自然科学の中で、環境生態学は今日発展しつつある興味深い分野である。分類学、細胞生物学、生物化学、分析化学といった分野の進歩がそれを可能とした側面もあるし、あの災禍の検証の過程で発見された全地的な環境の変化について注目が集まってきたというのもある。
その中で、イングラ・エイストンの論考と、そこから派生した研究は重要な意味を持っている。そういった意味で、彼女の功績は再評価されつつあると言えるだろう。
ただ、それをイングラ・エイストンが見ることは無かった。
僕がファルゼイと最後に会ったのは秋雨の日であったが、その半年前、春の涼しい日にイングラ・エイストンの葬儀は行われた。
男爵家の人物のために顔を出すということは、僕の若さなどを踏まえたとしても当時の儀礼上難しいものであった。だから、僕の扱いはかつて先生に学んだ人物の一人ということになった。
「……質素なものだったね」
最後までの墓前に残っていたファルゼイに、僕は声をかけた。エイストン家の中で、おそらくファルゼイが一番イングラ先生の影響を受けていた。
「伯母さんは、あまり派手なのを好まなかったから」
「その割には、なかなか面白い人々が集まっていたのように思うけど?」
私は努めて明るい声を出そうとしたが、泣き笑いのような力の抜けた声色になってしまった。
「……招待状は、全部事前に用意されていたものだよ。家族ができることは、あまりなかった」
「そう、か」
「リスペインもさ、伯母に巻き込まれたんじゃないか?」
「僕は……招待状を送られていないから」
「……まあ、サブレンク女伯爵から頼まれれば兄も断れないか」
ダーセバラ男爵であったファルゼイの兄には迷惑をかけたと思うが、それでも僕にとってあの場でイングラ先生をファルゼイと共に悼む機会が与えられたということは、とても重要な事だった。
「それで、どうするんだ?」
黙っていた僕に、ファルゼイが声をかけてきた。
「しばらくは父の引き継ぎが主かな。貴族なんて今どきは責任ばかりで、物語で言うような贅沢なんてできやしない」
「……そうか。誰かを婿にでも取らないのか?」
「一応はサブレンク伯だよ、面倒事も多いし、革命とは行かないまでも力を削ごうだなんて話は多い。それなら僕が末代になって面倒事を全部片付けたほうがいいじゃないか」
この時は半ば冗談のつもりであったが、実際にそうなりつつある。
「……なら、いいんだ」
「そういうファルゼイはどうなのさ、今はヴァドキンス大佐のところだっけ?」
「一応は軍機だぞ?」
驚いたようにファルゼイは言ったが、僕の親友が全ての国の公用語に精通していることを知っていれば軍内部で情報分析を担当する人物に重宝されている事ぐらいは想像がついた。
「社交会の噂は嫌でも入ってくるのさ」
「……防諜について、より強化するように大佐に言わないとな」
そういった話をして、僕たちは歩いていった。
「帰るのか?」
「夜汽車でね。一応は非公式の出席だし、書類上は今も執務中だ」
「……大変だな、本当に」
「ファルゼイも最近の論考出版の頻度は多くないか?無理してないか?」
「読まれてるのかよ。いや、前にした旅があって……これについては、色々とまとまったら話そうと思うよ」
ファルゼイはそう言っていたが、直接話されることはなかった。彼が辿った旅を、当時の僕は知らなかった。この物語は、あの鞄を開けたことで始まった。
おそらく、イングラ先生が亡くなったことをきっかけとしてファルゼイは竜についての物語を整え始めたのだろう。ただ、彼が得意とした歴史学や東方学の知識は伯母とは別の物語の作り方を彼に選ばせた。
結果として、それは八本の断片的な草稿となった。ただ、それらはファルゼイの一人称での語り──これはおそらくイングラ先生の本を参考としたのだろう──と三人称での分析──こちらは論考などで慣れていた書き方だろう──が入り交じったのものだった。
それを整理するに当たり、僕は全て僕の一人称として書き直した。結果として、本書はかなり入り組んだ書き方となってしまった。これについては、純粋に僕の筆力の不足である。
ただ、いくつかのことを示すことはできたと思う。例えば、かつて語られていたような竜から永らく逃避していた時代というのは無かったというのは本作で言いたかったことの一つだ。
新しい発明、近年であれば対竜砲や飛船などができる前から、人類は自らの領域を広げていっていた。竜に勝つことができなかった時代というのはたしかにあったが、そのような古代であっても人々は竜をおびき寄せ、そして討つことを知っていた。
さもなくば、地上の支配者として我々が存在することはなかっただろう。我々の運命は竜と戦うという意思によって切り開かれたのだ。
ただその一方で、我々は竜という重大な種を地上から葬りつつある。竜の生態、特に繁殖や群れでの移動については調査が不足しており、今後これらの研究が進む見込みも薄い。竜の生息域は今や数えるほどしかなく、その地域においても竜を保護するなどということが唱えられてはいない。
もちろん、その周辺に住んでいる人達にとっては遠くの都市の安全地帯にいる僕たちが学術のために竜を殺すな、などということは明らかな傲慢となるだろう。これについては、諦めねばならない所である。
しかし、竜という種がいたこと、そしてそのために人々が知恵を絞ってきたことは誰かが書き残しておかねばならないように思う。竜が御伽噺にのみ登場するようになる時代はもう近づいているし、そのような時代においては最大の敵は同種となるだろう。
先の惨禍においては、そのことが如実に示されることとなった。人間は比較解剖学に見れば竜よりも弱く、小さく、そして柔らかい。かつて竜は人類の天敵であったが、いまやその席に座っているのは人類である。
僕としては、人類が竜を消し去ったように、人類が自らを消し去ってしまわないかどうかが心配である。竜には翼と牙、そして爪ぐらいしか武器はなかった。人類の武器の発展を見るに、そう遠くないうちに大陸の端からもう一方の端を狙えるだけの力を人類は手に入れるだろう。
その時に人類が竜と同じ運命を辿るのか、あるいは竜を超えた種としてそのような破滅に抗うのかという賭けをするのであれば、僕は希望をもとに後者を選びたい。