「ふんふん」
色鮮やかだった紅葉も終わりを控え、本格的な冬が到来しようとしている頃。
冬は始まったばかりだが、風の強い日は強調された寒さが骨身に染みるらしい。凍えて震える下女を良く見た。
この季節の園遊会に出た
魅音はというとこのくらいの寒さはなんともないようで、それどころか生き生きとしていた。
北方育ちの彼女にとっては今くらいが過ごしやすいのである。
故郷の冬はこれでもかと準備をしていても凍り付いてしまいそうになるが、中央の冬は一枚二枚多く羽織ってしまうだけでそれなりに寒さを誤魔化せるのが良い。
あとは火鉢を用意するなり、布団に羽毛を詰めるなり時の流れと共に深まる冷気に合わせてやればいい。
そう思っていたのだが……。
長椅子に座る魅音はその椅子に手をつき、足元を踏みしめる。
手と足の両方とも深く沈む。ふわふわの感触は高級品も高級品だ。
魅音は「はぁ」とため息が出てしまう。
皇帝のお気に入りとなると想像のつかない贅沢が許される。
魅音は基本的に遠慮した慎ましい生活を心がけているが、その心意気が反映された魅音の棟は主上にとっては貧相に映ったらしい。
気づいたら魅音が買ったという
主上の命であった。まぁ確かに天上人を迎え入れるには肌寒かったかと反省する。
しかし、落ち着きのある柄は魅音の趣向に合わない。したり顔だった
少し不満げな魅音だが、彼女に選ばせては色物ばかりになるのだから侍女たちの判断は正しかった。
内装が変わるだけならよかった。特に度肝を抜かれたのは寝所の変わりようだった。
寝台も寝具もまるっと入れ替わっていた。大人が何人寝れるのだろうかという大きさと豪奢な装飾と天界の雲のような肌触り。用法は想像の通りだ。
帝は男性として実に優秀であった。魅音の心の中の男が敗北感に打ちひしがれる程である。
そして何より主上はねちっこかった。猫猫は壬氏の事を粘着質な男とよく評していたが、もしかしたら遺伝子の神秘なのかもしれない。あと
主上は密着なされることを好まれた。寒いのかはたまた別の理由か。
幾ら冷えてきたとはいえ暖かな布団も相まって暑苦しい。
その寝台は当然、夜伽の有無にかかわらず毎晩利用するのだが、その度にあまりの立派さで気が休まらない。一度脳内で算盤をはじいてみたが計算後考えないようにした。結果はそういうことである
商人として大きなお金を扱うことはよくあったが、あくまでそれは商会のお金だ。個人で不必要に大金を消費したとなると訳が違う。魅音も世間的には上澄みも上澄みの商家に生まれたが、前世の価値観の残る彼女は生粋のお姫様ほど特権階級の尺度には慣れていないのだ。
とはいえ名家や豪商生まれの妃と比べたらの話であり、なんなら日本の生活水準を知る魅音は時折、単発でとんでもないことをやらかすのだから彼女に仕える者たちから見れば大概である。
例を挙げれば実家にある、わざわざ湯を引かせた個人用の風呂小屋だろうか。
ただそれは父と交渉し借用したお金で建てたものであり、自分で働いて返済した。実に目が飛び出るような金額だった。よく返し切ったものである。
ではなんだかんだで大金を使う側である魅音がなぜ算盤をはじいて青ざめていたかというと理由は単純、それが血税でできているものだからだ。全国各地、様々な人々の生活を見てきた彼女にはとても重い。
後宮に来てから気兼ねなく使えるお金は無くなった。生み出す側ではなく消費するだけの存在になったからである。
しかし手元にはなかなかな量の金銭がある。すべて帝からの褒賞だ。
妃、女官、宦官合わせて三千の人間を抱える後宮は先代の後宮ほどではないが国庫を圧迫していると聞くので貰い過ぎても困るだけなのだが帝の好意を断ることもできるわけがない。
(でもお金は使わねば死ぬしなぁ)
金は使わねば経済が回らない、至極まっとうな理由であるが、どうしても気が引けてしまい言い訳するような気分で浪費することになった。
そもそも国から見てみればはした金だろうから気にするだけ無駄かもしれないが、それは禁句である。
魅音はひっそりとした風呂場を棟に作らせた。
風呂好きな魅音が毎日入るのだが、その湯は沸かして運ぶという重労働で成り立つ。毎日となれば馬鹿にならない人件費となった。継続的な大金の使い道として優秀だ。
魅音の棟に働く者たちにも好評だった。
後宮の女官は夏場は二日に一度、冬場は五日に一度湯殿で体を清め、衛生的に保つ義務が課されている。
後宮にはおよそ二千の女官が利用する大浴場があるが、その湯は一日に一度しか張られないため、この季節の外気では冷めるのが早い。では温かいうちに入ろうとすると混雑してしまう。
市井生まれの下女は元々沐浴の習慣がない。だから別に毎日入らずとも、五日に一度人の量に我慢すればいいのだが、冬に体を温めるという贅沢に一度慣れてしまうとなんとやらである。
そこで普通はあり得ないが魅音は残り湯を使うことを許した。気の許した少数で体を温めるというのは実にいいものだ。
また、敵の多い魅音の身の回りの結束を固める役割も果たしていた。
あとこれは少し恥ずかしいのだが、個人で風呂を持ったことで月の障りの際も身を清め、体を温めることができるようになったのが嬉しかった。
その後の湯は使えるわけもなく、掃除をするのも下女たちなのだが、文句といったものは当然のように出ることも思うことすらない。
悪いなと思いつつもやはり魅音も特権階級なのである。
「魅音さま!ご実家からお便りが届いてました」
魅音の耳に元気な少女の声が飛び込んできた。
魅音の部屋に入ってきたのは黒髪を一つのお団子に纏めた素朴な顔立ちのとても小柄な下女だった。以前熱中症で倒れたところを魅音に介抱された少女だ。
中級妃となり棟を与えられ、部屋を移動せねばならなくなった時、問題となったのは人手である。
とても侍女二人で管理できる広さではない。そこで下女を雇うことになった。
厳選に厳選を重ね、選ばれた五人の中に彼女がいた。命を救われたことに恩を感じ、その忠誠心が認められたのだ。
「ありがとう。あら
「えへへ、魅音さま関連の文字なら殆ど覚えました」
小依というのは彼女の名前である。
貧しい生まれの彼女は沢山いる弟妹を食わすために下女として後宮に働きに来ている。もっと直接的な言い方をすれば口減らしだ。
(
魅音の元で働くということは当然危険に巻き込まれるということである。また魅音側も懐に鼠を入り込ませないために多くは雇えない。
どうしても少数精鋭にせざるを得なかった。
しかし読み書きができて誰の息もかかってない娘というのはあまりにも少ない。下女となれば猶更だ。
そこで地頭の良さそうな娘を選別し、一から教育しているのである。
まずは徹底的に作法を。妃に仕える者たちはその妃の顔として見られる、寵妃である魅音に泥を被らせるわけにはいかない。
次に後宮の生き方を。非常に敵の多い寵妃に仕えるのだ、今まで通り言われたことをするだけでは標的にされてしまい最悪命を落とす。要注意人物の顔を覚えることと、その悪意のいなし方を学ぶ事は必須だった。
そして最後に文字の読み書きと教養を。魅音に与えられた棟は相当に広い。侍女と下女の五人で回すには効率化が重要で、そうなると文字が読める読めない書ける書けないは大きな違いだった。将来は侍女として正式に雇いたいとも思っているので是非身に着けてほしい。
彼女たちが魅音に仕え始めて大体三か月が経つ。過酷ないじめに二人が辞めてしまい三人となったが、残っただけあって非常に優秀だ。
「よくやっていると聞いているわ。これからも頑張って頂戴」
魅音は見守るような眼差しで小依をねぎらう。
「これはご褒美。三人で分けなさい」
「あ、ありがとうございます!」
魅音は小依から竹簡を受け取りつつ小さな袋を手渡した。
中には金平糖が入っており、彼女たちにとっては貴重な甘味である。
健気な彼女たちの成長を見守ることは楽しみの一つであり、つい肩入れしてしまう。あまり甘やかすなと小言を言われているほどだ。
仕事に戻るために退室する小依を見送ると魅音は今さっき届けられた竹簡を広げた。
実家からというがそれは当然
警戒しながら読む魅音だったがふぅと息を吐く。
神経を逆なでするようなあの男の文字ではない、おそらくは補佐官による代筆だ。となると現状報告ではないらしい。
まぁ入内してから五か月足らずにもかかわらず魅音は怒涛の日々を送っていたのだ。普通の経路では往復2ヵ月、早馬を乗りつぶして往復十日とちょっとの距離なのでどうしても情報交換に
読み進める魅音は喜色満面に溢れた。
(嘘だ、本当に?)
喜びが過ぎて今にも泣きだしそうである。
そこには徐を通して依頼していた品を周商会の
後宮は男子禁制とはいえ、面会が可能な制度と場所がある。母が居ないことは残念だが家族に会えるらしかった。
これほど嬉しいことは無い。
徐の屋敷で暮らしていた時も比較的近いにも関わらず会うことは無かった。完全に二年振りの再会になる。
禍根の残る別れ方をしているので後ろめたい気持ちはあるが、そんなものは細事だった。
(出来上がりも早い、優先してくれたんだろうな)
依頼を出したのは主上に最初の報奨金を頂いた時。
魅音自身が茶会など用事に合わせて使う豪奢な物から、使用人たちに分け与える耳飾りや首飾りなどと大量の注文をしていたのだがこんなに早く揃えてくれるとは思ってもいなかった。
相当無理を通してくれたに違いない。父の、職人たちの善意に温かい気持ちが胸に満ちる。
(まさかこれも?急だったのに間に合わせてくれたんだ)
そう言うのは赤子用の木彫りの玩具である。取っ手が付いており、振るとがらがらと音がする、いつの時代も愛される玩具だ。
周商会には木の加工に自信がある職人もいる。きっと素晴らしい出来だろう。
勘違いしてほしくないが、魅音のためのものではない。
玉葉妃と梨花妃への出産祝いである。
要らないと思っていたが、まさかの寵妃となってしまったせいで魅音は玉葉妃からも梨花妃からも無視できない存在になってしまった。
それは即ち魅音からも無視はできないということである。
故に祝いの品を用意しなくてはならなくなったのだが、残された時間はあまりにも少なかった。特に玉葉妃の出産予定が迫っていた。
それが急だった理由である。
二人とも身重だということもあって一度も茶会で顔を合わせることが出来ず、その好みもわからないがきっと気に入ってくれるだろう。
(けれど原作では……)
玉葉妃の公主は中毒に侵され危険な状態になる。梨花妃の東宮に至っては天命に従うことになってしまった。
幼い命がむごく散る。
ズキリと胸が痛む。
(けれど、私なら助けられるのかもしれない)
まだ後宮内で鉛白の流行りは見せていない。
恐らく世継ぎが生まれると同時に持ち込まれるはず。鉛中毒は妃の美貌と命をジリジリと蝕みつつ、赤子には猛毒の牙を剥く。これほどぴったりな毒はない、原作での首謀者はさぞほくそ笑んだことだろう。
(気に食わない、先手を打ってやる)
危険性は壬氏にでも伝えてやれば上手くやるだろう。
だがあらゆる毒が集まる後宮で誰も知らなかった鉛白の危険性を知っている理由はどうしようか。鉱山町で生まれ、生家では鉛も扱っていたから鉛中毒を知っていたといえば納得してくれるだろうか。
横たわっていた体を起こして、片膝を立てて顎を乗せた。
これは自分のためでもある。
魅音は帝の寵愛と阿多の庇護があるから生きていられるだけで、その足は薄氷の上に立っている。僅かな
もし、原作通り鉛白で翡翠宮と水晶宮が蝕まれたとして、対抗馬である魅音がピンピンとしてたらどう思われる。
簡単だ、犯人だという噂は避れられない。
(さて、どうしようか)
魅音は考える。赤子の命と自身の保身の為の策略を。
その姿はしたたかだった、後宮という環境と寵妃という立場は僅かな期間で人を変えるのだ。