竜と戦った九人   作:小沼高希

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イス=サークァーンの尖塔 五

「竜っていうのはさ、その時の人々にとってかなり恐るべきものだったんだよ」

 

そう言い出した男について、詳しいことは残されていない。参考になるのは、ファルゼイが残した素描ぐらいのものだ。

 

筋肉の良くついた、袖なしの肌着らしい男。素描での肌は軽く塗られ、双眸が酒場の人々を見つめていた。場所からして、演説の後に描かれたのだろう。

 

「それを、俺らの祖先は打ち倒した。そのために街まで作って、人々が暮らせるための街を作ったんだ」

 

おそらく、その時に酒場に響いていたのはファルゼイが速記をする静かな音だけだっただろう。男は一息をついて、黙った人達を見渡した。

 

「それに比べて俺らはどうだ?自らの誇りはどこだ?先祖の偉業ですら、外から来た人間に見いだしてもらうのか?かつて竜を討ち取ったときのような力はどこに行った?自らのものを守る覚悟はどこに失われた?」

 

手帳には、その言葉の隣に「否、否、否」とナクゥド語で書かれている。酒場での返答だったと考えられる。おそらくは足を鳴らし、酒盃を机に打ち付け──ナクゥドの人々のこういった音楽にも似た動きへの団結は有名だ──叫ぶように言ったのだろう。

 

「我々は、それを忘れてしまったのだ!奪われたわけではない!敵は外にも隣にもない!自分自身の魂を見よ!」

 

男は胸を叩き、力強い声で言った。ファルゼイが書いたナクゥド語の文章からは敬体が失われ、ある種の荒々しさが読み取れる。

 

「かつての父祖のように、妻と子のために、槍と弓を持って恐るべき存在と対峙した魂はまだここにある!また明日も働こうではないか!」

 

ファルゼイはこの演説について、ナクゥド政府やヴォール国の批判になるのではないかとかなり危惧していたと書いている。もしそのように話が進んだとしたら、おそらく彼はすぐさまヴォール国に戻って報告をまとめていただろう。

 

当時のヴォール国によるナクゥド国に対する外交は、暴動を起こすほどの統一性もなければ、ヴォール国に対する憎しみがないことを前提としていた。この前提はかなり楽観的なもので、ファルゼイもそこまでではないしむしろ地域によっては恨まれてはいるぞと軍のヴァドキンス氏に送っている。

 

ただ、そういうふうにはならずに酒場は騒ぎ声に満たされた。ファルゼイも酒をそれなりに貰ったらしい。たぶん麦酒によるものと思われる染みが手帳には残っている。

 

ファルゼイはその後、ナクゥド国における団結が生まれる可能性について示唆している。列強と呼ばれる諸国に竜と最後まで対峙した地域が多いのは偶然ではなく、竜によって人々は団結していた。それが産業に、あるいは文化に転化したのではないかと彼は書き留めている。

 

ただ、竜という過去の物語であっても団結には使えるのではないか、と。彼のこの考察は、ある程度は正しかったと言えるだろう。それは今のナクゥド国を見ればある程度は伝わる。

 

彼の研究は引き継がれているが、それはナクゥド国の歴史的文化に伴うある種の優位性の主張の根拠として行われている側面がある。ナクゥドは国土を荒地に分断され、様々な地域からの影響を受けた国だ。だが、あの惨劇を乗り越えて新しいまとまりが生まれてきているという話がある。

 

僕は決して国際政治やナクゥド国の情勢に詳しくないために、あまり詳しくは語れないことはご容赦いただきたい。しかし、竜が地から去ったからこそ、新しい役割が竜に与えられた事については記しておかねばならない。それは過去の栄光であり、団結の象徴であった。

 

彼らの団結は、その後の大禍の開始には間に合わなかった。だが、国家としての自覚や意識が戦争の後に他国から与えられたという考え方に僕は与しない。そのような意識の目覚めはファルゼイが訪れた時には既にあったのだ、とファルゼイの記録を元に主張させていただく。

 

まあ、そのような話は当時のファルゼイにとってはそこまで重要な問題ではなかった。翌日のファルゼイには、もっと重要な、そして切迫した課題があった。

 

つまりは、酒の飲み過ぎで痛む頭を抱えながら、起きるのが遅れたせいで発車時刻間際に列車に飛び込むことになったのだ。

 

「おいそこの人!切符は!」

 

「中で買わせてもらう!」

 

駅員の静止を振り切り、汽笛を鳴らす列車になんとかファルゼイは飛び込めた。持ちきれなかった荷物は、様々な方法で無事に彼の実家にまで運ばれている。僕がこの物語を作るために参考にしたものの多くは、エイストン家から譲られた資料に基づいている。

 

色々と慌てて荷物を持って宿を飛び出すことになったようで、その中には彼が忘れていったいくらかの品物も含まれている。丁寧に、他の荷物と一緒に送るよう誰かが手配をしてくれたのだろう。ファルゼイのかわりに手紙を送り返した所、その送付者の息子だという人から返信が来た。

 

曰く、父は昔街中の煉瓦を調べて回ったファルゼイという変人に会ったことを半ば自慢のようによく話していたという。奇妙なところで、人間の縁というのは残るものなのかもしれない。

 

そんな未来のことは知る由もなく、ファルゼイは車窓から少なくない時間を過ごしたイス=サークァーンの街並みが通さがっていくのを見た。そこは人類が竜に対して、逃げ、あるいは隠れるのではなく、立ち向かったおそらく最初の場所であった。

 

彼の次の目的地は──列車の終点地点、ザンダヌ。東方の列強、リーバイ国有数の都市であり、東方における貿易の中心地である。

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