竜の瞳に星屑を   作:3十3

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竜人の価値

「空が見えないね」

 そう言ってアイリスは空を見上げていた。灰色の峡谷を抜けてから、すぐに私達の頭上から空は消え失せた。

 なにはともあれ、私達が歩みを進めることにして、約三日程が経過していた。「星空の下で死ぬ」という物騒な目標だが、そもそもが完全に辿り着かず曖昧な存在の二人なのでお似合いだろう。そして、曖昧な目標を達成するためにも、この地の底から脱出することは必須条件だった。

 灰色の峡谷に比べれば道(といっても道らしきものだが)も幅が広くなってきていた。微かだが背の低い植物も見え始め、命の対極であった灰色の峡谷を抜けたのだと分かった。僅かだが変化し始める景色を気分転換と雑談の燃料にしながら、のらりくらりと道を進む。地面には角の付いた石ころが増えてきた。灰色の峡谷は、灰色の苔に覆われていたので地面が柔らかかった。しかし、そのことが祟ってたか私の足裏は脆弱で、小石がチクチクと痛い。段々と慣れてきたが、履物は欲しかった。同じく裸足のアイリスは平気そうだ。

「そもそも不死ってなんなのよ」

 アイリスが道すがらに拾った木の棒を振り回しながら聞いてきた。

「死な不、分かりやすいだろ?」と、揶揄ってみる。私も暇なのだ。案の定というか、なんというか、アイリスは小馬鹿にされたのが不満だったらしく「説明が上手だねー」と木の棒で私の背中を叩いてくる。知り合って三日の割には、私達は親しくなっていた。まあ、出会ったときから遠慮も何もない関係だったのだが。

 アイリスは懲りずに「次の質問」と続ける。

「不死で良かったと思うことは?」

「死なないこと」

「それって良いことなの?」

「どうだろうな。お前は」

「私が死んだら教えてあげるよ」

「それは笑っていいヤツか?」

「ご自由に」

 笑うことはしなかった。

「質問なんだけどさ」と、アイリスは話を続ける。

「歳は取るのかな?」

「取るんじゃないのか? 灰色の峡谷に落ちてきたときよりも随分と体が大きくなった気がするしな」

「じゃあ、いつかはおじいちゃんになって死ぬんだ」

「そうかもな」

 そんなくだらない会話をしつつも、私達は軽快に足を進めている。そう軽快にだ。私の前をテクテクと歩く彼女は、恐らく丸一日ほど食物を摂取していないと思われたが、活力が失われている様子は無かった。

「お前は腹とか減らないのか」

 私の前を歩いていたアイリスが「平気だよー」と振り返る。

「ほら、私って竜人だし」

「成り損ないだろ」

「そう、だから全く食べなくて良いって訳じゃないんだよ」

「いまはちょっとだけ腹ペコ」とアイリスは自らのお腹をさすり、私はその様子に「お互い便利な身体を持ったな」と、自虐的に微笑した。だが、便利なのは本当のことである。飯も食べなくていいし、どうせ死なないのだから寝床に困ることも無い。私達には大地という広大な寝床があるのだから。

「完全な竜人は何も食べなくてもいいのか?」

「それはそうでしょ。アイツらを生き物だと思ってるの?」

「……それはそうか」

 アイリスを追って落ちてきたナニカも『竜人の成り損ない』だとアイリスは言った。

 同じ成り損ないでも、アイリスとは随分と様相が違ったが。そのことをアイリスに聞いたとき、彼女は「アレは中途半端に竜の力を受け継いだ結果だよ」と言っていた。中途半端でアレなのだ。完全な竜人とはどのような存在なのか。私の頭の中にあるのは、この世界を生きる生物が本能的に知っている様な情報ばかりで、実際の竜人の姿など、想像することも出来ないのだ。

 灰色の峡谷から抜け出して、さらに暫く経った頃。辺りの景色は明らかな変化を見せていた。岩壁が空を隠すように反り立っているのは変わらないが、特筆すべきはその色だ。辺りの岩が全て真っ暗な夜空にも近い様な深い青色を帯びているのだ。道端に疎らに生えている植物もほんのりと青い。心なしか、空気も灰色の峡谷とは違い澄んでいる気さする。正確には、自分がいままで吸ってきた空気が酷く濁ったものだと、気付かされたわけだが。

 そんな初めて見る光景を、私が興味津々で観察していた所に、アイリスは水を差してきた。

「道とか分かるの? これ、どっちに進む?」

 アイリスは左右に分かれる道を指さして言った。

 灰色の峡谷からここまでは殆ど一本道も同然だった。ときには道とは呼べるわけもない箇所もあったりしたわけだが、分岐というものがないだけ、迷う必要もなかった。

 しかし、いま私達の目の前には選択肢がある。

「まさか」

 重ねてしかし、私はそれを判断する材料を持っていない。残念なことに。

「じゃあ、どうやってあの場所にいたの?」

「お前と一緒だよ。不死だからな」

「あー、そうだったね。痛かった?」

「たぶん、泣いちゃうくらいにな」

「わたしは痛くなかったけどね」

「嘘つきめ。ちょっと涙目だったぞ」

「嘘をついてるのはそっちでしょう!」

 そのまま取っ組み合いでも始まりそうな雰囲気だったが、そうなる寸前で、アイリスが気付いた。水の音がすることに気付いたのだ。

「ほら、グレイも聞いてみて」と、アイリスが誘ってくるものだから、私も壁に耳を付ける。左の壁からは何も聞こえなく、岩壁の冷たさが耳朶に伝わってくるだけだった。しかし、左の岩壁からは聞こえる。微かではあるが。壁の奥で水が流れている。

「これは私のお手柄だね」

 アイリスは得意げに胸を張った。

「確かに、これはお手柄かもな」

 ここまでの道中、水を見かけることはなかった。灰色の峡谷でも水が底まで届くのは稀だったので、大量の水が流れる音となる珍しい。それに暫く水も飲んでいない。もちろん、私も(恐らくアイリスも)死ぬことはないが、それでも喉の渇きは癒したいものだ。

 水音を追う形で、歩みを進めるにつれて地面の所々にポツポツと青色の光が見えるようになった。その光は地面や壁、見渡すありとあらゆる所に光っている様で、目を引かれる。その光を掴んでみると、正体は石だった。宝石の様に滑らかで、背後の景色が薄っすらと透けている。大きさも大小様々らしく、手の平大の物もあれば、抱えきれない様な大きさの物まである。

「この光ってるのなに?」

 その一つをアイリスが手に取る。

「なんだろうな」

「知らないの?」

「知らない。あの峡谷に引きこもってたもんでな」

「頼りないなあ」

「お互い様だろ」

「ついさっきの功績を忘れたの?」

「後ろは振り返らない主義なもんでね」

「これからは後ろを注意した方がいいよ、特にわたしとか」

 アイリスはけらけらと笑った。

 さらに歩みを進めていると道が狭まってきた。このまま行き止まりになってしまうのか、もしそうならばこの果てが見えない岩壁を登りきるしかないのかと憂いでいたが、その心配は杞憂に終わった。大きな洞窟に差し掛かったのだ。ぽっかりと岩壁に口を開けて、その入り口はぼんやりと青白く光っている。辺りが暗くなり始めていたのも相まって不気味な光景だった。

 他に道もないので洞窟に入ってみると、広がっていたのは、私達を包んだのは、青く輝く鉱石達だった。

「わー!」

 アイリスは両腕を広げ、その身に宿す赤色の瞳を青色の光の中で泳がせいていた。上も下も、右も左も、青の輝きで満たされ、まるで水の中とも、星空の中とも形容出来てしまう不思議な感覚だ。

「これは……凄いな」

「凄いねー」

 アイリスはその見た目相応の反応を見せている。反応そのものは年頃の少女なのだが、暗闇の中でも異質に光る赤い目は、やはり竜人の物だった。成り損ないなのだが。

 洞窟はしばらく続いた。分かれ道もなく、進んでいくうちに水音が大きくなっていく。どうやら側面に沿う様に水が流れているらしい。気のせいか、吸い込む空気も湿気を帯びてきた。

 洞窟を抜けると、そこは大きな湖だった。

 湖底から光が湧き上がっているのか、湖全体がぼんやりと浮かび上がり辺り一面を青く照らしている。枯れ木の様な樹木も見て取れた。しかし、上を見上げても空は見えず、ゴツゴツとした岩肌が薄らと浮かび上がっているだけだったが、灰色の谷に比べれば随分と明るい場所だった。

「あれは……家?」

「集落だな」

 湖の畔を埋める様に、オンボロと言うに相応しい形の家々が十数件立ち並んでいた。周辺の木材を集めて何とか作ったのだろう。

「人が住んでるのかな?」

「さぁな。だが、近づかない方が良いだろう」

 こんな場所に住んでいる者がまともだとは考え難い。自分でも人間不信が過ぎると思うが、それ以上に私の本能が避けた方がいいと訴えている。

「えーなんで?色々聞いてみようよ!上に登る方法も知らないんでしょう?」

「それはそうだが」

「じゃあ決まりね」

 この雌ときたら、やたらと好奇心が旺盛なのである。子供っぽいといえば子供っぽいのだが、この違和感をその言葉に溶かし切るのは安直だろう。私との初対面、といってもつい数日前の話なのだが、その時でさえその年齢に似合わないような危機感のなさだった。自暴自棄とも違うような。

 興味津々に辺りを見渡す彼女の体は限りなく人間の体に見えるが、顔や体の所々に見られる紅い鱗や少女の物とかけ離れた強靭な爪を見るたびに、やはり彼女は竜の血を引いているという事を思い出させた。しかし、その体に入っている心は間違いなく少女の物に違いないのだ。

「お主ら」

 私は見知らぬ声に振り向き、アイリスはみしらぬ声に飛び退いた。

 私達が騒いでいる事に気付き近づいていたのだろう。そこには、仮面を被った老人らしき人物が立っていた。その仮面には道中でよく見かけた青く発色する鉱石がはめてあり、老人の視界を照らしている。

「誰だ?」

 思わず身を引く。

「どこから来た?」

 私の質問に答えることなく、仮面の老人は質問を重ねた。

「私達はね――」

 私は彼女の口を塞ぐ。

「上から来た」

 そして私は嘘をついた。灰色の谷からココに来たとなれば『下から』が正しいのだが、私達の場合は『上から』でもあながち間違いではないだろう。

「ほぉ、上からか……。なら、儂らと同じじゃの」

 老人はしばらく考え込んだが、意外にも快い声調だった。

「儂ら? 他にも人が?」

「まあな、来い、案内しよう」

 そう言うと、仮面の老人は集落の方へと歩き出す。正直、私はこの老人に着いていこうなどと思えなかった。どう考えても怪しすぎるだろう。こんなのに着いていくのは危機感が干上がった馬鹿と、私の横で「やった」と喜んでいた彼女くらいに違いない。

「もーグレイ、早く行こうよ」

「馬鹿か? なにが起きるかわからないぞ」

 私はアイリスに耳打ちする。

「関わらない方が身のためだ」

「ビビりなの?」

「ビビりじゃない。これは合理的な判断だ」

「合理的とか、よく分かんないしツマラナイ」

「分かろうとしたらどうだ」

「ほら、あのお爺さん待ってるよ」

 老人は私達から十数歩離れた先で私達の動きを待っていた。仮面に付けられた石が不気味に青く光り、その面に描かれた不気味な模様を浮かびあがらせている。

「行こうよ、ね」

 アイリスに強引に手を引かれる。私も抵抗を試みるが、流石は竜人の膂力か、まるで歯が立たない。全身で踏ん張ってみるも、ずるずると引き摺られてしまう。私の骨が外れてしまいそうだ。

「大丈夫かの?」

 老人がそう心配してくる。しかし、なんだろう、仮面を付けていて見えないはずなのに笑われている気がして、私は諦めて付いていくことにした。

 湖畔を取り囲む小屋には微かだが人の気配があった。桶や、集められた薪、窓から覗く人影。しかし、遺物である私達を警戒しているのか、誰一人として姿を見せようとはしない。それどころか、行く先々でドアの閉まる音が聞こえてくる。

「ここはどこだ?」

「藍色の谷と儂らは呼んでいる」

「藍色? どうして?」

「道中で光る石を見なかったか?」

「とっても綺麗な石のこと?たくさんあったよ」

「藍洛石と言ってな、仄かに発光する石なんじゃや。ここら一体はその石をよく見るから、藍色の谷という訳じゃ」

「単調な名づけだなあ」と思ったが、灰色の峡谷よりかはマシなのかもしれない。

「その仮面は?」

 次に、私は老人のしていた奇妙な仮面を指さした。

「儂が作ったものじゃよ。上にいた頃は仮面職人をしていたものでな」

 上、というのは人が住む街のことだろう。

「着ける必要があるの?」

「ここには過去も素性も隠したい人間しかおらんからの、仮面は都合が良いという訳じゃ」

「なるほどな」

「お主らは何をしでかした? 強盗か? 殺人か? それとも、口に出すのも憚れることか?」

「ははっ、どうだろうな」

「ふふっ、どうだろうね」

 適当に誤魔化すと、老人は「まあ良い」と気にもしていない様子だった。素性を気にしない性分なら、そろほど有難いこともない。

「ここが儂の家じゃよ」

 老人の家は集落の真ん中に位置していた。他の家と比べて幾分かしっかりとしていたが、いまにも崩れ落ちそうなのには変わらない。軋むドアを開け中に入ると、まず目に入ったのは青く淡い光だった。先程、老人が言っていた藍洛石を照明として使っているらしい。そして、壁には数えきれない程の仮面が掛けてあり、そのどれもが禍々しい模様で飾られている。「上では仮面職人だった」というのは間違いないのかもしれない。

「座りなさい」という老人の言葉通りに、椅子に腰掛ける。

「腹が減っているだろう、食べると良い」

 ほどなくして私達の前にはここで”食べ物”と呼ばれているであろう藻の様な植物に僅かな木の実が出てきた。どういう原理なのか、藻も木の実も仄かに青く光っている。まあ、とてもじゃないが食欲をそそられるものではない。これなら灰色の苔の方が美味しそうだ。

「遠慮させて貰うよ」

「すまないね。ここら一体では、これくらいしか食べるものがなくての」

「いや、そういう訳ではないんだ」

「なら、遠慮なんかせんで良い。腹も減っておるじゃろう、なにも食べないよりかはマシなはずじゃ」

「もらおうよ、おなかへったもん」

「……仕方が無い。頂くとしよう」

「ゆっくりしておくれ。儂は少しばかり外に用事があるので、出てくるよ。なに、すぐに戻ってくる」

 そう言い残して、老人は家を出て行った。室内に取り残された私達は出された食物を口にする。はっきり言って美味しくはなかったが、百歩譲って食べられないものでもなかった。無味に近い有味、食物の境界線から片足がはみ出ているだろう。物と食物の境界線とは何なのか、そんなことを考えている私を余所に、彼女はむしゃむしゃと美味しそうに目の前の食物を食べていた。青白い光が頬を貫通して漏れ出ている。

 言葉遣いャ態度は生意気だが、こういう一面は子供らしいと感じる。庇護欲を掻き立てられることも……いや、ない。

「お前、よく食べるな」

「意外と美味しいよ、これ」

 そう言う彼女は本当に美味しそうに食べるのだから、反応に困る。

「お前はいままで何を食べてたんだ?」

「わたしは迫害されてたからねー。苔とか?」

「それは……美食家だな」

「でしょ」

 私は食べてなくても死にはしないので、私の皿の料理を彼女に譲ってやった。彼女が意味ありげにニタニタと笑ってくるので、私は顔を背ける。

「優しいんだ」

「黙れ」

 そうしている内に老人は外から帰ってきた。そして、開口一番に「お嬢ちゃん」と彼女に話しかけた。仮面をしているので意図が読めない。

「儂が付けているような仮面が欲しくないかね」

 老人は自身が付けている仮面を示した。欲しいか欲しくないかと言われれば、私は全く欲しくないのだが、目の前の少女にはどうやら効果抜群らしかった。

「欲しい!」とアイリス。

「なら、外で手頃な大きさの藍洛石を見つけて来ると良い」

「壁に掛けられている物を譲っては貰えないのか」

 私は口を挟む。

「壁の物は儂の想いでの品々での。それに、お嬢ちゃんも新しい物が良いだろう」

 アイリスは「そうだそうだ」と賛成する。少し黙っていてくれ。

「それにしても、どうして急に」

「お主らがここで暮らすのなら、必要になるものだからじゃ。皆、仮面を付けていない人間には会いたがらないからの」

「お話は終わった?」

 私と老人の会話をアイリスが両断する。

「ああ、もういいよ。気を付けて行って来いよ」

「はーい」

 彼女は家を壊すんじゃないかという勢いで扉を開けると、外へ出て行った。部屋に吊るされた藍洛石が揺れ、何とも言い難い沈黙が流れる。老人は私に背を向け、ごそごそと棚を漁り始めた。暇を持て余した私は、そんな老人を注意深く観察していたが、特に変わった様子はない。背丈こそ私より大きいくらいだが、手には皺が寄り、脚もおぼつかないように見えた。

「お主は面倒見が良いんじゃな」

 ふいに老人が話しかけてくる。

「自分でも驚いてるよ」

「お主らは兄弟か?」

「ははっ、まさか」

「おや、違うのか」

「兄弟なんて考えたくもないね」

 私は食べ残しの木の実を一つまみした。ピリリと舌先が痺れる。

「お主らは知り合って長いのか?」

「いや、そうでもない」

「ここまでは一緒に来たのか?」

「まあ、そうだな」

 戸棚を漁っていた老人が、その動きを止める。

「あの娘はいい子か?」

「まあ、変わってはいるが……悪い娘じゃないさ」

「お主はどうかの?」

「ははっ、私も知りたいね」

 私は無意識の内に椅子を引く。

「……用事は、すんだのか?」

「いまから済むところじゃ」

 刃が空気を切り裂く音。口の中に溢れる血。私は崩れる様に床に倒れこむ。首の半分ほど断ち切られたらしい。最悪だ。最悪の展開だ。

「……ッ」

「ふむ」

 老人の靴音が出入口に向かったかと思うと、何かをはめ込む音がする。鍵をかけたらしい。

「あんな娘を見逃せるわけがなかろう」

 黒を含んだ血がドロドロと喉から流れ出て、血がなくなってくのを感じる。視界がぼやけ、耳が遠のく。

「地の底であのような珍物をお目にかかれるとはな」

「がっ……ふ……ざ……け……」

 老人は私を見下ろす。ぼやける視界に藍洛石の光が滲む。私が絶命するのを待っているのだろう。しかし、残念ながら私は人間の成り損ないだ。

 私は転がっていたフォークを掴み、老人の足の甲に突き刺した。小屋に響く老人の悲鳴。

「貴様!」

 老人とは思えない力で頭を蹴られ、顎が外れる音が頭に響く。蹴りだけで上体を起こされ、今度は仰向けに転がった。揺れる意識に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。丁度、老人は脚に刺さったフォークを抜き終えた所だった。その雰囲気からただならぬ怒りを感じたが、老人にとっては私が立ち上がったことが異常だったらしい。 

「お主、その出血量でまだ動けるのか」

 食事には毒が混ぜてあったらしく、意識が朦朧としている。彼女には悪いことをしてしまった。

「喉もすでに塞がっておる。信じがたいな」

 私はなんとか呼吸を整える。

「まぁよい。切り刻んで確かめるだけじゃ」

 老人はどこに隠し持っていたのか、両手に大きなナイフを構えた。流線の装飾が施された二本のナイフ。刃渡りは肘から手の先ほど。刃は淡い藍洛石の光で鈍く輝いている。あれに切り刻まれる事は遠慮したい。死にはしないが痛いものは痛いのだ。

「仮面職人じゃなかったのか?」

「嘘は付いておらんよ」

 会話の途中にも関わらず、老人は二本のナイフを振り下ろした。私はそれを何とか回避、したつもりだったが、その切っ先が私の胸に十字の傷を作る。

「くそっ!」

 先程まで私が座っていた椅子を投げつける。しかし、老人に私の贈り物を受け取る気はないらしく、なんのことなく避け、私に二の太刀を振りかぶった。咄嗟に両腕を構えナイフを腕で受け止める。その行動が予想外だったのか、硬直した老人の腹を思いっきり蹴り押し、距離を取る。

「切断できないとは、歳かの」

 老人はカッカッカッと笑う。私の蹴りも大して効いていない様だ。こちらは腕の痛みで冗談の一つも言えやしないというのに。その間にも、部屋の中に武器となりそうな物はないかと探してみるが、それらしき物は見当たらない。

 閉じられたドアに目をやる。アイリスはどうしているだろうか。

「あの娘の心配をしとるのか? 優しいことじゃの」

「だろう?」

 老人が大きくナイフを振りかぶった、かと思えば、刃が私の顔を掠める。悪い予感に従い、半歩引いていたおかげで顔の両断は避けられた。しかし、自らの血で視界が歪む。暗転した視界の中で、私は老人を捕まえようと前進する。だが、腹から胸にかけてを切り上げられ、再び蹴飛ばされる。

「ガッ……!」

「しつこいの、お主」

 私は再び立ち上がる。不死としつこさだけが私の武器だ。

「何が目的だ」

「あの娘に決まっておるじゃろ」

「どうして」

「それ、本当に聞いておるのか? 竜の系譜だからに決まっておろうに」

 竜の系譜。つまり竜人のことだろう。どうして、アイリスがそうだとバレた。

「お主、馬鹿なのか?」と、老人は続ける。

「暗闇で目を輝かせる生物なんぞ、竜の系譜の何かだということだろう。そんな物が、どうしてココにいるのか、どうしてお前何ぞと共にいるのかは疑問が尽きぬが、大事なのはそこではない。間違いなく、あの娘は法外な値段で売れる。いや、売れる所ではないかもしれんの」

「売るのか?」

「では、殺せと? 勿体ないではないか。お主とはまるで価値が違うぞ」

「殺せるわけがないだろう」

 私はアイリスが座っていた椅子を手に取った。今度は投げつける様なことはしない。盾の様にして構え、じりじりと老人に接近する。

「こざかしい!」

 老人は盾(椅子)を両断する。私は腕を振りぬいた一瞬の隙を見逃さず、老人を掴みにかかる。しかし、老人も甘くない。もう片方のナイフが、私の体を袈裟切りにしようと襲い掛かる。だが、力が籠っていなかったのか、ナイフは私の鎖骨で止まった。好機。

「おらあ!」

 私は老人を床に叩きつけようと投げ飛ばす。肉が殆ど消えた老人の体は異様に軽かった。しかし、攻撃は失敗に終わった。老人は床に叩きつけられる所か、華麗な身のこなしで床を跳ねると、壁に着地した。片方のナイフを壁に縫い付け、その上に着地したのだ。藍洛石の光が尾を引いている。

「切り心地は悪くないぞ、お主」

 傷は浅い。私は老人に休息の時間を与えないために殴りかかる。

「遅すぎるわ」

 老人は壁を背にしている。なので、少しは利があると思ったが、そうでもなかったらしい。老人は、私の殴りや蹴りを完全に見切っていた。まるで霧に打ち込んいる様に面白ほど当たらない。それに老人に疲労が蓄積している気配もない。

「もうよいか?」

 老人がナイフで私の両腕を切り裂く。噴き出る血。腱を切られたのか動かない。

 私は少しでも距離を取ろうとするが、老人はそれを許さない。最早、手加減をするつもりもないらしい。上下左右のあらゆる方向から切りつけられる。正中線を開かれ、肩口を削がれ、これでもかと切り裂かれる。私をどれだけ切り裂くことが出来るか、またはその行為を愉しんでいるようだ。私はいよいよ壁に追いつめられる。

「次は首でも落としてみるか」

 防御に回す腕は動かない。足も動かない。身を仰け反らせることも出来ない。

「お主はあの娘よりも奇怪じゃからな。もしかすると、お主の方が高値かもしれんぞ?」

 藍色に鈍く光る刃が私の首筋を捉えた、そのときだった。

 真っ赤な蛇の尾が壁を貫き、老人を横薙ぎに吹き飛ばした。壁に叩きつけられ、老人が身悶える。

「まだ生きてる?」

 私と老人の殺し合いに割って入ったのは少女の声だった。半笑いのアイリスの声だった。

「も……ちろ……んだ」

 バラバラな文字を繋ぎ合わせて言葉を作ると、アイリスは「じゃあ大丈夫だね」と笑う。

 アイリスの目は、いつになく紅く輝き、身体は血に溢れていた。白装束は真っ赤に染まり、黒髪からは血が滴っている。恐らく襲ってきた人間達を返り討ちにしたのだろう、皆殺しにしたのであろう。部屋の中は私の血によって酷い惨状だったが、アイリスはそれを丸ごと被ったかの様だった。見た所、食事に盛られていた毒も効いていない様だ。私は半竜人を侮っていたのかも知れない。

「お前、尾を生やせたんだな」

「可愛いでしょ。竜の力を使ってるときだけだけどね」

 アイリスの体の後ろでユラユラと揺れるそれは、紛れもなく竜の尾だった。細くしなやかで魅入るほどに美しい鱗を持ち、薄暗い部屋の中で燃えている様にすら見える。完全に不完全で、限りなく完成された成り損ないの竜の尾は、皮肉なことにアイリスによく似合っていた。

「ああ、可愛いよ、サイコウにな」

「なにをぬけぬけと!」

 アイリスに注意していた私に、老人が襲い掛かる。

 しかし、やはりアイリスの尾がそれを防いだ。老人はアイリスの尾を切り落とそうとナイフを振り下ろすが、バチバチと火花が散るだけで、切り落とす所か傷すら入っていない。

「やはり! この娘、竜人か!」

 老人はいたく興奮した様子で、そのボロボロの体に似合わない覇気を纏う。

「竜人狩りの機会を得られるとは!光栄だ!」

 そう叫ぶ老人にアイリスは容赦なく尾を叩き付ける。老人に避けられた尾が床を割り、壁を割り、天井を割り、そのまま小屋を倒壊させてしまう勢いで暴れ回る。老人の仮面の藍色とアイリスの赤色が、幾何学模様を描いていたが、長くは持たなかった。最初の一撃が老体に響いていたのだろう。結局、老人はアイリスに傷の一つも付けることが出来ずに、尾に拘束されてしまった。

「クソォ!」

 老人が吠える。身を捩り抵抗するも、竜の尾に巻き付けられた体を自由にすることは出来ない。

「ざんねん」

 アイリスは薄笑いを浮かべる。

 私は老人の手から滑り落ちた二本のナイフを拾い上げた。手にずっしりとした重みが伝わる。刀身に描かれた模様はツタ花らしい。刃には波紋が浮かび、私の血が藍色に浮かび上がる。

「もう大丈夫なの? 血だらけだけど」

「痛くて痛くて泣いちゃいそうだ」

「泣いても良いよ、からかってあげる」

「そうか。じゃあ、泣くのをやめるよ」

 私は老人のナイフを老人の首筋に当てる。相手は老体だ。奪ったナイフを急所に突き立てればすぐさま力尽きるだろう。

「離せ! 貴様、竜人の娘が持つ価値が分からない訳ではなかろう!」

 老人の皮膚の皺をなぞるように刃を滑らせる。

「竜人だぞ!? 竜人の死体に一体どれほどの価値があると──!」

「わたしは成り損ないなんだけどね」と、アイリスが横槍を入れる。

「成り損ない? 一体、それはどういうことだ……。意味が分からん」

 老人は納得出来ない様だった。「成り損ないなぞいるわけが」やら「この尾の説明がつかん」とか、ぶつぶつと何か喋っているようだ。

「……もういいか?」

 刃をゆっくりとその老体に沈める。「やめろ!やめろ!」と老人は激しく抵抗するが、竜の尾に巻き付かれた状態では、何も変わらない。老人の肌からゆっくりと浅黒い血が滲み出たかと思うと、濁流となってナイフを伝う。肉を、管を、切り裂く感傷が伝わる。老人は口をパクパクと動かし声にならない声を発し、身体は痙攣させた後に、ゆっくりとゆっくりと死に絶えていった。

「殺しちゃったの?」

「殺したさ」

 アイリスが老人を離すと、地面に崩れ落ちた。

「あーあ、ステキな仮面を作って貰う約束だったのに」

 アイリスは顔の血を拭いながら、呑気に茶化す。

「そんな場面じゃないだろ」

「冗談に決まってるでしょ」

「もういいかな」と、アイリスは竜の尾を消失させた。いや、焼失というべきかもしれない。先から付け根に欠けて燃え上がるように火の粉になったのだから。

「他の奴らはどうした?」

「ん? 殺しちゃったよ。30人ぐらいいたのかなあ」

「殺しちゃったって……お前なあ」

「いけない?」

「いけないことはないが」

「そっか」

 アイリスはからからと笑うかと思ったのだが、しかし、笑うことなく椅子に腰かけた。

「どうしたんだ」

「眠たい。いま凄く眠たい」

「は?」

 そうしてアイリスは眼を瞑る。全身が血で濡れたままだというのに、襲い掛かる眠気に抗えない様だ。

「ねる……から……。今回は、すぐ、おき……」

 そうして、血濡れのアイリスは血溜まりの中で寝息を立てだした。

 

「血が落ちないよ」

 眠りから目覚めた彼女は、湖で真っ赤に染まった白装束――というより今や赤装束となってしまった一張羅を洗っていたが、濯いでも濯いでも血の色は落ちず、白装束に戻ることはなかった。

「気にいってたのになぁ」

 そう落胆する彼女だったが、私も他人事ではない。私の服も老人のお陰で風通しが良くなりすぎた。ギリギリの所で恥部を隠すことが出来ているものの、服と言うよりかは布と言った方が適切なくらいだ。

「えっち」

 そうからかってくる彼女の頭を強めに叩いたが、こちらの拳が砕けかけた。成り損ないも舐められないものである。

「竜の力を使うと眠くなるのか?」

 服を一生懸命に擦るアイリスに問いかける。あちらこちらで眠られては困るし、大事なことなので聞いておかなければいけない。

「そうだね。とーっても眠くなる」

「それは不味いじゃないか。さっきみたいな場面で眠くなったりしたら」

「竜の力を使ってるときは大丈夫。眠くなるのは終わったあと」

「なるほど」

「グレイは? 結構、やられてたけど……大丈夫なの?」

「まあな、死ぬほど遺体けどな」

「痛いって大変だね」

「痛くないのか?」

 思い返せば、老人の刃物を尾で受け止めていたときですら、アイリスは眉一つ動かしていなかった。

「痛くないよ」

「それは羨ましいな」

 そんな四方山話をしながら選択を続けたわけだが、アイリスの白装束が”白„装束に戻ることはなかった。よくて桃色。”桃色〟装束が良いところだ。私としては白でも桃色でも変わらないと思うのだが、どうやらアイリスは白装束がお気に入りらしい。

 その後、私達は役に立つものはないかと、老人の家を含め集落のあちこちを漁った。その際、アイリスが築いたであろう死体の山を目にした。無残に体をくの字に折られた者、首の曲がった者。その他諸々の十数人の死体は、やはりアイリスに手も足も出なかったらしい。出会いがしらに殺し合いにならなかった私は幸運なのだろう。

 集落探索の成果第一号として、取引履歴と思われる書類が見つかった。どうやら老人達は時折やってくる商人相手に藍洛石を売っていたらしい。しかし、売買というよりかは、物々交換が主だったようだ。だが重要なのはそこではない。商人がやってくるということは、上に通じる道があるということである。不明瞭で不確かな道筋であるとは言え、無いよりはマシだ。

「グレイ、文字読めるの?」

 アイリスにそう言われて気付く。私は当たり前の様に書面の文字を読んでいたのだ。

「自分の記憶はないくせにね」

「全くだ」

 私が文字を読めるということは、少なくとも灰色の峡谷に落ちてくる前までは、それなりの勉学があったのかもしれない。もしくは教えを乞う様な人物がいたのか。

 ついでに、老人の仮面を一つ拝借して、これからアイリスには身に付けて貰うことにした。アイリスが竜人(成り損ない)だという事はこの先もトラブルの種になるに違いない。今回の様なことが、いやさらに酷いことが起きかねない。老人の部屋に飾られていた内の一つを選ばせた。アイリスは「お爺ちゃんの付けてたヤツがいい」と言っていたが、大きさが合わないし、なにより曰く付きにも程があるのでやめさせた。

 そして、私は老人のナイフを頂くことにした。老人の様に扱うことは到底無理だろうが、それでも多少の役には立つだろう。

 さらに、私は新しい服と、誰かが使っていたであろう小さなバッグを得ることが出来た。特にバッグは役に立つ。何かに使えるであろうボロ布や、水筒を入れることが出来たし、照明につかえるかもと洛石も少し持っていくことにした。これでこの先、視界が不安な場所でも安心だ。

 諸々の準備を終えて、私達は集落を後にした。

 

 

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