勇者ヒンメルの誕生まで99年
北部平原 ブラオ村
未だ日も登らぬ朝方、余は目を覚ますと薪を割って行く。その手付きは大いに手慣れ、左手一本であるにも関わらず真っ直ぐと木の繊維を断ち切り、薪を周囲に積み上げていく。それが終わると次は魔剣を振るう。毎日積み重ねて来たその動作は淀みなく、自画自賛かもしれぬが、さながら見事な舞の如く流麗だ。そうして素振りを続けていると、やがて太陽が赤く染めて行く。これを余は村に住むこととなったその日から休むことなく毎日続けている。
「おはようさんレイちゃん。毎日精が出るねぇ」
「うむ、おはよう」
「これ、家の畑で取れた野菜」
「ああ、感謝する」
この8年で余は自他ともに認める村の一員だ。恐怖や敵意を向けてくるものはもう居らぬし、時々こうして野菜などを分けてくれる。では、そろそろ食事としよう。
籠の中を確かめてみると、中にはナスとトマト、そしてきゅうりが入っている。昨日、猪を狩って塩漬けにしてあるし、ナスはそいつと一緒に丸焼きにしよう。きゅうりとトマトは……まあそのまま噛じれば良いな。
薪に肉の脂が滴り落ち、パチパチと音を立てる。
「さて、そろそろどうかな?」
焼き加減を確かめるため、余は肉を指で突いた。まだ少し柔い様な気がする。肉の様子を見ながら、きゅうりを口にした。
「うまい……」
実にみずみずしい。茄子の方はもう良いだろうし、串から外し皿に乗せる。カトラリーでバラしまず、1切れ。そしてトマト。
「そろそろ、良いな」
肉も火から下ろし、表面を削ぐようにして切り分けてゆく。
「やはり肉は良いな、実にうまい」
肉の甘い脂と塩漬けゆえの塩味が脳を揺らす。肉と野菜とに舌鼓を打っていると、あっという間になくなってしまった。この後はどうするつもりであったか?
「ああ、そうだ。頼んでいた試作品を見に行くつもりだったな」
頼んだのは1月前、自身で設計図を引きこの村唯一の鍛冶師に作成を依頼していたのだ。しかし鍛冶師と言っても、剣や鎧ではなく農具の修理が主だが。
「おお、レイラインか。確かに図面通りに作ったぞ。しかし、こいつは一体何だ?こんなもの生まれてこの方見たことないぞ」
鍛冶師の言葉に余は答えず、部品を1つずつ確認していく。精度が良いとはお世辞にも言えないが、及第点ではあるだろう。
「ちょっとした玩具だ」
「お……おぉ、そうか」
「シュミット無茶を言ったな、感謝する」
鍛冶師の元を立ち去り、余は自らの家に設けた工房へと向かう。正確には家に設けた工房ではなく家が工房と言うべきか、場所は村の皆の許可を取り、ゴーレムに作らせたものだ。現状は危険な物などはないし、【ハード・ロック】がまだ使えないのもあって、鍵などは掛けていない。なお、現状の余の力は、まだ体が成熟しきっていないのもあって、1部隊を預かるドレイク以下だ。
余は机に向き合うと、先程受け取った部品を組み上げていく。所々噛み合いが悪いが、少なくとも組み上がりに問題は無さそうだ。こうして完成した物、それは魔動機文明時代に人族によって発明された武器、
「ふむ……」
撃鉄を起こし引き金を低く、カチリと撃鉄が落ちた。動作に問題は無さそうだ。余は物思いにふけるように、それを眺める。魔動機文明時代、当時余は齢10にも満たない幼子で、1度だけ親の領地を抜け出して、人族の村に行ったことがある。今にしてみれば余りにも危険な行為だったと言わざるを得ないが、子供の行動力というのは我の事ながら恐ろしい。
そして、その時1人の少女に出会った事を良く覚えている。彼女はシエルと言って、ナイトメアだった。ナイトメアは生まれながらに穢れを有し、それ故に人族の社会では忌避される傾向にあるが、彼女はそういった事とは無縁であったようで、天真爛漫な人柄だった記憶がある。ただ、彼女とはその時が最初で最後だった。
「レイ〜!」
工房の外から呼び掛ける声で、現実に引き戻された。
「何用だ?」
「何用って、今日は剣術を教えてくれるって約束したじゃん!」
扉を開けるとそこに立っていたのは、余がこの村に滞在することとなったあの日助けた少年、ユンゲだった。いつ頃からだったか、剣術を教えて欲しいと言われ、定期的に指導していて今日はその日であったらしい。
「ああ……そう言えばそうだったな。では参ろうか」
余が村の広場に着くと、既に全員集まっていた。
「まずは1人目」
余が促すと1人が前に出る。
「いつも通り、余からは打ち込まん。存分に打ち込んでこい」
「はい!」
上段からの一撃をすり抜け、木剣を少年の首に触れさせる。
「次!」
「はい!」
次々と打ち込まれる木剣を逸らし、頭に木剣を触れさせる。こうして、次々と子ども達の相手をしていった。
「はぁ……はぁ……」
「今日はもう終わりだ。皆、良くついてきた」
訓練が終わると子ども達は皆、地面にしゃがみ込み、肩で息をしていた。息が乱れておらぬのは余だけだ。
「みんな、お昼ご飯出来てるわよ〜!」
子ども達の親の呼ぶ声が聞こえる。その言葉に皆、立ち上がり走っていく。
「おーい、レイ〜!早く来ないと俺達で全部食っちまうぞ」
「っふ……分かった。今行く」
余も彼らの元へ歩いて行く。大きな鍋から湯気がもうもうと上がり、周囲に食欲をそそらされる香りが立ち昇っている。こうして剣術を教える日は、子ども達の親が共同で昼食を作ってくれる。
「ほら、レイちゃん」
「ふむ……ありがたく頂戴する」
手渡された椀になみなみと注がれたシチューをゆっくりと一口、口に運ぶ。
「アフッ……!」
じんわりと野菜の柔らかな甘味が舌の上に広がる。一口もう一口と食べ進めていくと、すぐに椀が空になってしまった。
「はい、おかわりどうぞ」
「んむ、感謝する」
礼を言い、2杯目も食べ進める。
「な〜レイ姉。レイ姉は魔族だろ?人間を食べたいって思う事、無いのか?」
「コラッ!アンタなんてこと言うの!」
質問した子供が親に小突かれた。
「うむ、無いな」
余はあっけらかんと答えた。それを最後に口にしたのは300年以上前の事。そう、父の屋敷で働く人間の奴隷がいた。当然、父と母には憎しみと恐怖とを向けておったが、幼子であった当時の余は不思議と可愛がられたものだった。しかし、奴隷の扱いなど知れたこと、体を壊してしまった。そして、その肉を……それは人族が使い物にならなくなった農耕用の牛にするのと、さして変わらぬ事なのだろう。しかし、余はそれ以来人を食っていない、食えない。
「ばあや……」
「ごめんね、レイちゃん。ウチのバカには、後でしっかり言っておくから」
「ん……?ああ……良い、別に気にしてはおらん」
謝る親に返答すると、余は3杯目に手を伸ばした。
食事の後、暫しの間仮眠を取った余は、日が沈み空を星々が埋めるのを待って、村近くの丘に出た。星の並びは多くの事を余に教えてくれる。
「やはり、見知った星は無い。そろそろ結論付けても良いかも知れぬな」
低い位置でまたたく南の地平線を掠める星々も、やはり余の記憶する星辰の物は無い。正直、随分と突飛な考えであるかも知れぬが、ここが異世界であると結論付けても良いだろう。グラスランナーは異世界から来たという、ひょっとすればここが彼らの故郷なのかもしれない。そして魔族、村の中の情報で分かるのは少なくとも余がそうであると判断される容姿をしているというのと、人を食うという事、やはり村の外に出て情報を集めるべきか。
「
【スタン・クラウド】余の眼前に薄く黄色掛かった霧が発生する。
「ふむ、今日は成功したか」
第六階位操霊魔法、肉体の年齢を考えれば驚異的な成長速度だと言えるが、村の外で情報を得るには力不足と言わざるを得ない。姿を偽り人に紛れるためには、第八階位操霊魔法【イリュージョン】が最低限必要になる。
「やはり、もう少し齢を重ねねばならんな」
幸い余にはいくらでも時間がある。今はただ焦らず力を取り戻す事を考えれば良い。