本書はヴォール国における貴族制度変革運動を主導した政治家としても知られる元サブレンク女伯爵、リスペイン・バードゥロによる作品の全訳である。著者名はファルゼイ・エイストンとなっているが、実際の内容のほとんどを書いたのはバードゥロであることは物語自体に見られる彼女の語り口から容易に理解することができる。
本書の発行は議歴916年のことであり、まだ最初の大規模な国際紛争の影響が残っていた時代のものである。作中では「惨禍」「大禍」などと訳出したが、原文ではより多くの表現がなされていた。どうしても単調な用語選びとなってしまったのは、ひとえに訳者の腕不足である。また、原文でこのような語彙が選択されたことについては当時の紛争に対しての認識も絡む難しい問題であり、単純に「戦争」などと訳すことははばかられたためにこのような形になったことを述べておく。
著者であるリスペイン・バードゥロについては、政治家としての側面がよく知られている。ヴォール国が永らく続けていた帝政を事実上廃したのはもちろん周辺諸国からの「民主化」圧力や労働者運動、紛争に対する反省などもあったが、国内の貴族派閥による働きかけも無視できないものであった。
「学院」における最初期の女性入学者であり、父の死によって若くして貴族院に席を置くことになった彼女は主に国内の
彼女のこのような行動は、今日になって再批評されつつある。旧体制に対して攻撃的な女性指導者という印象をバードゥロが効果的に利用したことも相まって正確な彼女の行動原理を紐解くことは難しい。
ただ、本書──「竜と戦った九人」の語り手としての彼女は、一般的な言説とは異なった一面を見せている。その詳しい内容については実際に読んでもらうとして、訳者として訳しきれたか怪しい部分について言及させてもらうことにする。
彼女は作中でできるだけ自らの事情を伏せようとしているように思える。用いる一人称や扱う話題から断片的に得られる情報から語り手を想像しようとすると、旧友に振り回され、思い出に浸り、そしてファルゼイ・エイストンのためであれば様々な情報を集めることも厭わないという非常に友情の篤い人物だ。
もちろんこれを単純に男女の情に求める読者もいるだろうが、訳者としてはそれについては同意しない。
本書がどのように受容されたかについても述べておく必要があるだろう。「竜と戦った九人」は率直に言えば、良く売れた本ではなかった。ただ、かつてファルゼイ・エイストンの祖母であり、リスペイン・バードゥロが竜学の創始者であると評するイングラ・エイストンが語るような口調の本で生物学に若い人々を招き入れたように、この物語は人々が改めて竜を捉えなおす機会となった。
例えばユツィ・マクトヴァルによる「広原戦記」はパルガン・ザンを描いたものであるが、彼女はこの物語を執筆するきっかけになったものとして本書を挙げている。支配者や征服者としてではなく、調停者や統治者としての側面を強く表したこの作品は歴史的表現に対する正確性に対する異議あれど、名作として知られるようになっている。
あるいは、本書に刺激を受けながらも本書とは別の方向から竜と人類の戦いを記した本も出版された。ゾルツ・ハイチギンの「矢から砲へ」は竜に対して人類がどのような武器を用いていたのかを中心とした軍事学的観点からの分析であり、心理学者のウフィカチュク博士による論文「竜への涙」は人間が竜に対して抱いていた感情が時代と地域によって変化してきたことを膨大な資料をもとに分析している。
これらの根底にあるのは「竜と戦った九人」に対する批評、あるいは憧れであったことは間違いないように思う。これらの後続研究によって本書にはいくつかの誤りや先入観が指摘されているが、それが直ちに本書の価値を下げるものではない、と訳者である私は主張したい。
また、このような竜に対する研究をバードゥロ記念財団が行うファルゼイ・エイストン賞が支援していることも特筆すべきだろう。受賞対象は研究となっているが、近年ではアルガジャ=ディナレツの作品集の復元への試みに対して賞の授与と賞金が提供されている。
この賞の興味深い点として何かしらの大きな成果を挙げた場合にのみ提供されるものではなく、将来が期待される試みや未成熟ではあるものの興味深い分野の研究者に対して与えられるということが挙げられる。
これについて、リスペイン・バードゥロはある新聞の取材に対してこう語っている。
──もし僕の親友が良い家に生まれていなかったのであれば、竜に対してここまで執着して研究することができなかったでしょう。
──第二、第三の彼がどこに生まれるのかはわからず、そして何より貴族という制度を解体しつつある僕だからこそ、このような事業に出資するべきであると考えたのです。
現在、ヴォール国を中心とする竜の研究はリスペイン・バードゥロの影響を除いて語ることはできないだろう。反抗的な研究者であると自認するある若手は、新規性はあったものの決して素晴らしい功績を遺したとは言えないファルゼイ・エイストンが過大評価されるという歪んだ構造が生まれてしまったのではないかと指摘している。
訳者としては、これを否定することはできない。物語が「都合よく」進みすぎていることは、もとの旅の記録を作成したファルゼイ・エイストンか、あるいはそれを編集したリスペイン・バードゥロが何らかの手を加えた可能性を示唆するものだ。これについての詳細は、今後の文献学的研究を待ちたい。
それでもなお本書は人類と竜の関係を述べた最初期の作品であり、歴史的にも思想的にも価値が高いものである、と訳者は考える。本書を手に取り、竜が生きていた時代の息吹を感じたのであれば、少なくない時間をかけて本書を訳した意義があったと言えるだろう。
活動報告にあとがきというか今まで書いて思ったこととかをメモみたいにしておいたので気になった方はどうぞ。
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