桃色と女の園   作:yuykimaze

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4話

 

 

 

「あんまり変わらないですね」

 

「まあ、特に何か大きな買い物したわけでもないしね」

 

 部屋に足を踏み入れると、まるで初めて来た場所かのように、懐かしさと違和感が入り混じる空間が広がっていた。

 結城リトの部屋。

 訪れるのは実に2年ぶり。

 キョロキョロと室内を見渡せば、特に大きな変化はない。

 むしろ、変わらない光景だからこそ、懐かしさが胸にこみ上げる。

 龍生は軽く息をつきながら、馴染み深いベッドの縁を背もたれにして、カーペットの上へ腰を下ろした。

 

「こうやってベッドを背もたれにして、ゲームしてましたよね」

 

「ははっ、そうだな。美柑も一緒だったっけ?」

 

「よく俺たちに負けて、悔し泣きしてましたよね」

 

 二人は、ふと幼い頃の記憶をたぐり寄せた。

 小さな体でコントローラーを握りしめ、負けるたびに「もう一回!」と泣きながら訴える美柑の姿。

 それを思い出すだけで、自然と笑みがこぼれる。

 

「あんな小さかった美柑も、気づけば小学校6年生ですもんね。時間の流れって本当に早いです」

 

「ホントになぁ、今なんか俺よりしっかりしてるよ」

 

「相変わらず、美柑に起こして貰ってるんですか?」

 

「えっと、それはまあ……」

 

 視線を泳がせてポリポリと頰をかくリトに、龍生は自虐的な笑みを変えした。

 

「まあ、俺も人の事言えないんですけどね」

 

「そっか。2人とも仲良くなって良かったよ」

 

 柔らかい笑顔でリトは嬉しそうに微笑んだ。ここで変に茶化したりしないのが、彼の優しさで。だから龍生も心置きなく話せるのかもしれない。

 そこから話すのは、自分の学校生活のささいなこと、リトの苦労話などが多く、あまり深い話にはならない。深まらない、長い話がだらだらと続く。意味がなくて記憶からもこの世の事実からも消えていくような話を連ねて長さだけが延びていくようなリトとの会話が龍生は好きだった。

 

「そういえば、なんか話があるって言ってなかったっけ?」

 

「ん? ああ、そうですね……」

 

 さて、と龍生は頭の中のメモをペラペラとめくった。

 今回こうして彼の家に訪れたのは、リトと楽園(ハーレム)計画のことで話がしたかった。

 学校など人の居ないタイミングで話しても良かったが、流石に人目が気になり、彼の自宅を選んだ。

 

「リトさんはやっぱり西蓮寺先輩が好きなんですか?」

 

「えっ!? きゅ、急に何だよ!」

 

 突然の直球に、リトの肩がビクンと跳ねる。

 

「相変わらず好きなのかなあって。まあ、ここには誰もいませんし、恋バナという事で」

 

「うっ……いや、その……」

 

 リトは、ゴニョゴニョと口ごもる。

 だが、その反応だけで十分だった。

 

「まぁ、好き、だよ」

 

 ……やはり変わらない。

 中学の頃からずっと、彼の想いは西蓮寺春菜へと向けられたままだ。

 

「やっぱりそれは、西蓮寺先輩と付き合いたいって事ですよね?」

 

「ま、まあ、そう、だね……」

 

「ですよね。陰からこっそり覗いたり、ストーカーみたいなことしてましたもんね」

 

「ストーカー言うな!」

 

「じゃあ、ララさんの事はどう思ってるんですか?」

 

「ララは……」

 

 その問いに、リトの表情が一変する。

 視線を落とし、複雑そうな面持ちで言葉を探し始めた。

 

 ──迷っている。

 

 龍生は、沈黙の中にある「答え」を見つめながら、ただ待った。

 

「やっぱり俺は、西蓮寺のことが好きだから。だから、ララとは付き合えないって言ったんだ」

 

 ハッキリとした言葉。

 

「でも、ララは……その……」

 

「それでも良いって言った感じですかね?」

 

「ま、まぁ、そんな感じ、かな……?」

 

 ──それは、ララの一貫した意志。

 リトの気持ちがどこへ向いていようとも、彼女の愛情は揺らがない。

 つまり、ララは「リトが好きなら、それでいい」と、受け入れているのだろう。

 そして、彼女が「みんなでリトを愛する」という選択肢を提案しても、リトの意志がそれを頑なに拒んでいるのも、龍生には感じ取れた。

 

 ──これを懐柔するのは、相当骨が折れるな。

 

 内心、深いため息を吐きながら、次の言葉を探していたとき。

 ぽつりと、リトが呟いた。

 

「……彩南プールの事、覚えてるか?」

 

 その声にはどこか沈んだ色が混ざっていた。

 

「はい。リトさんが告るの失敗したやつですよね?」

 

 あえて軽い調子で返すと、リトは顔を引きつらせながら、少しばかり視線をそらした。

 

 「ま、まあ、そうなんだけど……」

 

 ──思い出す。

 

 それは、初夏の頃。

 彩南ウォーターランドで、リトは春菜に告白しようと試みた。

 普通ならデートに誘い、ムードのある場所を選ぶところを、彼はあえてプールを選んだ。

 けじめをつけようとしたのだろう。

 結果的に、その場に居合わせた全員に『好きだ』と伝えてしまい、慌てて「プールが好きなんだ!」と弁明したことで、告白は不完全燃焼のまま幕を閉じた。

 

 ──そんな話を今さら蒸し返して、リトは何を言いたいのか。

 

 龍生が疑問を抱く中、リトはぽつりぽつりと、何かを確かめるように言葉を紡いだ。

 

 「あの時さ……好きだって伝えようとした時……ララの笑顔が浮かんだんだ」

 

 龍生は、思わず目を見開いた。

 

「ララさんの笑顔ですか?」

 

 リトは小さく頷く。

 

「うん……だから勇気振り絞った手前、結構言い淀んじゃって……」

 

 その表情は、自分でも気づいていない困惑と戸惑いが滲んでいた。

 

 ──これは、単なる「友情」なのか?

 それとも、彼の中で「想い」が揺らぎ始めているのか?

 春菜に傾いていたはずの天秤が、少しずつララの方へ傾きかけている。

 龍生は、彼の葛藤をじっと見つめた。

 意外だったのは、リトの心の中に確かにララへの気持ちが存在していたこと。

 しかも、それは思っていたよりも遥かに大きかった。

 厚い霧の中から、前方に薄い明かりが射し、ぼんやりと物の形が見えたような感覚。

 

「リトさん」

 

 龍生は、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「2人とも娶るのはダメなんですか?」

 

「──へっ!? は、はあぁっ!? だ、ダメに決まってるじゃんか!」

 

 リトの大声が、部屋に響いた。

 驚きのあまり、飛び跳ねるように身を起こす。

 幸い、窓も扉も閉めているため、下の階には聞こえていないだろう。

 だが、龍生は冷静だった。

 

「モモから聞きましたけど、もしリトさんがデビルーク王になったら、側室を設けても良いそうです。そうなれば、万事解決するんじゃないですかね?」

 

「で、デビルーク王って、あのララ達の?」

 

 リトの顔が強張る。

 

 ──彼にとって、デビルーク王とは、かつて地球を破壊しようとした存在。

 決して良い思い出ではない。

 龍生は苦笑しながら、軽く肩をすくめた。

 

「……まあ、お互い苦い思いでもあると思いますけど、はい。想像していた通りの人です。そこの継承者として、即位して、リトさんがララさんと西蓮寺先輩と結婚すれば、何の問題も──」

 

「──い、いやいや! ちょ、ちょっと待ってくれ! いきなり過ぎて頭が追いつかないんだけど!?」

 

 リトはバッと立ち上がり、頭を抱えた。

 

「俺もあまり詳しくは知らないんですけど、後継者探してるみたいですし、いっそ、この際なってみらどうかなって」

 

「いやいや、俺に王なんて慣れないって! そもそも、は、春奈ちゃんと、ララと結婚なんて、そんな……無責任なことできないよっ!!」

 

 リトは必死に否定する。

 その決意は、やはり固かった。

 

 ──本当に、真面目で優しい人だ。

 

 そんな彼の優しさに漬け込もうとする自分に、妙な嫌気がさす。

 まるで、悪徳商法の詐欺師のような気分だった。

 それでも、みんなが幸せになれるのなら──。

 

「もし、2人がそれを望んだらどうです?」

 

「ええっ!? そ、そんなこと──」

 

「──ないとは言い切れないですよね?」

 

 龍生はじっとリトの目を見つめる。

 

「ララさんの考えに同調して、西蓮寺先輩もそれで良いと言うかもしれませんよ? そうなったら、リトさんはどうしますか?」

 

 リトは、言葉に詰まった。

 龍生は、ニヤリと笑い、追い討ちをかける。

 

「西蓮寺先輩とララさん2人から、あんなことやこんなことされちゃいますよ?」

 

「あ、あんなことやこんなことって……っ」

 

「西蓮寺さんは意外と大胆で、ララさんは案外乙女チックで初々しいかも知れないですねえ」

 

「だ、大胆……っ、お、乙女チック……っ」

 

 リトの顔がみるみる赤く染まる。

 

 ──結城君……もっと激しくして?

 ──リトっ……そんなにジッと見られたら、恥ずかしいよぅ……

 

 壊れかけた機械のように、言葉を反復しながら震えるリト。

 龍生は、彼の脳内を完全にトレースできた気がした。

 そして、思わず笑いが漏れる。

 

「何を想像したんですか?」

 

「べっ、別になにもっ!?」

 

 バッと顔をそらし、必死に取り繕うリト。

 

「はははっ、やっぱりリトさんって反応良いですよね。すみません、思わず揶揄ってしまって」

 

「い、いや、別に良いけど……」

 

 リトは苦笑しながら頬をかいた。

 その顔には多少の照れが滲んでいるが、彼の持つ懐の深さは、こんな些細なからかい程度では揺るがない。

 

 ──モモは、そんな彼の優しさを熟知している。

 

 だからこそ、彼女はララの恋を応援しているのだろう。

 でも、ふと疑問がよぎる。

 彼女は今、リトのことをどう思っているのだろうか。

 ただの姉の婚約者として見ているのか?

 それとも、自分自身もハーレム候補に名を連ねる可能性を考えているのか?

 龍生の胸の内に、モヤモヤとしたものが広がる。

 考えたところで答えが出るわけでもないのに、なぜか気になって仕方がなかった。

 

「ど、どうした? 龍生」

 

 リトの声にハッと我に返る。

 気づけば、彼が心配そうにこちらを見ていた。

 思考の迷路に迷い込んでいたせいで、無意識に難しい顔をしていたらしい。

 

「い、いえ、なんでもないです」

 

「そ、そっか。なら良かった」

 

「はい」

 

 適当に相槌を打つが、どうにも落ち着かない。

 心の奥で引っかかっているものは、未だ拭えぬままだった。

 そのとき──。

 

「──龍兄、リトー、ちょっと買い出し行ってきてくれない?」

 

 階下から、美柑の声が響く。

 このタイミングで入ってくるあたり、妹としての勘が働いたのかもしれない。

 

「わかったー」

 

 リトが軽く返事をすると、彼はすぐに立ち上がる。

 

「じゃあ、行きますか」

 

 そう言いながらも、龍生はふと足を止めた。

 リトもそれに気づき、首を傾げる。

 

 「ん? どうした?」

 

 龍生はゆっくりと振り返ると、リトの目をしっかりと見据えた。

 

 「少し話を戻しますけど……もし、複数人の女の子を好きになったら、言ってください」

 

 「えっ?」

 

 リトの目が一瞬、大きく見開かれる。

 

 「俺、いつでもお手伝いしますから」

 

 「ふ、複数人って……そ、それは、その……」

 

 予想以上にド直球な発言に、リトは思わず言葉を詰まらせた。

 龍生は、わずかに笑みを浮かべながら続ける。

 

 「お互いがそれを望むのなら、それは決して不純じゃないと思います」

 

 「……」

 

 「それに、それを実現する策もありますし」

 

 「じ、実現って……」

 

 リトはまるで、未知の領域に足を踏み入れてしまったかのように、困惑の色を滲ませる。

 しかし、龍生の言葉には、真剣な響きがあった。

 

「まあ、どんな形であれ、どういう決断を取ったとしても、俺はリトさんの味方です」

 

 「龍生……」

 

 リトは、その言葉に一瞬たじろぐも、何かを考え込むように視線を伏せた。

 

 ──そして、ゆっくりと頷く。

 

「頑張って一緒にリトハーレムを作りましょう!」

 

「何その悪趣味な軍団っ!?」

 

 龍生の軽口に、リトは即座にツッコミを入れる。

 反射的に赤くなった顔を手で覆いながら、慌てて後ずさる彼を見て、龍生はクスクスと笑った。

 

「俺は途中で抜けましたからね?」

 

「何で最初入ってたの!?」

 

 妙な心のモヤモヤを抱えながらも、どう彼の心を変えていくか思案する龍生だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トン、トン、トン──

 

 規則正しい包丁の音が、夕暮れの静けさの中で心地よく響く。

 夕焼けに染まったキッチンには、料理の香ばしい匂いと、柔らかな笑い声が溶け込んでいた。

 いつもならモモが一人でこなす作業。

 だが今日は、美柑と一緒だ。

 二人で手を動かすことで、作業は驚くほどスムーズに進んでいく。美柑はハンバーグの形を整えながら、モモへと視線を向けた。

 

「じゃあ、モモさん。お味噌汁お願いしても良い?」

 

「はーい」

 

 モモは手慣れた様子で出汁を取り、具材を丁寧に加えていく。

 味噌をゆっくりと溶かしながら、お玉で静かにかき混ぜた。

 

 ──ほんのり甘く、豊かに広がる味噌の風味。

 

 上手くいった、と満足げに美柑に声をかけようとしたとき、ふと彼女が微笑んでいるのが目に入った。

 

「モモさん、見ない間に料理上手くなってる」

 

「えっ? そ、そうですか?」

 

 モモは思わず手を止め、戸惑いながら美柑を見つめる。

 

「うん! いつも龍兄に作ってるからかな?」

 

「ええっと、お料理自体好きなので……その、はい」

 

 視線をじっと向けられて、モモの頬がじわりと熱を帯びる。

 なんだか、この言葉には多分に含みがある気がする。

 自覚はしている。

 龍生のために料理を作る時間が、自分にとって特別なものになっていることを。

 そして、そんなモモの反応を見た美柑は、微笑を深める。

 

「好きなんだね、龍兄のこと」

 

「美柑さん。意地の悪い笑みを浮かべてません?」

 

「ごめんなさい、何だかモモさんが可愛くって」

 

「……もう」

 

 小さく唇を尖らせながら、それでもモモは笑顔を返した。

 美柑のように、からかい混じりの純粋な好意を向けられると、どうしても頬が緩んでしまう。

 

「美柑さんは、意中の殿方は居ないんですか?」

 

 ふと、疑問に思い、モモは尋ねた。

 美柑は少し驚いたように瞬きをする。

 

「えっ? 私?」

 

「はい♪ やはり、リトさんですか?」

 

「リトっ!? いやいや、リトは普通の兄妹だから!」

 

 美柑は慌てて首を振る。

 

「ホントですかぁ?」

 

「ホントだよ! 第一恋愛感情が兄に向いたら可笑しいから!」

 

「なら、他にいないんですか?」

 

「う、うーん……居ないかなあ」

 

 美柑は少し考え込んだ後、肩をすくめた。

 どうやら、今のところ意中の相手はいないらしい。

 彼女の年齢を考えれば当然かもしれないが、彼女はしっかり者でどこか大人びている。

 同年代の男子では、まだ釣り合いが取れないのかもしれない。

 

 ──そんな美柑の周囲で、彼女に相応しい存在。

 

 モモの脳裏に、たった一人だけ思い浮かぶ人物がいた。

 

「では、龍生さんは?」

 

「りゅ、龍兄? うーん……」

 

 美柑は少し考えたあと、ぽつりと答えた。

 

「龍兄も、どちらかと言うと、もう一人の兄って感じかなぁ」

 

「もう1人の兄、ですか?」

 

「うん。だからね。わかるんだ」

 

 手に持ったハンバーグの形を整えながら、美柑は黄土色の瞳でどこか遠くを見てる様な眼差しに変わる。

 過去の引き出しを一つ一つ開けていくように、彼女は言葉を紡いでいった。

 

「龍兄ね、モモさんと一緒になってから、凄く明るくなった気がするんだよね」

 

「そ、そうですか?」

 

「うん。リトもララさん達と出会ってからそうだけど……」

 

 ふっと、美柑の表情が柔らかくなる。

 

「龍兄は昔からリトより年下なのに、どこか大人びてて。表面上は楽しそうにしてても、心から楽しんでないような気がしてたんだ。だからちょっと心配してたんだけど──」

 

 そこで言葉を区切り、少し笑みを深めた。

 

「モモさんといるときの龍兄、楽しそうだから。すごく安心したんだ」

 

「美柑さん……」

 

 モモの胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。

 

 ──美柑は、龍生のことをずっと見ていたのだ。

 

 兄であるリトのことはもちろん、龍生のことも、しっかりと。

 そして、彼が少しずつ変わっていく様子に、心から安堵しているのが伝わってくる。

 彼女の優しい笑顔は、まるで聖母のようだった。

 

「だから、モモさん」

 

 美柑が、真っ直ぐな瞳でモモを見つめる。

 

「龍兄のこと、よろしくお願いします」

 

「ふふっ、まだお付き合いとかしてませんよ?」

 

「いずれ、ね」

 

「そうなれるのなら……嬉しいです」

 

 モモは、頬を赤らめながらも、そっと微笑んだ。

 彼女のその言葉に、美柑は安心したように、にっこりと微笑み返す

「でも少なくとも龍兄も異性のモモさんと一緒に住む事を許してるんだし、もう少しな気もするんだけどなあ」

 

「私もそんな気がするんですけど、夜な夜なベッドに潜り込んでも手を出してくれないんです」

 

「モモさんそんな事してたの!? 順番間違ってない!? あ、あれ、でも一緒に住んでるから良いのかな?」

 

 モモの常識に、混乱をきたす美柑だった。

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けに染まった商店街の通りは、穏やかな喧騒に包まれていた。

 どこか懐かしい香ばしい匂いが漂い、行き交う人々の賑わう声が、心地よいBGMのように耳に届く。

 龍生とリトは、美柑に頼まれていた食材を無事に買い終え、手に持ったスーパーの袋の重みを感じながら、家路を辿っていた。

 この商店街は、近年シャッターが降りたままの寂れた街並みとは異なり、どこか人情味に溢れた温かな雰囲気がある。

 見知った店に立ち寄れば、お裾分けをもらうこともしばしば。

 現に今、二人は店主にもらったたい焼きを片手に、ゆっくりと歩いていた。

 ──ふと、目の前に見知った金髪の少女の姿が映る。

 

「あれってヤミだよな?」

 

「そうですね……凄い量のたい焼き」

 

 視線の先にいたのは、袋いっぱいのたい焼きを抱え、淡々と歩くヤミの姿だった。

 その量に思わず顔を引き攣らせる龍生とは対照的に、リトは何の迷いもなく彼女へと歩み寄る。

 

「ヤミ!」

 

「結城リト……と北風龍生ですか」

 

「こんな所で何してるんだ?」

 

「たい焼きを買ってました」

 

「そ、そっか……」

 

「はい」

 

「……」

 

「……」

 

 ガヤガヤと周囲が騒がしいはずなのに、時が止まったような錯覚に陥る。

 

(えっ、声かけといて終わりっ!? リトさん嘘でしょっ!?)

 

 どちらかというと、ヤミとの会話の半分以上は受け身のキャッチボール。

 彼女から話しかけてくることは滅多になく、こちらが何か話題を振らなければ、無言のまま時間が過ぎてしまう。

 それを考慮せずに話しかけたリトに、龍生は若干の焦りを覚えた。

 仕方なく、話の糸口を探す。

 ふと手元のスーパーの袋と、今夜の夕食のことを思い出す。

 美柑は、今日は豪勢な食事を振る舞うと意気込んでいたし、食材の量的にも一人くらい増えたところで問題はない。

 

「ヤミはこの後予定とかあるの?」

 

「いえ、特には」

 

「リトさん、この際ヤミも含めてみんなでご飯食べますか?」

 

「ん? ああ、良いね! 美柑も喜ぶし! ヤミはどう?」

 

「私がいてお邪魔では?」

 

「そんな事ないよ! ヤミがいてくれたら美柑だって喜ぶよ!」

 

「……美柑が? ……では、お言葉に甘えます」

 

 美柑が喜ぶと言えば、彼女はどんなところにでも行ってしまうのだろう。半ば呆れながら、リトが携帯電話で美柑に話しているのを待った。

 

「うん、分かった! じゃあ、すぐ帰る……美柑も喜んでたし、一緒に家まで行こうか」

 

「わかりました。ですがその前に──」

 

「「むぐっ!?」」

 

 彼女が言い終わる寸前。

 彼女の金髪の髪が手の形を作り瞬時に動く。

 刹那。手に持っていたたい焼きを掴むなり、リトと龍生の口に押し込んだ。

 

「美柑のご飯が入らないといけないので、あなた達も食べてください」

 

「〜〜〜っ!? (理不尽なっ!?)」

 

 たい焼きを丸呑みさせようとして来る彼女に、非常な理不尽さを覚えながら、渋々彼女の圧に負けてたい焼きを食すことにする。

 言葉を発する余裕もなく、たい焼きを咀嚼するしかなかった。

 気づけば、二人とも計六個を平らげていた。

 すでに胃の中は満杯。

 それでも、美柑の夕飯を食べないわけにはいかない。

 龍生とリトは、満腹の胃に更なる余地を作るべく、さながらフードファイターのように軽く跳ねてみたりする。

 そんな時、唐突にヤミが空間に音を放った。

 

「北風龍生」

 

 矛先は、龍生だった。

 

「ん?」

 

「以前何者かに襲撃された時、あなたが言った事を考えるようになりました」

 

「俺が言ったこと?」

 

「はい」

 

 襲撃された出来事とは、あの学校で猿山達が突然襲いかかってきた事を指しているのだろう。その引き出しを開ければ、随分と説教くさい事を言ってしまったと、反省が煙のようにゆらめきながらゆっくりと訪れた。

 

「な、何と言うかその、偉そうなこと言ってすまん」

 

「いえ。ただ、あの日からよく考えます。私の兵器としてではない、存在意義についてです」

 

「兵器以外の……」

 

「はい。ただ、その答えは見つかりません。それに、最近、私自身の心もわからなくなりました。変ですよね……自分で自分の心がわからないなんて」

 

 兵器としての自分と、こうして生温い日々を過ごす自分。

 殺伐とした環境とは相反する場所に身を置いて、ヤミは、不思議な感情の渦巻きの中に心を浸している。妙なジレンマを感じて、面持ちもどこか複雑そうだった。

 でも答えはもっと単純で、案外身近にあるものなのかもしれない。龍生はふっと微笑んだ。

 

「自分で自分の心なんて、案外わからないもんじゃないか?」

 

「──え?」

 

 ヤミは、思わず立ち止まる。

 

「俺だって自分の心なんてわからない時あるし……リトさんもありません? そんな時」

 

「そ、そうだな。俺なんかより美柑とか周りの人の方が詳しかったりするし……」

 

「そう言うものですか?」

 

「そう言うもんだろ。そもそも自分の気持ちが明解なら、思い悩んだりしないって」

 

 龍生の言葉を聞いて、ヤミはゆっくりと瞬きをした。

 まだ完全に納得したわけではないのだろうが、どこかモヤが少し晴れたように見える。

 そんな彼女に、リトが優しく微笑んだ。

 

「そうそう。だから、悩むことがあったら、さっき龍生に相談したように、1人で抱え込まないで、誰かに話すと良いかも。きっと自分には無い答えが返ってくることもあると思うからさ。それこそ美柑とか良いんじゃないかな? ヤミは1人じゃないんだから……あ、ごめん、偉そうなこと言っちゃって」

 

「いえ、参考になりました。ありがとうございます、結城リト……と北風龍生」

 

 俺はオマケなのね、と苦笑するも、先ほどとは違い、どこかモヤが晴れたような表情に見える。

 流石はリトさんだと、少し複雑に思いながらも、感嘆の声を心に放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食卓に並べられた料理の数々は、想像以上に豪華だった。

 テーブルを埋め尽くすように、唐揚げ、ハンバーグ、焼き魚、色とりどりの野菜の皿が並び、湯気が立ち昇る味噌汁が食欲をそそる。

 

 ──これは果たして食べきれるのだろうか?

 

 龍生はちらりとリトを見る。

 二人とも、先ほどヤミに食べさせられたたい焼きのせいで、既に胃の中は結構満たされている。

 しかし、目の前の料理を見れば、そんなことを忘れてしまいそうだった。

 

 特に待ちきれない様子を見せているのは、ララとナナだった。

 

「うわー! いっぱい作ったねー! 早く食べよう!」

 

「あっ、姉上! 抜け駆けはずるいって!」

 

 ララは弾けるような笑顔を浮かべ、子供のように無邪気に席に着く。

 その後を追うように、ナナも慌てて椅子を引いた。

 

 龍生も苦笑しつつ、端の席に腰を下ろす。

 すると、タイミングを見計らったかのように、モモが隣に座ってきた。

 

 ──まるで当然のように、自然な動作で。

 

 皆が席についたことで、全員が手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 龍生は箸を伸ばし、唐揚げをつまむ。

 一口かじると、サクッと軽やかな衣が砕け、じゅわっと肉汁が口の中に広がった。

 表面は香ばしくカリッとしているが、中は驚くほどジューシー。さらに、下味がしっかりと染み込んでおり、噛みしめるたびに濃厚な旨みが口の中に溶けていく。

 

 ──これは、めちゃくちゃ美味い。

 

「これ、モモが作っただろ?」

 

 思わず口をついた言葉に、隣の少女は嬉しそうに微笑んだ

 

「うふふ、はい! 愛情たっぷり込めました♡」

 

 にこりとウインクを添えながら、満面の笑みを浮かべるモモ。

 その笑顔に、不覚にも胸がドキリと跳ねた。

 

「……まあ、その、ありがとう」

 

 唐突に訪れた気恥ずかしさに、龍生は視線をそらしながら礼を言った。

 すると、向かいに座る美柑が、興味深げに頬杖をつきながら、にやりと微笑んだ。

 

「ふうん、龍兄モモさんの味付けわかるんだあ……へぇ」

 

「おい美柑。何だその含み笑いは」

 

「別にぃ〜」

 

 美柑の意味ありげな笑みに警戒していると、さらに追い打ちをかけるように、モモが身を乗り出してきた。

 

「じゃあ、この味噌汁はどっちが作ったと思いますか?」

 

「ふふっ、わかるかなぁ?」

 

「何でお前まで乗り気なんだよ……」

 

 究極の2択を迫られ、途端に妙な緊張感に苛まれた。

 次第に事の行方をじーっと他の者からも見つめられ、最早逃げる事は許さないと退路を絶たれる。

 渋々龍生は、味噌汁の入った木製のお椀を手に取った。

 周りから見つめられて味噌汁を飲むなど、一体どんな羞恥プレイだと言うのだろうか。

 込み上げてくる恥ずかしさを感じながら、龍生はお椀に口をつけて一口口に含んだ。

 

 ほんのり甘く、深みのある味噌の風味が広がる。

 身体の芯までじんわりと温められるような、優しい味。

 その瞬間、脳裏に浮かんだのは、モモとの食卓の記憶だった。

 

 ──愛情たっぷり込めました♡

 

 料理の技術的な違いはわからない。

 けれど、この味噌汁には、どこか特別な温かさを感じる。

 理屈ではなく、心が反応した。

 

 ──答えは、もうわかっていた。

 

「モモであってる?」

 

「はい! 正解です♡」

 

 モモは嬉しそうに両手を合わせて、喜びを露わにする。

 その姿を見て、美柑が驚いたように声を上げた。

 

「おお、凄い! 味だけでわかっちゃうんだ」

 

 彼はどちらかと言うと心で味を受け取っただけだが、正解できたことに少しホッとする。が、

 

「なんか、どっちにしても居心地悪いんですけど……」

 

 周囲からの温かい目線に耐えきれず、龍生は頭を抱えた。

 何とか話題転換を試みるために斜め右に座るリトを見遣った──その時だった。

 

 異変に気づいた。

 

 彼の目の前にある木製のお椀。

 そこに浮かんでいたのは……たい焼きがぶっ刺さった、あんこ入り味噌汁。

 

 (……な、何だあれ)

 

 思わず顔が引き攣る。

 見ているだけで、胸焼けしそうな代物だった。真っ青な顔で座っている事に気づいた。

 

 「も、モモ……あれは何だ」

 

 小声で尋ねると、モモも申し訳なさそうに答えた。

 

「ええっと、ヤミさんがリトさんに料理を振る舞ったそうで……その、毒は入ってないと思うんですけど……」

 

「……いや、毒の問題じゃなくて、ビジュアルが……」

 

 龍生がそう呟くのをよそに、リトは意を決したようにお椀を手に取った。

 ヤミの視線を感じ、逆らえないと悟ったのかもしれない。

 彼は、震える手でスープをすする。

 

 ──その瞬間、動きが止まった。

 

 時間が凍りつく。

 しかし、次の瞬間、彼は何かを悟ったように、一気に飲み干した。舌が味を感じる前に、一気に流し込んでしまう作戦に出たのだろう。

 ヤミがじっと見つめる中、リトは口元にたい焼きの尻尾をぶら下げたまま、無理やり頷く。

 

「……お、美味しい、よ……?」

 

 魂が抜けたような表情だったが、彼の必死の頷きに、ヤミは満足げに頷いた。

 

「そうですか。それは良かったです」

 

 龍生は、心の中で彼の健闘を讃えながら、ふっと息を吐いた。

 そんな一連の流れを眺めていた龍生が、モモに小言で質問する。

 

「そういえば、何でヤミが料理しようなんてなったの?」

 

「ヤミさんが美柑さんに文化について質問した際に、お料理をお勧めしたら、リトさんにお料理を作る流れになりまして」

 

「なるほど」

 

「ただ、ヤミさん。随分熱心に作ってたので、もしかしたら思ってたよりもリトさんに惹かれてるのかも知れないですね♡」

 

 確かにここにいる全員に振る舞うわけではなく、リトだけに手料理を振る舞うなど、昔のヤミならあり得ない光景だ。

 これはリトへの恋心を自覚するのも、そう遠くはないだろう。

 そんな心を見透かしたのか、美柑がヤミに絶妙なアシストを促した。

 

「そういえば、ヤミさん。文化を学ぶのなら、モモさん達みたいに転入したらどう?」

 

「転入?」

 

「そうそう。日本の学生生活も立派な文化だし。高校なら特に修学旅行とか色々楽しいと思うよ」

 

 美柑の提案に、龍生とモモはニヤリと黒い笑みを交わした。

 

「確かに高校生活はいいかも知れないな。いろんな体験できて、きっと将来大きな財産になると思う」

 

「そうですよ! 私たちでフォローしますし!」

 

「お、良いじゃん! ヤミも転入しなよ! トモダチもできるし!」

 

「……そうですね。考えておきます」

 

 打算的な2人とは裏腹に、純粋な周りの声に耳を傾けるヤミ。最早そう遠くない未来になることを悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食を終え、ゲームをして過ごしていると、気づけば時刻は10時を回っていた。

 流石にそろそろお暇しようと、龍生とモモは結城家を後にした。

 夜風が涼しく、賑やかだった商店街も、今は静まり返っている。時折、街灯の下を虫が舞い、遠くではひぐらしの鳴き声が響く。モモと並んで歩きながら、龍生は今日あった出来事を振り返っていた。

 

「なるほど。そんな事を」

 

「ああ。ちょっと意外だった。ゴリ押しすれば、案外その可能性も見えてきたんだけど、まだララさんと西蓮寺先輩だけだもんなあ。他にもルンやナナや古手川先輩だっているし」

 

「ヤミさんもお忘れではないですか?」

 

「ああ、確かに」

 

 神妙に龍生は頷く。

 

「まさかリトさんの為に料理したりするなんて意外だったよ」

 

「うふふ、どんどんリトさんのハーレムが増えますね♡」

 

「……その分苦労しそうだな」

 

 リトがこれから背負うであろう未来を想像し、思わずげんなりする龍生。

 モモはそんな彼を見て、くすっと可憐な笑みをこぼした。

 恐らく胃に穴が開くような苦労が待ってることだろう。

 だがそれも自分で決めたこと。

 何もしないよりはいい。

 そんな楽園(ハーレム)計画に思考が苛まれた時、それに呼応するように、心の地底にあった感情が湧き上がってくる。

 

「なあ、モモ」

 

「? どうかされました?」

 

 ふと、言葉を発したものの、どう切り出せばいいのか分からない。言葉が喉元で詰まり、龍生は無意識のうちに足を止めていた。

 モモが心配そうに立ち止まり、こちらを覗き込む。

 

「りゅ、龍生さん?」

 

「い、いや、その……なんだ」

 

 急な気恥ずかしさが込み上げ、龍生は視線を泳がせた。

 けれど、心の奥で燻る感情が、どうしても彼を後押しする。

 

「モモは、その……リトさんの側室に加わるの?」

 

「へっ?」

 

 モモは目を瞬かせ、驚いたように龍生を見つめる。

 余程のことだったのか、彼女の思考が数秒ほど止まる。

 

 ──しまった。言わなきゃよかったか?

 

 後悔の波が押し寄せるのと同時に、モモの表情が変わった。

 彼女の唇に、どこか悪戯めいた微笑みが浮かぶ。

 

「ふふっ、もしかして、ヤキモチを焼いてくれたんですか?」

 

「なっ!? べ、別にそんなじゃねえよ!」

 

 動揺した龍生が、慌てて顔を背ける。

 

「ホントですかぁ?」

 

「ほ、ホントだっての!」

 

 ぷいっとそっぽを向く彼に、モモはくすくすと可憐な笑顔をこぼした。

 

 ──彼の動揺が、何よりの答えだと分かっているのに。

 

 しかし、モモはすぐに真剣な表情へと戻る。

 

「昔、美柑さんに料理のコツを教わったことがあるんです」

 

「りょ、料理のコツ?」

 

 急な発言に戸惑いながら問い掛ければ、「はい」とモモは頷いた。

 闇のさなかに、油を塗ったような満天の星が光る空を眺めながら、モモは言葉を続けた。

 

「料理は、相手のことを想って作るのが、一番美味しく作れるコツなんだそうです」

 

「……相手のことを、想って?」

 

「ええ。当時はあまり理解できなかったんですけど、毎日作るうちに、その意味がようやくわかってきました」

 

 ──相手のことを想う。

 

 その言葉が、じんわりと心の奥に染み込んでいく。

 

 モモはゆっくりと龍生の方を向く。

 大きな紫色の瞳が、夜の闇の中で輝いていた。

 

 ──その視線に吸い込まれそうになる。

 

 時間が止まったような錯覚を覚える。

 周囲の音が消え、世界が二人だけになったような気がした。

 

「確かにリトさんは、お優しくて、とても素敵な方なんだと思います。お姉様たちが恋焦がれてしまうのも納得です」

 

 静かに、けれどはっきりとした口調で、モモは言う。

 

「──ですが、私は、不器用ながらにいつも周りのことを気にかけて、誰よりも優しく、頼もしい殿方を他に知っていますから」

 

 夏の風が彼女に優しく吹きかける。

 耳元で靡く髪を押さえながら、彼女は可愛らしくはにかんでみせた。

 

「もし私が楽園(ハーレム)に加わるとしたら──その方に捧げると思います」

 

 一語一句丁寧に紡がれた言霊は、まるで魔法のように心の奥底までじんわりと温めて染み渡る。

 先ほど抱えていたモヤモヤは、この雲ひとつない星空のように澄み渡っていた。

 

「さ、さあ、帰りましょうか!」

 

 彼女は特定の名前を言ったわけではない。

 それでも、彼女から自分に宛てられた小さな想いの手紙は、封を切らずともわかる優しく温かいメッセージに感じた。

 モモは軽くスカートを翻し、まるで、何事もなかったかのようにしようとする。その背中を見つめながら、龍生は小さくため息をついた。

 

「……はあ。ホント、参ったな」

 

 胸の奥が熱い。

 どこか、くすぐったいような、くすぶるような気持ちが渦を巻く。

 

 ──これは、何なんだろう。

 

 感情の整理がつかぬまま、モモの後を追い、龍生は夜の静寂に包まれた道を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼下に広がる街の夜景を見下ろしていた。街はまるで平板な鋳型に流し込まれたどろどろした光のように見える。あるいは巨大な蛾が金粉を撒きちらした後のようにも見える。

 

「聞いてください、マスター」

 

 深い闇の中、ここにいるのは自分だけ。付近に人の気配はない。必然的に返事など返って来るはずもない。

 それを微塵も気にした様子もなく、淡々とした瞳に街の景色を映しながら、少女は言葉を続けた。

 

「私、初めてトモダチができたんですよ。素敵でしょ?」

 

『……まさかお前までぬるい生活で本来の目的を忘れてはいないだろうな──メア』

 

 漆黒の一羽の鳥が現れる。途端に空気が変わった。

 どことなくピリピリしていて、ちょっと力を入れて蹴とばしさえすれば大抵のものはあっけなく崩れ去りそうに思えた。

 じんわりと少女の背中に冷や汗が流れる。

 おちゃらけたまま、少女は言葉を発した。

 

「ふふっ、まさか。ちゃーんと、覚えてますよぉ──ヤミお姉ちゃんを元に戻す。そうでしょ?」

 

『そうだ。今の金色の闇では私の目的を果たす役には立たない。本来の彼女の姿に戻ってもらう必要がある。そのための方法は一つ──』

 

 

 ──金色の闇自身による結城リトの抹殺。

 

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