「ウィルダーさんは、本国へと戻るのですか?」
着陸が近づく中、荷物をまとめ終わったファルゼイは老紳士に声をかけた。
「ええ、今の状態では新しく動くよりも備えたほうがよいでしょう」
「そうですか」
「ファルゼイさんのほうは?」
「一旦到着を祖国に報告してから……そうですね、ゆっくり様子を見ながら帰りますよ」
飛船の到着地点であるカツクシェであれば、張り巡らされた電信網を利用してヴォール国内と迅速に連絡を取ることが可能であった。
「そうですか、でしたら私の友人を紹介したいのですが」
「友人……?」
意図が読めずに不信がるファルゼイに、ウィルダーは封書を差し出した。上流階級で十分通用するような格式高いもので、受け取ったファルゼイが少し驚くほどの丁寧なものであった。
「ヴァラツ・ホンツブルフにこれを見せれば、話を聞くことができるでしょう」
「ホンツブルフ……この、ホンツブルフ飛行工学社の?」
ファルゼイはそう言って、周囲を見渡した。
世界で唯一の飛船航路運用会社にして、世界最大の飛船製造会社。この時は創業者であるヴィトゼン・ホンツブルフは亡くなって間もなかったが、ファルゼイは社長の席をその息子が継いだことぐらいは聞き及んでいた。
「そこの代表です。昔、砲を乗せた時に色々と話をしまして」
ファルゼイはその名までは知らなかったが、姓と相手の語り口から誰なのかを察することができた。
「いえ……それはわかるのですが、なぜ?」
「あなたは竜の話がお好きなようだ。なら、今の技術の粋を集めて竜と戦った例の話を聞くのがいいでしょう」
ウィルダーは静かに笑い、ファルゼイに向けた封筒を持つ手をわずかに押し出した。
「……本当に、ありがとうございます」
「構いませんよ。先日聞かせてもらった今後の世界情勢の変化については、学ぶところが多くありました。一介の東方学者としておくにはもったいない視野と知見だ」
「……お褒めに預かり、光栄です」
「ヴァラツ君にもそういう話をしてやってください。あの人は飛船の経営は得意ですが、大局を見れるかと言われるとまだ時間がかかりそうな人物だ。大物になるにはもう少し足りない」
「……そこまでできるかはわかりませんが、会ってみようと思います」
「それには私の属するカズルズ火器社の印もあります。まあ私からの手紙は儀礼的なものが過半ですがね」
このような事をしたウィルダーの意図については推察するしかないが、可能性の一つとしてアウクルン国とヴォール国の関係の後押しと見ることもできる。
この隣国同士の二国は重大な国境問題こそ抱えていなかったものの友好国と呼べるほどではなく、経済的結びつきによる信用が両国を支えていた。
ヴォール国上層部とつながりが深く、国を動かせる可能性のあるファルゼイを、アウクルン国内部でも安定した成長を遂げつつあり軍都の繋がりも浅くない企業へと紹介した事を考えると、このような意図があったとしてもおかしくはないだろう。
もちろん、もっと単純に物事を捉えることもできる。新しく飛船の中でできた友人を、同世代の旧友に紹介したくなった、という可能性もあるだろう。僕個人としては、この後者の理由も少なくなかったと考えている。
「ありがとうございます、大切に使います」
「どう使うかはあなた次第ですよ。ああ、間もなく着港ですか」
飛船内に鳴り響く鐘の音を聞きながら、ウィルダーは天井を見上げた。
「揺れますからね、部屋に戻らなくては」
「ここで姿勢を崩して怪我などしては大変ですからね」
「ええ、注意しますよ」
当時の飛船は風に弱く、多くは高い塔のような建物の先端につけるような形で機体に当たる風をそらしていた。
その後ファルゼイは飛船を降りた後、生の食材をふんだんに使った料理店に向かったようである。飛船内部では保存の問題もあり、多くが保存食として作られた食材をもとに加工していた。料理人の腕もあり悪くない味わいではあったそうだが、しばらく食べていないと人間の肉体は本能的にある種の栄養素を求めるそうだ。
この食事中に読んだ新聞をもとに、ファルゼイは改めて現在の状態を把握したものと思われる。この日にちょうど列強国間での調整が終わっており、この後開かれた会議ではそれを追認する形で条約が結ばれることとなる。
もちろん、この大国同士の駆け引きの過程で無視された小国の感情というものが後に大きな影響を持つのは今日を生きる皆様の多くが経験したことであろう。ただ、当時はこれでやっと世界に平和が訪れると信じられていたのだ。ファルゼイでさえ、手帳に最悪の事態は回避されただろうと記している。
そして、公使館から久方ぶりにヴァドキンス氏へと電文を送っている。西へ向かう風が想定より強かったのもあって、一日前倒しでの到着であった。ここでヴァドキンス氏からはホンツブルフ飛行工学社に対する見学者としての地位を保証する旨の文面が書かれ、この時点でファルゼイの行動が軍事的にも追認されたこととなる。
当時の上流階級──特に貴族社会においては、このような公的地位と私的な関係を併用するやり方は一般的であった。ファルゼイは直接爵位を持っていたわけではなかったが、祖父の経歴やヴァドキンス氏の後ろ盾を考えればその舞台に立つための最低限の資格を持っているとみなされていた。
このような価値観は惨禍の後に大きく変化したために、特にかつての状況を知らない人にとっては奇異に見えるかもしれない。ただ、当時はそうした個人間の繋がりが外交的にも重要であるとみなされていたのである。