TS転生傾城妃は諦めた   作:青すぎる空は目が痛い

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17 信用は稼げる時に稼ごう

 

 

 

 

 昨晩の雨が残っているのだろう。唯でさえ寒いのに吹き付ける風が肌を刺すようである。

 ただ悪いことばかりではない。

 故郷を少し思い出す。本場はこんなものではないけれど。

 

 魅音(ミオン)はスンと鼻を鳴らした。

 後宮に染み付く香は悪い匂いではないのだが常に、どこにいても混ざり合って鼻に届くので飽き飽きとする。

 それらが雨で流された後は後宮(こんな所)でも自然の一部なのだと実感できて良い。

 

 気鬱に陥らないためにも五感を刺激することは大切だ。

 軽く上を向き、瞼越しに雲の隙間から顔を出す太陽を見る。

 付き従う若汐(ルオシー)もそれを真似た。

 

 (いい天気だなぁ)

 

 無尽蔵に膨らみ続ける悩み事に辟易とする心へ太陽の優しい温もりが染みていく。

 

 (さてと)

 

 道中季節を感じて足を止めてしまったが、今日は目的をもって外に出ていた。

 目的地まではもう既にすぐそばにまで来ている。

 ほら、少し歩けば見えてきた。後宮医局だ。

 

 

 * * *

 

 

 「な、何の御用でしょうか」

 

 (私は一体どう認識されているんだ?)

 

 創造主に多大なる加護を与えられたこの宦官は後宮唯一の医官であり、この医局の主だ。

 陽物とサヨナラした影響で中年太りした人当たりの良い顔立ちの彼は頬肉と自慢のどじょう髯をプルプルと震わせ、まん丸とした齧歯類(ハムスター)のように怯えていた。

 

 (流石真なるヒロイン。可哀そうが可愛い)

 

 断っておくが魅音は決して威圧などしていない。「ごきげんよう、医官さま」と湯呑に茶を淹れて一服する、目尻が落ち切って油断していた彼に挨拶しただけである。

 確かに医局に妃が直接訪れるなど滅多にないことだろうが、その場合驚かれるだけでここまで怯えられる理由にはならない。

 

 まさか美貌のために生き血を啜っているという冗談十割の既に廃れた噂(誰がとは明言されてないので罰せられない)を鵜呑みにしているのだろうか。

 いやぁ、あり得るなぁ。

 

 魔が差した魅音はにやりと笑うと唇を舐める仕草をして見せた。

 

 「ひぃっ!」

 

 ……。

 

 宥めるのに時間がかかったとだけ言っておこう。

 

 

 *

 

 

 「美味しい、これは太医(せんせい)が?お上手ですね」

 

 魅音はやぶ医者(心の内でも律儀に太医(せんせい)と呼んでもいいのだが、猫猫に倣うことにした)の淹れた茶を頂いていた。

 やぶ医者が血を吸われる!とこの世の終わりのようにあわあわと取り乱すものだから、近くを通った時にいい香りがしてつい寄ってしまいました、と咄嗟の嘘をついたところあっさりと信じられてしまい、その流れで振舞われていたというわけだ。

 

 「よく淹れるからお茶には自信があって。茶葉にも拘っているんです」

 

 褒められて嬉しいのだろう。

 鼻高々と言うやぶ医者に勧められるように、一緒に出された饅頭に竹の匙を入れて切り分けると口に運ぶ。甘い茶に甘いお菓子と甘いもの尽くしだが、渋いお茶と合わせたときとは違う良さがある。

 

 (ほんと大した人だよ……)

 

 支離滅裂な噂を真に受けていたと思ったら、魅音の弁明を素直に信じ込んでしまった。魅音の話し方、もとい丸め込み方が上手かったのもあるがその純粋無垢さには驚愕した。

 後宮に来てからほぼほぼ初めて見た清涼剤みたいな人である。

 しかし、いやだからこそなのか医師としては無能なのである……。

 茶を淹れる機会が多いというのもそれだけ暇しているからだろう。後宮の人間の殆どからあまり頼りにされていないのである。

 

 やぶ医者の人畜無害成分を十分摂取した魅音は医局を訪ねた本題に移ることにする。

 

 「太医(せんせい)、ついでなのですが腹痛と頭痛に効くお薬を頂けますか?うちの下女が風邪をひいてしまったみたいで」

 

 若汐がぴくりと動いたのを背中で感じ取った。そんな話聞いてないと思っているのだろう。

 当然である、出まかせなのだから。

 

 「えぇと、腹痛と頭痛ですね」

 

 どれだったかなぁ、と不安になる言葉を呟きながら医務室に消えるやぶ医者。

 姿は見えないが、がさごそ、ばたばた、がちゃがちゃ、聞こえてはいけない音が聞こえて気が気でない。 

 

 「あったあった」

 

 程なくしてほくほくとしたやぶ医者が戻ってくる。

 一仕事終えたように額を拭う。やり切った顔をしているが、ここからまだ薬研で薬材を()く作業が残っている。

 要領の悪さに愛想笑いがでるが、どうにも憎めない。

 

 危なげに薬研を扱うやぶ医者を眺めながら湯呑を傾けていた魅音はおもむろに質問を投げかけた。

 

 「此の所、腹痛に頭痛、加えて吐き気の症状を抱えた娘が訪ねてきたりしていませんか?」

 

 「吐き気もですか?うーんと、いないと思います」

 

 「では流行り病ではなさそうですね。安心しました」

 

 腹痛、頭痛、吐き気。それらは全てありふれた身体の不良を訴える症状だ。しかし、鉛中毒で表面化しやすい症状でもある。

 後宮で風邪が流行っては大変だ、とそれらしいことを言って鉛に蝕まれている者がいないか探る。

 

 (診療所の方にも該当していそうな娘はいなかった)

 

 診療所というのは後宮の北にある建物の事である。後宮としては珍しい年嵩のいった女官たちが管理する場所で、薬こそ処方できないが衛生的に整えられていることから、体調を崩した女官たちがまず最初に頼る。ここ(後宮)の実質的な医局であった。

 

 医局に寄る前にすこし顔を出してきたのだ。

 そこの女官たちは、やぶ医者のようにのほほんとはしておらず疑り深いので直接聞くことはできなかったが、病床が使われている様子はなかった。

 

 (やっぱりまだ毒白粉の流行はみせていない)

 

 ひとまず安心する。

 妊婦に毒白粉が使われていたとしたら胎児への影響は計り知れず、手の施しようが無いからだ。

 

 (で、どうやって持ち込まれるのかがわからないんだよな)

 

 何の手がかりも掴めないまま刻々と時間だけが過ぎてしまっている。

 ごりごりと心地のいい調薬する音が鳴る中、魅音は考え込んだ。

 

 

* * *

 

 

 

 「私なんぞが文官の真似事など。本当によろしいのでしょうか……」

 

 「使えるものは使う。それだけだ」

 

 とある日の夕暮れ時、魅音の執務室を模した自室に主上が我が物顔で居座り、数多の書類に朱筆を加えていた。

 魅音はというと少し離れた位置で主上に従って算盤をはじいている。

 言われるように渡された書類の再計算をしているのだが、魅音が、女が触っていいものなのかと疑う。

 

 (いや、そもそもどうしてこんなことに)

 

 魅音はここまでを振り返える。

 本来、今日は主上の訪問は無いはずだった。

 いつもと変わらない日々を送り、湯にも浸かってゆったりとした服に着替え、夕餉まで碁の教本でも読んで寛ごうかという時、脂汗を垂らした宦官が帝がお通りになると伝えに来たのだ。

 

 あまりにも時間が無かった。侍女ら総動員で魅音の髪を結い、着飾り、部屋に乱れが無いか点検する。ドタバタとして非常に忙しかった。

 でだ、お通りにしては少し早い、夕暮れ前にお見えになった主上を迎え入れてみれば、連れの宦官に書類を持たせており、迷うことなく魅音の自室に足を運ぶと仕事向きの机に向かって執務を始めてしまった。魅音以外が座ったことのない椅子だが、以前紹介したことを主上は覚えていたのだろう。

 

 (めっちゃ怒ってらっしゃる……!)

 

 主上はえらくご立腹だ。天上人の怒気を前にして侍女たちに怯えるなというのは不可能。可哀そうに思った魅音は彼女たちを下がらせ自分の手で茶の給仕をした。

 

 「どうなさったのですか?」

 

 大小二つの湯呑にひと肌程度の温度のお茶を注ぎながら問いかけた。

 魅音は小さな湯呑に口をつけるのを主上に見せてからもう一つの湯呑を主上に差し出す。

 形だけの毒見が済まされた湯呑を大きな手でむんずと掴むと喉を鳴らして一飲みになる。

 

 のどを潤した主上は再び筆を持ち、筆先に朱墨をつけながら口を開いた。

 

 「一日中邪魔が入った、お陰でこの通りだ」

 

 「主上のお手を煩わすなんて」

 

 「あやつらも焦っておるのだろうよ」

 

 その無礼者を追い返さなかったことから察するに主上のもとに押し寄せたのは無下にできない家、それも複数だったのだろう。例えば『卯』や『子』といった名持ちの家である。

 心当たりはあるにはある。おそらく玉葉妃のお産が近いことが影響しているのだ。

 この国は基本的に長子相続だ。玉葉妃が東宮を産んだら宮廷の力関係が一変する。その前に何かしらの言質でも取ろうとしたのだろう。

 

 最初の一人を断っておけばよかったのだろうが聞くだけ聞いてしまったものだから続く者たちを断れなかったと推測する。些細な格差でもあらぬ疑いを持たれるのだ、主上はそれを嫌った。

 

 鬱憤が溜まっている主上は具体的な名前は言わないものの恨み言をぽつぽつと零していた。

 わざわざここで仕事の続きをしている理由はどうも愚痴を言いたかったからのようだ。

 

 魅音は目を瞑ってなんとも言えない表情をする。

 だんだん主上は魅音に遠慮をしなくなってきていた。

 その原因は分かっている、主上と交わした二つの契約のせいだ。

  

 一つ目は阿多との仲直り作戦の際に結んだ主上関係の事を一切を他言しない契約。

 二つ目は主上の寵が約束された褒美という名の魅音を縛る契約。

 

 特に大きかったのは二つ目の契約だった。

 魅音の目的は故郷の民の命を救うこと。それの達成のためなら、究極的なことを言ってしまえば寵愛さえあれば(シュー)はもはや必須ではなかった。主上の言質があれば子を産んだ寵妃の故郷という肩書きで十分であるからだ。

 道半ばにして徐が滅んだとしてもその間中央から人材を派遣して管理させ、いつかの日、魅音の子を嫁に出すなり臣籍降下させるなりで北峰州を統べる家を興せばよい。

 結果、実家よりも主上を優先し、心身を捧げた魅音は極めて主上に依存した存在になったと言える。

 

 主上は淫蕩にふける暗愚な皇帝ではない。後宮も政治の場と認識しており、妃を通して力関係(パワーバランス)を調整してきた。

 あぁ、玉葉妃に対する寵愛は間違いない。主上は彼女の強さと賢さを気に入っており、優先度だって魅音よりずっと上である。

 

 そんな後宮において、魅音は主上に雁字搦めにされた貴重なしがらみのない妃であり、決して裏切らない手飼いの臣下として重宝されていた。

 主上には気の許せる人間が少ない、乳兄弟である阿多と高順、あと乳母くらいだろうか。魅音はその末席に加えられていた。

 時間をかけて構築された前述の三人に対する信頼には足元にも及ばないが愚痴を聞かされるくらいには信用されている。際どい愚痴は漏らすが壬氏が実は皇弟である、といったような機密事項は決して話されない、そういう関係値である。

 

 (というか愚痴を言いたいだけなら)

 

 「阿多さまの宮に行かれたらよろしかったのに」

 

 「直前の知らせだっただろう?阿多は容赦なく追い返すからなぁ。それにあいつの前で仕事はできん」

 

 「そうでしょうか」

 

 そんな塩対応するかなぁと首をかしげるが付き合いの長い主上の言うことならそうなのかもしれない。

 なら存分に私物の机を使ってもらおう。魅音では文を綴るときくらいにしか使わないから主上に使われることは机にとっても本望だろう。

 

 (量から見てあと二刻はかかるだろうなぁ)

 

 積もる書類はかなりの量だ。それからだけでも普段の激務が垣間見える。

 長丁場になることは間違いなしだが、その間主上を部屋にお一人にはできない。かといって妃の部屋で仕事をする帝を見せてもいい人物などいない。強いて言えば壬氏と高順なのだが、夜分に招き入れることなどできるわけもない。

 

 必然的に魅音が付き合うことになる。

 

 (まぁ時間を潰すなら刺繍かな)

 

 これから益々寒くなっていくので編み物の続きを進めようかと思ったが編み針の擦れる音は意外と大きい。それでは主上の集中を削いでしまうかもしれないので、刺繍という無難な選択をすることにした。

 

 手に持ったままだった茶の入った急須を執務机とは別の長椅子と面した机に置くと、棚に仕舞われた刺繍道具一式を取り出そうと歩き始める。

 戸に手をかけたところで主上に呼び止められた。

 

 「確か数字に強かったな?」

 

 「えぇ、まぁ」

 

 官女試験を受けたとしたら主席合格するほどの知識の量はある魅音でも、普段主上の補佐をする科挙を突破した化け物文官たちには逆立ちしてもかなわない、しかし算術の能力では負けず劣らずの実力はあると自信があった。

 

 なぜ今そんなことを、と思いながら手招きされるがまま主上に近づくと両手に紙の束を置かれる。

 

 「え?」

 

 「頼んだぞ」

 

 悪戯を思いついた主上はにやにやと本当にイイ笑顔をなさる……。

 

 

* * *

 

 

 こうして冒頭に戻り、魅音はその書類に計算の誤りが無いか確かめていたのだ。

 

 そんなもの触ってもいいのかという思いは一頁目を見て霧散する。

  

 (道理で主上は物色する気分でやればいいとおっしゃるわけだ)

 

 それは今度後宮を訪れる隊商(キャラバン)商品目録(カタログ)だった。

 後宮は年に何度か隊商が訪れ、市が開かれる。娯楽の少ない後宮の祭りのようなものだ。

 魅音にとってこれが初めてになる。前回の隊商は入内の直前だったので丁度機会が合わなかったのだ。

 

 (これをまとめた人はマメだなぁ)

 

 商品一つ一つに特徴が記されている。それのせいでここまで分厚くなっていたのだった。

 しかし余計な情報が多くないだろうか読むだけで時間がかかりすぎる、これでは有能なのか無能なのか判断に困ってしまう。

 

 (お?7.6尺(230㎝)の虎の毛皮の絨毯?)

 

 つい色物に目が惹かれてしまう。

 今座っているような長椅子に掛けてみてはどうだろうか、壁掛けにしてもいいかもしれない。

 これは未来の話だが、反対する侍女を押し切って買って満足げに飾るものの、主上にいい顔をされなかったので荷物置きに仕舞われることになる。

 

 (ちょっと楽しみだ)

 

 趣味が良いとは言えない敷物に狙いを定めた魅音はふふふと頬を緩めた。

 上機嫌になった魅音は調子よく次々と数字を確かめていく。

 そしてある頁をめくった時だった。

 

 (化粧品か。今あるので十分かな……ッ)

 

 陽が落ちて暗くなった部屋で広がっていた瞳孔がキュッと狭まる。

 その目はある品の説明文を穴が開くくらい力強くなぞっていた。

 

 「おいどうした」

 

 急に動きを止めて件の紙を握りしめながら震える魅音を不思議に思った主上が声をかける。

 ハッとして己を取り戻した魅音は深呼吸をすると主上に向き直って真っすぐに目を見て言う。

 

 「主上、お話があります」

 

 

 *

 

 

 「どうしてこの白粉を宮廷の医官を通すべきだと?」

 

 「高価で、よく伸び、目を見張る白さ。この特徴のある白粉には覚えがあります」

 

 筆をおいた主上は顎に手を当てながら魅音に続きを催促する。

 

 「もしその白粉が私の知るものだとすれば、毒だからです」

 

 部屋の空気が張りつめた。

 主上も尋常ならない魅音の様子から予想はついていただろうが飛び出した物騒な言葉に聞き返す。

 

 「これだけの情報でどうしてそう思った。どうして毒だと知っている。申してみよ」

 

 ここからが正念場だ。

 

 「私の育った町は金細工を生業にする職人で栄えた町です。その中には鉛を専門に扱う職人もいました。鉛は柔らかく加工が容易なのでなくてはならない金属です、しかしそのなり手は多くありませんでした」

 

 主上は問うた内容とは遠く思える魅音の話を黙って聞いている。

 そんな主上に感謝しながら続ける。

 

 「なぜなら決まって体を壊すからです。その理由は解明されていませんでしたが鉛が原因なのではないかと職人たちの間では噂となっていました」

 

 触れるだけでは毒にならず長期間のばく露によってようやくその殺意を露わにする。

 教養と医学知識が十全ではないこの世界では記憶に残りにくく、知恵として蓄積されにくい毒だ。

 

 「その白粉は鉛からできているのです。私は職人たちを束ねる商人の娘としてたまたま知っていました」

 

 色々穴のある語りだと我ながら思う。

 なにせ元は原作知識。未来を見たからとのたまう狂人と同じだ。

 主上も違和感を感じているのだろう。考える時間が長い。

 ゆっくりとその口が開かれる。

 

 「ふむ、分かった。お前を信用することにする。劉に持ちかけてみよう」

 

 

 

 * * *

 

 

 数日後、上級医官、劉医官の名によって後宮におけるその白粉の利用が禁止される。

 隊商で持ち込まれるはずだった分に関しても完全に回収された。

 毒を運んだ罪は受けたが、その毒性があまり知られていないことから肉刑は避けられたという。

 

 そして玉葉妃、梨花妃、それぞれ母子ともに無事に出産したという知らせを聞いた。

 胸のつかえが取れた魅音は日常に帰る。出産祝いは喜んでくれているだろうかと赤子たちの笑顔を想像しながら。

 

 だがそんな平穏な日々は長く続かなかった。

 

 季節は初夏、公主と東宮が呪われたという噂が急速に広がったのだ。




毒白粉は梨花妃のお産の手前に訪れた隊商が持ち込んだものということにしました。
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