ヴィトゼン・ホンツブルフの飛船 一
飛船の終着地にしてアウクルン国の首都であるカツクシェの側を流れる川を鉄路で遡り、アジェレウの街の郊外にファルゼイがたどり着くまでに一日とかからなかった。
「見学の方ですか?」
誰何を行うホンツブルフ飛行工学社の本社兼実験工場の衛兵に対し、ファルゼイは敬礼を返した。
「ヴォール陸軍中尉、ファルゼイ・エイストンです。予約をしているはずですが」
そう言ってファルゼイは手に持っていた軍服の上衣を羽織った。外交上、軍服の人間が異国を歩くのは問題があるが一方で軍人として施設を訪れる際に軍服を纏わないことは場合によっては非礼に当たる、という面倒な儀礼的な要請に基づいたものである。
「社長から聞いております。少々お待ちください」
そうしてしばらくファルゼイが待っていると、敷地内から油で汚れた作業着の男性が小走りで現れた。ファルゼイは年齢は自分より少し上ではないかと推察しているが、実際は同じ年齢──二十七歳であった。
「ファルゼイさんですね」
「……ヴァラツ・ホンツブルフさん?」
「ええ!」
まだ若さの残る顔で、ヴァラツは言った。
「……いえ、すみません。少し意外で」
「構いませんよ。僕は正直そこまで父のように威厳があるわけでも経歴があるわけでもありません。社長職といいましても経営方針を理解できるほどではないので、今まだは油に塗れて現場を学んでいる最中です」
「ええと、改めて挨拶を」
「いえ、その必要はありません。ファルゼイ・エイストン中尉。ウィルダー氏から既にあなたについては伺っております」
そう言って歩き出したヴァラツを、ファルゼイは急いで追いかけた。
「……あの人とは、どういう関係で?」
「父が竜狩りのための飛船を作る時に砲を担当したのをきっかけとして、それ以降関係が深かったんですよ。僕もその繋がりで色々とお世話になりまして」
「なるほど。ヴァラツさんのことを紹介して頂いたのですが、なぜあそこまで良くしていただいたのかはわからないんですよね」
「エイストン中尉は彼に少し飲まれ過ぎだと僕は思いますね。あの人は奥が深いように見えてあまり考えていないところがあります」
「そのような人物がカズルズ火器社の東方事業局長などをやれるものですか?」
「そこが彼の強みでもある、と言えばいいでしょうか。おっと、あれを見てください」
二人が立ったのは、少し周囲から高くなった丘のような場所であった。
「あれが我が社の新開発した飛船、『
ファルゼイが乗っていたものに比べて一回り小さい一方で、その周囲についている推進機は同じか、少し大きい程度であった。
「速度が上がっているのですか?」
ファルゼイは指を立てて腕を伸ばし、全体像と作業員の大きさの比率からおおまかな寸法を頭の中で割り出していた。
「ええ、新式の空冷複列星型二十八気筒圧縮着火発動機を採用しています。短距離の高速移動を可能としており、鉄道のように飛船を活躍させる可能性を秘めています」
ヴァラツは早口でまくし立てるように言った。とはいえファルゼイが聞き取れる程度の速度ではあったようだ。
「市場を変えると?」
「ええ、今のままでは飛船の実用性を完全に発揮することはできません。長期的には浮力ではなく翼による上昇力を用いた形へと変化させたいのですが、これについては実現性が不明なのが問題で」
「用途は旅客が主ですか?」
「貨物運搬であっても対応します。あとは……」
そこまで言って、ヴァラツは口を閉じた。
「……確かに、様々な用途で使えるでしょうね」
当時、飛船の活用は各国の軍で行われていた。ホンツブルフ飛行工学社をほぼ丸ごと航空軍にしたようなアウクルン国はともかく、それ以外の国であっても偵察や観測、そして攻撃に飛船は活用された。
もちろん、当時のホンツブルフ飛行工学社においても研究は進められていた。しかしファルゼイの見学時にはそのような方面については触れられなかったと考えられる。
「竜に対しても効果的でしょうし」
「現代にそこまでの事はありますかね」
「一部の調査に改造船を用いることはありますね。十分な速度を出せれば、竜を一方的に観察することも可能となります」
「なるほど……」
そのようにしてファルゼイを一通り案内した後、ヴァラツは建屋の一つに入った。
「ここは?」
「事故資料室です。ホンツブルフ飛行工学の名の下に作られた全ての飛船関係の事故について、ここに情報が集約されています」
ヴァラツは部屋の一つに入り、手慣れた手つきで棚から大型の本を一冊取り出した。
「885年、新大陸北方の国ジャンカマルカダで飛船が竜に襲われた際のものです」
そう言って、ヴァラツは本をファルゼイに渡した。
「……中を見ても?」
「もちろん」
机に向かい、丁寧な手つきでファルゼイは頁をめくった。小さな文字で書かれた調査目的、事故の概要、そして調査の流れ。
「……これは?」
「落下物の状態を再現したものです。航空写真では限界がありましたが、現地でできるだけ飛散物を回収し、再度並べています」
ファルゼイが見た写真は、大きな広場に砕けた飛船だったものが並べられている様子であった。
「……これのために、どれだけ手間をかけたのですか?」
「父も直接赴き、開発時の人員の大半を送り込んだと言われています」
「そこまでする必要があったのですか?」
「……この事故で、ホンツブルフ飛行工学社の信頼は大きく損なわれました。注文の取り消しも複数あり、経営も危なかったといいます」
「それなのに……いや、それだからこそ、ですか」
「ええ。これは父の英断でした。もちろん、全てが上手くいったわけではありません。報告を読めばわかりますが、回収の過程での事故や不正確な再現、そして経営への影響といった課題は多くありました」
「それでも、やった意味はあったと」
「ええ。世界で最も信頼される飛船社であるという自負はあります」
そう言って、ヴァラツは胸を張った。