桃色と女の園   作:yuykimaze

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6話

 

 

 眩しい午後の陽光がカフェテラスを包み込み、柔らかく降り注いでいる。

 季節は初夏に差し掛かり、心地よい風が通り抜ける中、美柑とヤミはテーブルを挟んで向かい合っていた。

 美柑の目の前には、3段重ねの巨大アイスクリーム。

 チョコレートソースやホイップクリーム、カラフルなトッピングが散りばめられ、もはや原型を留めていないほどに飾り立てられている。

 

「ん〜っ、美味しい! やっぱここのアイスは最高だねえ。この芳醇な味わいとサッパリした後味が」

 

「そうですか」

 

 スプーンを口に運びながら、美柑は目を輝かせている。

 まるでグルメリポーターのように、饒舌にアイスの魅力を語る姿に、ヤミは小さく微笑みながらアイスを一口舐めた。

 

「どう? 美味しい?」

 

「美柑と一緒なら何を食べても美味しいです」

 

「もう、ヤミさん大袈裟」

 

 ヤミの言葉に頬を少し赤らめながら、美柑は照れ隠しのように再びアイスにかじりついた。

 アイスの冷たさが、熱を持った頬をひんやりと冷ましてくれる。

 ふと、思い出したように、美柑はヤミに問いかける。

 

「そう言えば、ヤミさん。学校の方はどう?」

 

「どう、とは?」

 

「友達とかできたのかなって」

 

 ヤミは少し考えた後、淡々と答えた。

 

「いえ、トモダチは美柑がいれば十分です」

 

「もう、ヤミさん。それは嬉しいけど、ちゃんと友達とか作るんだよ? せっかく高校に通ってるんだし」

 

「はい。善処します」

 

 その返事を聞きながらも、美柑は苦笑する。

 ──きっと彼女は、友達作りなどしないだろう。

 それがヤミという存在なのだ。

 

「ヤミさん妙なところで頑固だからなぁ……」

 

 呆れたように言いながらも、美柑の声には優しさが滲んでいる。無表情のままアイスを食べ続けるヤミを見つめながら、彼女は微笑んだ。

 

 ──今日は久しぶりに、ヤミとショッピングを楽しんだ。

 

 プリクラを撮ったり、クレープを食べたり。

 他愛のないことで笑い合い、普段よりもずっとはしゃいでしまった。

 

 ──それが、あまりにも楽しくて。

 

 美柑は、今日という日が永遠に続いてほしいと、心から願った。

 

「ずっとこんな日々が続けば良いのにね」

 

「……そうですね」

 

 ぽつりと、無意識のうちに漏れた本音。

 だが、ヤミの声音にはどこか迷いがある。

 

(──ヤミさん、最近何か悩んでるのかな……)

 

 以前から薄々気づいてはいた。

 何かを抱えているような気がして、だからこそ、美柑は転入することを勧めたのだ。

 だが、ヤミはそれを打ち明けようとしない。

 

 ──きっと、気を遣ってくれているのだろう。

 

 だからこそ、美柑は自分にできることをしたかった。

 

「ヤミさん」

 

「はい」

 

「私はいつでもヤミさんの味方だから。もし、ヤミさんが困ってることがあったら、私何でも協力するから! あまり1人で抱え込まないでね?」

 

 真っ直ぐな眼差しで伝えた言葉に、ヤミの金色の瞳がかすかに揺れる。

 

「……どうして分かるんですか?」

 

「うーん、ナイショ!」

 

「……なんですかそれは」

 

 困ったように眉をひそめながらも、ヤミはどこか嬉しそうだった。

 美柑には、何も隠せない。

 そのことに、少しお手上げのような気持ちと、心の奥がじんわり温まる感覚を覚えた。

 そんなヤミを見つめながら、美柑は「そうだ!」と思い出したように声を弾ませた。

 

「ねえ、ヤミさん。これ、あげる!」

 

 そう言って、買い物袋の中から小さな袋を取り出し、ヤミに手渡す。

 

「これは?」

 

「たい焼きのストラップだよ!」

 

 ヤミはまじまじと手のひらの上のストラップを見つめる。

 たい焼きの形をした可愛らしいキーホルダー。

 そして、美柑はもう一つの袋を取り出し、ニッと笑った。

 

「ジャーン! お揃いだよ!」

 

 悪戯が成功したような無邪気な美柑の笑顔に、ヤミの胸の中に、あたたかい灯りがともったような気がした。

 貰ったストラップを大事そうに胸元に近づける。

 

「ありがとう、蜜柑」

 

「ううん、これが初めてのお揃いだね!」

 

「はい!」

 

 ヤミは、もらったストラップを大切そうに胸元に近づける。

 

 ──手放したくないものが、また一つ増えた。

 

 美柑と過ごす時間は、ヤミにとって日常の中の宝物になっていた。美柑といるだけで、世界が色づいて見える。

 このまま、ずっとこんな日々が続けばいいのに。

 そう願わずにはいられなかった。

 まるで姉妹のような柔らかい雰囲気の彼女達を、電柱に止まった一羽の鳥が見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──一体何が起きている。

 

 ひぐらしの鳴く声にうながされ、オレンジ色に染まった薄い雲の中。

 目の前の出来事を俄かに信じきれず、アゼンダは呆然と眼下の光景に立ち尽くしていた。

 金色の闇。

 復讐すべき相手として、幾度となく彼女の痕跡を辿った。親の仇に巡り合うみたいに必死に探し回った。

 そうして漸く、彼女の情報をキャッチした。

 地球という辺鄙な星であっても、こうして目的を果たす為に来た。わざわざメッセージまで残してやった。それなのに──

 

「ヤミさん。はいこれ。あーん」

 

「じ、自分で食べれます」 

 

「良いじゃん! はい、ヤミさん!」

 

「……はむ」

 

「どう? 美味しい?」

 

「はい。ただ……少し恥ずかしいです」

 

「ふふっ、可愛い、ヤミさん」

 

 彼女は殺戮兵器だ。

 まるで生物を殺す事を躊躇わない、心の底に氷のような冷たさがある冷徹な雰囲気。眼差し。無機質な声。

 一度たりとも忘れたことはない。

 まるで映画の抽象的なシーンのみたいに繰り返し繰り返し彼女の頭に浮かんでくる。

 だからこそ。

 

「な、なぜ……」

 

 眼下に映るのは、目を逸らしながら恥じらう少女の姿。それは側から見ても、そこら辺にいる、有りふれた地球人となんら変わらない。

 彼女の表情は乏しくとも、この上なく雰囲気が優しい。観音様みたいに白くて優しく、溶けてしまいそうに甘い。

 殺し屋であった以前の面影など、微塵もなかった。

 あまりの光景に、アゼンダは発するべき言葉が浮かばず、口をぱくぱくと動かすだけだった。

 そんな心情を察するように、1羽の烏が何の前触れもなく肩に現れる。

 

『驚いたろう?』

 

「どうなっている……あれが、金色の闇だと?」

 

『そうだ。生温い環境に身を置いた、彼女の成れの果てだ』

 

「……ふざけるなっ!」

 

 現実とのギャップに、苛立った憤りがじりじりと胸の奥に食い込む。

 

「何の為に……ここまできたと思っている……っ、私がどれほど屈辱を味わいっ、生きてきたと思っている──っ!!」

 

 やるせない込み上げてくる怒りに、激しい怒声を発した。

 

『そう怒るな、アゼンダ』

 

 くくく、と烏が嗤うように喉を鳴らす。

 

『なら、貴様が、奴の闇を呼び覚ませば良い』

 

「……なに?」

 

『見ての通り、ヤツは生温い環境に腑抜けている。だが、殺し屋としての心は沈んでいるに過ぎん。ヤツの奥底は根本的に闇。ならそれを引き出して──殺せば良い』

 

「……引き出して、殺す」

 

『そうだ。ヤツの闇を引き出して、今度こそ完膚なきまでに叩き潰せば良い』

 

「……」

 

 生物の言葉が、自然と頭の中にするりと入ってくる。それは暗黒な前途を照らす光明のようだった。

 

「良いだろう。貴様の話に乗ってやる」

 

 応えることはなく烏の姿は消えた。

 アゼンダはヤミと共にいる少女を見つめ、ニヤリと唇を釣り上げる。

 切羽詰まった絶望感が、爆発的な殺意に変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、マスター。彼女、大丈夫なの?」

 

 メアは、つい今し方までそこにいたアゼンダの背中を見送った後、小さく息を吐きながら呟いた。気がつけば、その言葉は彼女自身の胸の奥にも引っかかっていた。

 アゼンダの行く末に不安を抱く──それ自体、これまでの自分にはあり得ない感情だった。

 そんなメアの迷いを見透かすように、冷ややかな声が響く。

 

『仮にも名を馳せた殺し屋だ。何かしらの成果は得られるだろう』

 

 メアは無意識に肩をすくめ、唇を噛んだ。

 

「ふうん。名を馳せた殺し屋ねえ」

 

 どこか他人事のように言葉を返しながらも、メアの中にわずかな違和感が残った。

 確かに、アゼンダは銀河でその名を馳せた暗殺者だ。しかし、何人もの暗殺者を見てきたメアにとっては、そこまで彼女が「歴戦の強者」であるとは思えなかった。技術は確かにあるのだろうが、経験の深みが足りない気がする──そんな印象を抱いた。

 マスター自身も、それを分かっているからこそ「捨て駒」だと評しているのだろう。

 

 だが……。

 

 もし、仮にヤミが彼女に敗北する未来があるとしたら?

 

 ──そのとき、ナナや美柑は悲しむだろうか。

 

 無意識のうちに、メアはベンチの方へと視線を向けた。そこでは、美柑とヤミが何か楽しそうに話しながら、戯れるようにじゃれ合っている。

 ふと、胸の奥がちくりと痛む。

 

「ヤミお姉ちゃんが死んじゃったら……ナナちゃんたちは悲しむのかな」

 

 ぽつりと零れた言葉に、自分で驚いた。

 

 なぜ、自分はそんなことを考えているのだろう?

 

 ヤミが死ぬ未来──それを想像したとき、自分がどんな気持ちになるのか、はっきりとは分からなかった。ただ、目の前で屈託のない笑顔を見せる彼女の姿を見ていると、そんな未来が来ることが、何となく耐え難いものに思えた。

 

(……私は、何を考えているんだろう)

 

 メアは、少し首を振る。余計なことを考えるな、と自分に言い聞かせるように。

 そのとき──

 

 ──へぇ、メアって言うのか。ヨロシクな! 

 

 脳裏に、不意に浮かび上がる記憶。

 無邪気な笑顔。屈託のない声色。まるで太陽のように眩しくて、温かい存在。

 

(……あの温かさに触れて、変わった彼女を羨ましいと思ったの?)

 

 それとも、自分が生温い生活に当てられすぎた弊害なのか。

 ほんの一瞬の間に、そんな考えが次々と頭をよぎる。けれど、それらの思考は、まるで霧が晴れるようにすぐに消え去っていった。

 そんなメアの思考はすぐに霧散した。

 

『──メア。貴様も生温い感情を持ったのか?』

 

 マスターの声が、静かに、しかし鋭く響いた。

 メアは息を呑む。

 ただの音のはずなのに、まるで冷たい手で首を締められたような圧迫感を覚える。心臓が小さく脈打ち、無意識に汗がにじむのを感じた。

 

「う、ううん。ただ何となく気になっただけ」

 

 できるだけ自然な声を装いながら、ゆっくりと首を横に振る。

 

 背中に嫌な汗が伝う。マスターは、どこまで見抜いているのか。

 

『そうか。目的を忘れるなよ?』

 

 冷徹な声は、警告のように耳の奥に焼き付いた。

 

「うん! 分かってるよ」

 

 明るく、何の疑念もないような声で答える。

 

 ──それでいい。

 

 メアは自分に言い聞かせるように、短く息を吐いた。

 

 その瞬間、気配がふっと消えた。

 いつの間にか、そばにいたはずの烏は影のように掻き消えていた。まるで、はじめからそこには存在していなかったかのように。

 メアは小さく息をつき、思わず苦笑する。

 毎度ながらの神出鬼没さ。まるで、マスターそのものが闇に溶ける存在であるかのようだ。

 そっと目を閉じると、風が頬を撫でる。

 

 ──マスターは、私の変化を感じ取っているのだろうか。

 

 それとも、これは単なる偶然のやり取りだったのか。

 どちらにせよ、彼の「疑念」は一度生まれれば決して消えない。メアはそれを理解していた。

 

 ならば、私はどうすればいい?

 ヤミのように、誰かに愛されることを望むのか?

 それとも──

 メアは、静かに目を開ける。

 遠く、夜の帳が静かに広がる。微かな月明かりがプールサイドを照らし、波紋のように光が揺れていた。

 

「さて、貴方はどう動くのかしら……龍生くん」

 

 誰に聞かせるでもなく、そっと呟く。

 その言葉は、闇に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕飯の追加の買い出しに出かけた美柑の帰りが遅い。

 陽はすでに沈み、街は闇に包まれ始めていた。リトは、胸の奥に不穏なざわめきを感じながら、ヤミと共に美柑が向かったであろうスーパーの方へと歩いていた。

 スマホを握りしめたまま、龍生にもメッセージを送ったが、返信はない。一体どこをほっつき歩いているのか。リトの心配は膨らむばかりだった。隣を歩くヤミも、普段の冷静な表情の奥に、わずかに影を落としている。

 

「美柑、いないですね」

 

「そうだね……き、きっと、龍生のところにいるのかもしれないな。もしくは親父のところに」

 

「そうですか」

 

 以前も似たようなことがあったからそうヤミに励ましを入れるリトだが、まるで自分にも言い聞かせているようだった。

 30分前に一度着信があり、リトは電話に出れなかった。

 着信は美柑からだった。

 コール時間は着信限界時間の90秒。リトは余計な金のかかる留守番電話サービスには加入していないし、携帯電話本体の伝言メモ機能にも、メッセージは吹き込まれていない。

 美柑はこちらが電話に出られない状態である場合には、メールで必ず連絡するはずだ。

 そんな彼女が限界時間まで発信を続けたというのは明らかに異常自体というべきだろう。

 何度も連絡しても、彼女は呼びかけには応じない。

 益々不安は募る一方だった。

 

「美柑……」

 

 何か彼女は良からぬ事に巻き込まれているのだろうか。

 そんな不安から思わず言葉がこぼれる。

 その時だった。

 

「!!」

 

 ヤミは明確な殺気に顔をあげる。

 地球だろうが鍛えられた勘というものはなかなか衰えるものではない。こと、命に関わることでは。

 だから突如としてその黒い人影が、殺気を放出しつつヤミめがけて日本人ではあり得ない速度で間合いを詰めて来た時、すぐに身構えることができた。

 リトを地面に叩きつける。

 髪の毛をトランスで拳に変えて、人影に向けて振るった。

 ソイツは拳をまともに受けるが、後方にあった電柱の柱に軽やかに着地する。

 

「ちょっ!?」

 

 リトの視界いっぱいにヤミのスカートの中が映り込んだが、そんなことを気にする余裕はなかった。

 

 ──次の瞬間、鋭い音を立てて何かが空を裂いた。

 

 ヤミは即座に反応し、再びトランスした髪を盾にする。

 

 キィィン!

 

 衝撃がぶつかり合い、火花が散る。

 それは、しなやかに振るわれたムチだった。

 ヤミは瞬時に後方へ跳躍し、リトを抱えて安全な位置へと移動する。

 優しく彼を地面に降ろし、視線を敵へ向けた。

 

「暴虐のアゼンダ……」

 

 月光が差し込み、暗闇の中から姿を現す。

 

 赤銅色の肌。

 長い銀髪。

 豊満な肢体。

 

 ニヤリと唇を歪めるその顔には、邪悪な愉悦が滲んでいた。

 

「嬉しいねぇ……まさか覚えててくれるとは。これで心置きなく貴様に報復できそうだ」

 

 リトの背筋に冷たいものが走る。

 

「アイツは……」

 

 問いかけるリトに、ヤミが静かに答える。

 

「以前倒した殺し屋です。高速のムチとサイコキネシスの使い手です」

 

「お静ちゃんみたいな?」

 

「はい。しかし村雨静ほど強力じゃない。ムチでの攻撃が彼女の戦法──トランス能力の敵ではありません」

 

 クックックっとアゼンダが愉快そうに笑う。

 

「確かに私のサイコキネシスは強力ではない。ただね──」

 

 くいくいっと人差し指を動かす。

 

 ──その瞬間、空気が凍りついた。

 

 暗闇の奥から、もうひとつの影がゆっくりと浮かび上がる。

 ヤミとリトの視線が、その場に釘付けになる。

 

「美柑……っ」

 

 そこにいたのは──宙に浮かぶ美柑だった。

 目を閉じ、意識を失ったまま、まるで操り人形のように漂っている。

 ヤミの目が、大きく見開かれる。

 

「そんな……!」

 

 見たところ、直接的な危害は加えられていないようだ。

 だが、彼女の小さな身体は、まるで重力を無視するかのように浮遊している。

 

 ──サイコキネシス。

 

 地球人である美柑が、自力で宙に浮かぶはずがない。

 つまり、アゼンダの能力によって、完全に操られているのだ。

 リトの拳が、無意識に震える。

 

「美柑………!」

 

 ヤミの驚愕と絶望を湛えた瞳に、アゼンダは暗い笑みを浮かべる。

 

「意識のない地球人をマリオネットにするのは簡単でね……」

 

 その声は、ひどく愉悦に満ちていた。

 アゼンダは、ゆっくりと微笑む。

 

「──さあ、復讐を始めようか。」

 

 不吉な言葉が、静寂の夜に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リトからのメッセージを読み取ってから龍生は一応折り返して電話を入れるが、30秒ほどで留守番電対応の電子メッセージが流れて来た。

 2度、3度と繰り返すが結果は同じ。

 不安に駆られて今度は、ザスティンの番号を呼び出し電話をかける。

 数コールの後に、やはり留守番電話の対応が響き、龍生は舌打ちしながら電話を切った。

 

「くそっ!」

 

 苛立ちと焦りが入り混じり、思わず舌打ちをする。

 リトだけでなく、美柑の消息もつかめない。何かが起きている──確実に、普通の状況じゃない。

 ザスティンが使えないのは予想していたが、まさかここまで繋がらないとは……。恐らく、リトも何らかの形で巻き込まれているのだろう。

 とにかく、じっとしている場合じゃない。

 直接探しに行くしかない。

 だが、手がかりがない。場所の特定もできていない。ただ闇雲に走り回るのは無駄かもしれないが、動かないよりはマシだ。

 龍生は素早く周囲を見渡し──ふと、掃除用具が詰め込まれた押入れに目を留めた。

 

「何も持ってかないよりかはマシだろ……」

 

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 リトからのメッセージを読み取ると、龍生はすぐに折り返しの電話をかけた。

 

 しかし、30秒ほどコールが続いた後、無機質な電子音が流れ、留守番電話に繋がった。

 

 「……出ないのかよ」

 

 眉をひそめながら、再び発信する。

 2度、3度と繰り返すも、結果は同じ。

 嫌な予感が膨らんでいく。

 次に、ザスティンの番号を呼び出し、発信ボタンを押す。

 数コールの後──またしても留守番電話。

 

「くそっ!」

 

 舌打ちとともに、電話を乱暴に切る。

 ますます悪い予感が募る。

 恐らく、リトも何らかのトラブルに巻き込まれているのだろう。

 ザスティンは、リトの父親の仕事の手伝いでもしているのかもしれないが……こういう時に限って全く役に立たない。

 龍生は苛立ち混じりに息を吐く。

 場所は特定できていないが、街を走れば何か掴めるかもしれない。

 素早く部屋を見渡し、目に留まったのは掃除用具が詰まった押入れ。

 

「……何も持たないよりはマシだろ」

 

 そこから、モップを手に取る。

 その瞬間。

 

「りゅ、龍生さん? こんな時間に床掃除ですか?」

 

 不思議そうな声が背後から響く。

 振り返ると、そこにはパジャマ姿のモモ。恐らくシャワーを浴びたばかりなのだろう。少し濡れた髪が肩にかかり、ほのかに石鹸の香りが漂ってくる。

 無防備すぎる姿に、思わず心臓が跳ねた。

 

(……慣れねぇな、こういうのは)

 

 苦笑しつつ、龍生はモップを握りしめたまま、くるりと踵を返す。

 

「……ああ、まあその、ちょっと出てくるわ」

 

「ええっ? も、モップを持ってですか?」

 

 龍生は一瞬言葉に詰まるが、すぐに真面目腐って答えた。

 

「邪魔者を掃除しに行ってくる」

「邪魔者……それって龍生さん……あ、ちょっと龍生さん!」

 

 モモの問い詰めを振り切り、龍生は玄関へと駆け出す。

 

 ドンッ!!

 

 勢いよくドアを開け、親の許可も取らずにママチャリに飛び乗った。

 しばらく乗っていないが──まぁ、なんとかなるだろう。

 ペダルを踏み込むと、錆びついたチェーンがギシリと悲鳴を上げる。しかし、龍生の燃え上がる闘志に応えるかのように、ママチャリは勢いよく走り出した。

 まるで古の騎馬兵のようにモップを構え、警察に見咎められないよう裏道を走りながら疾走し始めたのだった。

 

「待ってろ、美柑っ……ん? あ、あれ、ちょっと待て……ぶ、ブレーキが……っ」

 

 ギャアアアアッ!!

 

 前輪が悲鳴を上げ、ママチャリが暴走を始める。

 街灯の明かりが流れる。風が全身を叩きつける。

 そして、龍生の絶叫が、夜の街に響き渡った──。

 

 

 

 

 美柑が拳を固めて、一直線にヤミへと振りかざす。しかし、その拳は空を切った。ヤミはわずかに身をひねり、その軌道から外れる。さらに、美柑は勢いに任せるように次の一撃を繰り出したが、それもまた躱された。

 その攻撃の一つひとつは、確かに力強い。だが、そこにかつて見せたような美柑の理知的な動きはない。ただ暴力的に振るわれる拳。まるで感情のない人形のように、ただ殴ることだけが目的になっている。ヤミでなくとも、この単調な攻撃なら容易く避けられるだろう。

 ヤミは軽やかに後ろへとステップを刻みながら、大振りのパンチを躱し続ける。その間にも位置が入れ替わっていく。

 

「おいおい、どうした、ただ避けるだけか?」

 

 挑発するような言葉を投げかけられても、ヤミは応じない。ただ、美柑の動きを注視する。

 本当ならば、反撃の一手を加えるべきなのかもしれない。しかし、彼女に攻撃を加えれば、美柑の身体が傷ついてしまう。それだけは避けたかった。操られているとはいえ、目の前にいるのはリトの大切な妹であり、彼女にとってもかけがえのない存在なのだから。

 しかし、このまま防戦一方ではいずれ消耗し、動けなくなるのも時間の問題だった。

 美柑はアゼンダのサイコキネシスで操られている。彼女を気絶させたところで、能力が解除されない限り、また立ち上がり襲いかかってくるだろう。彼女を無力化したところで、根本的な解決にはならない。

 

 ならば――。

 

 ヤミは決意を固め、後方へと跳躍する。そして、美柑との距離を一気に広げると、地面を蹴り、アゼンダめがけて一直線に駆けた。

 風を切り裂く音が響く。金髪が拳の形へと変化し、彼女の意識を刈り取るには十分なほどの威力が込められていた。これで決着をつける。

 そう思った瞬間だった。

 

「っ!」

 

 ヤミは息を呑んだ。

 拳を放とうとした、その直前。アゼンダの前に、美柑が割り込んでいた。

 両腕を広げ、必死にアゼンダを庇うような姿勢。

 当然だ。アゼンダ自身、自分の弱点は理解していた。ヤミが彼女を狙うのは予測済みだったのだろう。そして、何よりヤミ自身がその光景に手を止めることも――。

 アゼンダはその様子を見て、苛立ちをあらわにした。

 

「……なに拳を止めてんだよ──っ!!」

 

「っ!?」

 

 叫ぶと同時に、彼女の手にしたムチが振り下ろされた。

 間合いを詰めすぎたヤミは、避ける暇もなく直撃を受ける。

 鋭い一撃が肩口を打ち、その痛みに思わず顔を歪める。続けざまに振るわれるムチ。ヤミの身体のあちこちに傷が刻まれ、衣類が裂けていく。その瞬間――

 

 小さな物体が宙を舞った。

 

 ──これが初めてのお揃いだね!

 

 美柑からもらったたい焼きのストラップ。

 その記憶が脳裏に蘇った瞬間、ヤミは戦闘の最中にもかかわらず、反射的に跳躍した。

 地面へと落ちていくストラップに向かい、手を伸ばす。

 

 ――しかし。

 

「がはっ!?」

 

 その隙を見逃さなかった美柑の膝が、ヤミの鳩尾に深く突き刺さった。

 瞬間、呼吸ができなくなる。

 内臓が圧迫され、胃液が込み上げてくる。そのまま地面へと倒れ込んだヤミの目の前で、ストラップが無情にも地に落ちる。まるで、二人の運命を憂うかのように。

 

「そんなにお友達が大事ってわけかい……」

 

 アゼンダはため息をつきながら、冷たく吐き捨てた。

 その視線の先には、美柑。

 変わり果てた元凶。

 

 ――なら、貴様が、奴の闇を呼び覚ませば良い。

 

 もし、この少女が消えてしまえば、ヤミはあの頃のように戻るのではないか。

 そんな考えが、アゼンダの脳裏をよぎる。

 そして、その考えが確信へと変わると同時に、ムチが振り下ろされた。

 

「っ!?」

 

 だが、アゼンダの攻撃が美柑に届くことはなかった。

 ヤミの髪が動き、美柑の前に立ちはだかる。

 ムチは鋭く肌を裂き、痛みが襲う。それでもヤミは美柑を傷つけることだけは許せなかった。

 やがて膝をつくが、それでも彼女を守るために立ち上がる。

 

(ごめんなさい、美柑。貴方を、巻き込んでしまって……)

 

 自分が存在するせいで、アゼンダを引き寄せた。

 自分と関わったばかりに、彼女は戦いの渦に巻き込まれた。

 どれほど自分が傷を負おうと、胸を締め付けるのは懺悔の思い。

 

(でも、貴方だけは助ける……命に代えてもっ!)

 

 美柑が自分にくれた小さな優しさ。

 それに応えるために、彼女を守り抜く。

 戦いの最中、ふと美柑を見る。

 彼女は傷ひとつない。その事実に安堵した。

 

 だが、ゆっくりと美柑の手がこちらに伸びてくる。

 

 ――罠だ。

 

 それは分かっている。

 それでも、彼女の瞳がほんの僅かに揺れた気がして。

 それが、助けを求めるように見えて。

 ヤミは目を微かに見開くと、反射的に手を差し出した。

 

 ――また、あの笑顔が見たい。

 ――また、彼女の元気な声が聞きたい。

 

 そんな思いで、美柑の手を掴もうとした瞬間。

 

「あぁっ!?」

 

 美柑の手はヤミの手首を掴み、無情にも反対方向へと捻じ曲げた。

 激痛が走り、ヤミは声を上げる。

 次の瞬間、美柑の手刀がヤミの顔を打ち抜いた。

 

「はあ……情けないねえ」

 

 アゼンダはつまらなそうに呟きながら、気絶しかけたヤミを見下ろす。

 もう勝負は決した。

 

「昔私は、アンタに敗北し、地獄を見た。迫害され、身も心もズタボロだった」

 

 懐かしむように、彼女は白刃の輝きを見つめる。

 

「そして今度は、アンタのせいでその娘が死ぬ。アンタと関わる奴はみんな、不幸になっちまうんだよ」

 

「っ!」

 

 アゼンダの言葉に、ヤミは息を呑む。

 

 自身の血塗られた過去。

 奪った命、積み重なる憎しみ。

 ヤミを狙う者は宇宙に数多くいる。

 このままでは、また美柑が巻き込まれる。

 やはり、自分はここにいてはいけないのではないか。

 

 ──ごめんなさい、美柑……私があなたと一緒にいたいと思ってしまったから……

 

「勝手なこと言うな!!!!」

 

「っ!?」

 

 ヤミの迷いを吹き飛ばすように、倒れ込んでいたリトが怒声を上げる。

 

「美柑とヤミは不幸なんかじゃないぞ!! お前なんかと一緒にするな!!」

 

 アゼンダはリトを一瞥し、嘲笑する。

 

「不幸に決まっているじゃないか……現に、この子も巻き込まれているだろう? アイツには所詮、殺し屋がお似合いなのさ」

 

「ヤミは、確かに以前は殺し屋だったのかもしれない! それでも、過去のことで苦しみながらも、地球に来て少しずつ変わったんだ! 美柑だって、ヤミが殺し屋であることを分かった上で、今のヤミが大好きなんだっ! 何も知らない赤の他人のお前が口出しするな!!」

 

「結城、りと……」

 

「地球のボーヤ……どうやら先に死にたいらしいね!!」

 

「い、いけませんっ! 逃げて! ──っ!?」

 

 アゼンダは不敵な笑みを浮かべ、リトへと襲いかかる。

 ヤミは叫びながら起き上がろうとするが、美柑に押さえつけられ、動けない。

 アゼンダが迫る。

 リトは逃げることもできず、目を瞑る。

 その瞬間。

 

「しねぇぇええ、地球じ「マズイマズイ止まれぇぇぇえええええっ!!??」かぺっ!?」

 

 チリンチリンと甲高い雄叫びと、人の肉声が割り込んでくる。

 轟音と共に、土埃が舞い、リトは思わず咳き込んだ。

 そして猛烈な焦げ臭さを感じながら、何事かと目を開ける。

 土埃から現れたのは、地面で潰された虫のように這いつくばっているアゼンダと、

 

「ひ、人を引いちまった……リトさん、どうしよう」

 

 薄汚いモップを握りしめながら、呆然とする龍生の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確かに、ブレーキの確認を怠り、猛スピードで疾走したのは己の失態だった。

 だが、今目の前に広がる光景は、それすらも些細なことに思えるほどの絶望をもたらした。

 自転車は無惨にも大破し、金属の廃棄物と化していた。

 しかし、それよりも深刻なのは──。

 

「あ、あの……だ、大丈夫ですか?」

 

「ち、近づいてはダメです!」

 

 龍生は恐る恐る、目の前に転がる女性に声をかけた。

 だが、ヤミの切迫した声に、思わず身体が硬直する。

 

「えっ、や、ヤミ、それってどういう……何その状況」

 

 慌ててヤミの方へと視線を向ければ──。

 

 何故か、ヤミに馬乗りになった美柑の姿。

 無事に美柑が見つかったことに安堵しつつも、理解しがたい光景に思考が追いつかない。

 

「美柑は今ソイツに操られているんだ! だから、ソイツを何とかしないと……!」

 

「そ、そう言うことか!」

 

 リトの補足説明を受け、龍生はすぐさま後方へと跳躍した。

 つまり、目の前の女性こそがアゼンダ。

 はるばる地球までやってきた、ヤミの同業者。

 そして、美柑は彼女の“生物を操る能力”により、意志を奪われている。

 ようやく状況を理解した龍生は、彼女に同情する必要はないと判断する。

 アゼンダはゆっくりと起き上がる。

 猛スピードのチャリと頭部が接触したにもかかわらず、まるで何事もなかったかのようだ。

 相当な石頭と言える。

 ただ、頭の中心には自転車のタイヤ幅ほどの溝ができており、髪の毛が真っ二つに割れているが。

 

「くそっ……いきなりなんだったんだ……ほぉ、地球のボーヤが増えたじゃないか」

 

 髪の毛をひらひらと撒き散らしながら、余裕綽々の態度で立ち上がる。

 まるで「地球人など相手にならない」と言わんばかりの風格。

 龍生は警戒心を強めるため、自分に言い聞かせた。

 

(笑うな……絶対笑うなよ……アイツは殺し屋。落武者じゃない……)

 

 背後からくすくすと忍び笑う声が聞こえ、つられそうになる。

 しかし、龍生は必死に目の前の敵へと意識を集中させた。

 戦場では、慢心こそが命取り。

 たとえ、世紀末のような髪型をしていようと、相手は殺し屋なのだ。

 なるべく頭を見ないようにと、彼女の視線を下に落としたその瞬間──。

 警戒心は霧散した。

 

「ちょっ、お前!!」

 

「あん? 何だいボーヤ」

 

 龍生の怒声に、不敵な笑みを浮かべるアゼンダ。

 

 だが──。

 

「む、むね! 胸隠せっ!」

 

「あ? ひゃうんっ!?」

 

「なんだそのウブな反応っ!?」

 

 促されるまま、アゼンダは自身の胸へと視線を落とす。

 どうやら何らかしらの原因で彼女の服が破けたようで、赤銅色の肌と共にどの子供にも十分な食料を提供しうる大きな乳房が露わになっていた。乳房の先には、黒い、大きな乳嘴が突き出ている。

 事態を飲み込み、顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤になりながら、慌てて彼女はその場にしゃがみ込んでしまった。

 百戦錬磨感を漂わせといて、可憐な少女のような反応に、龍生は困惑してしまう。

 

「……ど、どうしたものか」

 

 困ったようにチラリと彼女を見遣れば、怒気を孕んだ瞳でこちらを睨め付けていた。隠すようにギュッと自身の腕に押し付けて形が変わる大きな胸に、何とも言えない男のロマンが詰まっている。

 無性に髪の毛が残念なことで、性欲は引っ込んだが。

 

「せ、責任を取れ……っ」

 

「ん?」

 

「わ、私の裸を見たんだ。貴様には、責任をとってもらうぞ!」

 

「は、はあ? 一体何言って──っうぉ!?」

 

 巨大なメロンを片手で抑えながら、突如迫り来るナイフに慌てて、腰を落とした。ナイフは龍生の肉塊を切り裂くことはなく、空を切る。

 すかさず振り下ろされるナイフを間一髪でを交わし、逃げるように後ろに跳躍する。

 

「いきなり何すんだ!」

 

「や、やるじゃないか……さ、流石は私を抱く男なだけはある」

 

「だ、抱く? まじでさっきから何言ってんだよアンタ」

 

「私の裸を見たんだ……大人しく抱かれろぉぉおお──っ!!」

 

「そ、それが意味わかんねえって言ってんだろうがぁ!!!」

 

 再び迫る切先。

 しかし、雑念が入り混じった乱雑な大振りに、龍生は難なく交わし続ける。よくわからない雄叫びで迫り続ける彼女に、流石に面倒になった龍生は、詰められた距離を再び跳躍。

 程よい間合いで、龍生はモップの先をびしりとアゼンダに指す。

 

「マジで何を言ってるか意味わからねえけど、とりあえず状況的にアンタを敵と認識するからな。女でも美柑たちを巻き込んだんだ。容赦はしないぞ!」

 

「何っ!」

 

 龍生は一瞬にしてアゼンダの懐に飛び込んでいた。

 

「くっ!」

 

 振るわれたモップの柄を身を屈めて避けようとするが、今度は毛だらけのよく分からない黒いゴミが大量にこびりついたヘッド部分を顔目がけて繰り出され、慌てて身を引く。まるで棒術のように柄とヘッドを素早く繰り出してくる龍生に驚くアゼンダ。

 彼の猛攻にようやくナイフで受け止めるが、まるで豆腐を切ったかのように、モップの柄が切断される。

 

「なっ!? やばっ」

 

 刹那逡巡するも、体操選手のタンブリングのように二度三度と回転しながら、アゼンダと距離を取る。

 

(マズイな……武器がない……)

 

 リーチの長さが売りだったモップも真っ二つになった今では使い物にならない。感謝を込めながら、その場に残骸を置いた。

 

「驚いたかい? 生憎このナイフは特別性でね──」

 

 妙に熱心ながらに自分のナイフを詳細に語る彼女を無視しながら、龍生はどう彼女と戦うべきか考える。

 あの様子からヤミは恐らく美柑で手一杯だ。戦闘復帰は難しい。リトも自分同様地球人である以上、彼女に敵う可能性は低い。

 なら、と龍生はポケットから携帯端末のようなものを取り出した。

 

「しょうがない、とっておきを使うか」

 

 かぱっと携帯端末を開き、モモとの会話を思い返す。

 

 ──良いですか、龍生さん

 ──ん? 

 ──これは、お守りとしてお使い下さい。

 ──これってモモが持ってるやつ? 

 ──はい。お姉様と相談して、龍生さん仕様にしていただいたんです。

 ──俺使用? 

 ──はい。龍生さんが念じたモノを、一度だけ呼ぶことができるそうです。それは物に限りません。生物、つまり人でも良いそうです。夜中に、私を呼んでくれても良いんですからね♡

 

 メアとの接触直後に、モモが自分にもし何かあった場合に備えて用意してくれた、専用の転送システム。

 些かあの殺し屋に使うのは癪だが、背に腹は変えられない。

 イメージするのはこの逆境を覆すほどの最強。

 すぐさま思い浮かんだのは剣士。

 人類はこれまで数多くの武器を発明したが、中で最もクールかつ絶大な人気を誇る武器といえば「剣」だろう。

 剣は銃に比べて射程は短く、持っているだけで強力な兵器ではない。しかし、使いこなすために相当の技量を要し、その道を極めるためには長く厳しい戦いの世界を生き抜く必要がある。

 そんな幾たびの戦場を駆け抜けた最強の剣士を龍生は身近で一人知っている。 

 

 ──転送システム“デダイヤル“

 

(──来い、ザスティン!!)

 

 願うのは鎧を纏った1人の屈強な戦士。

 中身は非常に残念であっても、彼の技量があればこの窮地を救える。

 願いを込めて、右手を空に掲げた。

 期待を込めて、ボタンを強く押下。

 しかし、何も変化がない。

 

(ん? あれ?)

 

 押下。

 押下。

 押下っ!

 押下ァァァァあああっ!!

 何度ボタンを押下しても、この場にザスティンが現れない。

 

「つ、つっかえねぇぇぇえええええっ!!」

 

「りゅ、龍生?」

 

 転送ダイヤルを地面に叩きつけた。

 どうすると、背筋に冷たい汗を流しながら考える。

 幸い、アゼンダはまだ何かを熱弁しているために、考える余地はある。

 彼らを連れて一旦体制を立て直すか。

 はたまた、この女と戦うのか。

 頭をフル回転させていると、妙な音が鼓膜に届く。

 

「────!!」

 

 しかしそれは、かなり微弱なもの。

 本当に耳を澄ますか地獄耳な人しか聞こえない。

 一本の糸のように漂っている音。

 妙に気になり、どこからだ、と音に意識を傾けるていると、

 

「────!!」

 

「そ、空……?」

 

 上を見上げるが、初夏の空が青く澄んで絹のように光る星達が見えるのみで。それ以外何も確認できないが、確かに、何枚かのフィルターを通したみたいな小さくくぐもった音が聞こえる。

 ただ耳を澄ますほどに、それは不快な音な気がして、身体中の血が凍るような悪寒に襲われる。

 

「──────!!」

 

「な、なんだ?」

 

「ん?」

 

 アゼンダにリトも第六感が働いたのか、遅れて空を見上げた。

 時間が経つごとに迫り来るそれは、より強大な音を立てて周囲の不安を煽ってく。

 地鳴りのようなものさえ感じる。

 そして。

 

「あ“が“が“が“が“が“が“が“が“が“が“っ!?」

 

「「「ぎゃぁぁぁああああああああ!!」」」

 

 突然この世のものとは思えない絶叫が耳に届き、釣られて三者三様腹の底から悲鳴を上げた。

 猛スピードで迫り来る黒い影に、リトを抱えて後方へと跳躍する。

 そして、衝撃と凄まじい突風。

 距離を取ってもなお激しい突風に耐えきれずに、吹き飛ばされた龍生は後ろの雑木林の木に背中を打ちつけた。

 

「くっ……しまっ!?」

 

 猛烈な激痛に顔を歪めリトを手放してしまうが、何とか木の枝にぶら下がって生存していた。

 ホッとしながら、体に鞭を打って音のする方に向かう。

 たどり着くなり、そこは真っ新な更地からクレーターのように地面が抉れていた。

 街灯も壊され、薄暗くて全体を確認できないが、まるで隕石が落ちてきたような随分と酷い有様だった。

 

「アレは……」

 

 ふと、しばらく眺めていると、月下に照らされて、クレーターの中心部に垂直に何かが突き刺さっている事を確認する。

 さながら、中世の騎士道物語「アーサー王伝説」に出てくる伝説の剣を彷彿とさせるような光景だ。

 そう思った瞬間の神々しさに、思わず固唾を飲む。

 どうやら自分は、とんでもない代物を現世に顕現させてしまったらしい。

 これなら目の前の悪を滅ぼせると、剣(?)に向かって勇ましく歩こうとするが、ぴたりと直ぐに龍生の足が止まった。

 

「えっ……」

 

 すぐさまその剣(?)に異変が起きる。

 垂直に神々しく突き刺さっていたソレは、突然、剥いたバナナの皮のように、或いはゴボウを天に向かって端っこから持った時のように、奇妙にしなり出したのだ。

 次第に釣り上げられた魚のようにピクピク動いているようにも見える。まるで意思を持ってるかのように。

 そこはかとない薄気味悪さが感じられ、思わず立ち止まっていると、身体がふわっと宙に浮く。咄嗟に受け身を取ろうとするが、

 

「さあ、抱いてもらおうじゃないか」

 

 気づけば仰向けに寝かされ、眼下には残念美女が馬乗りになっていた。彼女は獰猛な瞳を宿し、じゅるりと涎を拭っている。彼女の目には既に性的な欲望が渦を巻いていた。

 思わず舌打ちした。

 

「お、おいやめろっ!」

 

 あまりの悪寒に、威力が込められなくとも拳を握りしめて彼女に放つが、呆気なく受け止められる。そして、あろう事かそれを自身の胸元まで持っていく。

 その巨大なメロンを鷲掴みするように配置し、自身の手を重ねて揉んでいく。

 

「往生際が悪いぞ……あんっ」

 

「はっ? はぁあっ!?」

 

「あっ……んっっ……っ♥」

 

 龍生の狼狽などお構いなしに、アゼンダは手を止めない。

 彼女の口から矯正が漏れた。その声音には、明確な色がはっきりと込められている。陶酔にも似た感情──性的な快楽に、己の全てを委ねた者が得られる悦びだ。

 慌てて手を引っ込めようにも、押さえつけている彼女の強さは桁違いで、手がびくとも動かない。まるで赤子と大人くらいの差がある。

 されるがまま、マシュマロのような柔らかさを掌で直に感じ取り、少なからず奥底に熱を浴び始める。

 

「ここがっ……気持ちいいんだろっ」

 

 次第に馬乗りの彼女は、剛直付近に跨っては、その突起物に擦り付けるように動き始める。自分からいやらしく腰を振り始めたのだ。

 

「っ……あぁっ、ん、ふぅ…… ♥」

 

 快楽に陶酔する彼女の表情は、淫らに蕩けきっていた。

 精神的には多少の余裕があるはずなのに、身体は言うことを聞かない。

 何度も身を捩るが、まるで見えない鎖に絡め取られたように動けない。

 じりじりと土俵際へと追い詰められ、絶体絶命のその瞬間――。

 

「──一体、何をされているのでしょうか」

 

 突如として、空気が一変した。

 心臓を握りつぶされるような、強烈なプレッシャーが辺りを支配する。

 普段の猫撫で声とは違う、凍てつくような冷ややかな声。

 全身が震えた。

 金縛りにあったように、身体が動かない。

 

「も、もも……」

 

「こんばんは、龍生さん」

 

 か細い声を振り絞る龍生の前に、普段と変わらぬ笑みを浮かべるモモが佇んでいた。

 しかし、その笑顔の裏には鋭い威圧感が滲んでいる。

 アゼンダの背後で立ち尽くすモモ。

 彼女の視線を追うと、紫色の瞳は何トーンも暗く沈み、冷たく光っていた。

 整った容姿がかえって恐怖を煽る。

 

「貴方が、アゼンダさんですか?」

 

「はぁ……ちっ……邪魔が入ったか……そういう貴様は何者だ」

 

「私はモモ・ベリア・デビルーク。デビールク家の第3王女です」

 

「なに……あのデビールクのか」

 

「ええ……ところで、いい加減、龍生さんから離れてくれませんか?」

 

「あ? 何を言ってがあっ!?」

 

 モモの白くか細い手が、アゼンダの後頭部を掴んだ。

 その腕のどこにそんな力が秘められているのか、アゼンダの頭蓋骨がきしむ音が響く。

 激痛に声すら出せない。

 

「随分と羨ましい真似をしてくれますね。私もまだ、あのように淫らな寵愛は頂けてないのですよ?」

 

「な、何を言ってあがっ!?」

 

「うふふ。残念ながら、龍生さんの初めては有り難く私が頂戴いたします。……貴方の存在は邪魔なんです」

 

 虫ケラを見るような瞳で彼女を見下ろしながら、アゼンダの後頭部を離した。

 

「では、さようなら。──暴虐の、アゼンダさん」

 

 その言葉とともに、手刀がアゼンダの首元へと突き刺さる。

 ボキッと骨が砕ける音が響き、彼女はゴミのように後方へと投げ飛ばされた。

 

 軽く放ったように見えたその一撃。

 しかし、アゼンダの身体は砲丸のような猛烈な勢いで吹き飛ばされ、視界から消えていった。

 呆然とする龍生の前に、モモが静かに歩み寄る。

 

(お、怒ってる……? やばい、死んだかも……)

 

 龍生の背筋に冷たい汗が流れる。

 今まで見たことのない冷酷なモモの雰囲気に、絶望を覚えながら上半身を起こす。

 恐る恐る目を瞑ると――。

 

「も、もも……?」

 

 感じたのは、凍てつく波動でも、鋭い衝撃でもない。

 ふわりと漂う、甘い花の香り。

 柔らかく温かな感触。

 彼女の胸に包まれ、心臓の鼓動が心地よく響く。

 

「もう……心配、したんですよ?」

 

 モモの身体がかすかに震えていた。

(……本当に、心配させてしまったんだな)

 

「……悪い」

 

「あの時、お声がけしてくれれば宜しかったのに」

 

「……お前風呂入った後だったっぽいし。その、流石にあんな格好で出歩かせられないと言うか」

 

 まるで娘を気遣う父親のような発言に「ぷっ」とモモは吹き出した。

 

「着替えれば済む話じゃありません?」

 

「うぐっ、そ、それはそうなんだが……」

 

 バツが悪そうにする龍生を見て、モモはくすくすと笑う。

 

「まさかそこまでお家での私の姿を、特別に思っていただけてるなんて」

 

「うっせ……」

 

 反論の余地もなく、不貞腐れる龍生。

 モモは柔らかく微笑み、ゆっくりと身体を離す。

 桃色の瞳が真っ直ぐに彼を見つめる。

 

「ですが、少しくらいは頼って下さい。これでもデビルーク星の王女なんですから」

 

「わ、分かってるよ。善処するって」

 

「むっ、こう見えても幾分か戦闘経験もあるんですからね? 少なくとも、龍生をお守りするくらいの事はできます」

 

「……ま、まあ、そうなんだろうけど。でも、王女なら尚更に、戦地なんかに向かわせるわけいかないって……モモを、危ない場所に連れてきたくなかったんだ……どっちかと言うと、男は、女を守るもんだろうに」

 

「っ!?」

 

 ──お父様。

 

 龍生の言葉に、ふと懐かしい記憶がモモの脳裏に蘇った。

 

 ──どうしてそんなに鍛錬されるのですか? もう十分お強いのに。

 ──ああ? バカ言え。いざって時に動けるようにだ。

 ──お父様より強い者など居ないと思いますけど。それに、私たちもいざとなったら戦えますし。

 ──アホか。セフィと同様、お前たちが戦地に赴くことは俺が許さん。お前達は黙って俺の陰に隠れてれば良いんだよ。男は、女を守るもんだ。

 

 古風な考えを持つ父を幻視して、モモは困ったようにため息を吐いた。

 

「な、なんでほっへつねられてるの?」

 

「ふふっ、困った誰かさんに、少しお仕置きしてます」

 

「しょうかい……」

 

 争う気力もなく、されるがままつねられる事にした。痛みはないため、しばらく彼女の思うようにされていると、

 

「ところで龍生さん」

 

「えっ? な、なに?」

 

 急に声音に冷たさが宿ったように気がして、龍生の背筋に冷や汗が流れた。

 

「アゼンダさんに、何をしていたんですか?」

 

 含むところなんてありませんよ、と可愛らしく首を傾げている。

 

「えっ? い、いや、アレは別に俺のせいじゃないと言うか……」

 

「むぅ、どうして私にはあんな風に意地悪してくれないのですか?」

 

「怒るところってそこか!? それにあれは不可抗力であってだな! 流石にお前にやったらおかしいだろ!」

 

「私には、魅力はありませんか……?」

 

 拗ねたのかと思ったら、何処かしゅんと落ち込んだ彼女に、思わず狼狽する。

 

「いやいや、なんでそうなる! モモはその……魅力的だから困ると言うかだな」

 

「本当ですか……?」

 

「ほ、本当だって!」

 

 恥ずかしそうに視線を泳がせる龍生に、モモは「そうですか」と納得したような様子になる。そんな様子を見てホッとするも、モモは少し胸元をはだけさせて、美しい鎖骨と真っ白い素肌を晒した。淡いピンクのレースの下着も見えている。

 

「では、少しだけ……さ、触ってみますか?」

 

「は?」

 

 口をあんぐりと開けたままの龍生に、モモは少し恥じらいながらも、妖艶な笑み湛えてみせる。

 

「アゼンダさんより小ぶりかもしれませんが……」

 

「お、おい……っ」

 

 優しく龍生の手を取った。先程のアゼンダ同様に、ゆっくり自分の胸元に手を持ってくる。

 モモの柔らかい果実まで着地し、彼女の重ねた手で優しく揉んでいく。

 まるで龍生のアゼンダとの行為を上書きするかのようだ。

 

「んっ……あんっ…… ♥」

 

「お、おい……そ、それ以上は……っ」

 

 彼女から乙女の甘い声が生まれる。

 掌から感じる彼女の柔らかい胸の感触と、触れば触るほど乱れる彼女の妖艶な姿に、言葉を失う。

 

「っ……あぁっ、んっ♥ うふふ」

 

 彼女の口から嬌声が激しく漏れる。更なる快楽を求めるように、モモが馬乗りになった。

 彼女の色香に、急に、身体の温度が上がり、耳の後ろが熱で軋んだ。この未熟な身体に、コントロールできない熱が宿ってしまう。

 それに呼応するように、己の剛直が盛り上がった。

 それが跨ったままのモモの秘部に接触し、ビクッと彼女の身体が震える。

 

「ひゃぅっ!? ……まあっ♡」

 

 自分の誘惑で龍生から物理的にも獣の男を感じ、モモは思わず歓喜の声を上げる。

 桃色の瞳に浮かぶ快楽の渦に、ゴクリと龍生は息を呑んだ。

 

「うふふ。龍生さんも、立派な殿方ですね♡」

 

「お、おまえな……っ」

 

「かわいい……♡」

 

 慌てふためく龍生を見つめるモモの瞳は、蕩けた甘さを含んでいた。

 まるで龍生の反応を楽しむかのように、ゆっくりと距離を詰める。

 

 ──私には、魅力はありませんか……?

 

 囁くような言葉と共に、彼女の吐息が微かに肌を撫でた。

 その姿はまるで妖艶な妖精のようで。

 普段の無邪気さとは異なり、今のモモはまさに“女”の色気をまとっていた。

 冷徹な殺し屋とは天と地ほどの差がある。

 彼女の放つフェロモンは、龍生の理性を試すかのように揺さぶる。

 

 耐えねば。

 

 そう思っても、耳にかかる髪を掻き上げながら、彼女がさらに近づくと、龍生も引き寄せられるように顔を近づけた。

 

「「っ!!」」

 

 パキッ。

 

 枝を踏みつける音が響き、二人は慌てて距離を取った。

 モモは正座、龍生は剛直を隠すためにうつ伏せの体勢。

 雑木林の奥から、人影がゆっくりと近づいてくる。

 

 ──マズイだろ!! 

 

「あ、いたいた、龍生……ってなにやってるんだ? それにモモもいるのか?」

 

「はい こんばんは、リトさん、美柑さん、ヤミさん♪」

 

「……俺の事は気にしないで下さい」

 

 現れたのはリト、美柑、ヤミ。

 矛を収めるのに必死な龍生とは対照的に、モモは何事もなかったかのように、優雅な微笑を浮かべた。

 龍生は公然わいせつ罪で捕まる寸前だったのでは……。

 そんな思いでモモを恨めしげに睨みながら、リトに向き直る。

 

「でも、良かったよ、美柑も無事だったんだな」

 

「う、うん、私は大丈夫なんだけど……ヤミさんが」

 

 美柑の言葉に、龍生はヤミへと目を向けた。

 彼女の全身には擦り傷があり、衣服はボロボロだった。

 特に胸元の布地がざっくりと裂け、彼女は右手でそれを押さえている。

 妙な色香を感じながらも、彼女の鉄拳を幻視し、慌てて視線を逸らした。

 

「いえ、私は大丈夫です」

 

「ほ、本当に何があったの?」

 

「……少し転びました」

 

「ええっ!? そ、そうなの?」

 

「はい。結城リトにいやらしい事をされたので」

 

「ええっ? おれっ?」

 

「ふふっ、嘘です。本当に転んだだけですから。美柑が無事で良かったです」

 

「わ、私は無事なんだけど……」

 

 どう見ても転んだだけでは済まない傷。

 しかし、ヤミは特に気にしている様子もなく、淡々と答える。

 地球人より肉体強度の高い宇宙人ならではのことなのかもしれない。

 また、美柑の表情からして、彼女は事の経緯を覚えていないようだった。

 それを察したヤミは、美柑のために小さな嘘をついているのだろう。

 3人が和やかに会話を交わす姿を見て、龍生は肩の力を抜いた。

 

「……取り敢えず、一件落着だな」

 

「あら、まだ終わってませんよ?」

 

「えっ?」

 

 モモが妖艶に微笑みながら、耳元で囁く。

 

「さっきの続きは、お家に帰ってからしましょうね♡」

 

「ばっ!? お前な!」

 

「うふふ、興奮してる龍生さん──とても可愛かったです♡」

 

「……っ」

 

 茹蛸のように真っ赤になる龍生。

 そんな彼を見て、モモは無邪気な子供のような笑みを浮かべる。

 

 本当にこの子は冗談なのか、それとも本気なのか……。

 

 色んな意味で恐ろしい。

 龍生は視線を落とし、さっきまで握りしめていた掌を見つめる。

 柔らかく温かな、モモの胸の感触がまだ残っていた。

 

(……はあ、後でなんとかしねえとだなこれは)

 

 身体の奥底に渦巻くざわつきを抑えきれず、龍生はため息をつく。

 こうして彼らの奮闘の末、アゼンダ撃退の幕が閉じた。

 

「そういえば、龍生さん」

 

「今度は何だよ……」

 

「ここに向かう途中で、何やらすごい音がしたんですけど、何かあったんですか?」

 

「忘れてた……転送システムで呼び出したら変なのが降ってきたんだよ」

 

「へ、変なの? えっと、何を呼び出したのですか?」

 

「ザスティンさんだよ。でも、空から変なの降ってきてさ……中々の誤作動じゃ……」

 

「りゅ、龍生さん?」

 

「やばい……ザスティンさん死んだかも……っ!」

 

「えっ?」

 

 

 

 

 

 

「アハハハハハ──っ!! りゅ、龍生くんっ、面白すぎるっ!!」

 

 訪れた滑稽な出来事の数々に、メアは腹を抱えて転げ回りながら、大声で笑った。

 彼女の甲高い笑い声が夜空に響き渡る。

 すぐそばで、烏が呆れたようにため息をつく。

 

『もう少し彼女もやると思ったのだがな。期待外れだったな』

 

「でもでも、マスター。面白いもの見れたから良いじゃん……っ!」

 

『お前は笑い過ぎだ……』

 

 ゲラゲラと品のない様子で笑い転げるメアに、烏はわずかに目を細める。

 それ以上は何も言わず、ただ真っ直ぐにその黒曜石のような碧眼を、モモと戯れる少年へと向けた。

 

『……面白い』

 

 低く囁くような声。

 

『メア、あの少年の名は何と言う』

 

「えー? 何度も言ったと思うんだけどなぁ」

 

 メアは笑いの余韻に身を委ねながら、呆れたように肩をすくめる。

 

「北風龍生君だよ。なになに、マスターも興味持った?」

 

『……少しだけな』

 

 その言葉には、いつもとは違う色が滲んでいた。

 烏の視線は、まるで未知の獲物を観察する猛禽のように鋭く光る。

 それを感じ取ったメアは、悪戯っぽく目を細めながら、ゆっくりと息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 大音量の交響曲が響き渡る。深い眠りの底から一気に意識をすくい上げられ、男は床から跳ね起きた。ベートーベン交響曲第五番『運命』、携帯電話が不安をかき立てる旋律を重々しく奏でていた。霞が掛かっている頭を激しく振って、男は眠気を頭蓋の外にむりやり放り出した。緊急用の専用回線であるこの携帯電話が鳴るのは、殆どない

 

「もしもし」

 

『ザスティンですか? 私、モモです』

 

 相手はデビルーク家の第三王女であるモモだった。

 彼女が秘匿回線からわざわざ電話をかけてくるなど、余程な事情である。内容を聞かずとも、そこにある緊張の響きは十分感じとれた。

 

「モモ様、如何様に?」

 

『恐らくアゼンダが地球に来ています。それと、龍生さんが彼女を追って外に出てしまったので、私も今追っているのですが、ザスティンの方でも捜索をお願いします……何かあってからでは遅いので』

 

「わかりました! お任せ下さい」

 

 携帯電話の通話を切り、付近にいた部下に目を向ける。

 

「いいか、お前達。見ての通り緊急案件だ。直ちに急行するぞ!」

 

「はっ!」

 

「すみません、緊急案件ですので、一旦抜けてもよろしいですか?」

 

「お、おう! 気ぃつけてな!」

 

 重苦しい空気を感じとり、リトの父がこくりと頷いた。

 

「よし、ではお前達はここから西にあるこうえ────」

 

 何かを言いかけたその瞬間、髪の毛一つ残さずにザスティンの姿が消えた。

 

 

 

 

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