「道ってこれかなぁ」
集落を抜けた先──というよりも、集落を抜けるための一本道のような物があった。人間二人分が通れる程の道幅で、湖に繋がっている小沢を遡るように伸びている。私達はその道を辿っていくことにした。緩やかな登り坂を進んでいくと、地面に壁に散らばっていた藍洛石は次第に見えなくなってき、辺りは薄暗がりに包まれるようになった。上を見上げると、反り立つ壁が光を遮っていることに変わりはない。
「私はばっちり見えるんだけどね」
どうやら竜人は夜目が効くらしい。アイリスは得意げにその赤い目を見開いた。
「成り損ないでも見えるんだな」
そう揶揄ってみると、瞬きの合間にアイリスがローキックを繰り出してきた。
しかし、アイリスが見えても私が困る。そこで私はバッグから藍洛石を取り出した。煌々と青白く光る藍洛石を道にかざせば、なるほど足元がよく見える。
「人間は大変だねえ」
けらけらとアイリスが私を揶揄う素振りを見せる。
「成り損ないだけどな」
「ほぼ人間みたいなものでしょ? 死なないだけで」
「死なない人間がいてたまるかよ」
そこで気付く。よく見ればアイリスの仮面にも、老人の物と同じ様に窪みが付いていることに。思い返せば、老人は藍落石を自身の手で持つことなく、仮面にはめていた。
「ちょっと来てみろ」とアイリスに呼び掛け、試しにはめてみるが、イマイチ大きさが合わない。ナイフを使い藍洛石を削り、大きさを合わせてみると、ピッタリとハマった。
「これはいいな」
アイリスの前方が青白く照らされる。自分で持つよりもかなり楽だ。「人を松明みたいにして」と、アイリスは若干不満気だったが、すぐに自身でも気に入ったのか静かになった。
そう言えば、小沢に沿って流れていく小魚を見かけた。私もアイリスも呆けていたので反応に遅れ、川に飛び込んだアイリスの努力もむなしく、取り逃してしまったが。アイリスは何とも悔しそうな様子だった。
「落ちてきてから変なものしか食べてないんだけど」
「苔よりかはマシだろう? 木の実とか食べたじゃないか」
「毒だったけどね!」
べーっと舌を出すアイリス。その舌は燃える様に赤い。
「あーあー、焼いたお魚とか食べてみたいなあ」
小魚が流れていった方向を見ながらアイリスがボヤく。小魚はあの藍色の湖に下りていくのだろうか。もしかすると、あの湖には魚達がいたのかもしれない。まだ新鮮な記憶を掘り返してみれば、小屋には釣竿のような物もあったような。それが真なら、惜しいことをしたものである。私だって魚を食べたい。落ちてくる前は私もそういったものを食べていたのだろうか。
藍洛石がすっかり見えなくなった頃、徐々にその輪郭を表しだしたのは音だった。頭上からごおごおと唸る風切り音がする。どうやら谷間を物凄い勢いの風が通り抜けている様だ。まさに崖を削り切らんとする勢いだ。見上げるだけでも本能的な恐怖を感じる。
「風が強いねぇ」
「あの風は避けたいな」
しかし、私の不安はしっかりと的中した。案の定である。
私達が進んでいた道は徐々に傾斜が付き始め、小川もその姿を何処かに隠してしまった。心地よい水音が消え去り物寂しい。その代わりにと主張を強めて来たのは、頭上で唸る風音だった。歩みを進める度に密を増す風音に不安がよぎる。そして、その不安は何処かに飛んでいくこともなく、見事に的中した。
道は岩壁に沿って登り坂になっていくのだ。それはかろうじて道と呼べはするが、しかし進むには問題があった。有り余るほどにありすぎていた。まず道が狭い。人間が一人通るのでやっとの幅だ。それに、少し踏み場を間違えれば立ち所に足場は崩れるのだ。二人とも落ちたとしても死ぬことはないのだが、面倒は避けたい。
「尻尾を生やせるなら翼も生やせたりしないのか?」
崖にへばり付く様に進みながら、私はアイリスに聞いた。
「悪かったね、成り損ないで」
それもそうだろう。それが出来たのなら、私の目の前にあんな勢いで落下してくることはなかったのだから。
しかし、翼があってもいまは控えるべきだろう。たとえ飛ぶことが出来たとしても、空の星になりたくないのなら飛ばない方が身のためである。それほどに風が強い。踏ん張って岩壁に張り付いていないと、すぐにでも吹き飛ばされそうだ。落下死はしないだうが迷子は必然である。死なないからこそ迷子になるとは面白い話だ。
それにしても困った話だった。こんな崖ではろくに休憩することすら出来ない。じりじりと進むことが出来てはいるがジリ貧だった。足場が崩れでもしたら真っ逆さまに崖の下である。
「グレイ、あそこに洞窟があるよ!」
私の後方を行っていたアイリスが叫んだ。黒髪を風に靡かせ「あそこ!あそこ!」と指をさしている。しかし、そう言われても何も見えない。強風によって目が乾いているし、鼠色の壁には穴なんて見当たらない。「どこにも見えないぞ」と、アイリスに苦情を叫ぶ。
「もう!どいて!どいて!」
アイリスが私の前に出ようと、私の体を掴みよじ登る。肩に爪が食い込んで痛い。アイリスに引っ張られ崖から手が離れそうになる。そんなことがあり、アイリスに先導されて辿り着いた先は、確かに洞窟だった。竜人と人間(成り損ない)の視力の差を感じる。アイリスは「ほらね」と無い胸を張った。
岩壁にぽっかりと空いた洞窟からは冷えた空気が緩やかに流れてくる。心なしか不気味な雰囲気が漂ってくる。漂ってくるが、入らないという選択肢はない。このままでは、いずれ崖下に落ちてしまうのがオチであった。
「風が止むまで大人しくしていよう」
「そうだね」
久しぶりに意見が合致した私達は洞窟に逃げ込んだ。
「助かったあ」
アイリスは地面に両手を付くと、体の力を抜き背中を弛ませた。
「これで少しは休めるか」
洞窟を見渡す。外とは隔絶された様な雰囲気が嫌に気持ち悪い。地面を手で拭ってみると、しっとりと濡れている。見上げてみると天井から水が滴り落ちて来ていた。目を凝らしてよく見てみると、洞窟は存外深くまで続いているようだ。
もちろん、わざわざ洞窟の奥を確かめに行くなんてことはしない。普通ならしない。
「音がする……。火が燃える音が」
アイリスがそんなことを言い出さなければ。
耳を澄ませる。しかし、聞こえてくるのは風の唸る音ばかりで、かろうじて水の滴る音が聞こえるだけだった。まさか炎が独りでに燃え盛るわけがあるまい。そうなれば必然的に答えは定まる。誰かいるということだ。
「本当に聞こえるのか?」
再度確認する。
「うん、聞こえるよ。奥の方から間違いなく」
そう言われてしまえば備えるしかなかった。つい先日に散々死にかけたばかりなのだ。不穏分子は極力排除しておきたい。抜いていた体の力を籠めなおし、例の老人から頂戴したナイフを手にする。
「なんで私が先頭なの!」
そう喚くアイリスの背中を押す。
「お前の仮面に藍落石が付いているんだから、お前が先頭じゃないと前が見えないだろ」
「この石外しちゃえばいいのに」
「そうしたら、その石を持つのはお前の役目になるな。つまりお前が先頭だ」
「女の子にこんなことさせて恥ずかしくないの?」
「こんなこと、竜人にとっては何てことないだろ」
洞窟の中をゆっくりと進んでいく。足を不気味さと安らぎが同居しているような空間。見る人が見れば、聞く人が聞けば、それ相応のモノなのかもしれない。しかし、今の私達にとっては不気味そのもので(アイリスがどうかは知らないが)緊張が走る。
洞窟は基本的に無機質な物だったが、所々に不可解なラクガキがあった。
「矢印?」
「だな」
所々に白色の塗料で矢印が書いてある。向きは私達が洞窟に侵入して来た方向で、つまり洞窟から抜け出せる様に導いていた。
ここは道なのかもしれない。上から下に、つまりろくでなしの溜まり場であった藍色の谷に向かう道。となれば、この先に待ち受けているのも”ろくでなし„。
「おやおや、誰かいるのかい?」
思わず体が跳ねた。洞窟の奥に佇む何者かが、こちらに声を掛けてきたのだ。もちろん、私からはその姿を確認することは出来ていない。それはアイリスも同じようで首を振る。
「こっちだよ、こっち」
首をぐるぐる回し、反響する声の出所を探る。しかし、困惑する私とは対照的にアイリスにはすぐに出所を掴んだようだった。竜人さまさまである。
「こっちだよ、グレイ」
「おいおい」
アイリスは歩みを進める。青白い光で前方を照らしながら怖気づくことなくぐいぐいと。
「やあ」
女だった。真っ暗な洞窟の中でくっきりと浮かび上がる焚き火の前に、一人の女が座っていた。鍔の大きな帽子に腰まで伸びた薄い金髪。女の傍らには半身程の丈があるバッグ。
「初めまして」と、女はからから笑う。しかし、その軽々しい雰囲気とは不似合いな鋭く尖った目に気圧され、私のナイフを握る手に力が籠る。
「そこまで殺気立つことはないだろう」
私の心情を見透かされた様で気持ちが悪い。交友距離の詰め方にどこか不安感を覚えてしまう。アイリスとの初対面のときも、それなりに酷いありさまだったが、この女は違う。アイリスと同じ軽率でも、その中に黒色を混ぜ込んだような、そんな違和感。
「お姉さんはなに?」
アイリスの問。その答えはすぐに返って来た。
「人間」と。
女は「当たり前か」と笑う。
「君達もそうだろう?」
その返しに私は口を結んだ。ついでに、アイリスが余計な事を言い出しそうでもあったので、その口を押える。
人間ではない。私もアイリスも、とても人間と言える存在ではない。
「お前はここで何をしている?」
話を逸らそうと話題を振る。
「なにって、休憩中さ」
「下に、藍色の谷に向かう途中か?」
「おや」と女の目が光る。
「藍色の谷を知ってるのかい?」
「教えて貰ったのからね!」
私の拘束を抜け出したアイリスがやはり要らないことを答えた。私としては藍色の谷に立ち寄ったことすら伏せておきたかったのだが。余計なことをするヤツである。
「ということは、あの仮面職人に会ったのかい?」
そら、みたことか。案の定、女は最もされたくない質問をしてきた。もし、この女があの老人──仮面職人の仲間だとしたら、面倒だ。最悪、ここでひと悶着起きることになってしまう。起きた所で、ただの人間に私もアイリスも殺されるはずはないのだが、私の脳味噌の奥が「やめておけ」と警鐘を鳴らしている。この喉が渇くような感覚は、女の雰囲気によるものなのか。
「そうだが、どうした」
強気に答える。
いざというときにアイリスを庇うことが出来るように、私は片足を一歩引いた。その様子を見てか、女は半身を乗り出した。
「仮面職人に会ってなにもされなかったのかい?」
反応に困る。なにもされてないことはないし、なにもしていないこともない。それどころか、殺しあったし、殺した。
「それは、だな……」
「うーん……」
私もアイリスも反応に困り、言葉を研ぎらせる。
「ふーん」
女は喉を鳴らすと首を傾げる。空色の目が私達を睨む。その焚火に照らされているはずの目は冷たい。本当に人間なのかと疑ってしまう程に無機質だ。
「君達みたいな二人組をアイツが、仮面職人が見逃すはずがないと思うんだけれど」
女の目が、私達を品定めするように動く。つま先から頭のてっぺんまで、皮の内側まで凝視するように。気持ちの良いものではない。
「ははーん、なるほどね」
女は得心したような様子をみせる。
「そのナイフ」
私の手元を指さす。
「それ、老人のモノだよね? それによく見れば、そのお嬢ちゃんが付けている仮面はアイツのコレクションの一つじゃないか」
ギクリとする。深く考えなくとも分かることだった。あの老人の一品を仲間が知らないはずがないのだ。そして、そこから導き出される答えは簡単である。
「これは譲って貰っ──」
「ツマラナイ嘘つくなよ」
言い訳をしようとしたが、言葉を切られる。まさに両断。
「殺したんだろ?」
女は不自然な程に早くその答えに行きついた。しかし、自身の仲間を殺されたというのに全く動じていない。それどころか、ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「あの仮面職人がナイフを譲る? ははっ、ふざけたことを言うんじゃないよ。死んでも手放さないよ」
焚火が弾け火の粉を散らす。
「殺したよ」
私が反応するよりも早く、アイリスが答えた。
「殺した」
言葉を重ねる。
「そうか、殺したんだね」
女は「はーっはっはっ」と軽快に笑った。洞窟に声が木霊する。
「手強かったんじゃないか?」
女がアイリスに問う。
「楽勝だったね」
アイリスは力こぶを見せる様なポーズで鼻を高くした。まあ、アイリスに取っては気にする程の相手ではなかったのだろう。私は数回死ぬ羽目になったが。
「本当かな……まあ、君達が生きてここにいるってことは事実なんだろうな」
「仲間じゃないのか? 君が言う仮面職人という奴と」
「仲間というよりは、取引相手かな。私は行商人だしね」
やはり藍色の谷にあった取引書類は、彼女とのものらしい。それならば気は抜けない。老人が私達を売り飛ばそうとした相手はこの女ということになるのだから、ロクな人間ではないだろう。
「それに仮面職人は死んで然るべきクソ野郎だったしね」
「そうなの?」
「仮面職人の事を知らないのかい?」
アイリスは首を振る。女の視線が私に移ったので、同じく首を振る。
「そうかそうか、ナルホド」
女はまた笑い、その細い眉を緩ませる。
「まあ、座りなよ。その警戒心を解いてさ」
女は自身の隣を手の平で叩いた。
「つい最近、酷い目にあったばかりでね」
油断は出来ない。この女から感じる異質な雰囲気も見過ごせない。
「取って食ったりはしないさ」
「あー、でも」と女。
「私のことも食わないでおくれよ」
「食べるわけがないだろう!」
どこかでした覚えのある会話だった。しっくりとくるような、そうでもないような。
「ふふふっ」
隣でアイリスが小さな肩を震わせ笑っていた。
「いいんじゃない? ねえ?」
アイリスが目配せをしてくる。その意味は察するところ「危なくなさそうだよ」だろう。
このアイリスという少女は、どこか警戒心が薄いきらいがある様だ。それは竜人(成り損ない)の体を持っていることで大抵の状況は打開できるからだろう。まあ、その体のせいで落ちてきたし、狙われるのだが。
「まあ、いいか」
私の言葉を聞いて、アイリスが女の横に座った。続けて私はアイリスの隣に座る。
「では、懇親会でも始めようか!」
女は自身のバックから何かの包みを次々と取り出した。摘まめる大きさの物から、手の平大の物まで様々だ。その中の一つを開いて私達に見せつけてきた。
「わあ!」とアイリスが声を上げる。
それは魚だった。道中、私達が取り逃したモノとは比べ物にならない程に立派な魚だ。女がその魚の口から尻にかけて一本の櫛を通し、そのまま焚火に掛けた。群れから逸れた火の粉が魚の表面をチリチリと焼く。溢れ出た水分が滴り落ちてジュウと音を立てた。
仮面職人。それは、この崖を登り切り、深緑の森を抜けた先の亜人街カツ、そこで悪名を轟かせた大悪党らしい。獣人や人間の皮を使って仮面を作ることが性癖の異常者。何十件もの殺人騒ぎを引き起こし、ついには高位の人間にまで手を掛け、その身柄を治安維持隊に追われ。逃げに逃げ延びた果てがあの藍色の谷だったというわけだ。つまりの所、あそこは本当に吹き溜まりだったのだ。私達が皆殺しにしてしまっても、誰も困らない、むしろ女の様に手を叩いて笑われる様な奴らが身を寄せ合っていたのだろう。
「仮面職人の作品はコレクターには大変高く売れるからね。私はどうにか一品でも譲って貰えないかと交渉に通っていたのさ」と女は言った。
女の名前はコーマというらしい。コーマはこうも言っていた。
「藍落石も高く売れる」と。
こうして私が思考を巡らせている間にも、様々な食べ物がアイリスの口に消えていった。干し肉に胡椒を塗し表面を炙ったもの。この洞窟で取れたらしい魚の塩焼き。どこから取ってきたのか分からない橙色の果実。もし、これらに毒があるというのなら、毒があるから美味いのか、美味いから毒があるのかのどちらかである。そのどちらでもないということを心の底から信じたい。
そんな私の心配を他所に、アイリスは焚火で調理された魚を骨ごとバリバリとムシャムシャと食べている。それはもう、美味しそうに。この谷のどこに魚がいたのだろうかと、そんな疑問が湧きもしたが、私の心配はそこではなかった。
見えそうなのだ。アイリスが何かを食べる度に、その顔に薄く張る竜人の鱗が見えてしまいそうなのだ。私が注意したこともあってか、仮面を外さずに器用に食べてはいるが、それでも心配だ。コーマにバレた所で即戦闘とはならないだろうが、それでもバレないに越したことはない。
頭を空っぽにして焼き魚を食べているアイリス。それをはらはらしながら見守る私。コーマはしばらく黙ったままだ。その何とも言えない雰囲気を切り崩すように、コーマが口を開いた。
「君達は何をしでかしてココに落ちてきたのかな?」
「しでかす?」
アイリスが首を傾げる。口がで汚れて見ていられなかったので、袖で拭ってやると「ヘンタイ」と喚く。
「そうさ。何か許されないことをしたから、罰としてこの谷に落とされたんだろう?」
「あー、それなんだが」
困った。老人にも同じ内容を聞かれたときは、その場の流れで誤魔化すことが出来たが、今回はそうもいかないだろう。
「上から来たのは間違いないんだが、まあ、その……色々あってな」
本当に色々あったのだ。それを差し引いたとしても、アイリスは竜人の成り損ないだし、私は人間の成り損ないなのだ。たったそれだけでも、並の人間なら引っ繰り返ってしまう程の情報だ。
「言いたくないことか?」
渋る私を見かねてか、コーマが助け舟を出して来た。
「言いたくないことでは、ある」
聞かれても困ることである。
「なら、やめておこう。私も聞かれたくないことあるしね」
コーマは笑った。よく笑う女である。ただ、その笑い方もどこか打算的に見えるというか、不気味なものを感じるのだ。
「魚、美味しいね!」
アイリスは微塵も気にしていないようだが。気付けば焼き魚はなくなっていた。私はまだ食べていないのに。食べていないのに……。
「それで、君達はどこを目指しているのかな? 下から上がって来たんだから、決まっているんだろうけどね」
「そうだ、上に行く」
「そのあとはどうするんだ? 上に行って、それだけってわけじゃないんだろう? 復讐でもするのかい?」
「星を見に行くの」
話を断ち切るように、アイリスが答えた。
「星?」
コーマが目を丸くする。
「星? 星を見てどうするんだ?」
「どうするって……」
「そこで死ぬ」
アイリスの声は乾いていた。その言葉の重みとは釣り合わない程に乾いていた。
「へぇ……変わった趣向を持ってるみたいだね」
そして、それに返答するコーマの声もまた、冷たく乾いたものだった。突拍子のない話を、さぞ当たり前かのように受け止めている。
「あまり驚かないんだな」
「それくらいの変人は腐るほど見てきたからね。君達がどこでし死のうが、それは君達が決めることだ。私には関係ない」
「それは都合がいい」
「そうだろう、お互いにとってな」
コーマが焚火に焚き木を投げ込んだ。強まっていた火柱が勢いを失いながらも、焚き木を飲み込み、その輪郭を崩し、炎に生まれ変わる為に死んでいく。そう、死んでいく。私がそれを体験するのは数十年後か、はたまた私には存在しないのか。
アイリスを横目で見る。その仮面の奥で灯る瞳が、黒に覆われるまでに、私達は辿り着けるのだろうか。確実にアイリスは死んでいっているのだろうから、時間はない。
少しでも歩みを進める。そのためには、この目の前にいる怪しい女の手を借りる他はない。
「提案、だろ?」
私の思考を先回りした様にコーマが切り出した。その不快な感覚に、思わず眉を顰めてしまう。
「違うのかい?」
「いや……その通りだ」
「それなら、話は早い。ここからは交渉だ」
「私は君達をこの上に案内する」
「君達は、そうだな……そのお嬢さんの藍落石をいただこうかな」
そう言って、コーマはアイリスの仮面に付く藍落石を指さした。
「藍落石? そんなもので良いのか?」
確かにコーマは藍落石にも価値があると言っていた。しかし、それでは不釣り合いの様に思えた。光はするがただの石ころだ。それに大それた価値があるとは思えない。
「そんなものでいいのさ。だって、君達が藍落石の価値を上げたんだから」
「どういうこと?」とアイリス。
「どういうことも何もないさ。藍落石を採掘する労働者も、それを統括する老人も、その全員を殺したんだろ? お陰様で藍落石はこれ以上市場に出回らない。つまり、私は頃合いを見計らって、その小さな石ころを高値で売り払えばいいのさ」
「はーはっはっ」と、コーマは声高らかに笑った。なるほど、確かにこの女はロクでもないらしい。
「コーマって悪い人なの?」
「極悪人さ」
コーマはお道化るように腕を振った。
「それでは暫しの間、仲良くするとしよう」
コーマが焚火を蹴り散らすと、炎の端々が洞窟の暗闇に溶けていった。
私達はここまで藍落石の光を使って暗い道を進んできたわけだが、コーマは円筒状の光る道具を使ってきたらしい。藍落石と違って、明滅が可能で、手に持ちやすい形状をしている。その他にも、滑りやすい岩肌を安全に歩ける履物、手軽に火を起こせる装置なんかも持っているらしい。コーマの自称通り行商人という話は本当なのかもしれない。
コーマを先頭に、私達は洞窟を進んでいったが、その道のりは複雑であった。右に曲がれば左に曲がり、なんの目印もなく進んでいく。入り口(コーマにとっては出口だったもの)にあった様な目印も時折見かけはしたが、殆どが掠れ消えその役目を果たしているとは言えなかった。そんな迷路も同然な道筋を私はもちろんアイリスに理解できるはずもない。道順を覚えている自信すらなく、いま引き返せと言われれば、見事に遭難するに違いない。コーマがいなければ、私達は洞窟から脱出することはとても出来なかっただろう。そんな洞窟を、コーマは勝手知ったる様子で何一つ迷うことなく進んでいく。
「コーマはいっつもこの道を通ってるの?」
道すがら、アイリスがコーマにそんなことを聞いた。
「いやいや、いつも通ってるわけではないさ。こんなジメジメして薄暗い場所は好きじゃなくてね」
「でも、外は酷い風だったよ」
「ああ、いつもあんなに強いわけじゃないんだよ。こんなに強いのは、そう体験出来ないね」
「じゃあ、あの細い道を這って来てるんだ」
「それも違う」とコーマ。
「いつもは相棒の力を借りて楽してるのさ」
「相棒がいるのか」
「とっても頼りになるのが一人ね。名前はモーって言うんだけどさ、もしこの先見かけることが会ったらヨロシクね」
「そのモーって人は崖から落ちちゃったの?」
アイリスが聞き難いことをサラリと聞いた。気の毒だが、人間があの崖から堕ちれば間違いなく死んでいるだろう。しかし、コーマは「逆だよ」と返す。
「風に飛ばされちゃってね~。まいったねえ」
風に飛ばされる? どういうことなのか聞こうとした、そのとき、私達の目の前に不思議な光景が現れた。
「これはまた、不思議だな」
ある地点を境に、無機質な洞窟に緑色の苔やツタが生い茂るようになったのだ。灰色の峡谷に引きこもっていた私は「ああ、そういえば植物というものは緑なんだっけ」というフワフワした感想が漏れてきたが、肝心な点はそこではなかった。脈打っているのだ。私達の地面を覆う苔や壁を埋めるツタが、鼓動している。淡い光を放ち、萎み、光を放ち、萎む。それを一定の間隔で繰り返し、聞こえるはずのないドクンドクンとした脈音が聞こえてくる錯覚に陥った。
「変なの」
膝を屈めるアイリスは面白がってか、その苔の一端をむしり取ると、アイリスの手の中で苔はゆっくりと光を失っていった。灰色の峡谷に生えていた光る苔と、そこら辺は同じらしい。
「これはどういうことなんだ。どうして急に植物が現れた」
「言うなれば、恩恵かな」
恩恵。そう言われてもイマイチ話が掴めない。アイリスもそうらしく「もっと詳しく」とコーマに視線を飛ばしている。
「失礼、言葉足らずだったね」
何が面白かったのか、コーマは「ふふふ」と笑うと、話を続ける。
「いま私達が向かっている場所から溢れ出てきているのさ、生命力がね」
コーマは劇でもするように両手を上げながら私達の数十歩先に走り、地面に見えない線を引いた。
「私が前回来たときは、ここまでしか植物は来ていなかった。ほんの半年前の話なのに、もうそこまで成長してる!凄くないか? 凄いだろ!」
まるで自身が成し遂げた様にコーマは鼻を高くした。
「いつかはこの洞窟を覆い尽くして、藍色の谷の、その先まで緑に染めてしまうのか?」
そんなことを聞いてみた。あの灰色一辺倒の峡谷にも、緑が生い茂り、花などが咲き誇ったりするのだろうか。見てみたい気がする。
「いつかはね」
そんな会話をしながらも、私達は洞窟を進んでいった。進めば進むほどに、緑は濃く、青臭い匂いが強まっていく。緩やかな傾斜が付いていた地面が、少しずつ平らに近づいていき、吸い込む空気が熱を帯びていく。
洞窟から出ると、そこは森だった。頭上を足元を空を地を覆う緑。鼻腔を伝うのは樹の匂い。辺り一帯には鳥などの動物達の鳴き声が木霊し、溢れるほどの命が音を立てていた。
「これは、一気に様相が変わったな」
辺り一帯は真っ直ぐと背を伸ばした大樹が所狭しと乱立し、その先で大きく傘を広げ空を覆い尽くしていた。その大樹の葉は半透明になっているらしく、緑を帯びた柔らかい光が私達を包んでいる。どうやら地面も土ではないらしい。幾層にも折り重なった葉や枝が私達を支えているのだ。灰色でも、藍色でも、ない。緑や赤に黄色、とても数えきれない色達が私の視界を埋め尽くす。鮮烈に鮮明に、確かに世界は色付いていた。
「ようこそ深緑の森へ!藍色の渓谷が罪人の吹き溜まりなら、ここは生命の鍋の底だ!」
コーマは大きく手を広げ深呼吸をする。確かに、先程までいた洞窟と比べてしまえば、遙かに気持ちが良い物だ。灰色の峡谷や藍色の渓谷と比べれば、暖かいを通り越して熱いくらいだ。熱く湿った空気が肺を満たし、冷え切っていた体に熱が巡回し、目が冴えていく。ずっと起きていたはずなのに、今しがた目覚めたように、眩い光が視界の端で線を引いている。
私達は、灰色から這い出し、藍色を踏み歩き、琥珀を抜け出して、ようやく日の当たる緑へと辿り着いたのだった。