イングラ・エイストンは、変わった少女であった。
ダーセバラ男爵を務めるエイストン家の令嬢として不足はないように育てられた。彼女の知的好奇心について父は歓迎したし、雇われた家庭教師もその能力を伸ばそうとした。
特に彼女が専門としたのは、自然の分野である。積極的に野や山、海に飛び出し、目に入るあらゆる生物の名を知ろうとした。その結果、十代も半ばを過ぎる頃の博学ぶりは少なくない学者を凌ぐものであった。
彼女が得意としたのは、観察とそれに裏打ちされた生物の関係性だった。例えば彼女が十四才でまとめ上げた論考が僕の手元にある。
内容は荒削りであるし、文体にも不慣れな点は多い。ただ、これを学院の若手が書いたと言われても納得するだろうし、着眼点と執筆の過程で注がれた手間を考えれば優秀作と言われてもおかしくはないものだ。
観察対象はそう広いものではないが、一年間に渡ってどのような生物がその場所に訪れ、どのような植物が繁茂し、降水量や気温とともに変化する様相を描き出している。
添えられた標本画一つ取っても精緻なもので、この技術が後のファルゼイが旅の過程で多く残した素描に繋がっているのだろうとわかる。
もちろん、他の分野についても明るい人物であった。直接的な証拠はないが、少なくとも学院入学時代の僕が勝てる要素はないと思えるほどの人物である。
ただ、当時の学院──ヴォール国における学術研究の至聖所──はイングラ・エイストンの入学はおろか、入学試験すら許可しなかった。ただ、かつて作られた入学規則において「学生」を示す部分が男性名詞であるから、というのがその理由である。
もちろん、これは文字通りの解釈をしたためだ。実際のところは、もう少し情勢は複雑であった。少なくとも、彼女が女性であるために入学を認めなかったことは事実であってもその背景に単なる排斥があったと断ずるのは僕には早計であると思われる。
当時の学院において、女性を受け入れるだけの準備が整っていなかったという問題は大きい。制度の準備、居住環境の整備、監視の目や意識の問題といった事を踏まえれば、ある種野蛮さが高貴さでもあった時代の学院に「異物」を混ぜることで起こる問題を忌避することは仕方のない部分はあるだろう、と思う。
もちろん、イングラ・エイストンが願書を出そうとし、その後闘いを繰り広げたことによって学院全体が人類のもう半分に対して門戸を開く方向へ動いて言ったことは間違いないだろう。結果として、僕が学院に入学した頃には稀ではあるが女性が学院を歩いていたし、優秀な学生も多かった。
ただ、学問の道を選ぶならばまず通るであろう道が彼女に開かれなかったために、イングラ女史は別の方法を取った。作家である。
作家と言っても、僕のように物語を書いたわけではない。いや、物語仕立てには近いが、その内容はもっと精緻なものだ。
語り手──「私」という一人称でのみ書かれる──は教師として、教え子を相手に自然について身近な草花から木へ、旅をする鳥や大きな地域、そして海を超えた先にいる竜に至るまでを説明していく。このような作品を書いた頃に今のダーセバラ男爵が生まれているので、甥の世代を意識して書いたのはほぼ間違いないだろう。
この本はそこまで高い評価を得たわけではなかったが、生物学的な正しさを多くの研究者が監修したこともあってその分野の入門書としてそれなりの数が売れた。結果として、イングラ・エイストンの名前は生物学や博物学の分野よりもむしろ市井に知られることになる。
そのような中で彼女が受け取ったのが、ホンツブルフ討伐隊への参加依頼であった。
彼女のことを良く知っていた博物学者が個人的な都合で参加できず、彼女を推薦したというのもある。討伐隊に参加した船長の一人の愛読書が、彼女が書いた本だというのもある。
ただ、それは彼女が望んだことでもあった。生態系の研究をするにあたって、自然界で二番目に大きな影響を与える生物について調査できる機会は、その頃にはもうほとんどなかった。
「……一番目は何ですか?」
ファルゼイの遮るような質問に、イングラ女史はファルゼイを指差すことで応えた。
「人間、ですか」
「そうさ。逆に言えば、人間がどう環境に影響を与えたかを予測するのに竜はいい試みとなる」
当時既に、人間が自然に与える影響は議論されていた。石炭の煤による公害の規制が議会で論じられていた時代ではあったが、その根拠が広く認められるようになるまでには統計学の浸透を待つほか無かった。
イングラ・エイストンの観察は、もちろん竜を中心としていたが、それ以外にも竜が去った後の生態系についてにまで及んでいた。彼女を共著者とした論考はヴォール国を中心として作成され、フェナゾン国やリーバイ国といった地域においても徐々に評価されるようになった。
ただ、当時の主流は一つの種を突き詰めて調べることであり、そのような前提なしに環境全体を捉えることは学術的に誤りとまではいかないまでも欠落を含む方針である、とみなされてもいた。これは純粋に、当時の知見が足りなかったというのもあるだろう。
それでも、イングラ・エイストンが最後に出した論考はある可能性を指摘していた。竜がいなくなった地域においては、大規模な生態系の変化が起こる。ホンツブルフ討伐隊の経路や停泊地において行った調査や、当時進みはじめていた東方学における文献調査を含め、彼女の結論は明白であった。
竜がいなくなった場所では、そこにあった複雑な生態系が徐々に失われていく。その速度は種によって様々ではあるが、人間の介入がなかった場合では百年ほどをかけて、人間がいる場合には不特定要素が多いものの、より短くなる可能性があるというものであった。
この意見はかなり過激なものであり、ただでさえ歓迎されていなかった学界からイングラ・エイストンが縁を切られるには十分なものであった。もちろん彼女もそのつもりで書いたのであるし、以降彼女は隠遁生活を続けていた。