僕か、僕より少し年上の世代たちの子供たちにとってホンツブルフ討伐隊というのは英雄的なものだった。最先端の技術でもって、永らく続いていた竜と人類の戦いを終わらせるための精鋭たち。
多くの人が飛船の搭乗員として志願し、彼らの勇姿は新聞によって多く取り上げられた。
ただ、その実態は伝説的な物語に比べれば知られていない。
竜に墜とされた飛船は、実はほとんどない。もちろん事故が無かったわけではないが、その多くは整備の不備や設計上の欠陥に起因するものであった。ホンツブルフ飛行工学社が主として対応しなければならなかったのも、こういった問題である。もちろん竜による被害が無かったとは言わないが、それ以上に当時の飛船には課題が山積していたのである。
逆に言えば、このような問題を実践的な場所で洗い出せたことがその後のホンツブルフ飛行工学社の、そして飛船業界全体の拡大と安全性の確保を支えたと言ってもいいだろう。結果として特にホンツブルフ飛行工学社の飛船は当時の競合他社のものと比べてより洗練されたものとなった。
例えば当時の飛船でよく知られた問題として、急旋回すると制御を失い最悪墜落するというものがある。この問題を解決するために、ホンツブルフ飛行工学社は竜から発想を得た。これは竜の飛行工学的分析を行っていた部署が解明した原理を利用したもので、新たに設置された「舵」によって飛船の行動はより機敏なものとなった。
他にも改良された点は多い。正確に数えられているわけではないが、僕が話を聞いたホンツブルフ飛行工学社の技士、パッサイア氏によればこのホンツブルフ討伐隊が活動していた時期に取得された技術特許は百を超えるという。もちろんその全てが実用化されたわけではないが、技術の急速な発展を実戦が支えたという根拠にはなるだろう。
「わずか数年で、飛船は大きな改良を施されることになりました」
資料室の青写真を並べながら、ヴァラツは一つ一つの改良がどのような目的で行われたのかをファルゼイに説明していった。その全てに言及した場合本書が飛船工学の概説書になってしまうし、ファルゼイもあまり細かくは書き残していないので割愛させていただく。
ただ、飛船が飛翼機と争いながらも今なお空路における重要な輸送手段の一つであり続けているのはこの時に行われた技術的躍進によるものだろう。
「船体の形すら変わっていますね」
始め球形に近かった飛船は紡錘形となり、発動機の位置や舵の設計などが変化したことによって生物の進化にも似た過程を辿って変化していた。もちろん、それは一直線だったわけではない。目的によっていくつかの種類が作られ、中には他の船種で代用できると消滅した系譜もあった。
「ええ、ある程度竜の討伐が進むと出資者たちはこの飛船をより広く旅客事業へと投入すべきである、と主張するようになりました。父としても必ずしも竜の討伐を事業の主とするつもりもありませんでしたし、そのような経営方法をあまり好んでいなかったとは思います」
「どういうことです?」
「人を運ぶというのは、様々な事を考慮する必要があります。そして良い飛船に対して、利用者はその対価を払う」
「そうですね」
「竜の戦いは、また別です。多くの寄付や出資がありましたが、それは飛船の性能に対して直接支払われたわけではありませんでした」
このヴィトゼン・ホンツブルフの思想は経営分野においてはしばしば注目される分野であり、これこそがホンツブルフ飛行工学社を支えたのだ、と分析する識者は少なくない。
「……それでも、飛船が評価されていたのは間違いないのではないでしょうか?」
「そうではありますが、ただ竜を討つことのみを考えていると飛船の技術を疎かにしてしまう、というのが父の考えでした」
「目的を手段とすり替えてしまう、ということですか?」
「近いですね。我が社は社名にもあるようにもともと工学的な探求を主軸としていましたので、そこまで混乱することはありませんでした。ただ、他の社ですと人類生存領域からの竜の討伐の終了宣言が出る頃には経営の破綻が起こったところもあったようです」
多い時には百近くあった飛船製造・運用企業は、次第に減っていった。ファルゼイが旅を終えようとしている時では、ほぼホンツブルフ飛行工学社が市場を支配していたと言ってもいい。
「……そういうところは、解散したのですか?」
「いえ、ある程度は我が社が買収しました。例えばその社が作っていた飛行船の系譜は、小型輸送用のものとして残っていますよ」
「そういう事もあるんですね」
「私達の関係は人間と竜とは違うのです。相手を滅ぼす以外の選択肢は常にありますし、できるならそちらを選択するべきなのです」
「……甘い、と言われませんか?」
「竜と戦うために必要だった非情さは、今では必要ないのですよ」
ヴァラツはそう言って笑ったが、歴史を知る人が見ればここにある種の皮肉があることがわかるだろう。
その非情さは、あの混乱の最中にはホンツブルフ飛行工学社の事実上の国有化へと、そして大禍の後の経済混乱に伴う分裂に繋がった。この過程でヴァラツ・ホンツブルフは社長としての責任を果たせなかったと職を辞し、その後に技士としてアウクルン国空軍へと所属した。
彼の最期は、他の大勢の飛船乗組員と同じくわかっていない点が多い。