竜の瞳に星屑を   作:3十3

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這うは鱗、舞うは翼、ここは深緑

「見えそうで、見えないね、空」

 いつかと同じように、アイリスは空を見上げていた。それに釣られて空を見上げると、なるほど、見えそうで見えない。地面の全てを覆い尽くさんとする勢いで葉が広がっているというのもあるのだろうが、それにしてもその隙間から見える空が異様にぼやけいている。まるで薄布を掛けられた様にその空色の詳細が掴めない。

「水蒸気の影響だね」と、コーマが答える。

「この森──深緑にはいくつか大きな滝が流れ込んでいてね、そこから立つ水蒸気が空を覆っているのさ。いま私達を囲んでいる緑も、洞窟に侵食していた苔達も、それどころか藍色の谷の湖を作っているのは、この深緑から溢れ出る恩恵だったわけだ」

「だが、全ての水がそうなっているわけではないんだろう?」

 ここまでの緑を育む水の全てが、下に落ちてきていたとは考え難い。もしそうならば、灰色の峡谷は花達で溢れ立派な観光地になっていただろう。

「もちろん。下に落ちていくのは、ほーーーーんの一欠片の一欠片さ。水の多くは、この深緑を流れる大河に乗って旅立っていくのさ」

「その後は?」

 アイリスが問うた。

「海に流れ込むんだよ」

「海かー」とアイリスは顎を上げた。

「見たことないのか?」

「ないない。私の一族は専ら陸だったからね、遠目で見ることは出来ても、近づいたことはないよ」

「グレイは?」と聞かれる。

 私はどうだろうか。海と頭の中で想像して出て来るものは、地平の彼方まで続く水の平原。波と波がぶつかり合い、日の光が散りばめられた様にキラキラと美しい、そんなイメージ。その様な光景を頭の中に描けるということは、私は海に行ったことがあるのだろうか。

「さあ、どうだろうな」

 そのあたりの記憶は、私からすっぽりと抜け落ちているようだ。灰色の峡谷に落ちてくる前、私は何者だったのだろうか。そもそも、どうして人間の成り損ないなのだろうか。家族はいたのか。もしかすると海の傍に住んでいたのかもしれない。目の前のコーマに「死なない人間について知っているか?」と聞いてみれば、情報の一つや二つ出て来るかもしれない。

 しかし、それは後回しでもいいだろう。私が誰だとか、そんなことは後回しで良い。どうせ時間は有り余っている。それよりも、優先すべきなのは時間が残されていないアイリスの方だ。

 ガサガサ。

 そんな中、私達の近くの茂みが音を立て、何かがその奥へと走り去っていく。微かに見えた茶色の毛並みは、人間でも魚でもない、紛れもなく小動物のそれだった。「あんなのもいるのか」と出かけた言葉を当たり前だと気付いて抑える。ここはそういう場所なのだ。生命が溢れかえる場所であり、生と死が勃々と混ざり合う場所。この深緑において不死の私は間違いなく異質だった。

「まてー!」

 そんなことを考えている中、案の定というか、やはりというか、アイリスは何も考えてなさそうに、そこらの小動物を掴まえようと躍起になっていた。捕まえて食べるつもりらしい。その様子を見てか、コーマは笑んだ。

「それでは捕まらないよ、お嬢ちゃん。人間が相手するには、彼等は素早過ぎる」

 そう言うと、コーマは自身のバックを漁り、いくつかの道具を取り出した。牙の付いた口のような形をした罠、組み立て式の弓など。

「人間なら知恵を使わないとね」

 そして、コーマは提案してくる。

「いったん、ここらで体制を整えないか」と。

 それは妥当な判断に聞こえた。コーマに先導され深緑に出来たのはいいが、これから何処に向かうえば私達の望む場所に辿り着けるのか、聞き出す必要がある。それに食料をある程度溜めていく必要もあるだろう。私は食わなくても大した問題は発生しないが、アイリスはそうではない。

 賛成だ、という旨をコーマに伝えると「まずは焚火だ」という流れになった。食料を長期保存するには物を燻すのが手っ取り早く、獣避けにもなるとのこと。

「グレイ。適度に乾いた木を探してきてはくれないかな? 肌で感じている通り、この辺りは湿気が多くてね、なかなか見つからないとは思うが、お願いしたい」

「どうして私なんだ?」

「なんだい、なんだい。もしかして君は幼気な女性二人に労働をしろというのかい?」

 何だか話が面倒くさい方向に進みだす。

「か弱い女の子二人を働かせようと?」

 お前の横のソイツは全くか弱くないぞ、とでも言ってやりたかったが、なんとか堪える。

「酷い奴だ! アイリスちゃんもそう思わないかい?」

 話を振られたアイリスは、さも「ザマあみろ」と言った風に顔を歪ませ「そうだそうだ」と同調する。

「それに、私はアイリスちゃんと女の子の秘密話をしたいんだ。ほら、男子はあっちに行った行った」

 二人に尻を蹴られるように私は焚き木探しを始めた。しかし、始めたは良いものの本当に見つからない。私を覆う緑のスベテガ瑞々しく、枯れた枝などは一切見当たらない。不自然なほどに。

「本当に燃やせる様な物が落ちているのか……」

 コーマが私への嫌がらせの為に嘘をついたのでないかと、そんなことを考える。

「嘘をついた……?」

 思わず口から声が漏れ、嫌な予感が頭を刺す。まさかとは思いたいが、それがこの状況での最悪だ。コーマの狙いは、アイリスを一人にすることではなく、私を一人にすることだったら。いままで人当たりの良かったコーマの腹の内が、仮面職人とは比べ物にならない程にドス黒かったら。

 そこで気付く。異常なまでの静けさが私を包んでいることに気付く。おかしい。余りにもおかしい。深緑に踏み入れたときには、大小様々な鳴き声が溢れかえっていたはずなのに、いまはそれが一切しない。まるで何かに怯え、息を潜めているように感じる。

「……ッ」

 冷たい刃物の切っ先が肌に触れた様な気がして、後ろを振り返る。しかし、何もおらず草が独りでに揺れているだけだった。私の一方的な思い込みかもしれないが、その思い込みが吸い込む息を重くさせた。私を囲む植物たちに息を遮られる。水の中にいるような心地でさえいる。

 シャーッ。

 肩を震わせ、後ずさる。いまのは明らかに自然の音ではなかった。葉が擦れる音にあのような殺意が籠っているはずがない。疑惑が確信に変わっていく、それと同時に私の中の本能的な恐怖もまた厚みを増していく。

 これは不味い。アイリスの所に戻らなければ、私が一人でいるのも、アイリスをあの女と二人にするのも最悪だ。

「……クソっ」

 そう吐き捨てた私の目の前に現れたのは、艶やかな二つの巨大な牙だった。

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