14話から読んでください。
ある妃のもとに帝は足を運んでいた。
「また来たのか、懲りないな」
ぶっきらぼうな物言いだ。
後宮において主上にそんな言い方ができる人間は一人しかいない。
そう、ここ、柘榴宮の主、上級妃阿多である。
「朕の妃だろう?会いに来て何が悪い」
「こんな年増に構ってないでお前を求める娘たちのもとに行ってやれと言っているんだ」
「十分すぎるほど通っている」
立ったままの主上と阿多は一触即発とまではいかないものの互いに棘のある言い方をする。
いつもこうやって阿多は主上を追い返していた。主上の顔色がどんなに悪くても。
この二人を除く臣民がこの場にいたら胃袋がいくつあっても足りないのだが、可哀そうなことに一人いた。
「そう
多少疲れが取れたことで本来の余裕を取り戻した主上は、阿多の挑発に反応しつつもほどほどに受け流した。
合図とともに顔を隠した女官服の女が物陰から姿を現す。
帝の斜め後ろに到達すると紐を解いて覆面を外し、顔が露わになる。
「お久しぶりです阿多さま。すこし痩せましたか?」
「おまえ、
誰だ、というように訝しんでいた阿多は魅音を認識すると驚いた。
阿多はどういうつもりだと言いたげに主上を睨む。なにかとんでもない勘違いをしていそうだ。
「積もる話があるだろう、存分に語り合うといい」
そう言うと主上は別室へと消えていった。魅音と阿多の二人だけになる。
拱手をして帝を送った魅音は阿多に向かい合う。
「主上から美味しいお酒を頂いたのですよ。呑みながらお話しましょう」
戸惑う表情の阿多に魅音ははにかむような笑顔を浮かべて、腰に吊り下げた瓢箪を揺らして見せた。
*
向かい合うように置かれた椅子に座ると魅音は二つの盃に瓢箪の中身を注いでいく。
葡萄の果実酒は主上の好みだ、それをそのまま貰ったので上等な品である。
互いに盃に口をつけて舐めると阿多から口を開いた。
「その……なんだ、何の手助けもしてやれなくて済まない。元気そうでよかった」
負い目でも感じているのか目を合わせてくれない。
「いいえ、阿多さまの助言が大いに役立ちましたよ。弱った姿は一切見せませんでした」
虚勢でもいいから弱ったところを見せるな、一度下に見られると増長してくる。阿多に教えてもらったことだ。
気落ちする阿多を元気づけようと大げさにふんすと息を吐いて胸を張る。
阿多を心配する魅音の気持ちが伝わったのだろうか、極々小さな笑みを浮かべて暗かった表情がすこし柔らかくなった気がする。
「此の所阿多さまの様子がおかしいと聞き及んでおります。私にお聞かせ願えませんか?」
「それはあいつの命か。よりにもよって魅音を使うとは相変わらず人の心が分かっていない」
苦虫をつぶしたような顔で主上に対して散々な言いようだ。
「確かに主上の命ですが私の願いでもありました。このまま阿多さまに会えないのは嫌でしたから」
目を閉じながら穏やかに言うと盃を手に取って一口飲んだ。口の中で膨らむ香りを逃がすように息を吐く。
主上の頼みとは阿多を癒し、あわよくば真意を掴むことだった。
阿多を深く傷つけてしまった、どうしてそんな行動をしてしまったのか、その理由がわからないのだという。
帝だからなぁと魅音は納得していた。
皇帝になるべく育てられた主上は人の心というものに疎い。
皇帝は何でも命令できる立場だ、そして非情な命令を下さねばならない場面が多々ある。
そんなこと人の身では耐えられるわけがない、だから主上は『天』でなければならなかった。
生まれつき『天』である主上は『人』を理解しきれない。それは己の抱える感情にも言えることだった。主上に人として当然の思いが芽生えたとしても『天』としての意識のせいで自覚できない。
そんな主上では阿多の本心を聞き出すことなんてできない。それで魅音に白羽の矢が立ったのだ。
魅音のもとへ定期的に訪れていたのは、主上曰く阿多と何処か似ている魅音を観察することで阿多の事を理解できるかもしれないと思ったかららしい。結局分からず終いだったが。
当たり前だ、魅音と阿多は別人なのだから。
(私に誰を重ねていたか分かった時は背筋が凍ったな……)
主上に話を聞いていた先日と初夜を思い出して心の中で溜息をつく。
魅音は男女のあれこれに諦観していたから良かったが、もし主上を敬愛し夢見る乙女に同じように阿多の話題を出していたらあまりにも酷だ、その娘は悋気で気が狂ってしまうかもしれない。
といっても、魅音の異端さを見抜いた故の頼みなのでそういう悲劇が起こることは無かったはずである。
使命を一通り思い返した魅音は赤い唇を舐めて盃を置いた。
「どうでしょう、口は堅いですよ」
再び阿多を見ると、肩を揺らしながら笑っていた。
「そうかそうか。この人たらしめ」
「はい?」
「いや、こちらの話だ」
魅音をほったらかしてくつくつと笑い続ける阿多に当惑する。
話しかける隙を与えられずじっと待つ。
やっと笑いが収まった阿多は目尻に溜まった涙を拭って語り始めた。
「私はな、広い世界を見てみたかったんだ。商人にでもなろうと思っていた」
阿多は肩肘をついて窓の外を眺める。丁度雲から満月が顔を出して月明かりに物憂げな阿多が照らされる。
男勝りで聡明な阿多だ、きっと商人として大成していただろう。しかし主上に望まれたことでその両翼は羽切りされてしまった。二十年弱時は過ぎ去っているのに阿多の中ではしこりとして残っている。
「それでは私の旅の話は苦痛ではありませんでしたか」
魅音は心臓が痛むのを感じた。
茶会もどきで魅音の話を楽しそうに聞く阿多に嘘偽りはなかったと確信している。
しかしそれとこれとは別だ。
たとえ心の底から楽しんでいたとしても喉から手が出るほど欲していたものを目の前で見せびらかされては燻るものがあるはずだ。羨ましい、妬ましい、といった風に。
無意識に追い詰めていたのではないかと魅音は自分を責める。
「そんな顔をするな。全部私が悪いんだ。勝手に魅音に昔の私を重ねたのだから」
「私に、阿多さまがですか?」
「魅音を人形に見立てていたんだ、魅音が自由を渇望していると思い込んで、後宮を払い下げられるまで手つきにならないように保護しようとしていた。私の代わりに広大な空を飛び回ってほしかった。冷静になってみればなんて自分勝手な女なのだろうな……」
阿多の告白を聞いて魅音の脳内に鎹が嵌るような感覚が起きた。
「それで私の姿絵を主上から遠ざけたのですね」
「そんなところまで聞いているのか?」
「はい、あくまで主上目線ですが」
主上は言いづらそうにしていたがすべての始まりの日についても語ってくれた。
初めて聞いた時、それはそれは驚いたものだ。
入内してから一月で脈絡もなくお渡りが決まるなどおかしいと思っていたが、まさか貰い事故とは欠片も想像していなかった。
「赤子は儚い、御子はいくらいてもいいと考える壬氏殿に協力してやったら機嫌を損ねてしまってな」
原作知識になるが、主上も阿多も壬氏には肩入れしている。
言付けなしに壬氏を同席させても、姿絵を広げて世継ぎを催促しても不機嫌になるだけで団欒の体は成していたはずだ。
ただ、阿多の表情だけが逆鱗に触れてしまった。
主上は阿多の信用する娘ならいいかと阿多の持つ姿絵を掠め取って、苛立ちに任せあまりよく考えずに宣言したのだが、その時の絶望に染まる顔が若かりし頃指南役と指名して手元に縛り付けたときの顔と被って見えたという。
阿多は自嘲気味に笑った。
「あいつが魅音をお手付きにすると言ったとき、まるで自分の事のように感じ取ってしまった。未だに自由を失った瞬間が心の傷として残っていたというわけだ」
それに加えて主上が魅音を抱きつぶしたと噂が立ったものだから失意は主上への怒りへと変貌する。冷たく接して日々やつれていく帝にいい気味だとすら思った。
そして魅音が後宮を出たがっていると勘違いしていた阿多は、自分のせいで自由を失った魅音の顔を見ることが出来なくて宮に引きこもっていた。
魅音の近況を知らないのは情報を絶っていたからだった。
「どうしてあいつはあんな癇癪を起こしたのだろうな」
言葉にすることで整理がついてきた阿多は引っかかるものがあったらしい。
ボソッと小声で呟いた言葉を聞いて魅音は慄く。
恐る恐ると阿多に尋ねた。
「あのう、阿多さまから見て、阿多さまと主上の間柄は何なのでしょうか?」
「友人、若しくは弟分だな。あいつも同じだと思うぞ、私は女ではなくなったお飾り妃だしな」
──まずったな、今のは秘密だ。絶対漏らすなよ。
子を成すための後宮なのに子宮を失った上級妃なんて公になってしまったらまずいなんてもんじゃない。
それはもちろん秘めるとしてだ。
(主上……脈無しですよ……)
阿多は主上を男としてみていなかった。主上の想いは何一つ届いていないのである。
道理ですれ違う訳だ。
ただまぁ言うほど主上を嫌ってなさそうだ。一つずつ勘違いを解いていこう。
「阿多さまも本当は気づいているかもしれないですけれども、私故郷と商売に未練なんてないんですよ」
嘘と本音を混ぜる。外に出ることは確定していたので故郷に未練は全くない、外廷勤務にはちょーっと、僅かに、砂粒ほどの未練はある。
「今日やっと気づいたさ。私なら今の魅音のように明るくは振舞えないだろうからな。勘違いで振り回してしまったな、危険な目にも遭っただろう?すまなかった」
「大変な目に遭ったのは事実ですが、碁仲間もできましたので儲けました」
「碁仲間?」
どうしてそうなるという風だ。魅音だって奇妙なことを言っている自覚はある。
「七日に一度の頻度で主上と碁に興じているのですよ」
「おいまて、あいつとなのか!?あんなことをした癖に、体は大丈夫か?乱暴なことはされてないだろうな?」
阿多の心配があったかい。腰を浮かして魅音の身体を隅々まで見る。
大丈夫ですよと伝えて座ってもらう。
「それどころか指一本もお触りになりませんでした」
夜伽の誘いがなかったのは主上なりの魅音と阿多への贖罪だった。ならそもそも通うなよとなるが、その場合主上と阿多の拗れきった関係の解決の目処が立つことがなかったのだからなんとも言えない。
阿多は驚きを通り越して疲れ果てていた、背もたれに大きく身を任せている。
「好みの体型の女を前にして?あの好色が?じゃあなんだ、朝まで相手をさせられたというのも噂に過ぎないのか?」
「いえ、それは本当です」
期待する阿多に、魅音はあっけらかんと否定する。
再び怒りが沸き立ちそうになるが、なんともなさそうな魅音に毒気を抜かれる。
阿多はため息をついた。
「年を詐称していないだろうな?」
(阿多さまにもいわれた)
刹那の静寂が訪れた。
阿多は呆れた視線を魅音に向けながら、降参するように両手を上げる。
「元はといえば私が招いた事件だ、魅音の頼みでもあるし今から一度話してみるさ」
主上もその身に不釣り合いなほどの反省と後悔をしていた。喧嘩になってご破算とはなるまい。
ただ、おそらく阿多が折れる形にはなるだろう。和解するのはあくまで今回の件のみ。阿多が勝手なことをしたという終わりにして、三ヵ月前の関係に戻るだけだ。
十数年来の確執が魅音の介入で解けるとは思えない。
若さゆえの過ちは根が深く、二人の時もそこで止まってしまっている。
せめて皇帝の衣を一時でも脱いで素直になれたら伝わっただろうに。
せめて彼女が友愛以外の感情を抱いていれば孤独な帝が唯一選んだのは誰か気づいただろうに。
主上と阿多の気持ちの話だ、そんなものを完璧に理解するなど人の身には不可能。魅音の憶測が混じるので代弁して間を取り持つことなんてできない。
(できることは阿多さまの愚痴を聞くくらいか)
兎にも角にも任務達成である。
「またお茶会をしましょう、会えなかった間に思いついた話が山ほどあるのです。それではこの辺りで失礼します」
「ありがとう。またな、楽しみにしている」
あの日の続きを約束して魅音は柘榴宮を後にした。
* * *
数日後、魅音は後宮の端も端にある誰も使っていない離宮に呼び出され、主上と向かい合って座っていた。
目元の隈はすっかり取れ、上機嫌な主上を見るにうまくいったらしい。
ということは呼ばれた理由は成功報酬についてだろう。
「お前はよくやってくれた。可能な限りなんでも叶えよう」
太っ腹だ、帝にここまで言わせるのは魅音が初めてかもしれない。
契約を交わした夜からずっと考えていた。ささやかなものから身に余る願いまで。
寛容にも何でも叶えると言った主上と、主上と魅音と外に控える主上直属の守衛以外の耳が無いというこの環境。すべてが揃っていた。
魅音は椅子に座ったまま三つ指をついて冷たい机に額を擦り付けた。
驚いて身じろぐ音がするが意にも介さず、震える唇に鞭を打って嘆願する。
「どうか、
一息で言い切った、魅音は主上の言葉を待つ。
実際はわずかな時間だったが、魅音には永遠のように思えた。
「頭を上げろ」
主上に従って恐る恐ると顔を上げて主上を見る。
怒っている様子はない、むしろ皇帝に切り替えてまで真剣な表情だ。
「まずは詳しく話して見せよ」
魅音は一切の嘘も誇張もなく故郷の危機を話し始めた。
*
「それで、大寒波とやらが起こるのは確定事項か?」
「自然が相手ですので言い切ることは難しいです。しかし、
流石に鵜呑みにはできない。
門外不出の資料があればもう少し説得力があったかもしれないが、魅音の口頭では信用に足らない。
「大寒波を仮定したとしてこれはとんでもない金がかかるな……増税が必要になるかもしれん」
主上は戯言と切り捨てることなく検討してくれる。
それだけで魅音には十分だった。
「
他家の妨害が比較的落ち着いたのは主上が即位してからのこの四年間だ。
息のかかった者が身を粉にして働いているが、その短い期間で政策に口を出せるほど成り上がるなんて奇跡は起きない。
だから徐も二の矢を用意した。主上も気づいたようだ。
「それで魅音か。お前はそれでよかったのか?博打だぞ」
「博打だとしても私はそれに縋りたかったのです」
主上は道具として後宮に送られた魅音を気遣うが、固い意志を目の前にして美髯を撫でながら決断を下した。
「話に乗ろうじゃないか。今後も魅音の元に通うことにする。だがそれでは足らんな、朕が贔屓するにしても理由と段階がいる」
幾ら皇帝が強大な力を持っていたとしても、独断で莫大な金と人を動かすことはよく思われない。それも碌なつながりのない辺境零細の家となれば官たちから不満が噴出するのは火を見るより明らかだ。
魅音は感激のあまり頬を赤く染めて、声にもその高揚が出ている。
「ありがとうございます。何が足りないのでしょうか、私にできる事なら何でも致します」
魅音は己の身分を忘れているのだろうか、察しの悪さに主上は嘆息して言った。
「朕に言わせるのか。官共を黙らせるには後宮の本懐を遂げるしかあるまいよ」
魅音は主上の言葉をすぐには理解できなかった。
固まっているうちに戸が叩かれる。
「主上、そろそろお時間です」
守衛から声がかけられた。
まだ昼過ぎだ。主上はこれから執務があるのだろう。
「次は朕の枕も用意しておいてくれ」
主上は席を立ち、魅音の肩に手を置くと軽い口調でそう言った。
魅音は主上の顔を見上げるが直視できずすぐに視線を逸らしてしまった。
主上を見送る。
これは密会であるので、時間をずらして宮を出ねばならず、魅音は一人残されていた。
「そういうこと、だよな?」
直視させられた現実に顔が熱い。
自分で納得するのと、お相手その人から言われるのでは威力が段違いだった。
魅音は今まで通り主上に接することができるのか、不安になった。