竜と戦った九人   作:小沼高希

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イングラ・エイストンの仮説 三

ファルゼイが訪れた家は、ダーセバラ男爵荘からは遠くないもののもう少し街中にある住宅街にあった。

 

叩き金を鳴らしてしばらくファルゼイが待つと、扉が開いてファルゼイにとっては懐かしい顔が現れた。

 

「ファルゼイかい、なんだ、来るなら事前に文の一つでもくれればよかったのに」

 

「無茶言わないでくださいよ伯母さん、ぐるりと大陸を一周して戻ってきたところなんですから」

 

「そうかい、まあ入りな」

 

この頃のイングラ女史は、肺を病んであまり動くことができなくなっていた。もちろん一人で生活することはできていたが、それは彼女ができるだけ人と会おうとしなかったからというのもある。

 

「……変わりませんね、ここは」

 

「論考については読んでるよ。専門ってわけじゃないが、なかなか面白いものを書けている」

 

「今回の旅ではナクゥド国やアルナガバクス国にも行ったよ、それについてはそう遠くないうちに東方学会の刊行誌で掲載されるはずだ」

 

「……それは、いいな」

 

イングラ女史の言葉は、どうしても軽いものにはならなかった。彼女にとって論考を無条件で掲載されるということは、ファルゼイが生まれながらに持っているある生物学的特徴に起因する特権に依存したものだというある種の妬みを引き起こすものであったからだ。

 

「それで、改めてなんだけど竜の話をしてほしい」

 

「……昔、さんざんしてやっただろうに」

 

「あの頃とは、違うよ」

 

ファルゼイは、静かに言ってイングラ女史と机を挟んで座った。

 

「何がわかるっていうんだい、まだ三十にもなっていないくせに」

 

「……色々なものを見てきたんだよ」

 

そう言って、ファルゼイは旅の話を始めた。

 

アラク・アゥ=ウワチの遺跡から見つかった、人類が竜に抗うための知識という武器の証拠たる骨格について。

 

イス=サークァーンにかつて建てられていた、人類最初の都市において築かれた竜を追い払うための尖塔について。

 

パルガン・ザンが馬と大軍と共に地を駆けた際に用いた、竜の鱗を貫くことすら可能とした大弓について。

 

フユズが宮廷にて作り上げ、そしてその宮廷を吹き飛ばした、力が込められた秘薬について。

 

ミドゥリシュカ大公が新天地において作り出した、人間の無自覚な悪意を活用した要塞について。

 

アルガジャ=ディナレツが遺した、地の上から消え去りつつある竜を描き出した手稿について。

 

スヴェインスダー・ハロンシェイムが作り上げた、空を舞う竜に対する有効な手段となった強力な砲について。

 

ヴィトゼン・ホンツブルフが演出した、竜と戦う部隊という物語のために使われた飛船について。

 

「……なんとも、壮大な冒険じゃないか」

 

日は暮れ、机の上には軽食が並び、イングラ女史は酒で唇を潤していた。

 

「ええ、偶然も多かったと思いますが……様々なことを知ることができました」

 

「それを踏まえて、改めて、私の話を聞きたいと?」

 

イングラ女史の詰問に、ファルゼイは黙って首を縦に振った。

 

「……そうか」

 

イングラ女史はそう言って席を立ち、本棚から紙の束を取り出した。

 

「これは……竜について?」

 

「竜の生態と環境についての論考だ。学会は受理すらしなかったがな」

 

ファルゼイは素早く内容に目を通していった。内容としては、ファルゼイも竜に関する議論の中で聞いたことがあったものだ。

 

竜はその巨体を浮かせる力を得るために、かなりの量の食物と適切な生息環境を必要とする。竜が長期的に生息した地域は、最大消費者としての竜が消えると一気に崩れる可能性がある、とイングラ女史は報告したのだ。

 

「……これって、書かれたのは」

 

「私が書いて生物学会に送ったのは、ホンツブルフ討伐隊にいた頃だ」

 

「……この分野の議論が活発にされたのは、その後だと聞いていますが」

 

「盗まれた……というのが、一番手っ取り早い説明だろうな」

 

そう言って、イングラ女史は深く息を吐いた。

 

「……そうですか、確かにあそこはそういう場所ですが」

 

ファルゼイも、その事自体には驚きはあったものの疑いはしなかった。上流階級が持つ自尊心が歪んだ時、あらゆる功績を自分のものとするような人物が現れることは珍しいものではない。

 

事実、ファルゼイも過去に似たような被害を受けたこともあった。これについては、まだ存命の関係者も少なくないことと、ファルゼイがこの件について詳しく語っていないために、僕としては伏せておくこととしておきたい。ただ、僕の知る関係者に既に話はしてあるとは言っておこう。

 

「私としては、君に憤って欲しかったんだがな」

 

達観したような笑みを浮かべ、イングラ女史はファルゼイを見た。

 

「いえ、僕はもうそういうものだと理不尽を許容できるようになってしまいました。せめて、これは旅の前に聞くべきでした」

 

「私とて反省はあるよ。守旧的な奴らに原稿を託したことが誤りだっった。まあ、代わりに私の知人たちに様々な情報を提供したからな」

 

そう言う伯母の言葉に、ファルゼイは自分が知る生態系や竜関連の分野の人物の名前を思い出していた。それはイングラ女史の知人であることが珍しくなかった。社交界や学術界の小ささを考えてもなお、それらの人物は固まって存在していたのである。

 

「……そう、ですか。イングラ先生は自分の名誉よりも、学問全体の発展に賭けたのですか?」

 

「その名前で呼ばれるのも久々だね。……全て諦めたわけじゃないさ。もし、もう少し身体が丈夫だったらあいつらから名誉を剥ぎ取り、恥と軽蔑の視線の中で野垂れ死ぬようにしてやりたいと今でも思っているさ」

 

笑ったイングラ女史は、その後咳き込んだ。

 

「ああ、背中を擦ってくれ……そうすりゃ、多少は楽になる」

 

ファルゼイが触れたイングラ女史の身体は、かつてよりも細く、弱々しくなっていた。病は彼女の生気をゆっくりと奪っていき、かつてのような不敵で博学な女性を、痩せた老嬢へと変えてしまったのである。

 

「……今日は一旦寝な。客室を使っていい。明日、ゆっくりと、改めて竜の話をしてやる」

 

イングラ女史はそう言って、少しだけかつての自信を取り戻したような目をファルゼイに向けた。

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