桃色と女の園   作:yuykimaze

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3話

 

 

 

 ブラインドの細いたくさんの隙間から、明るい陽が縞のように顔の上に落ちる。日差しと暑さにより美しく顔が整った少女──モモは目を覚ました。

 野生の猫を思わせる動きでむくりと音も無く起き上がり、寝癖のついた髪をかき上げる。

 無防備に小さなあくびを洩らすと、目の端に涙のしずくが浮いた。

 それをぐしぐしと袖で拭く。実はモモは朝に弱い。意識がまだ少し朦朧としているせいか、普段よりもずいぶん幼く見える。だから目を覚ますため浴室へと向かった。

 何度か二度寝しそうになるが、冷水のシャワーを浴びているうちに、少しずつ目が覚めてくる。

 浴室を出て、タオルで体を拭き、鏡に自分の姿を映す。体調は良好。制服に着替えて、ダイニングに向かった。

 エアコンの空調を気にしながら、エプロンを身につけて、朝食の準備を始める。

 だしパックでとった出汁に味噌を溶かし、濁り始めた味噌汁を眺めながら、モモはふと昨日の襲撃を思い出した。

 

 ──本当の君を知る者だよ。目を覚ませ、金色の闇。ここは君のいるべき場所じゃない。そう、君の本質は闇。殺戮以外に生きる意味のない存在。地球人と仲良くできるはずがない。甘い夢など、終わらせるべきだ。

 

 彼女の本質である闇に引き込もうと囁かれたそれは、彼女の心に届いたのだろうか。

 龍生の言葉ではなく、もしその言葉を信じたのなら。

 元の巨悪に戻り、この幸せな日常は間違いなく崩壊するだろう。

 いくら少しの戦闘経験を積んでも、ヤミ相手に自分では敵わない。

 ましてや、彼女に匹敵する力を持ち合わせている人物など銀河の中でもそうはいない。

 

 ──やはり、彼女をハーレム計画に誘うしかない。

 

 最終手段として父に助けを求めることもできるが、モモ的にそれはでは具合が悪い。なるべく自分たちの手で、この日常を守る方が得策だ。

 そうなってくると、ヤミの心をリトへと向ける為に奔走するのが早急に当たるべき事案だろう。

 モモの勘では、ヤミは少なからずリトに惹かれている女性の1人だ。なら彼女をリトの虜にしてしまえば、全て万事解決するだろう。

 

「うふふ。でも、まだまだその道は遠そうね」

 

 苦笑を漏らしながら、モモはできた味噌汁をお玉で少しすくい、味を整えた。そうこうしているうちに、彼を起こす時間がやってくる。

 ガスコンロの火を止めて、モモはリビングを出てなるべく忍び足で階段を登る。

 エアコンの効いていない廊下を少し暑く思いながら、彼の部屋の扉の前までやってくる。

 一回深呼吸をし、ゆっくりと扉を開けた。

 案の定、ベッドで寝ている彼を見つける。

 気配を消しながら、寝ている彼に近づいて、まじまじと見つめて改めて思う。

 鼻筋が通っていて、雪国生まれの人の様な真っ白な美しい肌。薄い唇。開ければ大きいであろう瞳。綺麗な形の眉毛。

 どれをとってもバランス良く整っている、異性を惹きつけずにはいられない顔立ちだ。

 

 惚れ惚れしそうな顔を眺めながら、昨日の出来事がフラッシュバックする。

 

 ──もう大丈夫だから。怖かったろ? 良く、1人で頑張ったね。

 

 思い出すだけで、モモの顔は熱くなった。胸の中では心臓が、まるで木の橋を走り抜ける狂った馬のひづめみたいに大きな音を立てていた。

 

 正直、卑怯だと思う。

 助けて欲しいと思った時に、颯爽と現れて駆けつけてくれて。

 猫の手のように柔らかい言葉で、労ってくれて。

 頭を撫でてくれて。

 自分の為に怒ってくれて。

 ほっそりした見た目なのに逞しくて。

 彼の声、彼の仕草、彼の熱さがモモの魂の一番感じやすい部分にキンキンと響いて躍動する。心は酔いしれて、この世にこんなすばらしいことがあっていいものか、とさえ思う。

 同時に悪いところやずるいところを考えると、あまりの憎しみに息が苦しくなる。ほかの人にはこんなに感じないひとつひとつの感覚が活性化される。その振幅がそのままその人を思う心のベクトルの大きさだ。

 

「ホント、罪な人……♡」

 

 絶賛恋のお悩み中だというのに。

 彼は無邪気にスヤスヤと眠っている。

 食べてしまいたいほどの可愛さだ。

 ツンツンと頬を触ってみても、起きる気配はない。

 

「龍生さん、龍生さん、起きて下さーい」

 

「むりぃ……むにゃ」

 

「か、可愛い……っ♡」

 

 ずっきゅーんと、モモの心臓がまた跳ね上がる。それは手持ちのなにもかもを無償で差し出したくなっちゃうような最強のあどけない顔で。

 生きてきた中で1番尊いものだと思った。

 このまま寝込みを襲ってしまおうかとも思うが、生憎それでは遅刻してしまう。

 

「起きないとイタズラ……しちゃいますよ?」

 

「──今すっごい起きました!!!!」

 

 兵隊の様に、かばっと起き上がる龍生。

 

「あらら……残念♡」

 

「お、オマエな、もうちょっとマシな起こし方ないの?」

 

「うふふ、いつまでもお寝坊さんがいけないのでは?」

 

「……それを言われたら何も言い返せん」

 

 どうやら反撃の狼煙は上がらないようだ。

 

「それより──今日は何事もないんですね♡」

 

「どこ見て言ってんだっ!!」

 

 これが最近の彼女の朝の日課だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──二手に分かれよう。

 モモと相談した結果、導き出した方向性はそれだった。

 彼女は女性陣の堀を固め、龍生はリトの思考回路に「ハーレム」という概念を組み込む。

 

 ……明らかに、モモの方が負担が大きい気がする。

 

 だが、当の本人はまるで遊園地にでも行くかのように、楽しげに目を輝かせていた。

 彼女を止める理由もなければ、止める手立てもない。

 特に緊急案件として、ヤミの意識改革を最優先事項とするらしい。

 どんな方法を企んでいるのかは分からないが、モモのことだ。

 いずれ、こちらが聞く前に「うふふ、実はですね♡」とでも言いながら、得意げに説明してくることだろう。

 

 ──龍生は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 思考を切り替え、深く息を吐く。

 頭の中の雑音をシャットアウトし、新しい闇の中へと意識を埋めていく。

 

 しかし、その奥底で──

 

 ──黒咲芽亜。

 

 リトの意識を掌握することも重要だが、龍生の脳裏をちらつくのは、彼女のことだった。

 今朝から、何とはなしに彼女の姿を目で追っていた。

 その理由は分からない。ただの警戒か、それとも……

 

「モモ、リュー生。新しいトモダチを紹介するよ!」

 

 不意に、思わぬ形で彼女との接点が生まれた。

 

「初めまして。黒咲芽亜です。ヨロシクね──っ!」

 

 にっこりと微笑むメア。

 その笑顔には、影がない。

 どこからどう見ても、ただの無邪気な少女のように見える。

 しかし──

 

「……北風龍生だ。よろしく頼む」

 

「モモ・ベリア・デビルークです。よろしくお願いしますね、メアさん」

 

 二人がそれぞれ名乗ると、メアは軽く目を細めた。

 

 龍生の中で、警戒心が拭えない。

 

 彼女の瞳が、じっとこちらを見つめている。

 それは、単なる初対面の興味ではない。

 

 ──まるで、何かを探るかのような視線。

 

「どうした?」

 

 龍生が問いかけると、

 

「ううん、何でもない!」

 

 彼女は、あっけらかんと笑って答えた。

 

 ──そこから、モモ、メア、ナナの談笑が始まる。

 

 会話の内容は他愛もないものだったが、龍生はどこか落ち着かない。

 気づけば、メアが時折こちらに微笑みかけてくる。

 

 ──それが、妙に「計算されたもの」のように思えた。

 

 ずっとではない。

 他の生徒に怪しまれないように、さりげなく、控えめに。

 しかし、その短い仕草が、逆に秘密めいた雰囲気を醸し出していた。

 やはり、昨日の件を知っている。

 こちらの反応を探っている。

 

 ──それだけは確信できた。

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を終えた後、廊下でふとメアの後ろ姿を見つけた。

 

 ──これは、偶然か? 

 

 龍生の心がざわめく。

 

「……追うべきか?」

 

 ストーカーまがいの行為は気が引けるが、これまでの流れを考えれば、無視する方がリスクが高い。

 決心し、距離を取って後をつける。

 彼女が向かったのは、中央の階段。

 

(どこに行く気だ……?)

 

 1階から2階。

 2階から3階。

 さらに上へ、上へ。

 そして、最上階。

 

 ──屋上か。

 

 だが、今の季節は日差しが強い。

 日向ぼっこには適していない。

 龍生は慎重に屋上の扉まで近づく。

 深呼吸し、静かにドアを開けた。

 

 ──そして、目を見開く。

 

「……誰もいない?」

 

 驚きとともに、屋上に足を踏み入れる。

 あたりを見回すが、人影はどこにもない。

 ほんの数秒前まで、確かに彼女はこの場所へ向かっていた。

 そのはずなのに──

 

「……幽霊でも追ってたのか?」

 

 そんな考えが脳裏をよぎるほど、異様な静寂が屋上に漂っていた。

 背筋に、じわりと冷たいものが這い上がる。

 

 ──その時。

 

「……どうしたの?」

 

 背後から、突然の声。

 

「──っ!!」

 

 龍生の全身に、戦慄が走る。

 

「こんなところまで来て」

 

 背後から響く、少女の囁き声。

 声を出そうとするが、喉が凍りついたように動かない。

 冷たい汗が、首筋を伝う。

 

「ふふっ、昨日マスターに歯向かったでしょう?」

 

 その瞬間、背筋に氷の刃を当てられたような感覚が襲う。

 血も凍るような、圧倒的な不気味さ。

 

 ──逃げなければ。

 

 そう思うが、体が動かない。

 

「やっぱり、お前がやったのか?」

 

 龍生は、声を絞り出すように問いかけた。

 

「うーん、半分正解」

 

 芽亜は、からかうように笑う。

 

「やったのは私じゃないよ。でも、よく気がついたね。素敵!」

 

 その言葉と同時に、先ほどまでまとわりついていた凍てつくような威圧感が、すっと引く。

 代わりに、人懐っこい笑みを浮かべるメア。

 

 ──それが、龍生にはたまらなく怖かった。

 

「何が目的だ?」

 

「あれ? マスターが言ってなかった?」

 

 メアは楽しげにくるりと回ると、静かに囁く。

 

「──ヤミお姉ちゃんを元に戻すの」

 

「……何のために?」

 

「それはナイショ」

 

 あっさりとした口調。

 まるで、いたずらがバレた子供のような表情。

 しかし、龍生には分かった。

 彼女の背後にいる「マスター」と呼ばれる存在が、彼女を動かしている。

 

 そして、芽亜はただの「駒」に過ぎない。

 

 ──問題は、駒の意志がどこまで含まれているか、だ。

 

 聞けることは、聞けた。

 茨に囲まれたような、不穏で危険な気配。

 この場に長く留まるべきではないと、龍生の直感が告げていた。

 

 ──ここにいるのは、危険だ。

 

 それ以上、深入りするのは愚策。

 これ以上、何かを探るよりも、ひとまず距離を取るべきだ。

 そう考え、踵を返そうとした、その瞬間──

 

「──逃げないでね?」

 

 静かに、しかし確実に、背筋を冷やす声がした。

 

「……っ」

 

 龍生の足が、止まる。

 先ほどまでの淡々とした声色とは違う、含みのある、甘美な響き。

 まるで、獲物が逃げ出す前に、ゆっくりと捕食の準備を整える捕食者のように。

 

「これから少し、アナタの中身を見てみたいから」

 

 彼女は、囁くように言った。

 

 ──何を言っている? 

 

 不穏な言葉の意味を探ろうとした刹那。

 

「──はあ? 一体何言って──っ」

 

 次の瞬間、鋭い衝撃が、首筋に走る。

 

「っ……!!?」

 

 何が起きたのか、理解する間もなく。

 視界が、一瞬で揺らぐ。

 身体が、がくりと力を失う。

 足元の感覚が、遠ざかっていく。

 

 ──あれ? 立っていられない? 

 

 何かを考えようとしても、思考がまとまらない。

 声を出そうとしても、喉が動かない。

 まるで、自分の身体が、誰かの手によって強制的にシャットダウンされたように。

 視界が、急速に暗転していく。

 

 ──これは、まずい。

 

 そう思った瞬間、完全なる闇が、龍生の意識を覆い尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然目が覚めた。眠りと覚醒の中間的地域というものが存在しなかった。目を開けた時には既に覚醒の中枢にいた。頭の働きは完全に正常に復しているようだ。

 瞼を開けば、場所は自分の自室だとすぐに分かった。

 先ほどは学校の屋上にいたはずだと疑念が浮かび上がるが、目の前の光景に一瞬で霧散した。

 

「ひやぁ……やぁ♡」

 

「へ──っ!?」

 

 寝かされた身体の上にまたがるようにして、赤毛の女の姿。パジャマの前のボタンが全て外され、若くて先の優しい尖りを持った乳房が露わになっている。

 加えて自身の右手がその柔らかな乳房に触れている。あろうことか、妙に硬くなり出した先端をぎゅっと摘んでいた。

 摘んだことで、乙女の甘い声が部屋に充満した。

 

「く、くすぐったいよぅ……」

 

「す、すまん!」

 

「わっ」

 

 慌てて身体を起こし立ち上がる龍生に、身体を起こされたことで、馬乗りになっていた彼女はバランスを崩した。

 

「やだなぁ、いきなり……」

 

 乱暴しないでくださいとそう伝えてくる彼女に、謝罪をしかけて飲み込んだ。

 

「な、なんで、おまえがこんな格好して家にいるんだよ!」

 

「ここはアナタの夢の中だよ──」

 

「夢ってどういう──っ!?」

 

 言葉を紡ぎかけて、ハッと自身の違和感に気づいた。

 控えめながらも形の整った彼女の乳房に、きゅっと締まったウエスト、雪の様に白い肌。性的興奮を呼びかけるには十分すぎる素材に、剛直が盛り上がっていた。

 あろうことか、ボクサーパンツ一丁の姿からのその盛り上がりは、彼女の丁度顔付近の高さで、この上なく目立っていた。

 メアは何故かそれを見て、キラキラした瞳を向ける。

 

「……ケダモノ!」

 

「ど、どこみてんだよっ!!」

 

 慌てて手で息子を優しく覆うが、返って彼女の好奇心を逆撫でする。

 

「男の人ってそうなるんだね!! もう少しよく見せて!!」

 

「ちょ、お前こっちくるんじゃねえ!!」

 

「なんだか身体が熱くなってきた! これがえっちい気分なのかな?」

 

「知るかそんなの! ──えっちぃ?」

 

 妙な言い回しに、ぴくりと龍生のセンサーが反応するが、瞳に獰猛な獣を宿わせて、未知の世界への止みがたい歩みを続けようとする全裸の彼女に、思考回路が正常に働かない。

 

「な、なんで人の家に入り込んでんだよお前!」

 

「あぁ、それはね、私達の心が今繋がってるから」

 

「こ、ココロが繋がってる?」

 

 突拍子もない乙女チックな発言に、龍生の眉がひそめられる。

 

「そう。夢は記憶から生み出されるイメージの世界。わたしがこうして夜更にアナタを襲おうとしてるのは、強いイメージの影響──」

 

「強いイメージの影響……」

 

 何かひどく引っかかる言葉だ。

 まるで、龍生自身の意識が無意識のうちに呼び寄せたかのような言い回し。

 

「つまり、女のコ、夜這い、えっちぃ気分。最近こんなシチュエーションでビックリするようなことがあったんじゃないかな?」

 

 ──龍生さん

 

 その言葉に呼応するように、記憶の奥底から浮かび上がる映像。

 まるで、今そこにあるかのように鮮明で、艶やかなワンシーン。

 甘く囁く声。

 透き通るように白く、研ぎ澄まされた肢体。

 細く引き締まったウエストに、弾けるように張りのある胸と腰。美しすぎるほど均整の取れた曲線美。

 まるで神が造り上げた芸術のような裸体。

 

「……っ!!」

 

 思い出した瞬間、身体の奥底から抑えきれない衝動が湧き上がる。

 それに呼応するように、すでに硬直していた龍生の下腹部がさらに膨張する。

 焦りと羞恥が全身を駆け巡る。

 

「わあ、もっと大きくなってる!」

 

「ぬぉぉおお!! だから見るんじゃねえ!!」

 

 とっさに布団を引き寄せるが、メアは好奇心に満ちた眼差しで覗き込んでくる。

 

「何があったのかなあ……」

 

「お、おまえ、ホントに近寄るなって!!」

 

 パニックになりながら、龍生はベッドから飛び起きる。

 ドアへ向かい、ガチャガチャとノブを回し続ける。

 

 ──しかし、開かない。

 

 ならば、と勢いよくドアを蹴り破ろうとするが、まるで見えない壁に阻まれたかのように、何の衝撃も伝わらない。

 

 ──これは、現実じゃない。

 

 その確信が、冷たい悪寒となって背筋を走る。

 

「もう、さっきも言ったけど、あまり逃げちゃダメだよ?」

 

「──っ!?」

 

 背後から、絡みつくような囁き。

 次の瞬間、視界が天地逆転する。

 天井が目の前に広がる。

 そして、全身が何かに絡め取られている。

 両手、両足。

 何か細いものに絡みつかれ、身動きが取れない。

 ──それが赤い髪であることに気づいた瞬間、龍生の血の気が引いた。

 

「お、おまえ……この能力」

 

 ヤミの、それとまったく同じ。

 

 戦闘のたびに見せられた、あの変身能力。

 世界で唯一、彼女だけが持つと思っていたその力を、いま目の前の少女が使っている。

 

「あたしはヤミお姉ちゃんの妹のメア。何も驚くことはないよ?」

 

「嘘つくな、アイツには身内は居ないって」

 

「それはヤミお姉ちゃんが知らないだけ。現にわたしの能力はそっくりでしょ?」

 

 ──そっくり、ではない。

 

 完全に一致している。

 それだけで、彼女が虚言を弄しているわけではなく、本当に「妹」である可能性を確信する。

 

 ならば、彼女がここに現れた理由は──

 

「昨日のは、凄かったね? わたし久しぶりに感動しちゃった! もっと地球人は脆いと思ってたから」

 

「……な、何だよ」

 

 龍生を縛ったまま、メアがゆっくりと四つん這いで這い寄ってくる。

 乳房を垂らしながら、無邪気な笑みを浮かべて。

 その視線は、まるで新しい「おもちゃ」を見つけた子供のように輝いていた。

 

「気になるなぁ、アナタの中身♡」

 

 眼下に迫り来る彼女の声が艶かしく耳を襲う。

 色気のない瞳でも、見上げられたそれはどこか蠱惑的で。

 ぴたりと隙間なく密着してくる。

 胸元に押し付けられる柔らかな感触。

 肌が直に触れ合い、熱がじんわりと伝わる。

 逃げようと身を捩るが、赤い髪の拘束から逃れられない。

 内側がもぞもぞと波立つのを感じる。

 

 ──これはマズイ。

 

 押しつぶしてしまおうと幾度試みても、すぐ後からまくしかかって来る何かに対する執着をどうすることもできそうない。

 もう天井をたたきそうだった。

 

 その瞬間、ふと脳裏に彼女の顔が浮かんだ。

 普段どうしようもなく猫をかぶるくせに、向けてくれた純粋な笑顔を。

 

 ──こんな状況を見て、彼女はどう思うのだろうか。

 ──見知らぬ同級生の子に弄ばれて、軽蔑しないだろうか。

 

 懺悔が、どこまでも尽きない原始林のように、心の奥に薄暗く生い茂ってくる。

 それが不思議でしょうがなかった。

 

 ──別にあの子と付き合っているわけではない。

 ──好きと言うわけでもない。

 ──ならこの子と淫らな事をしても、別にあの子は関係ないじゃないか。

 

 脳を通していない命令に従いそうになった心を、グッとどうにか抑え込んだ。

 

 ──いや、違う。

 

 自分があの子に恋心を抱いているかはわからない。

 それでもこの1ヶ月紡いでは重ねてきた気持ちは、かけがえのないものだった。あの子の顔、声、仕草。その全てに表現できない愛しさを覚えていた。

 いつも男心をくすぐる様な揶揄いをすることはあっても、それでも、変わらない事実はそこにあって──。

 

「アイツより……」

 

「えっ?」

 

「アイツより、綺麗な裸なんてこの世にない。だから──今すぐそこをどけ」

 

「……っ」

 

 息子が鋭敏に剛直するという矛盾が孕んでいて、不純な動機でしかないが。

 真っ直ぐ射抜く様な瞳は、彼女の心の中の何かを動かした。

 彼女の裸を見れば、何もされずとも果てよう。

 なら彼女の裸体など、どうと言うことはない。

 これはあくまで老婆の裸だ。

 至極失礼極まりない世間から叩きのめされそうな言葉で自分を奮い立たせるように、そう唱え続ける。

 

 その瞬間──

 

「えっ!? うそっ!?」

 

 メアの身体が、突然光に包まれた。

 まるで、この世界が彼女の存在を拒絶するかのように。

 

「そんなっ、なんでっ!?」

 

 彼女が必死に抗うが、光は容赦なく彼女の輪郭を薄れさせていく。

 龍生自身も、何が起こっているのか理解できなかった。

 しかし、確かに感じる。

 

 ──何か、大切なものを守れた気がした。

 

 意識が、遠のいていく。

 最後に、モモの顔が浮かんだ。

 それを、龍生はしっかりと胸に刻みながら──夢の世界から、ゆっくりと意識を手放していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ハッと気づいたときには、元の空間に戻っていた。

 

 まるで強制的に弾き出されたような感覚。

 

「……?」

 

 一瞬、状況の変化に思考が追いつかず、ぼうっとしたまま天井を見上げる。

 だが、次第に意識が鮮明になり、はっと男の方へ視線を向けた。

 ──そこには、何事もなかったかのように、穏やかに眠る龍生の姿。

 

「……ふぅ」

 

 自然と、胸を撫で下ろしていた。

 しかし──

 

 先ほどの現象は、完全に予想外だった。

 彼の「拒絶」によって、空間そのものから追い出される。

 そんなことは、今まで一度たりとも起こったことがなかった。

 

 ──いや、そもそもそんなことが可能なのか? 

 

 今まで、夢の世界は自分の意のままに操作できた。

 だが、今回は違う。

「龍生の意思」が、強制的に自分を排除したのだ。

 

 ……なぜ? 

 

 ただの防衛本能とは思えない。

 今まで何度か、相手が「夢だ」と気づき、多少の抵抗を試みることはあった。

 しかし、それを意志の力だけで完全に排除するなど、聞いたことがない。

 

「……取り敢えず、色々喋り過ぎちゃったかなぁ」

 

 メアは小さく呟いた。

 

 しかし、それを返す者は誰もいない。

 静まり返った部屋の中で、ただ龍生の寝息だけが規則正しく響いていた。

 

 まぁ、いずれバレることだ。

 それに、これは彼の夢。

 覚えている可能性の方が低い。

 そう思いながら、ゆっくりとその場を後にする。

 

 ──だが、どうしても頭から離れない。

 

 ──……今すぐそこをどけ

 

 あの瞬間の彼の表情。

 まっすぐ射抜くような、迷いのない瞳。

 そして、魂の底から溢れるような純然たる拒絶。

 

 ──あんなに真っ直ぐに拒絶されたのは、初めてだ。

 

 メアの心の奥底に、ひどく奇妙な感情が生まれた。

 それは……

 ひどく甘美で、ひどく厄介なものだった。

 身体の芯が、くすぐられるような心地よさ。

 ぞくりとした感覚が背骨を駆け上がる。

 

「北風龍生くん、ね」

 

 彼の記憶の断片を思い返す。

 

 ──そこにあったのは、モモとの記憶がほとんどだった。

 

 特に興味深かったのは、彼とモモが『ハーレム計画』なるものを立案し、実行しているということ。

 

「……ふぅん?」

 

 ヤミをリトのハーレム候補として仕向け、彼に恋心を抱かせる。

 それが、彼らの目的。

 

 つまり──

 

 それは、メアたちが計画している「ダークネス計画」と真っ向から対立するものだった。

 

「──一体どっちが思い通りにできるか……」

 

 龍生を屈服させられるか。

 それとも、彼がこのまま「モモの味方」として立ちはだかるのか。

 

 ……なんて、素敵♡

 

 彼の記憶を弄んでいたはずが、気づけば彼に弄ばれたような気分だった。

 それが妙に気に入らなくて、けれども、それ以上に……

 この状況を「面白い」と思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、瞼を開けると、まだぼんやりと霞んだ視界の中に、大きな人影が映った。

 眩しい光量に思わず目を細める。

 視界がゆっくりと慣れていくにつれ、赤い鳥の羽を撒き散らしたような夕焼け雲が、空いっぱいに広がっていることが分かった。

 その鮮やかな橙の光の下に、見知った少女の顔があった。

 

 ──モモ。

 

 長い睫毛が繊細な影を作り、彼女は安らかに眠っている。

 

「……嘘だろオイ」

 

 身体を起こそうとするも、なぜか思うように動かない。

 それどころか、頭に感じるのは硬いコンクリートではなく、柔らかく、温かい感触。

 

 ……いや、まさか。

 

 ゆっくりと視線を巡らせると、目に入ったのは──

 自分の膝枕をしているモモの寝顔。

 

「……っ!」

 

 一瞬にして、血の気が引く。

 状況を整理するために必死に記憶を手繰る。

 

 ──確か、メアを追って屋上へ向かった。

 ──その後、何かが起こって……そこから先が、思い出せない。

 

 夢を見ていた気がする。

 ただ、その内容が思い出せない。

 まるで薄暮の中に溶ける山の景色のように、曖昧になっている。

 そして、ふと「空を眺められるこの状況」そのものに違和感を覚えた。

 

 ──俺、膝枕されてるのか? 

 

 慌てて身を起こそうとするが、身体が妙に重い。

 しかも、頭を預けていた彼女の膝が、ほんのりと温かい。

 

「……マジか」

 

 そして、気づく。

 夕焼けの空。

 長く伸びた影。

 

 ──授業、完全にサボったな。

 

 どうしたものかとため息をつきながら、再びモモの寝顔を見つめた。

 宇宙人とはいえ、一体どんな遺伝子配合をすれば、こんな美の化身が生まれるのか。

 顔のパーツ全てに無駄がない。

 大きな瞳、形の整った鼻、柔らかそうな桜色の唇。

 まるで芸術作品のように完成された容姿。

 

 ──こんな近距離で直視するのは、危険だ。

 

 そう思いながらも、目が離せない。

 すると、不意に彼女の睫毛がふるりと震えた。

 次の瞬間、ゆっくりと瞼が開かれ、ぼんやりとした紫色の瞳がこちらを見つめた。

 

 ……なんだ、この無防備な姿は。

 

 意識が覚醒しきっていないせいか、普段の小悪魔的な表情はどこにもない。

 ただ、ぼーっとしたあどけない視線が、龍生に向けられていた。

 

「……おはよう」

 

 その一言で、モモの表情が一瞬にして染まる。

 

「──っ!?」

 

 事態を理解するなり、彼女は勢いよく顔を両手で覆った。

 

「いやいや、今更遅くないか?」

 

 龍生が苦笑いしながら言うと、モモは手の隙間からじとっと睨んでくる。

 

「も、もう、起きたのなら、声を掛けてください」

 

 頬を膨らませながら、むにゅっと龍生のほっぺをつねってくる。

 

「わるかったよ……それより、他に誰かいなかったか?」

 

「? 私が来た時にはもう誰もいませんでしたよ?」

 

「そうか……」

 

 どうやらメアは、一目散にこの場を去ったらしい。

 随分と逃げ足が早い。というよりも、龍生の目覚めが遅すぎたのだろう。

 

「でもビックリしました。まさか龍生さんがこんな所で倒れてるなんて」

 

「いや、それは俺もビックリというか……」

 

「お昼寝でもされていたのですか? スヤスヤと眠られてましたけど」

 

「……まあ、そうかもな」

 

「?」

 

 ……言えるわけがない。

 

 何かをされた気がするのに、何も証拠がないことを。

 納得いかなくとも、「ただの寝坊」ということにするのが一番妥当な落とし所だろう。

 

「それにしても、良くここで寝てられたというか、夏なのに凄い涼しいんだけど」

 

 炎天下の中、こんな場所で何時間も寝ていたら、普通は熱中症になる。

 しかし、妙に涼しく、日焼けの気配すら感じない。

 実に摩訶不思議な気分だった。

 

「それはお姉様の発明品である、これのお陰です♪」

 

 そう言って、モモが手に持っていたのは、小さなスノードームのような機械。

 

「……大丈夫かその発明品」

 

 正直、毎度ながらロクな目に遭わない龍生からすれば、怪しい起爆装置にしか見えない。

 

「一応効果はあったと思いますよ? 現に今も涼しいですし」

 

「どういう効果なんだ?」

 

「このボタンを押すと、範囲3メートルくらいを、透明なドームで半日包んでくれるそうです。中は涼しくて、日焼けもしないそうなので、夏は欠かせないアイテムですね」

 

「あの人、そんなマトモなアイテム持ってたのか」

 

「ふふっ、お姉様はああ見えて、すごく頼もしいんです」

 

 ああ見えて、という苦味はあるが、確かに珍しく実用的な発明品だった。

 

「そういえば、結構な時間こうしてくれたの?」

 

「いえいえ、ほんの1、2時間程度です」

 

「……まじか。なんかすまん」

 

「うふふ、大丈夫ですよ。沢山可愛らしい寝顔を見れましたから♡」

 

 真っ直ぐな愛らしい瞳を向けられて、龍生は彼女から視線を逸らした。仕舞いには、彼女は癖のない髪を労りを込めて撫でてくる。無性にくすぐったい気持ちになった為、取り敢えず龍生は、このままの状態を改善しようと、思わぬ真実を告げる事にした。

 

「その、労わってもらってばかりで申し訳ないんだけど、なんか身体に力が入らないから、前みたいに飛んで家まで届けてくれない?」

 

「えぇっ!? だ、大丈夫ですか?」

 

「いや、まあ、大丈夫なんだけど……マジで何したんだよあいつ」

 

 蠱惑的な笑みを浮かべる赤髪の少女を幻視し、龍生は深い深いため息を吐いた。

 

「はっ、まさか何か身体の力が抜けてしまうほどの夢を♡」

 

「だからどこ見て言ってんだお前は! 取り敢えず、男としては非常に情けないが、いつまでもこうしてられないし、少し運んでくれないか?」

 

「えっと、それがですね……」

 

「すまん、やっぱり負担が重いか?」

 

「いえ、そうではなくてですね。……この効果が切れるまで、外に出れないみたいです」

 

「おい、バカだろやっぱあの人」

 

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