図書館で気まずい思いをして、やっとファルゼイは飛船の予定を調べることにしたようだ。
そして、飛船が出るまで残り三日であることを確認した。当時はまだ飛船はそこまで広く使われているものではなかったため、それなりの金額は必要であったものの席はまだ残っていた。
当時の飛船の予約というのは少し特殊で、当時敷設されたばかりの電信線の弱さもあって時間がかかるものであった。このため、本来であればかなり時間をかけて丁寧に予約をする必要があった。特に上等な客室を取るとなると空いていたとしても数月はやり取りが必要となる。
ただ、中継地点から次の地点までの航路に空きがあればある程度安く予約ができる場合があった。これはあまり使われていない航路で損失を抑えるためのものであるが、ファルゼイはこれでなんとか席を手に入れたのである。
正直なところ、これはかなり幸運に依存した方法であった。もしここで失敗していればより長く、場合によっては数月待たされていてもおかしいものではなかった。もしそうであってもファルゼイは新大陸で多くのことを学べただろうし、正直竜学の発展という側面から考えればそちらのほうが良かったのかもしれない。
時間が残り少ないとわかったファルゼイは、どうやらそれなりに悩んだようだ。彼にとって、ここで何も言わずに去ることは容易である。今日以上に当時は海を超えたやり取りというのは困難であり、一度切れた縁を戻すことはまず不可能であった。事実、この旅でファルゼイが出会った異国の人物と直接再会することはなかったと考えられる。
図書館員とファルゼイの背後には、色々な問題があった。それを踏まえ、今後また再会できるともわからないような相手に対して、どこまで踏み込んだ話をするべきかという問題についてファルゼイは色々と書いている。
彼は悩んだ時に考えを記す癖があった。取り消し線によって消された記録から、少々考えすぎていたことがわかる。最初は丁寧に書かれていた文字が走り書きのようになり、終盤には粗く書いた文字をそのまま塗りつぶすように取り消している。
ただ、その最後の部分に『空腹が原因ではないか?』と書いていたあたりは彼らしいな、と僕は思うのであるが。そして次の行にはトグンバル国風の鶏の蒸し焼きの素描がある。
「……すみません、ある人とお話したいのですが」
ファルゼイはそうして旅立つ前日、ワチアラ中央図書館に訪れた。受付を行った人物は以前とは別の人であったが、会いたい人の特徴を話すとすぐに控室の一つで二人は相対することになった。
「お久しぶりです、ファルゼイさん」
机を挟んで、椅子に座った図書館員はあくまで丁寧な対応でファルゼイを迎えた。
「……先日は、申し訳ありません」
「ああ、あれについては……私も言い過ぎたところがあります。あの時は少し混乱をしていましたので、決してあなたが悪いわけではないですよ」
「そうは言いましても」
「イングラ・エイストンがダーセバラ男爵の娘だ、というのに驚いていましてね。個人的に尊敬している人物の父が、祖国を外交的に追い詰めた人物となれば……」
図書館員は苦笑にも照れ隠しにも似たような、曖昧な表情を浮かべた。
「そうでしたか」
「なので、まああまり気になさらないでくだされば幸いです。……それでは済まされないことを、言ったかもしれませんが」
「いえ、あなたの──あなたがたの想い自体は、否定されるべきものではありません」
ファルゼイは、ここに来るまでに色々な事を考えていた。自身が謝罪をするべきかどうか。将来的な外交的意味を持つかどうか。それは今行われるべきかどうか。上流階級であるからと彼が学んでいた修辞学やら弁論術やらは、少なくともこういう時には無意味ではなかったらしい。
ただ、おそらく僕達のほとんどがあの災厄を乗り越えて初めて直視したような問題に対して、ファルゼイは向き合っていたのであるということは特筆すべきだろう。
「……私は、あなたに許してもらおうとも、あなたを許そうとも思いません」
「ええ、祖国の──ヴォールのやったことは歴史が評価するでしょうが、おそらくあまりいい点数はもらえないでしょう」
「そう思います。奪われたという恨みが私達の中からなくなることは当分ないでしょうし、それが多くの交流を阻むでしょう」
「……あなたの個人的な範囲の恨みであれば、受け取ることはできます。個人的な範囲の謝罪であれば、あなたにすることもできるでしょう」
「……なるほど。私がした先日の失礼のような範囲内で、ということですか」
「互いに祖国をある程度は背負っているわけです。言わねばならないことも、言えないこともあるとは理解し合えると思うのですが」
「理解することと合意することはまた別ですよ」
「……それでも、まずは話し合わないと進まないものはあるでしょう」
「話し合い、ですか。私にはそれがそこまで時間と手間を割くほどの価値があって、有効なものをもたらすと信じることはできないのですがね」
この図書館員の言葉は、できればそう信じたいというある種の願いが込められているような言葉使いのものであった。
「……そう、ですか」
「ええ、あなたの祖国は私達と様々なものを取引しました。私達はそれが不当な話し合いによってなされたものであると考えています」
「……あなたがたがそう思っていることを、理解します」
「ありがとうございます。……あまりこの手の話をしすぎても、楽しいものではないですね」
「一人の研究者として、あなたと一緒にあの絵を見ることができてよかったと思います」
「私も一人の図書館員として、あるいは個人として、あなたと一緒の時間を過ごせて楽しかったです。できれば、またここに訪れてください」
「……それが、許されるのであれば」
「私は、あなたについてはそれを許しますよ」
二人は互いに、あくまで専門家としての笑みを交わした。