「婆ちゃん、後ろの人は?」
村に入ってすぐ、走ってきた少女が老婆に聞いた。
「旅人だ」
「……どうも」
頭を下げたファルゼイは、しばらくこの村に滞在することになる。その間に彼が行った記録は、当時の小さな町の日常を知る重要な資料となっている。
子どもたちや働く人々の素描、弓の作り方の記録、射手たちの手の動きは当時リーバイでも少なくなってきた弓の伝統を伝えるものだ。ましてや、西方においては知られていない内容も多かった。この中には東方学協会で発表されていなかったものも少なくなく、僕としてはより広く知られるべきだと思うものもある。
「鷹の羽が一番なんだが、パルガン・ザンは鴨を使うように指示した。この村も代々作ってきたが、竜がいなくなってからは鷹の羽を使うことが多い」
そういう説明とともに、老婆は自身の背丈ほどもある大弓をさくりと引いてかなり遠くの的を射抜いた。弓の心得が決して多いわけではないファルゼイにとってすれば、まず奇跡や魔術のような射であっただろう。
「ほれ、やっぱり鴨のだと軌道が揺れる」
「ファルゼイの兄ちゃん、婆ちゃんがあんなこと言ってるけど普通はそもそもあの的を射てないからな」
村にいる間は、好奇心の強い少女がファルゼイのまわりをぐるぐるとつきまとっていたと書かれている。多くの子供は最初のうちは興味を持ち、ヴォールの話を聞きたがったがしばらくすると彼女以外は飽きたらしい。
「……これって、慣れれば誰でもできるの?」
「あたしなら、まあ婆ちゃんとまでは行かないけど」
一回り小さい弓を持った彼女は構えて、軽い音とともに打った。別に彼女の腕の力は作業をしていた子供ということで決して弱くはなかったけれども、それでもファルゼイと同程度であった。力比べで勝てなかったことに対しての泣き言が日記に残っているが、僕よりも弱いのでまあ仕方がないだろう。
「……すごいな」
「単純な弓だとこうはいかないけど、この弦をうまくやるとかなり軽く引けるんだよ」
「そういうものなのか……」
実際にファルゼイも弓を引いて、その軽さに驚いている。そしてもともとの弓柄を持ってその硬さと軽さにも驚いている。それだけ、当時の製法で作られた弓は強力だったのだ。
「これ、どうやって作っているんですか?」
「木と馬の腱、あとはその腱を煮込んで作った膠で重ねるのさ、木の種類、向き、馬の年齢に牝牡までを加味しなくちゃいかん」
老婆の説明は、かなり細かくファルゼイによって記録されている。この内容は後に先に書いたサルディストンの博物館に残された弓を復元するために使われることとなった。
弓や矢はこの村の女性たちの内職によって作られるもので、外貨の獲得手段としてかなり重要となっているらしい。ここで作られる野菜や乳製品は街に持っていくには日持ちしない上、鉱物資源もないために農具などのためにはどうにかして産物を作らなければならない。
そのため、この村ではかつて行われていた弓作りを伝統として残しているのだ。
「……ところで、どうしてここまで教えてくれるのですか?」
「……あんたみたいな異人が、ここまで来れるようになったからだよ」
不思議そうに首をかしげるファルゼイに、老婆は茶を飲んで言った。
「鉄道というのができて、あちこちからものが来るようになった。別にここが作らなくとも、弓はどこかが作るだろう」
「……そうかも、しれません」
「まあ別に、絶望しちゃいないさ。怪しいものも増えたから商売は繁盛しているし、孫たちの代の中にも弓なんかよりもっと面白いものに興味を持つ世代がいる」
そう言って、老婆は取引の成果として持って帰ってきたものの一つである本を読んでいる村の子供の方を見た。
「あれは、確か西方の冒険記でしたか」
「そうさ、あんたがこっちを見て色々やっているように、こっちの人達もあんたのところに行って色々なものを見ている」
「……ええ、確かに多くの人が今、こちらに来ています」
ファルゼイの意識の中に、進んだ西方と遅れた東方という意識が無かったかと言えば嘘になるだろう。事実として、産業や軍事の方面では当時の西方は技術的な優越があった。
しかし、その後に起こったことはどの国であっても学び、産業を整え、団結が実現されれば当初かなりの戦力差があったとしても行動を続けられるということを僕たちに見せてくれた。おそらく、ファルゼイはそれ以前からそういった差が実際の場ではそこまで大きなものではないと気がついていただろう。
「ま、放って置いても情勢っていうのは変わってくもんだ。だがね、ただ消えるっていうのはつまらないだろう?」
「……ええ」
「お兄さんみたいなやつが、どこかで本でも書いて、それを残してくれれば、それはそれで面白いことになるのさ」
「……そうかもしれませんね」
「パルガン・ザンも、そういう意味じゃ支配とは別のものを残したのかもね」
「どういうことですか?」
「竜を討ち払って、広い地域での交易を可能にした。でも、そういうやり取りは逆に自分たちとの差異を強調してしまうこともあるのさ」
そう言ってファルゼイを見つめる老婆の目は、独特だけれども懐かしいものであったと記されている。肌や髪の色が違うことから来る不審混じりのものでもなく、あるいは無意識に同胞に向ける安堵混じりのものでもない。
正面から、一人の相手をしっかりと見るようなものであった、と書かれている。
ただ、実際にその老婆がそう考えていたかはわからない。実際のところ、ファルゼイを孫のように扱っていた寂しがり屋の人物だったのかもしれない。
ただ、ファルゼイにとってはこのリーバイの旅のなかで重要なものを学んだと記している。