ファルゼイが困ったことの一つは、この弓をめぐる旅をしている最中に本国と連絡が取れなかったことである。訪れた場所はヴォール人はおろか、普通のリーバイ人もまず訪れないような場所であったので外部と連絡を取るためには自ら動く必要があったのだ。
「……どうしますかね」
ファルゼイは聞き取りからなんとか集めた情報をもとに、ざっくりとした地図を作っていた。彼のいる場所はザンダヌとダルハンの二つの都市のほぼ中間点にある集落であった。この場所の名前について、ファルゼイは確認することに失敗している。
当時でもリーバイ国による国土調査などは行われていたが、そもそもその調査から漏れたような地域であったらしい。特に当時は今のように無線のようなものもないために、辺鄙な場所の情報をきちんと集めることも難しく、このような事例は少なくなかったそうだ。
「ダルハンまで行ってはどうだい?」
「確かに、ここからなら川沿いで行けますね」
老婆は次の商地をファルゼイに合わせて決めるつもりのようだった。彼女はリーバイの東部をあちこち巡り歩いて商売をやっていた。これは審美眼と市場の良さに懸かっていた商売であり、この点からもリーバイ国の力を伺うことができるだろう。多くの人が誤解しているが、リーバイは決して新興の国ではない。
「川船も出てるだろうから、そう時間はかからんだろう」
「……それでも、結構な旅にはなりますね」
「なぁに、孫娘に負けるような腕っぷしでもなんとかなるような道さ」
「それについては言われると弱りますね……」
リーバイの国はかなり道路網が整備されており、運河も整備されるなど土木分野については西方を超えている部分も多かった。これには地理的特徴──東方大平原の存在もあっただろうが、それだけには留まらないだろう。
かつて竜と戦っていた時代、流通はかなり大きな役割を果たしていた。これはキイノギン国のリーヅァ・バハルという研究者がまとめた論考で述べられていることだ。しかし、この内容はほとんど知られていない。
なにせ、僕がかつて列車の中でファルゼイと会話した相手──この話は「序章」にある──について調べる中で発見したものだからだ。ただ、東方学に詳しい人に見せたところこの論考はかなり面白いものだということで、今ではちょっとした注目を浴びている。
パルガン・ザンの治世において、その支配領域は急速に拡大したものの馬の速度では国土末端の変化に追いつくことはできず、体制は緩やかに崩壊していった。
ただ、それでも一部の地域は前線となっている地域に後方で作った物資を運ぶための流通──軍事学用語で言うところの輜重や後勤と呼ばれるものを確保した。この考え方が西方で認識されたのはここ百年のことである。むしろ、この部分は東方から学んだ部分も少なくないという。
竜との戦いにおいては、人間との戦いとはまた異なった戦術や戦略が必要となる。その非対称性と敵の個としての強さを踏まえるならば、人間側の勝機は、言ってしまえば逃げながら大量に矢を打ち込むこと以外にない。少なくとも、弓が主力である時期はそうであった。
そのため、逃げ場所に大量の矢を常備しておく必要があった。結果として、流通という考え方が求められたのである──とバハルは書いている。大陸東西の技術や統治を実際に見たものならではの分析であると言えるだろう。
「まあゆったり行って二十日、といったところだな」
「かなりのものですね……」
ファルゼイの靴は軍用のかなり丈夫なものであったが、それでもこの旅の最中に壊れてしまってい、応急処置を重ねた上でダルハンの街で新しいものを購入している。
彼は一応軍にいた時期があるとは言え、訓練は半ば儀礼的なものであった。それでも最低限の心得があったことは、彼の旅を楽にしてくれたことは間違いないだろう。ただ、それでも辛いものは辛かったようで、旅の途中のファルゼイの日誌は、結構疲れに対する恨み言が連ねられている。
「ところで、昔はここまでパルガン・ザンも来たのでしょうか?」
がらくたにも似た荷物を老婆と担ぎ、ダルハンの街に向かう途中でファルゼイはこのような質問をしている。休憩の時間はそれなりにあったらしく、歩数や周囲の様子などが詳しく記録されているために、今でも地図があれば彼の旅を辿ることができる。
「さぁねぇ。ただ、この道を馬が歩くのは相当大変だったとは思うよ」
山と山の間を抜けるにあたって、二人は少し狭い道路を使用した。これはあまり整備されているものではなく、場所によっては足をすべらせただけで死ぬほどの高さのある場所を進むこともあったという。
「……しかし、それでもパルガン・ザンの名が残ったというのはすごいものですね」
「それだけ、偉い人たちには奴らが恐ろしかったんだろうねぇ」
「……統治者を脅せば、その下にあるもの全てを手に入れられる、ですか」
「そう。あの将軍が時機を掴んでいたのは、そういうのが各地にできた刻に生まれたっていうのがあるかもしれない。いや、そういう時期だからこそ英雄となれたのか……」
「……難しいものですね」
「そりゃあそうだ、でもこれから向かうダルハンの街は、確かパルガン・ザンの頃にはまだ竜がいたはずだ」
平原が広がっていたこの地域では、竜との戦いは長引いた。山地であればしっかりとした拠点を構え、隠蔽を行うことができるが平地ではそうはいかない。線を維持し、破られないようにする必要があったのだ。
「竜がいた時代、というのは今ではもう考えられなくなりましたね」
「そりゃそうさ、でもそれは間違いなく良いことに決まってる」
こういう会話を交わしながら、途中の村での売買をしつつ、予定より数日早く二人はダルハンの街に辿り着いた。