとすぐに余の視界に村が見えてきた。ごく小さな村だが、バルバロスから身を守るためであろう壁が周囲を囲んでいる。当然、守りの剣は無いようだ。
門を潜り、村に入ると真っ先に感じるのは村人の敵意とそして怯え。
「まあ、当然か……」
一般人にとってバルバロス、それもドレイクなど、例え子供であっても恐怖だろう。
「お前!大丈夫だったか!?離れろっ……魔族!」
そんな中1人の男性が一直線に走って来ると、余と少年の間に割って入った。そして、震える手で鋤を突きつけてくる。
「やめて父さん、この子なら大丈夫だよ」
「何を言って……?お前は下がってなさい」
正直、予想出来た状況だった。リスクがあまりにも大きいが、無害だと認識してもらうには仕方がない。自身に切っ先を向けた状態で地面に下ろす。
「この通り、余に敵意は無い」
しかし、その行動に対する男性の反応は意外なものだった。鋤を構えたまま、余が何を考えているのか分らない、といった様子でこちらを見てくる。ゆっくりと両手を上げ、言葉を続ける。
「それは余の半身たる魔剣だ、ただの村人でもそれを失う、というのがどういう事かは知っておるだろう?」
それでも、目の前の男性は訳が分からないと言った様子で、しかし余から目を離さず、鋤の先端を突きつけたままだった。
「ねえ聞いてよ!この子は僕を助けてくれたんだ!森の中で魔族に出会って、その時魔法で魔族を倒してくれたんだよ。この子は魔族だけど、命の恩人なんだ」
「それは……本当か?脅されて言ってる訳じゃないよな?」
「本当だよ、父さん」
懸命に説明する息子の言葉を聞いて、男性は鋤を地面に立てた。
「その……息子が世話になったようだ……ありがとう」
「礼は良い、余が勝手にやった事だ。ただ、暫くの間この村に住まわせてはくれぬか?」
「悪いが、それは俺じゃあ決められない。村長に話をするから待っていてくれ」
そう言うと、男性は村の奥へと歩いて行った。
それからどのくらい時間が経過しただろうか、余が剣に体重を預けうつらうつらとしていると、村の奥から背の低い老人が出てきた。
「村の者で話し合いました。お嬢さん、どうぞこの村に住むと良い。私の家に来なさい」
「ご厚意、感謝する」
こうして余はこの村に住むこととなった。