お知らせ: 読まれる際には「閲覧設定」内の「挿絵表示」を「有り」にすることをおすすめいたします。
フユズの秘薬 一
ガドラスカまでの船旅は、比較的のんびりとしたものであった。その頃にはカルコツィク国とナクゥド国の間の紛争は次第に大きく延焼していたが、海の上にいた当時のファルゼイには知る余地もなかっただろう。
ファルゼイが乗った船は定期航路のものであったため、その乗客も様々であった。旅行らしい東方風の服を纏った親子に商談らしい背広の男、あるいは出稼ぎ帰りらしい人達も。
そしてファルゼイが声をかけたのは、自分より少し若い青年だった。
「旅ですか?」
「そんなところだ。……あんたは?雰囲気は西方人だが、それにしてはやけに喋るのが上手いな」
ファルゼイの質問に帰ってきたのは、荒い口調のリーバイ語のだった。
「ファルゼイ・エイストンと申します。ええと、ヴォールという国をご存知ですか?」
「おお知ってるとも、そこの出身か」
「ええ、色々と見て回る旅をしています」
「俺はヨーノ」
相手は左手の指を揃えてまっすぐに立てるようにして礼をした。その所作から、ファルゼイは彼がリーバイ西部の人であると察することができた。
「姓は……ない地域の方ですか?」
「そうだな、必要であれば
そう言って、ヨーノは長い民族衣装の袖を身体側に引っ張った。左手の手首のあたりに、肌の色が違う部分。
「……何の跡だか、聞いてもよろしいですか?」
「昔のことだよ、荷車に轢かれただけさ」
ヨーノは袖を戻しながら言った。
「それは……」
「そんな深刻そうな顔をされても困るぜ、別に今じゃ何の問題もないんだ」
手をひらひらと動かしながら、青年は笑った。
「ところで、ファルゼイ……だったか?あんたはどこに行くんだ」
「タハングです」
「そりゃあこの船の終着点はそこだからな」
ヨーノは呆れたように言った。
「問題はそこから先だよ、南のアルガナバクス国に行くのか、あるいはチャンダ半島を超えてヴォールに戻るのか」
「……あまり決まってないのです」
「なんだ、当てもない旅か。まあ別にその歳でしちゃいけないってわけじゃないが……」
「仕事……みたいなものでもありますからね」
「つまりは暇ってことか?」
「ええ、まあ」
「そいつは良いことを聞いた。どうせならちょいと付き合って欲しいことがある」
ヨーノはそう言って、服の内側から取り出した一通の封筒をファルゼイに見せ、折りたたまれた書面を取り出した。
「俺をわざわざ呼ぶタハングの街にあるらしい会社があってな、そこに行きたいんだがどうせなら一人よりかは二人がいい」
ファルゼイはその手紙にさっと目を通した。どうやら彼はかなり腕の良い職人というか技術者らしく、かなりの待遇で呼ばれたのだという。
「……相場には詳しくはありませんが、結構な額では?」
「そうなんだよな、まあ別に悪いことじゃないんだが。怪しくないわけでもないし」
「まあ、案内役がいるのは助かります」
「別に俺だってそんなタハングの街に詳しいわけじゃないぞ、あんたのほうが旅慣れているだろうし」
「そうかもしれませんが……。そういえば、あなたはガドラスカ語が話せるのですか?」
『必要、限定、される。悪くない、だろ?』
『ええ、そのようですね』
「……通訳を頼めるか?」
「積極的に話したほうが身につきますよ」
「わかったよ、ただ、手を貸してくれると助かる」
「構いませんよ。それで、何の仕事を?」
「火薬だよ。俺の得意分野だ」
ヨーノはそう言って、彼の経験をざっくりと語った。昔から火薬工房に長らくいて、その経験を買われてタハングに新しくできる工場の指導役として派遣されるそうだ。
「……まあ、確かに最近はそういう需要も増えているでしょうからね」
大陸南方において、ガドラスカは列強国とも従属国とも言えない微妙な地位を占めていた。かつては前線国であり、海を超えた新大陸に対しての後方国であった時期もあった。
しかし東西の交易の中心地としては難しい場所にあり、大陸を横断する鉄道がほんの僅かにかかったのはある種の情けであるという意見もあるほどだ。
とはいえ、赤道直下という気候から生まれる豊富な食料生産量とそれゆえに抱えられる多くの人口は各国の無視できないところであり、ある意味では大陸情勢を左右できる可能性を持っていた。
もちろん、このような見方にはあの惨禍が終わった後だからできる部分もある。当時、そこまでの価値をガドラスカ国に見いだしていたものは少ない。
「とはいえこれも親方同士の勝手な話で決まるわけだからな、雇われ人には選択肢はない」
諦観するように言うヨーノに、ファルゼイは感心するように息を吐いた。
「……真面目なのですね」
「そうか?俺からすればいつ使うのかわからないような言葉を山と覚えている方が真面目に思えるぜ」
「リーバイ語の語彙は不慣れなのですが……そうかもしれませんね」
「なあ、ファルゼイなんて呼び方はあまり面白くないな。エイストンっていうのも家名……でいいんだっけ?」
「そうですね。爵名をつけることもありますが、それは貴族だけですし」
「なるほどな。何か良い呼び方はないか?」
そう言われて、ファルゼイは首を傾けた。東方の一部の地域の表現で渾名をつけあったりするものはあるが、それはそこまで一般的なものではない。
「なんと呼んでも構いません……とまでは言いませんが」
「そうだ、先生っていうのはどうだ?あんたは色々喋れるし、旅もしてきたんだろう?ぴったりじゃぁないか」
「……そうすると、こちらもあなたを生徒と呼ぶべきでしょうか?」
「いや、先生はそういうの苦手そうだろ、名前でいいぞ」
「そういうものなのですね」
ファルゼイは相手に合わせようとするところがかなりあった。なので学院時代の僕とも付き合えたのだと思うし、こういった異郷でもすぐに慣れることができたのだと思う。
ともあれ、その後しばらく一緒に過ごす二人はそういう経緯があってガドラスカの地に立ったのである。