アルガジャ=ディナレツの手稿 一
トグンバルの首都ワチアラに着いたファルゼイは、もう読者であれば予想できるように真っ先に図書館へと向かった。普通はまず飛船の予定を確認すべきところだろうが、ファルゼイはそのようなことをしなかったのである。もし到着の当日か翌日に飛船は出ていたとしても、不幸な到着後の混乱のために間に合わなかったと堂々と言ったと思う。賭けてもいい。
「竜についての本、ですか?」
東西折衷式の建物にあるワチアラ中央図書館で受付をしていた図書館員は、分厚い目録をから目を上げて言った。ファルゼイはこの頼みをするにあたって、自らが東方学会に所属しているということを申し出ていた。
「ええ」
「……そうですね、申し訳ございませんが、また午後にいらして頂けないでしょうか。館長に連絡を取ります」
「えっ」
驚いたファルゼイを置いて、図書館員は目録を持って奥の方へと去っていった。
待ちぼうけを食らったファルゼイは、その時間を使って図書館内を散策している。新大陸の中心地としようと旧大陸全土からあらゆる本をかき集めた、と言われるようにファルゼイにとって馴染みのない本も多かった。ただ、その図書館の構築はよく練られており、ファルゼイは祖国ヴォール有数の図書館と並ぶか、それ以上に考えられて作られていると評価している。
古いものでは手書きの写本や巻物まで、新しいものであると新聞や宣伝用の小冊子に至る様々な書籍があった。内容についても基礎科学、地理、工学、歴史、果ては各国の小説までが揃えられたものであった。
もちろん、ファルゼイが持っている短い時間ではその全てを読むことはおろか、表題に目を通すことすら叶わなかった。ではどのような本に注目していたか、と言えばそれはファルゼイの記録を見ればかなりはっきりする。
竜に関する本を中心とした表題がずらりと並ぶその頁には異なる言語で出された本であっても区別なく並べられていた。ここのあたりはファルゼイの言語力あってのものであるが、トグンバル国のような新興国にとっての情報の重視を見ることもできる。彼らは学ぶことが列強国に追いつき、従属国として扱われないために不可欠であると考えたのである。その考え方の正しさは、皆様もご存知であろう。
「お待たせしました」
しばらく経ってまた受付に戻ったファルゼイを、先程の図書館員が迎えた。この日の夕方にファルゼイがかなりの空腹であったと書いているが、これは本棚巡りにかまけて栄養補給を怠っていたためであることはわざわざ説明するまでもないだろう。
「……何があったんですか?」
「あなたの身元を確認して、閲覧許可を取っておりました」
そう言う図書館員の手元には、ヴォール国の紳士録とともに東方学会の刊行誌があった。こんな遠い異国にまで自分の論考が広がっていることに、ファルゼイはかなり驚いたそうだ。
「……そこまでして、何を?」
「アルガジャ=ディナレツについては、ご存知ですか?」
「……ええ、竜を主題とした画家ですよね」
800年代前半に活動した当時はあまり知られていない人物であったが、ファルゼイは誰であったかを知っていた。正直なところ僕も当初はその名前を知らずに専門家に聞いて初めて知ったのであるが、竜学をやっていればしばしば名が登場する人物である。
「彼の絵の一揃いを、本館は揃えております」
「……何ですって?」
ファルゼイは自らの耳を疑った。そういう話を聞いたことはなかったし、そもそもアルガジャ=ディナレツの絵は当時でさえ直接見ることのできる場所は限られていた。ファルゼイも伯母に連れられて二度か三度見たことがある程度である、と書いている。
今日では、その一つが家一軒の額で取引されることもあるような代物となっている。もちろんそれだけの大きな取引となる美品は限られるが、それでも決して安価なものではないことはご理解頂けるだろう。
「肉筆ではありませんが」
「いえ、それは別に構わないのですが……見ていいのですか?」
ファルゼイの認識では、美術品というのは秘することに意味があるものであった。もちろん広く公開して自らの財力や気前の良さを表す人もいたが、それはファルゼイの知る限りではむしろ少数派であった。
この点については、わずか数十年で一気に変わった価値観だと言えるだろう。あの惨禍の後で生まれた美術館の多くが、多くの人に観覧されることを前提に作られたものである。
これには東方や新大陸の文化の流入というだけではなく、良い美術品が良い心を育て、良い文化を生むという思想もあるのだが、ここは本題ではない。
「構いません。近年見つかり、詳細を確認して展示する予定でしたが、その前にあなたに見てもらえるのであれば」
「……僕は、ただの東方学者に過ぎません」
「あのイングラ・エイストンの甥でしょう?」
その言葉を聞いた時にファルゼイの感情については、書かれていない。ただ、わざわざそのように聞かれたと書き残しているということは何か思うところがあったのだろう。
「……たしかに伯母には多くのことを学びました。ですが、専門としているわけでは」
「竜の専門家というのは、ほとんどいませんよ。もちろん図書館側でも研究者はいますが、外部の人間に見てもらうことで理解が深まることもあります」
「……そこまで言っていただけるのであれば、否やはありません」
「わかりました。では、こちらへ」
そう言って、図書館員は同僚に受付を任せるように目配せをした後、ファルゼイを奥の方へと案内した。ワチアラ中央図書館の現在の館内図とファルゼイの記録を照らし合わせると、おそらく重要資料庫と呼ばれる場所である。
この部屋には、ワチアラの街のみならずトグンバル国にとって重要な資料が多く収められていた。例えばロシャールの「弾頭」の初版であったり、貿易に関するワチアラ宣言のトグンバル側の写しであったり、ヴォールにおける国立文書館に近い役割も果たしていた。
「こちらです」
そう言って、図書館員は鍵束を取り出して硝子張りされた棚の一つを開けた。少しだけ甘い、上質な紙独特の匂いがしたとファルゼイは書いている。
そうして、棚の一つから取り出された厚紙でできた紙挟みは机まで運ばれた。
「……実際に手に触れる機会が来るとは、思っていませんでした」
「ええ。私も、初めて触れたときにはそうでした」
そういしてファルゼイは、ゆっくりと紙を開いた。