お知らせ: 「フユズの秘薬 一」に地図を掲載しています。
フユズは当時ガドラスカ国の地域に存在した王国において、宮廷で働く薬師であった。当時の薬師という職業は現在の薬剤師のみならず、博物学者や化学者としての側面も持ち合わせていた。
時代によってはそのような職業は胡散臭いものとして扱われていたこともあったが、フユズについては本来の伝承では決してそのようなものではなく、今日の技術的視点から見れば至らぬ点は多いものの、誠実な真理の探究者であったと言えるだろう。
当時、ガドラスカ国は南部の諸島から押し寄せる竜に対して海岸線での防衛を行っていた。そのため、多くの竜の遺骸が手に入ることとなる。それは様々な用途で利用されたが、そのうちの一つに研究があった。
かつてアラク・アゥ=ウワチの洞窟で石製の骨格模型が作られたように、当時のガドラスカ国の王宮の人々もその構造を理解し、討伐の助けとしようとした。これ自体は歴史上、竜と戦ってきた地域であれば広く見られるものだ。
ただ、フユズが注目したのは炎嚢と呼ばれる部位であった。ここには可燃性の物質が溜まっており、これに火がつくことで竜は火を吐く。フユズはこの火の再現ができないか、として研究を行ったのだ。
当時の竜の討ち方と言えば、城壁に籠もって竜をおびき寄せ、弱点となりうる部位を強い弓で狙うというものであった。これは非常に危険なものであるし、暴れる竜の吐く息は弓兵を消し炭にするには十分な熱があった。
フユズの研究は技術史の側面から見ると非常に重要だ。炎嚢から回収された引火性の液体を活用しようとする試みは決して珍しいものではなかったが、その再現に挑んだのはおそらくはフユズが最初である。
彼の生涯は伝説的に描かれている。故郷を竜に奪われ、後に大臣となる人物に拾われ、周囲から疎まれる中でも学びを続け、実力を認められて宮廷の中で頭角を表し、大臣となった義父の娘と結ばれ、新たな王の教育役として、また国一番の賢者として扱われるようようになっていく。
この物語はファルゼイも聞き取ったものを書き残してはいるが、その内容についてはかなり冷ややかで、あくまで伝説であると扱っている。しかしながら、実際の史料がフユズの存在を裏付けているとの報告もあるために完全な虚構ではないようだ。この部分については、今後の研究で明らかになっていくところもあるだろう。
しかしこの試みが成功することはなかった。化学的に見れば窒素と炭素を中心とする複雑な化合物であり、今日でも完全な分析と合成は成功していない。しかしフユズは化学的手法によってその主要素であると考えた物質を合成し、類似の化学物質を合成する手法を編み出した。
竜の糞などから得られる硝酸と、火山性の地域から採掘される硫黄を加工して作った硫酸を混ぜ、植物由来の繊維を溶かしたものがフユズが完成させた、秘薬と呼ぶべきものであった。これは火を付けることで爆発し、適切に加工された爆弾によって竜に対する攻撃力は上昇した。
「まあ、そういうわけだ」
工場長のジシャーリは、慣れた調子でそのような話を終えた。
「……なるほど、わかりました」
ファルゼイは要点を記録していた手帳を閉じ、頭を下げた。
「ただ、問題はここからだ。フユズはこうやって得られた火薬を更に洗練させようと試みたわけだ」
「と、いいますと?」
「何がその火の力を生むのか……それを探るべく、より根源的なものがないのかを探したのさ」
フユズの試みは、竜を炎ではなく威力によって殺すという考え方に発展した。ただ、金属の加工の問題から今日のような銃ではなくより爆弾に近いものとして扱われた。
結果、フユズはより単純な組成によって竜の火と似た、しかしながら様々な点が異なる火薬を作り出した。こちらのほうが作成が容易であったため、いわゆる火薬といえばこちらのほうが主流であった時代は長い。
「そしてフユズは王宮の工房であらゆる組み合わせを試した。作られた火薬は積み上がり、片端から試験された……」
「……あの、それだけの危険物を国家の重要地点で扱っていたんですか?」
ファルゼイが驚きとともに質問したのは当然である。陸軍操典によれば火薬庫の管理はかなり厳重に行われていた。読者の中には新聞で読んだような火薬庫爆発のような事件が印象に残っている方も多いだろう──事実、僕も詳細を知るまではそうであった──が、安全対策は幾重にも施されているのだ。
ただ、それを越えて事故が起こってしまう事があるというだけである。
そしてそれは、フユズの時代にならより起こりやすいものであった。
発火の原因はよくわかっていない。高温多湿でのこの地域では、西方とはまた違った要因による火薬の劣化が起こる。ただ、配合によっては不安定な性質となり衝撃によって爆発するようなこともあるため、そのような配合を生んでしまったのではないかと工場長のジシャーリは推測していた。
「そういうわけで王宮は消え去った、というわけさ」
「……その王宮ってやつは、どれだけの大きさだったんだ?」
話を黙って聞いていたヨーノが、口を開いた。
「……さあ」
「王国ってことは王がいて王妃がいて、それに工房がついてたんだろ?相当な面積になるはずだ。高層の建物ならまだしも、平地であれば爆発力は散逸しやすい。王宮を消し飛ばすためには相当密な環境が……」
「そういうのは物語として聞いておくんだよ」
ファルゼイはヨーノに小声で言うと、それを見たジシャーリが笑い出した。
「確かにそうだ!考えたこともなかったな」
「あれ、だとするとこの工房がやけに建物の間の隙間があって、開けた場所にあるのは……」
「ああ、先生の予想通り火薬工場っていうのは基本的にはこう作るものさ。ただ、本当ならところどころに頑丈な壁を作るべきだな」
「そういう立地や建設の面を含めて、君を頼りにしているよ!」
この後上司となるジシャーリに背中を叩かれたヨーノは助けを求めるようにファルゼイを見たが、ファルゼイは目を軽く下に向けるだけだった。