「被害は決して小さいものではありませんでした」
ホンツブルフ討伐隊の事故については、多くの記録が残されていた。
それだけ、多くの事故があったのだ。小さな現地での補修で済むものから完全に大破したものまで、様々な方法で飛船は竜に、あるいは操作員の不手際によって傷つけられた。
このため、討伐地域の付近には整備所が作られ、現地で雇用された作業員も含めてしばしば修理や整備、改良が行われた。今日のジャンカマルカダにおける飛翼機工業の発展は、この時に作られたホンツブルフ飛行工学社の支社が分離・独立して生まれた複数の企業に支えられている。
「特に有名な竜を討った飛船には、それを示す紋様がつけられました。例えばこの飛船は特筆すべき七匹を討っています」
写真の飛船を指差しながらヴァラツは言った。確かに、そこには墜ちる竜の紋章が描かれていた。この伝統は墜とす相手が変わっても残っている。
「特筆、と言いますと例えば大きさであったり、あるいは過去に人を襲うか飛船に向かってきたか、そういう竜でいいですか?」
「そうですか。詳しいですね」
「当時の竜狩りについては、伯母から聞いたことがあります」
「どういった事をされた方だったのですか?」
「生態学者として竜の行動調査などをしていました」
「……エイストン?」
「はい」
いきなり家名を呼ばれ、ファルゼイは一瞬理解できずに固まった。
「イングラ・エイストン!」
ヴァラツは大きな声を出し、棚からまた本を取り出した。この間にファルゼイは静かに今まで開かれた本のうちもう見ないであろうものを閉じて隅にまとめていた。
「この人ですよね」
ヴァラツが見せた写真には、ファルゼイにとって見覚えのある、しかし記憶の中のものよりも若い女性が写っていた。
「そうです。いや、本当にいたんだ……」
ファルゼイは感嘆混じりに呟いて、写真に軽く触れた。
「どういう方だったのですか?僕の知る限りでは、とても有能な人物であったと」
「少し話を盛るところがありまして、本当にあのホンツブルフ討伐隊に参加していたと確信できなかったんですよ」
「……一度だけ、僕も彼女を見たことがあります。飛船乗りには珍しい女性だったのでよく覚えていますよ」
かつては特に、集団生活を要求される飛船の乗組員はほぼ男性であった。女性が空を飛ぶようになることが決して希少な例でなくなるのは、一人乗りの飛翼機が登場してからとなる。
「伯母は少し活動的でしたから」
「しかし、彼女の割り出した追い込み戦術は実に効果的だったはずです。ええと確かここに……ありました」
ヴァラツはまた別の冊子を取り出した。
「操典……に似ていますね」
ファルゼイは軍にいた時に見た書式と似ていたことから、その冊子の目的を把握することができた。多くの人に、統一された行動を取らせるための教材にして手引。
「ええ。竜を相手にするにあたっては、軍隊式の手法も取り入れられました。とはいえ軍隊式は軍隊式で問題もあったのですがね」
「具体的には?」
「精神を傷つけられる、とでも言うのでしょうか。辛さから船を降りる人も少なくありませんでした」
「……大変だったのですね」
「竜に直接傷をつけられた人よりも、事故によって失われた人員よりも、おそらく我々に被害をもたらしたのは心の問題でしょう」
そう言って、ヴァラツは息を吐いた。
「飛船の乗組員は、海船出身のことも珍しくありません。彼らには彼らの矜持があって、兵士とはまた違ったところがありました。海軍から来ていただいた参謀が我が社にはいましたが、彼は飛船特有の空気にすぐ馴染んだのです」
それは懐かしむような語り口だった、とファルゼイは書き残している。
「ただ、そのような男たちであっても竜は恐ろしいものでした。砲の音に眠れなくなるもの、墜ちた飛船に乗っていた友人の声が聞こえると訴えるもの、暗闇の中だと竜がいる気配がしてしまうというもの……様々ではありますが、傷を受けた人は多いのです」
「……戦場でも、似たような話はあると聞きます」
「僕もです。ただ、その種類はまた違うようで。対策と呼べるものも、仕事を離れ休養を取ることぐらいしかありません。ただ、それができればの話ですが」
「どういうことです?」
「飛船に乗っているということは彼らの誇りでした。それを奪い、陸の上に行けというのは、ある種の死の宣告のようなものだったのですよ」
これについて、ファルゼイは港街を知っているからこそある程度は察しを付ける事ができたのであろう。ヴァラツの言葉に静かに頷くだけであった。
「まあ、このような話ができるのも勝てたからこそではあります」
ヴァラツは地図を見せた。新大陸全土の地図には、最後に竜が発見された地点とその日付が細かく書き込まれていた。
「……よくできた地図ですね」
「さらにこの薄紙を乗せるとわかりやすくなりますよ」
半透明な何本もの線が描かれた紙が地図に重ねられると、それが線の側に書かれた日付に沿って進んだ前線を表しているものだとファルゼイにも理解できた。
「決して短くない戦いでしたし、飛船が主役だったわけでもありません。ほとんどの竜は地上から討たれたものですし、我が社が果たした役割は全体を通して、かつ輸送や偵察などの任務を含めても、それでも一部に過ぎないと言っていいでしょう」
そう言いながらも、ファルゼイにとってヴァラツの言葉は自信に満ちたものに聞こえた。
「僕たちは、竜に勝ったんです。おそらく、人類史上最も速く。今や竜が棲む地は稀ですし、人里から遠く離れているために問題となることはほとんどありません」
確かに、これはヴァラツの語る通りであった。陸と空からの対応、砲のような武器に重ねられた改良、そして世界的な支援によって、この事業は成し遂げられたのである。