人間が竜から隠れる戦略を取った一方で、走って逃げることを選んだ動物もいた。馬である。
伝説によればパルガン・ザンは騎馬を最初に生み、大陸の東西の海を見た最初の人物となったと言われている。が、これは明らかに誤りである。パルガン・ザン以前にも騎馬の民の記録は残されているし、彼自身は西の果てまではたどり着いていない。
彼らは文字を持たなかったために古ナクゥド語や古リーバイ語の文献を参考にするしかないのだが、もともと馬と共生していた民族がいたらしい。今日のアウクルン国やヒルシェカ国に相当する北方の草原にいたという。
パルガン・ザンという名前のうち、前半部分は割る、あるいは砕くという意味のパルガと繋がりがある。しかしそれは破壊者というよりも、岩を割って鋭利な石器を作るといった雰囲気に近い。
議歴前二百年頃、騎馬民族に生まれたパルガン・ザンは周囲の集団をまとめ上げ、竜のいない土地を目指し、大軍勢を作った。通った街は全て支配下に置き、逆らったものは皆殺しにした。西方において彼の名前が畏怖とともに語られるのはこのためである。
彼の統治の中で独特なものは、矢税と呼ばれるものだ。決まった長さの矢を税の代わりに取り立てたのだ。これによって、パルガン・ザンの率いた軍はかなり安定して戦うことができた。
彼らの戦い方は、非常に高度なものであった。まず馬に乗って弓を射つのだが、この時に上半身をひねるようにして後ろ向きに射つ。このようにすることで、竜から逃げながら攻撃を続けることができる。
ただ、実際の所彼らの軍勢の特筆すべき点はそこではない。有機的な馬の運用、その馬を運用できるようにするための都市の整備、そして統一された軍勢を作るための選抜手法といった点で、パルガン・ザンの統治は今日の国家の前駆であるとみなされている。
このようにして、パルガン・ザンは大陸の北方から竜を追い払うことに成功した。
「そのパルガン・ザンの兵士たちが使ってた弓だよ、これは」
「本人が使ってたとは言わないんですね」
「もしそうだったらこんな場末の店にあるものかい!」
弓を見分するファルゼイに店主は話し続けた。
「……ところで」
ファルゼイは声を低くして、正面から老婆を見つめて言った。
「この弓を作った人達は、どこにいるのですか?」
「死んじまったよ、大昔にだ」
「なら、弦を張った人でも構いません」
そう言って、ファルゼイは弓幹を撫でる。
「よく手入れをされている。今すぐ射つことだってできるでしょう。竜がいなくなって久しいこの地域でこういうものがあるということは、何かしらあるのでしょう?」
「……その弓は、竜の鱗も貫くようなものだ。人に向ければひとたまりもない」
「でしょうね」
「だから、売るのは禁止されている。ほら、貸してみろ」
ファルゼイから弓をひったくるようにした店主は、弦が留められている部分を指差した。
「ここの結びを変えてある。これではまともに射てやしない。ただ、お兄さんはこれがどう使われていたかを知りたいんだろう?」
首を激しく縦にふるファルゼイに、老婆はにっかりと歯を見せて笑った。
「うちの地元に、そういうのを作っている奴らがいる。もしよかったら、見に来るかい?」
「いいのですか?」
「ただし!仕事はしてもらうよ。戻るまでの道の荷物持ちでいい、やってくれるか?」
「そんなのでいいのですか?」
「弓に良い料金をつけてくれたのでね、これはおまけだよ」
そういう話を聞いて、ファルゼイは宿に帰った後で不安を書き綴っている。その老婆を信用して良いものか、身ぐるみを剥がしたり身代金を要求するような人ではないか、とかなり書いた上で、興味深いものが見れるとしたら行くしかない、と結論を固めたらしい。
ファルゼイが最低限の持ち物とともに、老婆の帰郷に同行したのは店で弓を買って数日後のことであった。持っていかない荷物は売ったり故郷に送ったり、あるいは公使館に預かってもらったりといった形で整理したらしい。
船の帆にも使われているような丈夫な柄布で商売道具をくるみ、ファルゼイがなんとか持ったのと同じ程の重さを担ぎ上げる店主にファルゼイは感嘆の言葉を残している。
「いつも、こういうふうに物売りをしているのですか?」
「そうさねぇ、まあ時にはダルハンの街まで行くこともあるけど」
「ダルハンといえば、リーバイ最大の古都ではないですか」
「そうだよ?あそこには何でもある。売る人も買う人も、良い目を持った人ばかりさ。そういう場所じゃ逆にやりにくい」
笑いながら言う彼女に、ファルゼイは商売人の神髄を見たという。ファルゼイがこのような相手に弱いだけかもしれないが。
旅は川沿いに、かなりの距離であった。時には渡し船を用い、途中の街で換金がてら商売を開いたこともあったそうだ。
その際に、ファルゼイはかなり便利な助手として扱われたそうだ。
「見なさいそこの道行く衆、この薬は遠く西の果てヴォールからやってきたこの男が作ったものだよ、効き目が良すぎてこいつは国を追い出され、逃げて逃げての大旅の末にここまでやってきた」
ファルゼイは老婆の言葉に合わせて無言劇を演じ、道行く人々から褒められていたらしい。鉄道ができたことで西方の噂も入るようにはなってきていたが、実際に西方人を見たことがない人々にとってはファルゼイはなかなか奇異に写ったらしい。まあ同じ東方というくくりの僕でさえ正直変わり者だなと思うのだ。文化の違う人々から見れば、その差異はより大きいのかもしれない。
「なんでそんな旅ができたのかって?この薬だよ。一粒飲めば身体の痛みが消え、二粒飲めば夜通し歩ける、そんな魔法みたいな薬だって言うじゃないか」
この後も売り文句が続くのだが、ここは割愛させてもらおう。実際にリーバイ語ができる人に読んでもらったが、かなり音の調子が面白い響きであった。ここで売られた薬は、なかなか悪くない金額になったそうである。ちなみに老婆の売り文句のほとんどは嘘と言って差し支えないほどの内容であったが、これについてはそういうものだと扱われているらしい。
そういう旅を続け、そしてファルゼイは老婆の故郷であるという小さな道路沿いの村にたどり着いたのである。